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第15膳

"ピッツァ"は"ピザ"のオサレな言い方…ではないんですって?

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 伊緒さんにはまるで双子のようにそっくりな、「瑠依さん」という従姉妹がいる。
 この人のことを伊緒さんはとても慕っていて、姉妹のように仲良しな様子は見ていてとってもほほえましい。
 でも姿かたちはよく似ているものの二人のキャラクターは全然違って、伊緒さんが「明るい天然」とすると瑠依さんは「クールな天然」といえるだろう。
 あまり表情を変えることもなく、切れ長の目に縁なしめがねをかけた瑠依さんの風貌は怜悧そのものなのだけど、付き合いが深まるにつれてどうしようもない天然ぶりが明るみになってきた。
 列車の上り下りは必ず間違う、道端のホースを大蛇と誤認する、めがねをかけているのにめがねを探して焦る等々、伊緒さんとはまた違った意味でとてもおもしろい。
 あと特筆すべきは、しょっちゅうお財布とか携帯とかをどこにやったかわからなくしてポケットをひっくり返すのだけど、なぜかいつも「どんぐり」がいくつもコロンコロンと転がり出てくることだ。
 初めてその場面に遭遇したときは、普段の瑠依さんがもつちょっと近寄りがたいような雰囲気とのギャップに、思わず笑みがこぼれてしまった。
 伊緒さんと手分けしてどんぐりを拾い、瑠依さんに手渡すと、

「ありがとう……。これはクヌギね」
「こっちはマテバシイ」

 と、樹種を言いながら頬を赤らめたのだった。
 それ以来ぼくはすっかり瑠依さんに親しみをいだくようになったのだけど、実は彼女はただのどんぐり好きではない。
 本職は大学の食文化史研究所に籍を置く学芸員で、縄文時代からのどんぐり食についての研究をライフワークとしているのだ。
 "どんぐり姫"の二つ名で呼ばれる名うての研究者、というのが瑠依さんの正体なのだけど、そのことはまた、別のお話。
 伊緒さんも瑠依さんも、そのかわいい見た目とは裏腹に好き嫌いがはっきりしていて、思ったことはきっぱり口に出すという気性の激しさを秘めている。
 特に瑠依さんは、ビジネスシーンで使いがちな摩訶不思議なカタカナ言葉に敏感で、はたから聞こえてくる会話にも容赦しない。

「ほぼほぼコンプリート」
「ざっくりとフィックス」
「なるはやでリスケ」

 などとカフェなんかで聞こえてこようものなら、

 "ぁあぁん!?"  

 みたいな表情全開で、がきりんっ、とアイスティーの氷を噛み砕いたりする。

「このトゥドゥリストはマストだから」

 なんて恐ろしくてとても聞かせられず、あぶない!と思ったときは伊緒さんと「わーわー!ニャーニャー!」と騒音をたててごまかす努力を続けている。
 ぼく個人としてはそういう言葉はたしかにヘンテコだと思うけど、どうしてこんなに受け入れられるのかという理由のほうに興味があります。はい。
 そんなこともあってか、めずらしく瑠依さんから、 
「3人でピッツァを食べにいきましょう。石の窯で焼いたやつを」
 と、外食へのお誘いがあったとき、「オヤ?」と思ったのだった。
 "ピッツァ"ってなんだかオサレな言い方というか、ともすればやや意識の高い人が使いそうな言葉のイメージがある。
 なので、瑠依さんがさらりと"ピッツァ"と言ったのがとっても意外だったのだ。
 伊緒さんはというとそんな些事には屈託もなく、
「ピッちゃ?たべるー」
 と大喜びだ。
 ちなみに彼女は"ツァ"というのが苦手で、

「シュバイちゃー博士」
「カールちゅアイス」
「アクアパッちゃ」

 などと言いやすく訛るのだ。
 ああもう、かわいい。

 さて、ぼくだけそんなほのかな疑問を抱きつつ、瑠依さんの案内で件の石窯焼きピッツァのお店へと繰り出した。
 小ぢんまりと落ち着いた店構えで、入り口脇のガラスケースには枝のままの生ハムがディスプレイされている。
 ドアを開けた瞬間、

「ベンヴェヌーティー!」

 ようこそ!と、陽気な歓迎の挨拶が降ってきた。
 瑠依さんはなれた様子で窓際の席につき、
「メニューは少ないの。任せてもらっていい?」
 と、迷うことなくぱっぱっぱ、と注文してくれる。
 スタッフの人はオーダーを通すのもすべてイタリア語で、めちゃくちゃかっこいい。
「なんトカーノ」
「かんとかニッシモ」
 などと伊緒さんと真似して遊んでいたら、瑠依さんもぽそりと、
「なんじゃそラッレ」
 と参加してくれる。
 グラッツェ。

 あっという間に出してくれたタコのカルパッチョをおつまみに、赤・白・ロゼのグラスワインで乾杯して回し飲んでいると、ほどなくお待ちかねのピッツァが運ばれてきた。
「マルゲリータとペスカトーレです。お熱いのでお気を付けて。ボナペティート!」
 朗らかにテーブルへと置いてくれたピッツァは木のプレートに載せられており、熾火の熱をはらんで表面の具材がぴちぴちぷつぷつ沸き立っている。
 むちゃくちゃおいしそう!
 伊緒さんとぼくは歓声をあげ、
「とにかく早く、あっついうちに!」
 という瑠衣さんのすすめにしたがって、素早く等分にカットした。
 そこだけは日本らしく三人で手を合わせて元気よく「いただきます」と唱え、三角になった1ピースを縦半分に折るように持ってかぶりついた。
 最初はやっぱりマルゲリータから。
 バジル・モッツァレラチーズ・トマトのシンプルな具材で、ピッツァの基本と呼ばれるものだ。
 その3色がイタリア国旗みたいだと言った、王妃の名が付けられた料理というお話はあまりにも有名だけど、じつはもっともっと古くからあるという説もある。
 ソースの水分でややしっとりとした薄手の生地はもちっとして、噛み切れなかったチーズがみにょーん、とのびてくるのも楽しげだ。
 噛みしめるとバジルが強く香り、トマトの酸味とチーズのさわやかな旨みが口いっぱいに広がった。
 食べ進めると手元のほうはさくさくパリパリとした食感で、薪火の匂いがさらに食欲を刺激する。
 ぼくたちは「おいひい!おいひい!」と騒ぎながら、もうひとつのペスカトーレにも手をのばす。
 "漁師風"という意味の海鮮具材はパスタでも同様で、エビやイカ、アサリやムール貝がふんだんにのっかった豪華な一品だ。
 魚介のエキスと一体になったトマトソースは海の風味をたたえ、圧倒的な旨みとなって押し寄せる。

「このお店はご夫婦でされていてね、ローマ風の薄くてさくさくのピッツァにこだわってるの。"ピッツァ"はイタリアでの呼び方、"ピザ"はアメリカのイタリア系移民が広めた、厚手でふわふわのやつのことだそうよ」

 そうなんだ。
 瑠依さんの解説で初めて知った。
 ではではピッツァといっても決して気取った言葉というわけではないのですね。

「お味はいかがでしたか」

 ふいに調理服姿の年配の男女が、にこやかに声を掛けてきた。
 このお二人が店主ご夫妻で、ぼくと伊緒さんが口々に喝采するのをはにかむように受け止めた。
 瑠依さんはあいかわらずにこりともしないけど、ひとさし指を自分のほっぺたに当てて、"ヴォーニッシモ"と、最大限の賛辞を送る。
 よくよくお話を聞いてみると、瑠依さんとこのお店との出会いは"どんぐり"がきっかけだったそうだ。
 縄文時代の遺跡からどんぐりを主体とした小さな炭化物が出土し、"縄文クッキー"として一躍有名になったのは周知のとおりだ。
 瑠依さんはどんぐり食研究の一環で縄文クッキーの再現実験を行っていたが、直火や熾火での加熱でできるかぎり当時の状況に近づけることにこだわっていた。
 しかし、実験にたえる量を作るためには設備の問題がある。
 そんなとき、「石窯焼きピッツァ」というこのお店の看板を見かけてひらめき、何度か食事をしたのちにおそるおそる、石窯を使わせてもらえないかと交渉したのだという。
 オーダーストップのあとでなら、という条件で店主ご夫妻は快諾してくれ、研究はめでたく順調に進んでいるそうだ。
 しかし通ううちに瑠依さんはすっかりこのお店のピッツァのとりこになり、こうしてぼくと伊緒さんを連れてきてくれたのだった。

「"どんぐり姫"の頼みとあれば、いつでもどうぞ」

 そう言って笑うご夫妻はとっても素敵で、珍しく瑠依さんが頬をゆるめる。
 伊緒さんはよほどおいしかったのか、話を聞きながらもネコのように目を細めてゴロゴロのどを鳴らしている。
 こんど来るときは瑠依さんの実験にくっついて、ピッツァと一緒にどんぐりのクッキーもいただいてみたいと思っている。
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