11 / 20
第11膳
おばあちゃんのレシピ帳。少女時代の伊緒さんと、お料理の先生
しおりを挟む
ねえ、おばあちゃん。
塩少々ってどんくらいだべか。
こんなぺっこだら、味しないしょー?
幼いころのわたしは"塩少々"のことを文字通り、ほんのすこしだけという意味だと信じこんでいました。
どのお料理のレシピを見聞きしても、かならずどこかに"塩少々"とあるのがふしぎでたまらず、それでは味がしないはずだとおもったのです。
「"少々"ってのは、"ちょうどいい量"って意味だよう」
祖母はいつもそう言って笑い、わかったようなわからないようなわたしの頭を、やさしくなでてくれるのでした。
ほとんど女手ひとつでわたしを育てた母はいつも忙しくて、代わりに面倒をみてくれたのが祖母だったのです。
祖父はわたしが物心つく前に他界したので、昔ながらの大きな薪ストーブのあるお家に、祖母はひとりで暮らしていました。
祖母の家は街中にありましたが、その周りには実のなる樹がたくさん植わっていて、ちょっとした森みたいになっていたのです。
かりんずとかハスカップとかグスベリーとか、天然のフルーツが実る庭はわたしにとって最高の遊び場でした。
祖母はわたしに庭の草木の名前を教え、フキの葉の下には妖精がいることを教えてくれました。
動植物だけではなく器物すらも含む、この世のすべてのものにはカムイが宿っているのだということも、祖母からの教えです。
ふるさとに伝わる古い神話の語り部だった祖母は、幼いわたしにとって素晴らしい先生であり、いちばんの友だちでもあったのです。
そして、とってもお料理がじょうずな人でした。
あらかじめつくるものを決めておくというよりは、いまある食材をざっと見て、
「さあ、いおちゃん。これでなにができるかねえ」
と、即興で考え出すことがほとんどです。
わたしは祖母が料理をつくるのを見るのが好きで、いろんな食材をあれよというまにおいしく変身させる手際は、まるで魔法のように感じたものでした。
わたしが調理の様子を見やすいように、祖母は台所に椅子を用意して、そして小さなエプロンをつくってくれました。
幼くてなにがお手伝いできるというわけではありませんでしたが、仕事のなかまに加えてもらったみたいで得意な気分だったのを覚えています。
「いおちゃん、準備は?」
「おーけー!」
それが料理を始めるときの、祖母とわたしの合言葉でした。
料理のレシピ、ということに関しては、実は祖母から手とり足とり教わったわけではありません。
食材によって違う下ごしらえの方法、同じ材料でも切り方ひとつで食感が変化すること、お肉と野菜を炒めるときの順番等々、料理の原則になることをていねいにていねいに教えてくれたのです。
また、包丁を洗ったら刃の根元までしっかり水気を拭いて柄もきれいにすること、調理の合間にこまめに洗い物をしてシンクにものをためないこと、食材はきっちり使い切って決して無駄にしないことなども、大事なしつけだったと今になって思います。
「どんなにおいしいものつくってもねえ、食べる人が元気なかったり、そのときのおなか具合に合わなかったりしたら気の毒だからねえ。食べさせたい相手のことを、よおく見てメニューを考えるんだよう」
祖母のこの言葉は、料理の極意みたいなものだと思います。
でも、"塩少々"の本当の意味がわかったのはもっとずっと後、わたしに大切な人ができて、心の底からおいしいものを食べさせたいと思うようになってからでした。
わたしは14歳のとき、あることがきっかけで母と暮らしていたアパートを飛び出し、中学卒業までを祖母のもとで過ごしました。
思春期まっさかりだったわたしは、体重を気にしてみたり美容を気にしてみたり、屈託なくごはんを食べることができなくなっていました。
でも祖母は、そんなわたしに食事を無理強いするのではなく、サラダに豆や賽の目のじゃがいも、手作りのベーコンをたっぷり入れるなど、自然に栄養バランスがとれるように心を砕いてくれました。
そのころには部活や進学のための勉強で帰りも遅くなり、料理のお手伝いもほとんどしていませんでした。
時おり一緒に台所に立つことがあると祖母は嬉しそうに、
「いおちゃん、準備は?」
と、わたしが幼かったころと同じように声をかけるのでした。
わたしはなんだか恥ずかしくって、
「おーけーだよ、おばあちゃん」
と、少しぶっきらぼうに応えたものです。
祖母との暮らしが終わりを告げたのは、わたしが高校進学とともに寮に入ったことによります。
旅立ちの朝、わたしを見送りにきてくれた祖母は少しまぶしそうな目をして、
「準備は?」
と、茶目っ気たっぷりに言いました。
わたしも笑って、
「おーけー!」
と、幼かったあのころみたいな返事をしました。
それが、元気な祖母と交わした、最後の言葉でした。
祖母の葬儀のとき、すごく麗らかな日和だったことだけは、今でもよく覚えています。
少しずつ、ごく自然に身体が弱っていった祖母は、本当に眠るように息を引き取ったそうです。
わたしはもう17歳になっていましたが、祖母がいないということの意味がよく分からず、葬儀の間もただぼんやりしていました。
生前の祖母の強い希望で、葬儀はあの樹がたくさん生えているお家で行われました。
たくさんの花に囲まれて、穏やかな顔で眠る祖母はとてもきれいで、むしろ何か特別なお祭りでも行われているかのようでした。
何もかも終わって参列の人も帰り、わたしは母と二人きりになりました。
すごく久しぶりに会うような気がする母は、泣きはらした目をしていました。
でもその顔は、若い頃の祖母の写真と瓜二つです。
そしてその面影は、どうしようもなくしっかりとわたしにも受け継がれているのでした。
「いおちゃん、これ。おばあちゃんからあなたに」
母がそう言って差し出したのは、"レシピ帳"と書かれた厚手の古いノートでした。
わたしはものすごく久しぶりに素直にお礼を述べて、祖母の部屋でひとりノートを開きました。
わたしのために、あの魔法のような料理の数々のつくり方を残してくれたのだと、そう思いました。
でも、そこに書かれていたのは、単なるマニュアルではありませんでした。
「帰ってきた夫があんまり疲れた顔だったので、煮物に砂糖を多めに入れた。いつもより箸がすすんで、少し元気になってくれたみたいだ」
「娘がおなかを冷やして風邪をひいた。たまご雑炊におろしショウガをちょっと加えてみると、ほどなく身体がポカポカに温まった」
等々、それは家族がどんな時にどんなものを喜んで食べたのかという、愛情あふれる処方箋の記録でした。
前半は夫、つまりわたしの祖父のこと。
中盤はその夫と娘、つまり、わたしの母のことも。
そして後半は、幼い頃からのわたしのことで、びっしり埋まっていたのです。
「いおちゃんと庭のハスカップをとってジャムにする。ヨーグルトにかけると喜んで、何杯もおかわりした」
「中学生になって、ダイエットなど始めたみたいだ。乙女よ、たくさん食べねば!」
そのレシピ帳はわたしが高校の寮に入るために祖母の家を出た、その日の朝食のことまでが記されていました。
でも、まだ続きがあるようです。
さらにページをめくると、こんなことが書かれていました。
"大人になったいおちゃんは、誰かのためにごはんをつくってあげているのかな。
そのときは、考えてみて。
今日は暑かったかな。寒かったかな。
あなたの大事な人は、疲れて帰ってくるのじゃないかな。
ある時はいっぱい汗をかいて、ある時は凍えて帰ってくるのじゃないかな。
その様子をちゃんと見極めて、料理の味付けは最後に決めるのよ。
「塩少々」の加減ひとつで、明日もがんばれる魔法がかかることもあるから。
これがおばあちゃんの、レシピのすべてです"
胸がいっぱいになったわたしは、そして最後のページをめくりました。
そこには真ん中にひとことだけ、
"準備は?"
そう走り書きされていました。
わたしは初めて、声を上げて泣きました。
泣いて泣いて、またさらに泣いて、泣き疲れて眠りに落ちて、目が覚めた頃にはわたしの準備はできていました。
祖母のいない世界で、ちゃんと生きていく準備が。
大人になったわたしは好きな人ができて、幸せな結婚をしました。
祖母直伝の料理を彼が喜んでくれているのはもちろんですが、初めて挑戦するメニューや、特別な日の一皿には気合が必要です。
そんなとき、耳に残る祖母の声が、いつもわたしを励ましてくれます。
「いおちゃん、準備は?」
わたしは思わず顔をほころばせ、
「おーけーだよ!おばあちゃん」
腕まくりをしてそう応え、元気に料理を始めます。
塩少々ってどんくらいだべか。
こんなぺっこだら、味しないしょー?
幼いころのわたしは"塩少々"のことを文字通り、ほんのすこしだけという意味だと信じこんでいました。
どのお料理のレシピを見聞きしても、かならずどこかに"塩少々"とあるのがふしぎでたまらず、それでは味がしないはずだとおもったのです。
「"少々"ってのは、"ちょうどいい量"って意味だよう」
祖母はいつもそう言って笑い、わかったようなわからないようなわたしの頭を、やさしくなでてくれるのでした。
ほとんど女手ひとつでわたしを育てた母はいつも忙しくて、代わりに面倒をみてくれたのが祖母だったのです。
祖父はわたしが物心つく前に他界したので、昔ながらの大きな薪ストーブのあるお家に、祖母はひとりで暮らしていました。
祖母の家は街中にありましたが、その周りには実のなる樹がたくさん植わっていて、ちょっとした森みたいになっていたのです。
かりんずとかハスカップとかグスベリーとか、天然のフルーツが実る庭はわたしにとって最高の遊び場でした。
祖母はわたしに庭の草木の名前を教え、フキの葉の下には妖精がいることを教えてくれました。
動植物だけではなく器物すらも含む、この世のすべてのものにはカムイが宿っているのだということも、祖母からの教えです。
ふるさとに伝わる古い神話の語り部だった祖母は、幼いわたしにとって素晴らしい先生であり、いちばんの友だちでもあったのです。
そして、とってもお料理がじょうずな人でした。
あらかじめつくるものを決めておくというよりは、いまある食材をざっと見て、
「さあ、いおちゃん。これでなにができるかねえ」
と、即興で考え出すことがほとんどです。
わたしは祖母が料理をつくるのを見るのが好きで、いろんな食材をあれよというまにおいしく変身させる手際は、まるで魔法のように感じたものでした。
わたしが調理の様子を見やすいように、祖母は台所に椅子を用意して、そして小さなエプロンをつくってくれました。
幼くてなにがお手伝いできるというわけではありませんでしたが、仕事のなかまに加えてもらったみたいで得意な気分だったのを覚えています。
「いおちゃん、準備は?」
「おーけー!」
それが料理を始めるときの、祖母とわたしの合言葉でした。
料理のレシピ、ということに関しては、実は祖母から手とり足とり教わったわけではありません。
食材によって違う下ごしらえの方法、同じ材料でも切り方ひとつで食感が変化すること、お肉と野菜を炒めるときの順番等々、料理の原則になることをていねいにていねいに教えてくれたのです。
また、包丁を洗ったら刃の根元までしっかり水気を拭いて柄もきれいにすること、調理の合間にこまめに洗い物をしてシンクにものをためないこと、食材はきっちり使い切って決して無駄にしないことなども、大事なしつけだったと今になって思います。
「どんなにおいしいものつくってもねえ、食べる人が元気なかったり、そのときのおなか具合に合わなかったりしたら気の毒だからねえ。食べさせたい相手のことを、よおく見てメニューを考えるんだよう」
祖母のこの言葉は、料理の極意みたいなものだと思います。
でも、"塩少々"の本当の意味がわかったのはもっとずっと後、わたしに大切な人ができて、心の底からおいしいものを食べさせたいと思うようになってからでした。
わたしは14歳のとき、あることがきっかけで母と暮らしていたアパートを飛び出し、中学卒業までを祖母のもとで過ごしました。
思春期まっさかりだったわたしは、体重を気にしてみたり美容を気にしてみたり、屈託なくごはんを食べることができなくなっていました。
でも祖母は、そんなわたしに食事を無理強いするのではなく、サラダに豆や賽の目のじゃがいも、手作りのベーコンをたっぷり入れるなど、自然に栄養バランスがとれるように心を砕いてくれました。
そのころには部活や進学のための勉強で帰りも遅くなり、料理のお手伝いもほとんどしていませんでした。
時おり一緒に台所に立つことがあると祖母は嬉しそうに、
「いおちゃん、準備は?」
と、わたしが幼かったころと同じように声をかけるのでした。
わたしはなんだか恥ずかしくって、
「おーけーだよ、おばあちゃん」
と、少しぶっきらぼうに応えたものです。
祖母との暮らしが終わりを告げたのは、わたしが高校進学とともに寮に入ったことによります。
旅立ちの朝、わたしを見送りにきてくれた祖母は少しまぶしそうな目をして、
「準備は?」
と、茶目っ気たっぷりに言いました。
わたしも笑って、
「おーけー!」
と、幼かったあのころみたいな返事をしました。
それが、元気な祖母と交わした、最後の言葉でした。
祖母の葬儀のとき、すごく麗らかな日和だったことだけは、今でもよく覚えています。
少しずつ、ごく自然に身体が弱っていった祖母は、本当に眠るように息を引き取ったそうです。
わたしはもう17歳になっていましたが、祖母がいないということの意味がよく分からず、葬儀の間もただぼんやりしていました。
生前の祖母の強い希望で、葬儀はあの樹がたくさん生えているお家で行われました。
たくさんの花に囲まれて、穏やかな顔で眠る祖母はとてもきれいで、むしろ何か特別なお祭りでも行われているかのようでした。
何もかも終わって参列の人も帰り、わたしは母と二人きりになりました。
すごく久しぶりに会うような気がする母は、泣きはらした目をしていました。
でもその顔は、若い頃の祖母の写真と瓜二つです。
そしてその面影は、どうしようもなくしっかりとわたしにも受け継がれているのでした。
「いおちゃん、これ。おばあちゃんからあなたに」
母がそう言って差し出したのは、"レシピ帳"と書かれた厚手の古いノートでした。
わたしはものすごく久しぶりに素直にお礼を述べて、祖母の部屋でひとりノートを開きました。
わたしのために、あの魔法のような料理の数々のつくり方を残してくれたのだと、そう思いました。
でも、そこに書かれていたのは、単なるマニュアルではありませんでした。
「帰ってきた夫があんまり疲れた顔だったので、煮物に砂糖を多めに入れた。いつもより箸がすすんで、少し元気になってくれたみたいだ」
「娘がおなかを冷やして風邪をひいた。たまご雑炊におろしショウガをちょっと加えてみると、ほどなく身体がポカポカに温まった」
等々、それは家族がどんな時にどんなものを喜んで食べたのかという、愛情あふれる処方箋の記録でした。
前半は夫、つまりわたしの祖父のこと。
中盤はその夫と娘、つまり、わたしの母のことも。
そして後半は、幼い頃からのわたしのことで、びっしり埋まっていたのです。
「いおちゃんと庭のハスカップをとってジャムにする。ヨーグルトにかけると喜んで、何杯もおかわりした」
「中学生になって、ダイエットなど始めたみたいだ。乙女よ、たくさん食べねば!」
そのレシピ帳はわたしが高校の寮に入るために祖母の家を出た、その日の朝食のことまでが記されていました。
でも、まだ続きがあるようです。
さらにページをめくると、こんなことが書かれていました。
"大人になったいおちゃんは、誰かのためにごはんをつくってあげているのかな。
そのときは、考えてみて。
今日は暑かったかな。寒かったかな。
あなたの大事な人は、疲れて帰ってくるのじゃないかな。
ある時はいっぱい汗をかいて、ある時は凍えて帰ってくるのじゃないかな。
その様子をちゃんと見極めて、料理の味付けは最後に決めるのよ。
「塩少々」の加減ひとつで、明日もがんばれる魔法がかかることもあるから。
これがおばあちゃんの、レシピのすべてです"
胸がいっぱいになったわたしは、そして最後のページをめくりました。
そこには真ん中にひとことだけ、
"準備は?"
そう走り書きされていました。
わたしは初めて、声を上げて泣きました。
泣いて泣いて、またさらに泣いて、泣き疲れて眠りに落ちて、目が覚めた頃にはわたしの準備はできていました。
祖母のいない世界で、ちゃんと生きていく準備が。
大人になったわたしは好きな人ができて、幸せな結婚をしました。
祖母直伝の料理を彼が喜んでくれているのはもちろんですが、初めて挑戦するメニューや、特別な日の一皿には気合が必要です。
そんなとき、耳に残る祖母の声が、いつもわたしを励ましてくれます。
「いおちゃん、準備は?」
わたしは思わず顔をほころばせ、
「おーけーだよ!おばあちゃん」
腕まくりをしてそう応え、元気に料理を始めます。
1
お気に入りに追加
69
あなたにおすすめの小説
伊緒さんのお嫁ご飯
三條すずしろ
ライト文芸
貴女がいるから、まっすぐ家に帰ります――。
伊緒さんが作ってくれる、おいしい「お嫁ご飯」が楽しみな僕。
子供のころから憧れていた小さな幸せに、ほっと心が癒されていきます。
ちょっぴり歴女な伊緒さんの、とっても温かい料理のお話。
「第1回ライト文芸大賞」大賞候補作品。
「エブリスタ」「カクヨム」「すずしろブログ」にも掲載中です!
雨が乾くまで
日々曖昧
ライト文芸
元小学校教師のフリーター吉名楓はある大雨の夜、家の近くの公園でずぶ濡れの少年、立木雪に出会う。
雪の欠けてしまった記憶を取り戻す為に二人は共同生活を始めるが、その日々の中で楓は自分自身の過去とも対峙することになる。
カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある?
たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。
ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話?
※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。
※もちろん、フィクションです。
料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します
黒木 楓
恋愛
隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。
どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。
巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。
転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。
そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
呑気なトラとはりきりヨネの 昭和の食卓
有栖多于佳
ライト文芸
終戦の年の師走、二十歳のヨネ子は二十六のトラと見合いをする。
翌年春、ヨネは名古屋から静岡の田舎芝山村へ嫁ぐ。食べ物が手に入り難い時代ながら、食べることが大好きな二人が夫婦となり、山で採って畑で育てて自分達の手で作って、一緒に美味しいご飯を作って食べて家族の絆を深め、幸せになるお話。この作品は小説家になろうに投稿しているものを手直ししています。*この小説はフィクションですので実際との差異があることがあります。
僕の主治医さん
鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。
【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】
※小説家になろう、カクヨムでも公開中※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる