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27. シャル、ブチ切れる

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「これでよし。設定は完全に解除できたと思うわ」

 マリーナがほっと息を吐き出すと、古代文字が刻まれた天井部から手を離した。

「さすがですね。皇国の術師だって、こんな短時間で処理するなんて、無理だろうに」

 およそ1時間足らずで、これだけ複雑な呪文を解読して解除するとは。さすがベルウエザー一の術師と呼ばれるだけはある。   

 エクセルは、周囲に目を配りながらも、賞賛の念を隠せなかった。

 つくづく思う。ベルウエザー夫妻に同行してもらって正解だったと。
 最初の計画のように、彼だけだったら、どんなことになっていたか・・・。
 考えるだけでぞっとする。

 マリーナ夫人の見立てでは、令嬢がくくり付けられている魔道具は、それなりの規模の商家では珍しくもない転送装置の特別仕様版だとのこと。通常、この手の装置は、はるかに小型で作りも単純。転送時間と転送場所は設定できるが、瞬間的に運べるものはせいぜい1メートル四方、最大10キロくらい。目の前の改良版は、はるかに複雑な呪文が刻まれており、大きな生き物~つまり、この場合は生きた人間~まで、安全に秘密裏に運べると思われる。設定次第では、かなり遠くまで瞬時に。誘拐に使うには、最適な装置だと言えよう。

 もし解除できなかったら、たとえ、ベルウエザー嬢を見つけることはできても、得体のしれぬ相手にみすみす彼女を奪われてしまうところだった。
 これで、令嬢がこの場から拉致される心配はなくなった。問題は・・・

「やっぱり、外れそうもありませんか?」

 エクセルの問いに、娘を拘束している鎖を外そうとごそごそやっていたクレインが、苛立たし気に首を振った。

「だめだ。こいつ、見たこともない金属でできてやがる」

 担いでいた袋から、また別の道具を取り出したクレインが、今度は鎖の根本付近を削り始める。丁寧に、娘の手首を傷つけないように細心の注意を払って。
 魔法が効かなし素材である以上、物理的になんとかするしかないのだ。
 驚いたことに、クレインは見かけによらず、手先がかなり器用だった。

 見た目なんて、本当に当てにならないものだ。エクセルは実感してしまう。自分やアルフォンソも含めて。

「シャルが起きてくれさえすれば、なんとかなる可能性はあるのだけど」

 マリーナが額の汗をハンカチで拭って、つぶやいた。

「この子って、魔法耐性は異常に高いくせに、薬物にはめっぽう弱いのよ。使われた薬物がはっきりしない以上、迂闊なことはできないし」

 台の上で縛られたまま、髪も服もぐっしょり濡れたシャルは、身じろぎもせずに滾々と眠り続けている。

 水を散々浴びせた後に言うセリフではないのでは?と、エクセルはちらりと考えた。
 いくら、室温を術で調整したからと言って、実の母親がする仕打ちとは思えない。ふつうは。
 マリーナは『軽く』雷撃をも試そうとしたのだが、クレインが危ういところで止めたのだ。

 アルは大丈夫だろうか?あいつのことだから、余程のことがない限り、遅れをとらないとは思うが。

 礼拝堂全体に張られた強固な結界のせいで、中の様子は全くわからない。ベルウエザー嬢を無事に保護したことを知らせることもできない。

 今度の敵は得体が知れないところがある。
 今まで叩き潰してきた王妃の手の者とは、一線を画しているように思えてならない。

 エクセルは、どうにもできない現状が歯がゆくてならなかった。

* * * * *

 なんて生々しい夢。見たこともない場面なのに、まるで目の前の出来事のよう。

 夢に囚われたまま、シャルはそんなことを考えていた。

 銀の髪の少女の嘆きに胸が締めつけられる。そっと抱きしめてやりたくて、必死に手を伸ばそうとあがく。すると、俄かに、少女の輪郭がぶれた。徐々に、その姿がアルフォンソ皇子へと変わっていく。

『さようなら、何よりも大切だったゾーン。さようなら、リーシャルーダ・ベルウエザー』

 皇子の諦念に満ちた、悲し気な声がはっきりと聞こえた。
 声とともにそれまでの景色がかき消えた。
 視界に映るのは、すべてをあきらめたような静謐な表情で目を閉じた皇子の顔。その胸元へ振り下ろされようとする黒い刃。

 ダメ!逃げて、アルフォンソ様・・・

 シャルの中で何かが弾けた。

*  *  *  *  *

 熱心に工具を操っていたクレインの手が、唐突に止まった。

「シャル?気が付いたか?シャル?どうした?」

 うろたえた声音に、エクセルは反射的に顔を上げた。

 横たわるシャルの両の瞼が開いていた。が、様子が明らかにおかしい。
 その瞳には、心配そうにのぞき込んでいるクレインの顔もまるで映っていないかのようにみえた。大きく見開かれた琥珀の瞳は、目の前を通り越して、遥か彼方の一点を凝視しているかのようだった。

「逃げて、アルフォンソ様・・・」

 色を失った唇から、うわ言のような呟きがこぼれた。
 その全身から奇妙な黒い波動が立ち昇りだすのを感じて、エクセルは目を見張った。

 瞳の色が徐々に影を帯び、ついには夜の色に染まる。
 まるで、アルフォンソの瞳の色のように。

「マリーナ、やばい!封印が!」

 切羽詰まったクレインの叫び。
 魔道具本体を調べていたマリーナが駆け戻ってくるのを、エクセルは目の端で捉えた。

 何かが砕ける異様な音とともに、シャルの両の腕輪から白い煙が昇る。

「アルフォンソ様!」

 シャルが叫んで、がばっと身を起こした。
 その体を縛っていた鎖をまるで紙のように引きちぎって。
 銀の髪が風もないのに波打ち、蠢いた。
 銀色からさび色に変じた腕輪が、その両腕から滑り落ちた。

「全力で退避よ!」

 一瞥して、マリーナが出口を目指して走った。
 立ちすくむエクセルの腕をひっつかむと、クレインが全力でマリーナの後に続いた。

*  *  *  *  *

 でかい岩影に辛くも滑り込んだとたん、轟音とともに、大地が揺れた。
 濛々と立ち込める土埃に、慌てて目を閉じ息を止める。
 視界が戻るのを待って、岩陰から身を乗り出したエクセルは仰天した。

 旧教会の後ろ半分が、きれいさっぱり消え失せていた。
 まるで巨大なハンマーに勢いよく打ちつけられて粉々にひしゃげてしまったように。

「危ないところだったわね」

 沈黙が続くこと数秒。
 マリーナがぼそりと言った。

「あの、もしかして、これ、シャル嬢が?」

 恐る恐る尋ねたエクセルに、頷く。

「ええ。制御装置うでわを破壊するほど、ブチ切れたみたいね、あの子。嵌めている限り、絶対に大丈夫だって、お墨付きの魔道具ものだったんだけど」

「珍しい力だろ?本人も制御できないもんで、ふだんは腕輪あれで完全に抑え込んでいるんだが。困ったことに、ああなると、しばらくは手が付けられない」

 クレインが親切に補足してくれる。それから、マリーナに

「そろそろ調整する時期だったんじゃないか、あれ?」

「そうかもしれないわね。けりがつき次第、魔道具師つくりてと連絡を取るわ」

「とりあえず、予備スペアが必要だな、こりゃ」

 困ったもんだと、顔を見合わすベルウエザー夫妻。

「昔、腕輪が壊れたときは、裏山ひとつ消し飛んだっけ。シャルは、確か5歳だったか」

 マリーナの髪に付いた砂粒をそっと払ってやりながら、クレインが遠い目をした。

「6歳には、なってたわよ。あの日はサミーの二度目の誕生日だったんだから。あの子を庇って、エルサが大けがをして。それで、あの子、切れたのよ」

 マリーナが少し考えて訂正した。

「あの時の魔獣って、血塗大熊ブラッディベアの番いだったよな?特大の。見事なミンチになってたが」

「あれから10年。なんとか大した問題も起こさずにこれたけど。今は、あの子の力、もっと大きくなってるんじゃないかしら?」

 マリーナが感慨深げに言った。

「まあ、少なくとも、多少の結界は、余裕でぶち壊すでしょうね。皇子の名を呼んでたみたいだから、皇子を助けに行ったんだと思うわ。安心して」

 それって、はたして、安心できるのだろうか?

 エクセルは、いっそう不安をかき立てられながら、皮肉なことに結界のおかげで現時点で無事に見える、旧教会の前半分を眺めた。

「じゃあ、行きましょうか」

 土を払って立ち上がったマリーナに従って、一同はシャルの後を追って進みだした。
 差し当たって、他にどうしようもなかったので。





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