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しおりを挟む「…キキ、少しで良いから話がしたのだが」
(しまった。カックン神官の存在感に、彼の存在を忘れていた)
リト達がそう思っていると、キキは話す事は何も無いとツレなく言い放つ。
「…こちらの方は?」
カックン神官が問うと、パドックはずいっと前に出て来る。
「私はライア伯爵家のパドックです。あなたは」
挑戦的な視線を向けるパドックに、カックンは表情も変えずにニコニコと対応する。
「ああ、失礼しました。私はこちらで聖品部屋の責任者をしております。神官のカックンです」
「神官…」
部屋の責任者で神官となれば、神殿でも位が高い事は、パドックでも分かったのだろう。
少し怯んだ隙に、カックンはキキに彼とはどの様な関係かと聞く。
「ああ、元婚約者です。既に婚約は解消されていますので、現在は特に関係の無い方ですね」
サラッとそう告げるキキに、パドックは青くなりカックンはとても良い笑顔になる。
「そうでしたか!いやはや、私がこんな事を言うのもなんですが、破棄していただいてありがとうございます。おかげでキキ殿の素晴らしい演奏も聞けますし、美しい顔も近くで拝見できる様になりました。さ、現在特に関係の無い方でしたら、もう宜しいでしょうか?キキ殿、今日伺おうと思っているカフェには、呼吸や喉に良いハーブティーがあるんです。味も良いので、ぜひ」
「それは楽しみです」
そう言って、バッサリと会話を終わらせたカックンに、キキもリト達もついて行く。
呆然とした顔のパドックを置いて、にこやかに進んで行くカックンを、リトは凄いなと感心した。
押しは強いが、キキの事を考えて動いているし、こうやってパドックにとっての悪役を引き受ける所もスマートだ。
先程のルーベルトとリトの様な会話を希望したのかもしれないが、キキにとって今更謝罪もお互いの気持ちの確認も必要ないのだから、相手にされないと分かった時点でパドックは引き下がるべきだっただろう。
そう思いながら、リト達は寮近くでカックンとキキに挨拶をして帰路に着く。
キキも満更では無い様なので、このまま上手くいって欲しいとリトは思った。
「カックン神官って、うるさいだけかと思ったけど、しっかり状況を見てるんだね」
ポツリと呟いたサランに、リトもモルトも苦笑する。
「キキが神殿に入ってすぐにお茶やらのお誘いをして、ずっとお断りされていたけど。キキは彼が嫌なんじゃなくて、本当にこちらの生活に慣れるのに精一杯だったんだよ。キキは顔には出さないけど、神殿で立派に勤めを果たそうと必死だったから。カックン神官もそれに気が付いていて、毎回お茶のお誘いをしながらキキを気に掛けてくださっていたんだ。その気持ちもキキは分かってるんだと思う」
いつもクールで落ち着いているキキも、やはり貴族から全く違う生活になったのだ。
それなりに生活に慣れるのに苦労しただろう。
神殿の音楽隊はレベルも高く、憔悴する時もあっただろうが、それをお首にも出さず必死で練習に励んでいたのだ。
「カックン神官は周りにはいなかったタイプだね。少し賑やかだけれど、相手の事を見て的確に手を差し伸べる術を持っている。キキには、ああいった方が似合うんじゃないかな」
リトがそう言うと、サランもモルトも頷いた。
「うん。キキが気を使わずに甘える事が出来そうだもんね。パドック様には悪いけど、彼はキキに甘えすぎだったもの」
サランの言葉に、モルトはそうだよねと続ける。
「あの方は音楽にもあまり興味が無い様子だったから、キキがよくボヤいていたよ。王都での演奏会なども事前にキャンセルされる事が多くて困るって。おかげで僕が一緒に行けたから良かったけど。…このままだと、本当に僕やサランの元婚約者の方々もこちらに来そうだね。気が滅入っちゃうな」
モルトの言葉には、あれ程恋焦がれた相手への恋心は微塵も感じられない。
「…モルトにも、良い人がいるの?」
「ええ!?…ええっとぉ」
リトの問いに、モルトは大きな声を上げて慌てる。
その様子を、リトとサランは見逃さないぞと笑顔で両側から挟む。
「いつの間に!!やっぱり、何度もお誘いをしてくれる方?」
「ええっと」
「ふふふ。モルトの表情が明るくなったものね」
顔を赤くするモルトを、リトとサランはからかう。
婚約破棄され、この世の終わりの様に泣いていたモルトからは、想像も出来ない程にモルトは良い顔をしていた。
モルトはもう!と怒った顔をするが、笑いながら二人に語り出す。
「実は、トロン神官の事が気になっていて…」
「ええっ!」
まさかの織物部屋の責任者の名前に、リトとサランは顔を見合わせる。
穏やかな感じであるし、物腰も柔らかいトロンなら、確かにモルトと一緒にいる所が想像出来た。
「じゃあ、お誘いをしてくれて、落ち着いたらと待っていてくださる方って」
「うん」
恥ずかしそうに頷くモルトに、リトもサランも他人事ながら胸がキュンキュンする感じを覚えた。
「トロン神官なら、モルトにとてもお似合いだと思うな!穏やかで落ち着いているし、包容力もありそうだもの。それに、同じ織物や染物で通じる所もあるんじゃない?良いなぁ~。僕も出会いが欲しくなっちゃった」
「ふふふ。そうだね。モルトも、今度お誘いがあったらお茶にでも行って来たらどうかな?神殿の近くには染物の染料屋さんもあるって聞いたよ」
サランとリトがそれぞれ後押しする様に言うと、モルトは嬉しそうに笑う。
「うん。聖者様もいらっしゃった事だし、僕も新しい未来を見てみようかなって思っていたんだ。実は、今度のお休みに誘われていて、今度はお受けしようかと悩んでいたんだ。せっかくの機会だから、出掛けてみるよ」
「うんうん!それが良いよ!」
サランも自分の事の様にはしゃぎ、三人は寮に着く。
すると、管理人のパムが三人を呼び止めた。
「今日は早かったんだね!マーチが待ってるよ。今日はちょっと早く帰るみたいだから、食堂に寄ってあげて」
「分かりました、ありがとうございます」
礼を言い、部屋に帰るより先に食堂へ行くと、マーチの姿があった。
「マーチ!ごめんね、ガン殿がお家で待ってるんでしょう?」
サランが駆け寄り、マーチに抱きつく。
マーチは笑いながら、大丈夫ですと言った。
「お二人に頂いたハンカチと石を持たせていたので、怪我も無く無事に帰って来てくれましたから。今日は早上がりだったんですか?今日も会えないかと思っていたから」
マーチの問いに、先程の事を簡単に説明すると、ちょっと渋い顔をした。
「聖者様がこちらに来られて良かったです。でも、王都の騎士から神殿騎士に簡単になろうなんて考えは甘いですね。ガンだって元々王都の騎士の方々の中でも逞しく強かったですけど、やはりこちらには敵わないとおっしゃってますもの。でも、リト様はスッキリしたお顔をされているので、良かったです」
「うん。ありがとう。あと、ガン殿と同じ様に、もう様は必要無いよ。これからは同じ神殿で働く者として、呼び捨てにしてくれて構わない」
リトがそう言うと、マーチは分かりましたと笑顔で受け入れてくれた。
「今日のスープは私が作ったんです。もうこれで帰りますが、今度時間があったら、家にも遊びに来てくださいね」
マーチの言葉に、サランが大喜びする。
「わぁ!夕飯が楽しみ!今日はゆっくり旦那様を労ってあげてね」
「お疲れ様。ガン殿にもよろしく伝えてね」
三人に見送られ、マーチは嬉しそうに家に帰って行く。
その後、それぞれの部屋に戻るとすぐに、リトの部屋に集まりお茶にする。
「今日はニールも一緒だから、聖者様が今後どうなさるのか聞けるかな?」
リトがふと思い出した様に言うと、確かにと二人は頷いた。
「そうだね。大司教は神殿で暮らしてらっしゃるから、聖者様も神殿に部屋を持つのかもしれない。お勤めはやっぱり浄化と結界への祈りでしょうから、ニールと一緒に遠征に出るのかも」
モルトは、それならニールは益々忙しいかもねと心配そうに言う。
「ニールは喜んで動くと思うよ。とても生き生きしているもの。僕達も、聖者様の服用に布を織ったり、刺繍をする事になるだろうから、忙しくなるかもね」
頑張ろうと右腕を上げるサランに、リトとモルトはそれもそうだねも笑顔で頷く。
「今日お話しした限り、とても立派な方だと感じたな。いきなり異世界から召喚され、こちらの勝手な婚約破棄騒動に巻き込まれてしまったのに。ご自分の進む道をしっかり考えてらっしゃるんだろうなって」
リトは、トーマの可愛らしい容姿だけで無い、芯の強さや賢さを感じていた。
「そうだね。とてもしっかりしてらした。…僕、失礼ながら王都で甘やかされているのかと思っていたもの。あの容姿だし、周りは放っておかないでしょ?それに、婚約破棄された方達からは一方的に恨まれていそうで…。正直僕も思ったもの。それすらも受け止めていそうだった」
サランの告白に、僕もとモルトは頷く。
「僕もですよ。正直、僕も聖者様には嫉妬していました。あんなに可愛らしくてそれでいて美しい方で無かったら、僕は婚約破棄されなかったのではと、何度も考えてしまいました。ですが、召喚された方ですもの、やはり立派な方でしたね。嫉妬なんてしてしまって恥ずかしいです。もしかしたら、これも全てジェリ神様のお導きだったのかもしれませんね」
その言葉に、確かにとリト達は頷いた。
「神殿への間違った貴族の考えも払拭されただろうし、神殿希望者も増えたものね。貴族が醜態を晒す事も、私達が傷付きながらもこちらで明るい道を選べたのも。明日からもしっかりお祈りして、努めなくてはね」
「うん。…僕ね、自分で言うのも何だけど結構派手な顔でしょ?婚約破棄された顔だけの貴族が来たって思われないかなって。縫物部屋の人達に歓迎されるか心配だったけど、そんな事無かった。まだ初日だけどね。皆自分の作業に集中していて、とても居心地が良かったんだ。好きな刺繍を黙々としているだけなのに、皆笑顔で褒めてくれてね。…僕こっちに来て良かった」
サランの告白に、リトもモルトも優しく背中を撫でる。
サランは強がっていたが、ベルとの婚約破棄は結構ショックだったのだ。
確かに刺繍に興味は無かっただろうが、サランを大事にしていたのはリトも知っていた。
それが、あっさり関係を終わらせたのだから。
サランは気も強いが、もちろん自分の容姿にも自信があった。
それだけ努力していたからだが、その努力も一瞬で無かった事にされたのは、やはり辛かったのだ。
「僕も。僕の刺繍と僕を選んでくれる人と出会えるかな」
自信無さげな声のサランに、リトとモルトは抱きつく。
「もちろんさ」
「そうですよ。そうだ、今度のお休みにでも神殿の周りの街に出掛けてみたらどうかな。刺繍針や素敵な細工の手芸用品店があるんだ」
モルトに言われ、サランの目が輝く。
サランは刺繍が本当に好きなんだなと、リトとモルトは笑ったのだった。
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