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30「喫茶 ひまわり」

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30「喫茶 ひまわり」


 画霊にまつわる事件から既に三ヶ月が経ち、夏真っ盛りといった様子だ。太陽は容赦なく照り付けるし、蝉も五月蝿くて仕方ない。
 そんな中、ある喫茶店がリニューアルオープンを控えていた。その喫茶店、元はアルルという名前だった。
 プレオープンに招かれた月原とめぐみはその喫茶店の中で涼をとっていた。

 内装はあまり派手に弄ってはいない。以前座ったテーブルで月原とめぐみはアイスクリームを頬張っている。
 そんな姿をカウンターから眺めていたのは杉浦律子と、共に経営をする見慣れぬエプロン姿の池内華名子だった。
「どう? そのアイスおいしいでしょう。桃が入ってるの」
 華名子がそう言うと
「猫又のアイスと同じくらいね」
 と月原は無表情で返した。困惑する華名子にめぐみが
「美味しいって事です」
 とかわりに言葉を添えた。

 華名子は嬉しそうな顔をしている。いや、それだけでなく、なんとも楽しそうだ。
「でも、急に招待してごめんなさいね。島岡さんなんて、遠いところわざわざありがとう」
「いえ、夏休みだし。ちょうど良かったです。でも、驚きました。先生が先生を辞めて、喫茶店の店員さんになったんだもん。これからは先生って呼ばずになんて呼べばいいのかな」
「好きに呼びなさい。でも、そうね……佐々木さんとか綾瀬さんは池ちゃんって呼んでるわよ」
「佐々木さんも来たんだ。綾瀬さんって子は知らないけど」
「ええ。あの子達も実は結構改装を手伝ってくれたのよ。ねぇ、律子さん」
 律子は嬉しそうに
「高校生って元気ね。お陰で思ったよりも早くオープンできたわ」
 と笑っている。

 あの日、華名子が絵を完成させようと懸命に戦っていると、アトリエから何か、見えない靄が飛び出し、空を駆けていく様子を月原とめぐみは見ていた。それから暫くすると、理事長から電話があり、佐々木理穂が急に目を覚ましたと。体に異常は無く、全く健康そのものだったと連絡が来た。
 華名子に伝えようと思ったがアトリエに立ち入らないと言う約束を守り、朝方ふらふらと出てきた華名子に伝えるまで、二人は用意された客室で待った。
 めぐみは理事長からの連絡を聞いた後も、寝ずに待とうとしていたが、月原はさっさと寝始めたので、つられてすぐに寝てしまった事を覚えている。
 きっと、月原も疲れていたのだろう。
 目を覚ますと、物音がしたので、めぐみはこっそりとアトリエを覗きにいくと華名子が小島に抱きついて泣いていた。
 小島は「よく頑張りましたね。本当にいい出来だ」と華名子を優しく抱き、律子は完成したひまわりを大切そうに、そして、すこし羨ましそうに眺めていた。

「そういえば、あのアトリエどうなったんです」
 めぐみが思い出したように言うと
「あそこは貸しギャラリーとか、絵画教室にするの。佐々木さん達も、通ってくれるっていうの。まだ完成してないけど、今アトリエで最後の仕上げをしているわ。小島先生もいるわよ。作業が終わればここに来るけど、呼んでくる?」
「賑やかなのは苦手なので結構です」
 月原がぴしゃりと断った。その言葉に皆は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「相変わらずね、あなた。まあ仕方ないか。それがあなたの個性だもんね」
 華名子は笑いながら冷たいアイスコーヒーをお盆に乗せた。
「律子さん、私アトリエにアイスコーヒーもって行きます。そろそろ行かないと結が文句をいいそうだし、八木先輩も堂橋先輩も喉が渇いてそうだから」
 そう言うと律子は
「あら、じゃあついでに何か食べるものもいるわね。私も行くわ」
 と、お盆に作りたてのサンドウィッチを乗せて二人でアトリエに消えていった。

 店には月原とめぐみだけが残された。
 二人がいなくなると、めぐみが口を開いた。
「池内先生、楽しそうだね」
「ええ。正直、教師をしている時はいつも、つまらなさそうな顔をしていたから」
「きっと、今の仕事が合ってるんだね。学校の先生から喫茶店とギャラリーの経営者って、凄いよね!」
「父親の愛人と一緒にって、所も凄いわよね」
 そう言うと月原は席を立ち、カウンターの奥からココアを引っ張り出して来た。
「月原さん、怒られるよ!」
 月原は構わず封を切り、カップにココアを入れ、お湯を注ぎ始めた。
「いいじゃない。減るもんじゃ無いし」
「減るよ! ココアもお湯も!」
 月原はココアを両手に席に戻って来た。一つを自分に、もう一つはめぐみに差し出した。
「わ、私は飲まないよ!」
「あら、どうして? 美味しいわよ」
 既に口をつけた月原が平然と言った。さらには平然とクッキーまで持ってきている。
「どうしても、こうしても無いよ!」
「いいのよ。乙女の体に傷を付けたのだからこれくらい許してくれるでしょう。ああ、痛いわ」
 月原は以前刺された脇腹を摩った。しかし、めぐみは知っている。
「もう傷跡も無いし、痛くも痒くもないでしょ! でも本当に綺麗に治るんだね」
「まあ、私に憑いている何かの力ね」
 月原には正体不明の何かが憑いている。そう聞かされたのは、画霊の一件が終わった後だった。
 凄まじい勢いで傷が治る月原に、何か秘密があるのかと聞いたらアッサリと答えてくれた。
 生まれた時から憑いていて、いわゆる守護霊みたいなものらしい。

 気がつくとめぐみも月原の用意したココアに口をつけていた。
 折角いれたココアがただ冷めていくのを眺めるのも、悪い気がする。それこそココアの妖怪に取り憑かれたらたまらない。と、めぐみが言うと「島岡さんって、馬鹿ね。そんな妖怪いるわけないじゃ無い」と、真顔で返された。

 むくれるめぐみはココアを飲み干すと、ふとあの日の事を思い出していた。
 そして、一つの疑問。あの日からずっと、感じていた違和感を口にした。
「あのね、月原さん。聞きたい事があるの」
 めぐみがそう言うと月原は
「妖怪もいないけど、ココアの神様だっていないわよ」
「違うよ! 今のは馬鹿にしたでしょ! そうじゃなくて、あの日の、憑き物の事!」
「画霊の事? 今更、どうしたの」
「えっとね、本当に先生のお父さんの願いは絵を完成させる事だったのかな、って。私、違うと思うんだ」
 月原はココアを飲む手を止め、興味深そうな表情をしている。普通の人なら無表情に見えるが、めぐみには分かった。
「どうしてそう思うの? 実際に画霊は祓ったし、間違いでは無かったとおもうけど」
「うーん、なんって言っていいか分からないんだけど……あのね、先生が絵を完成させようと頑張ってる時、途中で佐々木さんの意識が戻ったでしょ? でもあの時ってまだ絵は完成度してなかったんだよね。それなのになんでなのかなーって」
「完成しかかっていたから、このままならいけるって思ったのかもね」
「そうかもだけど――」
 めぐみも別に自分の意見に自信があるわけでは無い。それに月原がそう言うならそうなのかもしれない。めぐみが口をつぐもうとすると、月原が口を開いた。
「今の私は憑き物祓いの月原じゃないわ。言いたい事があるなら、遠慮はいらないわ。それが友達でしょう」
 月原の表情が仄かに柔らかい。きっと、自分の口から友達と言って照れくさいのだろう。
 付き合いが深まるにつれて、月原が実はなんの変哲も無い――と言ったら流石に語弊はあるが、普通の女子高生なのだと分かってきた。
 めぐみも月原の言葉に甘える事にした。
「えっとね、先生のお父さんは、本当はね、先生に自由になって欲しかったんじゃ無いのかなって。先生、きっとお父さんの事を忘れたく無いから、絵が楽しかった頃の家族の絆だったから、その、絵に、えっと――」
「縛られていたと言いたいのね。先生は、父親と絵を憎みながらも、その裏で絵を、父親を、愛していた。矛盾した心を抱えながら、ずっと生きてきたのね」
 月原のフォローにめぐみは満面の笑顔だ。
「うん! それでね、絵を完成させようと、絵と向き合っている時に、きっと色々考えたと思うんだ。辛いことも苦しい事も、そして、楽しかった事も。先生は全部受け入れて、乗り越えて、あの絵を完成させたんだよ。きっと、それで自由になれた。だから、今はあんなに楽しそうにしてるんだよ、きっと」
 月原はめぐみの持論を聞き終えると、静かに口を開いた。
「なるほど、ね。池内進は自分のした事で、娘の人生を縛ってしまったと思ったのかもね。小島先生から、池内先生が絵の道を進んでいる事は聞いていたでしょうからありえない話では無いわ。でも、あなたは知らなかったでしょうけど、池内進は先生が美大を目指していた事しか知らないわ。教職に就いた事も知らないわよ」
「ええ! そうだったんだ! じゃあ、やっぱり違うのかな」
「そうとも限らないわ。実は小島先生がこっそりと教えていたのかも知れないし、池内進自身がずっと何処かで見守っていたのかもしれないし、画霊を通して池内先生を見て、想いが変わったのかもしれない。でも、所詮は推測よ。もう、画霊も、池内進もこの世にはいないから真実はわからない。けど、私、あなたのその考え、嫌いじゃないわ」
 月原の言葉にめぐみは目を輝かせた
「本当? お世辞じゃない?」
「ええ。本当よ。まあ、小島先生をつつき倒したら、何か分かるかもだろうけど、あの人、池内先生が嫌がるでしょ。また刺されるのはごめんだわ」
結局真相は闇の中だが、しかし、めぐみにはたった一つ、分かった事があった。
「――月原さん、実は池内先生に刺された事、根に持ってるでしょ。てゆうか、嫌い?」
 めぐみが意地悪そうに聞くが、月原は平然と
「あなた、自分を刺した人間を好きになる人がいると思うの? それに私、前からあの人の事嫌いだったのよ」
「ええ! って、驚かないけど、どうしたの? 何かあったの?」
 月原があまりにもきっぱりと言い放つので、さすがのめぐみも驚いた。
「私が一年生の頃、美術の授業の時間にね、あの人、私の絵を見てなんて言ったと思う? 可愛い黒豚ねって。失礼極まりないわ。私が描いていたのは黒猫なのに。デリカシーのない人は嫌いよ」
 月原は無表情だが、目の奥に怒りの炎が灯っていた。しかし、話しぶりからすると、絵の才能が無い事は自覚しているようだ。それでもただでは済ませないようで、
「あまりにも不愉快だから、理事長にお願いして、秘密で美術部にしてもらって、開催してもいないコンテストで賞を取った事にしといてもらったの。後で池内先生にはバレたけど、いたいけな乙女の心を抉ったのよ。それくらいはいいでしょう」
 よく分からない、月原理論を展開していた。勿論めぐみはそれにYESとは言えない。
「良くないよ! 月原さん、それは駄目だよ! それは自分で頑張らないと」 
「無理よ無理。私には絵心がないから。それに――人には得意不得意があるの。私には逆立ちしても、あんな絵、描けないわ」
 月原はそう言うと、壁に飾られた絵に視線向けた。
「そうだね。本当に、すごく、すごくいい絵だよね」
 めぐみもつられて視線を向けた。
 その先には、律子に贈られた白いアーモンドの花の絵と、その隣に、父が描き、娘が完成させた絵が。この店の名前にもなった、美しいひまわりが、誇らしく咲き誇っていた。
 
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