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28「遺された絵」
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28「遺された絵」
「あの絵を送ったのは、私の意思なの。あの人は絵をどうしろとか、そんな事、言った事は一度も無かったわ」
語りだした律子の顔はまるで、泣いているようだった。
「何にも言ってくれなかった。あの人は無口だったから。言ってくれたのは、癌で余命が幾ばくも無いって事と――あなたが、娘がひまわりの絵が大好きだったって、幸せそうな顔して、ね。それだけよ」
「あの人ね、余命半年って言われてからね、頑張って二年も生きたのよ。その二年、病院じゃなくて、この家にいたの。やりたい事があるって。華名子さん、あの人、何をしていたかわかる?」
華名子は静かに首を振った。
「あの人はね――ずっと、ひまわりの絵を、ひまわりの絵だけを描き続けたの。文字通り、命を削りながら――あなたが、好きだった、ひまわりの絵だけを」
律子はぶるぶると、震えながらも言葉を紡ぎだす。
「私が、どんな気持ちだったか――わかる? 愛した人が、娘の、あなたが好きだったひまわりを、命を削りながら一心不乱に描き続ける姿を、見守り続けるだけの、私の、みじめさが。どれだけ、愛しても、支えても、あの人の心には、あなたが、い続けた。私はその替わりになんてなれなかった」
「杉浦さん――私は」
ここまで言っても、先が続かない。どう言っていいのか、華名子には分からない。
「愛は届かない。あなたがいるから。でも、本来だったら私がいる場所は、私ではなく、あなたや、亡くなった奥様のものだった。私が奪ってしまった。だから、惨めだと分かっていても、贖罪だと、これが私の受けるべき罰だと思って、死にゆくあの人に寄り添い続けたわ……」
そういうと、律子に瞳から涙が零れた。
「最後まで、支え続けたわ。血を吐き、思うように動けなくなっていくあの人を、支え続けた。でも、あの人って、酷いのよ。せめて最期は、私の胸の中で、私が見ている所で、って思っていたのに、夜中に、ベッドから這い出して、絵の前で――筆を持ったまま」
華名子は父の死、小島は親友の死、律子は愛した人の死だった。
「あなたに送ったのはその最後の一枚よ。悔しいけど、あの絵も、きっと私の所じゃなくて、あなたの所へ行きたがっているって。だって、あなたを思って描いたのだから。本当に――羨ましくて――殺してやりたいくらいだわ」
偽らざる、律子の言葉だろう。華名子はその言葉を真っ直ぐ受け止めるしかできない。
「きっと、あの人は――私の事をなんとも思っていなかったのね。あなたに――あれだけ沢山のひまわりを描いていたのに、私には、たった一枚。元気な頃、気まぐれであの一枚だけ」
律子が視線を向けた先には白い花の絵が飾られていた。
「急にね、君に、って寄越すのよ。私、絵なんて全然分からないから、どうしたらいいか分からなかったから、ずっとそうやって飾ってるの。私と、あの人を結ぶのは、あの絵だけ。滑稽でしょう」
飾られた絵は白い花の絵だった。淡い色合いと優美な線。控えめな美しさや心地よさがあった。
この絵を華名子は、見たことがある。父のオリジナルではなく、ゴッホの『花咲くアーモンドの木の枝』の模写だ。
その絵を見て、ずっと黙っていた小島が不意に口を開いた。
「これは、ゴッホの絵の模写ですね」
律子はその言葉に動揺を隠せず、声が震え、手をきつく握り締めた。
「そうなんですね――私、絵の知識が無いんで知りませんでした。でも、私に残した、たった一枚の絵が人の絵を真似したものだったなんて、やっぱり、私は――」
うなだれる律子を尻目に、めぐみが絵を見ながら口を開いた。
「すっごく、いい絵ですね。私もなんていって言いか、分かんないですけど。なんでだろう、この絵は、杉浦さんへの思いで溢れている気がします」
めぐみが言った言葉が同情に聞こえたのか、律子は「いいのよ、気を遣わなくって」といったが、違う。この絵は――
どう表現していいか分からない華名子に代わり、小島が優しく、諭すように、律子にむかって口を開いた。
「……世界的に天才と名高いゴッホですが、生きている内に売れた絵はたった一枚だけだったそうです。そんなゴッホの才能を信じ、支え続けたのが弟のテオでした。そんなテオに子供が生まれた時、ゴッホからテオとその子供に送られたのが、この絵です。花咲くアーモンドの花は兄と弟、いえ、家族の絆を象徴する絵です。この絵を選んで、送る。もう既に、進の中ではあなたは――家族だったんでしょう」
律子はその言葉を聞き、震え、とめどなく、涙が溢れ続ける。暗い過去を引きずりながらも、罪悪感を覚えながらも、愛を求めた律子の目の前にはとっくの昔に、愛が送られていた。ただ、あたりまえにあるから。空気のように、なくてはならないのに、見えず、あたりまえにあるから。気付かなかっただけだ。
不器用な男が、律子に残した分かり辛いラブレターだった。
華名子も、涙が止まらない。今までの恨みや、苦しみ、悲しみを全て流れていくような、そんな涙だ。
小島は目頭をあつくしながら優しく華名子の肩を抱いた。
そんな姿を見て、めぐみもつられて号泣している。
テーブルは涙で包まれた。
たった一人、月原を残して。
「あの絵を送ったのは、私の意思なの。あの人は絵をどうしろとか、そんな事、言った事は一度も無かったわ」
語りだした律子の顔はまるで、泣いているようだった。
「何にも言ってくれなかった。あの人は無口だったから。言ってくれたのは、癌で余命が幾ばくも無いって事と――あなたが、娘がひまわりの絵が大好きだったって、幸せそうな顔して、ね。それだけよ」
「あの人ね、余命半年って言われてからね、頑張って二年も生きたのよ。その二年、病院じゃなくて、この家にいたの。やりたい事があるって。華名子さん、あの人、何をしていたかわかる?」
華名子は静かに首を振った。
「あの人はね――ずっと、ひまわりの絵を、ひまわりの絵だけを描き続けたの。文字通り、命を削りながら――あなたが、好きだった、ひまわりの絵だけを」
律子はぶるぶると、震えながらも言葉を紡ぎだす。
「私が、どんな気持ちだったか――わかる? 愛した人が、娘の、あなたが好きだったひまわりを、命を削りながら一心不乱に描き続ける姿を、見守り続けるだけの、私の、みじめさが。どれだけ、愛しても、支えても、あの人の心には、あなたが、い続けた。私はその替わりになんてなれなかった」
「杉浦さん――私は」
ここまで言っても、先が続かない。どう言っていいのか、華名子には分からない。
「愛は届かない。あなたがいるから。でも、本来だったら私がいる場所は、私ではなく、あなたや、亡くなった奥様のものだった。私が奪ってしまった。だから、惨めだと分かっていても、贖罪だと、これが私の受けるべき罰だと思って、死にゆくあの人に寄り添い続けたわ……」
そういうと、律子に瞳から涙が零れた。
「最後まで、支え続けたわ。血を吐き、思うように動けなくなっていくあの人を、支え続けた。でも、あの人って、酷いのよ。せめて最期は、私の胸の中で、私が見ている所で、って思っていたのに、夜中に、ベッドから這い出して、絵の前で――筆を持ったまま」
華名子は父の死、小島は親友の死、律子は愛した人の死だった。
「あなたに送ったのはその最後の一枚よ。悔しいけど、あの絵も、きっと私の所じゃなくて、あなたの所へ行きたがっているって。だって、あなたを思って描いたのだから。本当に――羨ましくて――殺してやりたいくらいだわ」
偽らざる、律子の言葉だろう。華名子はその言葉を真っ直ぐ受け止めるしかできない。
「きっと、あの人は――私の事をなんとも思っていなかったのね。あなたに――あれだけ沢山のひまわりを描いていたのに、私には、たった一枚。元気な頃、気まぐれであの一枚だけ」
律子が視線を向けた先には白い花の絵が飾られていた。
「急にね、君に、って寄越すのよ。私、絵なんて全然分からないから、どうしたらいいか分からなかったから、ずっとそうやって飾ってるの。私と、あの人を結ぶのは、あの絵だけ。滑稽でしょう」
飾られた絵は白い花の絵だった。淡い色合いと優美な線。控えめな美しさや心地よさがあった。
この絵を華名子は、見たことがある。父のオリジナルではなく、ゴッホの『花咲くアーモンドの木の枝』の模写だ。
その絵を見て、ずっと黙っていた小島が不意に口を開いた。
「これは、ゴッホの絵の模写ですね」
律子はその言葉に動揺を隠せず、声が震え、手をきつく握り締めた。
「そうなんですね――私、絵の知識が無いんで知りませんでした。でも、私に残した、たった一枚の絵が人の絵を真似したものだったなんて、やっぱり、私は――」
うなだれる律子を尻目に、めぐみが絵を見ながら口を開いた。
「すっごく、いい絵ですね。私もなんていって言いか、分かんないですけど。なんでだろう、この絵は、杉浦さんへの思いで溢れている気がします」
めぐみが言った言葉が同情に聞こえたのか、律子は「いいのよ、気を遣わなくって」といったが、違う。この絵は――
どう表現していいか分からない華名子に代わり、小島が優しく、諭すように、律子にむかって口を開いた。
「……世界的に天才と名高いゴッホですが、生きている内に売れた絵はたった一枚だけだったそうです。そんなゴッホの才能を信じ、支え続けたのが弟のテオでした。そんなテオに子供が生まれた時、ゴッホからテオとその子供に送られたのが、この絵です。花咲くアーモンドの花は兄と弟、いえ、家族の絆を象徴する絵です。この絵を選んで、送る。もう既に、進の中ではあなたは――家族だったんでしょう」
律子はその言葉を聞き、震え、とめどなく、涙が溢れ続ける。暗い過去を引きずりながらも、罪悪感を覚えながらも、愛を求めた律子の目の前にはとっくの昔に、愛が送られていた。ただ、あたりまえにあるから。空気のように、なくてはならないのに、見えず、あたりまえにあるから。気付かなかっただけだ。
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華名子も、涙が止まらない。今までの恨みや、苦しみ、悲しみを全て流れていくような、そんな涙だ。
小島は目頭をあつくしながら優しく華名子の肩を抱いた。
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