上 下
28 / 33

ここから始まった

しおりを挟む
 
 お兄様の代わりに、私はバスキエ家と話をしてきた。バスキエ夫妻は、何度も何度も私に頭を下げていた。
 ネリーのことを訴えるのかどうするかは、被害者であるお兄様が決めるべきだと思ったが、如何せん記憶が曖昧なので、結局話は進まなかった。

 両親もこの緊急事態に屋敷にいないので、両親が戻ってから、お兄様も交えまた話をすることになるだろう。
 私の誕生日までに戻って来ると言っていたけど……気づけば私の誕生日まで、あと一週間となっていた。
 
 お兄様はというと、記憶障害は未だあるものの、それ以外は完全に回復に向かっていた。
 体は本人曰くピンピンしているらしいし、記憶に関してはなにを忘れてるのかも覚えてない。

「おはようミレイユ」

 今日も、お兄様は元気そうに、変わらない笑顔で私に声をかけてくる。
 でも私はわかる。
 お兄様が私を見る目は、やはり以前とちがうまま。
 私と腕を組んで食堂に行くこともない。
 手を繋いで、一緒に庭園に散歩に行くこともない。
 お茶をしたときに、食べさせ合うことだってない。

 私たちは、〝普通の兄妹〟になっていた。

 ある程度仲の良い、よく見る兄妹に。

「お兄様、よかったら一緒に外に出ない? せっかく天気もいいし」
「ん? ごめん。今読みたい本があって。ミレイユ、マリンとでも行っておいでよ。俺はひとりで大丈夫だから」
「……そっか。うん、わかった」

 ネリーとお兄様が婚約したときも、こうやって寂しくてたまらない日を過ごしていた。
 一緒だ。でも、ちがう。
 
 お兄様はあのときも、お兄様なりに私のことを愛してくれていた上での行動だった。だけど、今回は本当に、私のことをなんとも思っていないのだ。

 私とお兄様は、幼い頃から仲が良すぎた。
 私は前世の推しなこともあり、出逢った当初からお兄様が大好きだったし、お兄様も幼い頃から、私のことを好いていてくれた。
 だから、普通の兄妹でいた時間なんてほとんどない。年齢を重ねるにつれ、私たちは兄妹とは名ばかりの関係になっていた。

 恋人のように触れ合い、恋人のように相手を想い合う。
 
 ――どうして、こんなことになってしまったのか。

 お兄様が記憶をなくしてから、何度もそう思った。
 私がもっと早く決断をしていたら。私がお兄様やエクトル様を追い詰めなかったら。
 後悔ばかりして、肝心の今はお兄様の機嫌を伺って、なにもできていない。
 冷たくされるのが怖い。好きと思われないのが怖い。愛されないことが、怖くて、寂しい。

 お兄様が普通になって気づく。お兄様は、私を死ぬほど愛してくれていたこと。――本当に死のうとしたしね。
 
「お嬢様、大丈夫ですか?」

 結局出かけずにひとり部屋に籠る私を心配してか、マリンが声をかけてきた。

「大丈夫……って言いたいけど、どうかしら」
「お嬢様……」
「私って、いつもこう。大事なところで選択ミスして、全然望んでいないルートに行っちゃうの」

 バッドエンド見たさに、プレイヤーに不幸せな選択肢を選ばれるヒロインのような気持ちになった。前世の私が、まさしくそのプレイヤーだったわけだけど。

「お嬢様――私は、リアム様のことが苦手でした。だってお嬢様と親密な方は、例え同姓でも敵意を剥き出しにしてくるんですもの。ネリー様とご婚約されるのも、はっきり言って理解不能でしたので、裏があるのではないかと思っていましたが……。自分で腕を刺したと聞いたときは驚きましたが、なんだかすぐ納得できたのです。あのお方なら、平気でやってのけそうだなと。本当に、とんでもない方ですよね。リアム様は」
「ふふ。マリンなんて、エクトル様の花を踏み潰した罪をなすりつけられていたものね」
「……ちょっとそれは初耳なのですが。はぁ。リアム様、そこまで私のことが気にくわなかったのですね。記憶が戻ったら問い詰めたいところですが、誤解が解けているのならこの件は聞かなかったことにします」

 私だったら、そんな無実の罪を着せられたら謝罪のひとつでもさせるけど。マリンったら心が寛大なのね。

「なんだか、調子が狂います。あんなリアム様。私にも好意的だし優しいし、公爵家の長男の鑑のような感じで。以前は――ほら、ただのお嬢様大好き人間でしたから」
「だったら、今のままでいてくれた方がマリン的にはいいんじゃないの?」
「普通だったらそうなんでしょうけどね。でも、十年以上そんなリアム様に付き合ってきたんです。もう日常の一部だったんですよ。リアム様がお嬢様を甘やかして、お嬢様がうれしそうに笑って……その顔を見たリアム様が、更にうれしそうに笑うんです。私はその姿を見て思ってました。このふたりは、離れることはないんだろうと。だってあまりにも兄妹ということなんて無視して、幸せそうに寄り添うんですもの。だからリアム様がご婚約したときは、私も裏切られたような気分になって……。そんなお嬢様を助けたエクトル王子がまるでヒーローのように見えたのです」

 ヒーロー……。言われてみれば、私の目にも、あのときのエクトル様はそう見えた。
 修道院に入ろうなんて突拍子もないこと考えてた私の手を取って、あっという間に、私を元気にしてくれたから。

「お嬢様が今お辛いのを我慢して笑っているのを、私はわかっています。リアム様の記憶を戻すお手伝いができるなら、私でよければいくらでもします。お嬢様がリアム様と接するのが辛ければ、記憶が戻るよう私が頑張ります。エクトル王子も、協力すると言って下さっていますし。最近いろいろありすぎたと思うので、お嬢様はゆっくり休んでてもいいのですよ」
「休む……?」
「はい。今のリアム様といるのは、精神的にもあまりよくないかと思いまして……ここは、動ける方たちに任せてください!」

 私のために、マリンも、エクトル様も、動こうとしてくれている。それなのに。

 ――私は今まで、なにをしてきただろう。

 シナリオ通りにいくと余裕をかました途端、お兄様はネリーと婚約した。予想外の事態が起きて、ただ不貞腐れ泣くだけ。
 エクトル様が手を引いてくれたのに、うだうだとお兄様のことを考え、かと思ったら、エクトル様にもいい顔をする。
 
 ずっと受け身で、行動をすることもなく、そのくせ愛されたいからと自分の欲にばかり忠実で。
 誰かに全部やってもらって、最初から愛されて――ヒロインポジションに甘える、本当にくだらない女だった。

 〝ミレイユ〟になってから、私は忘れていた。
 乙女ゲームをする上で大事なこと。好きな人との幸せは、自分からつかみ取りにいかなきゃいけない。
 私が動いて、選択して、そうやって未来に繋げていくんだ。
 乙女ゲームのヒロインはそうやって、エンディングを迎えてきたのだから。

「マリン。私、目が覚めたわ」
「……お嬢様?」
「もう今のお兄様から、逃げたりしない。だから、休む時間なんてないわ」

 もうお兄様を諦めることはしないと、エクトル様にも宣言したばかりなのに、私はなにをしていたのか。

 部屋を出て、書庫にいるお兄様のところへ走った。

 いつも向こうから来てくれたお兄様を、今度は私が追いかける番だ。

 書庫の扉を開けると、お兄様は私の方を振り返る。

「お兄様、両親が帰って来るまで、私と〝恋人ごっこ〟をしましょう」

 私はお兄様に、そんな提案をした。
 ゲームでもお兄様とミレイユは、ここからすべて始まったから。

 ――再度お兄様をヤンデレ化する計画、スタートよ。

 さあお兄様、私と一緒に、バッドエンドという名のハッピーエンドを目指しましょう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

お城で愛玩動物を飼う方法

月白ヤトヒコ
恋愛
婚約を解消してほしい、ですか? まあ! まあ! ああ、いえ、驚いただけですわ。申し訳ありません。理由をお伺いしても宜しいでしょうか? まあ! 愛する方が? いえいえ、とても素晴らしいことだと思いますわ。 それで、わたくしへ婚約解消ですのね。 ええ。宜しいですわ。わたくしは。 ですが……少しだけ、わたくしの雑談に付き合ってくださると嬉しく思いますわ。 いいえ? 説得などするつもりはなど、ございませんわ。……もう、無駄なことですので。 では、そうですね。殿下は、『ペット』を飼ったことがお有りでしょうか? 『生き物を飼う』のですから。『命を預かる』のですよ? 適当なことは、赦されません。 設定はふわっと。 ※読む人に拠っては胸くそ。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

執事が〇〇だなんて聞いてない!

一花八華
恋愛
テンプレ悪役令嬢であるセリーナは、乙女ゲームの舞台から穏便に退場する為、処女を散らそうと決意する。そのお相手に選んだのは能面執事のクラウスで…… ちょっとお馬鹿なお嬢様が、色気だだ漏れな狼執事や、ヤンデレなお義兄様に迫られあわあわするお話。 ※ギャグとシリアスとホラーの混じったラブコメです。寸止め。生殺し。 完結感謝。後日続編投稿予定です。 ※ちょっとえっちな表現を含みますので、苦手な方はお気をつけ下さい。 表紙は、綾切なお先生にいただきました!

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】悪役令嬢エヴァンジェリンは静かに死にたい

小達出みかん
恋愛
私は、悪役令嬢。ヒロインの代わりに死ぬ役どころ。 エヴァンジェリンはそうわきまえて、冷たい婚約者のどんな扱いにも耐え、死ぬ日のためにもくもくとやるべき事をこなしていた。 しかし、ヒロインを虐めたと濡れ衣を着せられ、「やっていません」と初めて婚約者に歯向かったその日から、物語の歯車が狂いだす。 ――ヒロインの身代わりに死ぬ予定の悪役令嬢だったのに、愛されキャラにジョブチェンしちゃったみたい(無自覚)でなかなか死ねない! 幸薄令嬢のお話です。 安心してください、ハピエンです――

処理中です...