上 下
26 / 33

忘れていた

しおりを挟む

 お兄様が意識を失くしてから、何時間経っただろうか。
 すぐに医者を呼び、お兄様の治療が行われた。腕の怪我のこともあり、駆け付けた医者も使用人も、何事かと目を剥いた。
 
 幸運にも、お兄様は命に別状はないとのことだった。
 傷も出血に比べると、大したことはないらしい。さすがのネリーも、殴るときに迷いが出たのかもしれない。

 ネリーは今日、お兄様に婚約を破棄された。
 その腹いせか、なんだったのかわからない。とにかく私のことが憎くてたまらず、私がお兄様とうまくいくことは許せなかったという。お兄様がこうなったのは自業自得だと、倒れたお兄様を見て笑っていた。私から一番大切なものを奪えたと。
 このことはバスキエ家と後日話すこととなり、その場でネリーは屋敷の使用人に捕らえられ、どこに連れて行かれたかはわからない。

 ベッドに寝かされたお兄様の手を握り、何時間も目が覚めるのを待った。
 部屋にはマリンと、そしてエクトル様も一緒にいてくれている。

 ――お兄様が倒れた瞬間、生きた心地がしなかった。早く目を覚まして、お兄様が無事なことを確認して安心したい。せっかくお兄様と通じ合えた矢先にこんなことになるなんて。

「……ん」

 小さな声が聞こえ、握っていたお兄様の手が微かに動いた。

「お兄様!?」

 声をかけると、お兄様が目を開ける。
 眩しいのか目を細め、何度も瞬きを繰り返した後、ごそごそと体を起こした。

「よかった。無事だったんだな、リアム。ヒヤッとしたぞ」

 エクトル様も、近くでほっと胸を撫で下ろしている。

「……俺、頭を花瓶で」
「そうよ。私を庇って……ごめんなさいお兄様。私のせいで」
「大丈夫。かわいい妹のためだ。兄として当然のことをしたまでだよ。こうして無事だったんだし」
「……お兄様?」

 目覚めたお兄様は、いつものお兄様と同じように笑っているのに。
 なんでだろう。とてつもない違和感を感じた。

「リアム? 大丈夫か? まだ少し混乱しているんじゃ」

 その違和感を感じ取ったのは、エクトル様も一緒だったようだ。

「いや……そうかもしれない。すごく頭が痛いんだ。そもそも、どうしてネリーがミレイユを?」
「それは、君がネリーと婚約破棄してミレイユを選んだからだろう」
「ミレイユを? どういうことだ。この腕の傷も、ネリーがやったのか?」
「……リアム、記憶が曖昧なのか?」

 お兄様の話を聞いて、ここいいる誰もがそれを悟っただろう。エクトル様がそう聞くと、お兄様は首を傾げた。

「俺的には、そんなつもりはないんだけど……みんなの反応を見る限り、そうみたいだな」
「お兄様、なにも覚えていないの?」
「えっと……最近の出来事は、あんまり覚えていない。でも、それ以外は普通に覚えてると思うんだけど」
「私のことはわかる?」
「もちろん。ミレイユのことを忘れるわけないだろう。ミレイユは、俺の大事な妹なんだから」

 ――ちがう。いつものお兄様じゃない。
 〝俺の〟の言い方も、今までとは別物だ。今までは独占欲があるような、もっと意味を込めた言い方をしていた。でも今のお兄様は、本当に私を大事な〝妹〟としか見ていない。

「……それだけ?」
「ミレイユ?」
「お兄様にとって、私は妹というだけなの?」
「どうしたんだミレイユ。俺たちは、仲の良い兄妹だろ」

 お兄様の記憶から、私を好きだった部分が抜け落ちている……?

「ふざけるなリアム! 君はずっと――」
「エクトル様! 大丈夫ですから」
「……ミレイユ、でも」
「今は無事だっただけで感謝しないと。ほら、時間が経てば、戻るかもしれないし」

 無理に笑顔を作って、自分でそう言うことで自分を納得させた。
 エクトル様は納得がいかない様子だったが、私の態度を見て、それ以上なにかをお兄様に追及しようとはしなかった。

◇◇◇

 時間は深夜二時を過ぎていた。
 お兄様を安静させるため、私たちは部屋を出る。
 医者にお兄様の記憶のことを聞けば、頭を打ったショックで記憶障害が起きているのかもしれない、と言われた。戻るか戻らないかは判断できないとも。

 エクトル様は迎えが来る寸前まで、私のことを慰めてくれていた。マリンがまた屋敷に泊まることを提案したが、エクトル様はそれを断った。
 そのとき、私はエクトル様との婚約関係が本当に終わったことを実感した。私と婚約者になる前と同じ距離を、エクトル様はまた保とうとしている。

「ミレイユ、元気出して。リアムなら大丈夫だ。だって、頭の中が君で埋まってたような男だよ」
「……そうですよね。きっと、思い出しますよね」
「ああ。そうだ。明日僕が、あいつのしてきたことを話してやろう。そしたらきっと元のリアムに戻るさ」
「ふふ。ありがとうございます。エクトル様」

 笑顔を返すけど、本当は今にも泣きそうだった。つらくてどうしようもない。
 でも、ここで甘えてはいけない。私が泣いていいのは、ひとりになったときだけ。泣いてしまえば、優しいエクトル様はきっと私を放っておけないだろう。
 
 ――大丈夫。きっと明日になれば、お兄様は、いつもの瞳で私を見つめてくれるはずだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

お城で愛玩動物を飼う方法

月白ヤトヒコ
恋愛
婚約を解消してほしい、ですか? まあ! まあ! ああ、いえ、驚いただけですわ。申し訳ありません。理由をお伺いしても宜しいでしょうか? まあ! 愛する方が? いえいえ、とても素晴らしいことだと思いますわ。 それで、わたくしへ婚約解消ですのね。 ええ。宜しいですわ。わたくしは。 ですが……少しだけ、わたくしの雑談に付き合ってくださると嬉しく思いますわ。 いいえ? 説得などするつもりはなど、ございませんわ。……もう、無駄なことですので。 では、そうですね。殿下は、『ペット』を飼ったことがお有りでしょうか? 『生き物を飼う』のですから。『命を預かる』のですよ? 適当なことは、赦されません。 設定はふわっと。 ※読む人に拠っては胸くそ。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

心がきゅんする契約結婚~貴方の(君の)元婚約者って、一体どんな人だったんですか?~

待鳥園子
恋愛
若き侯爵ジョサイアは結婚式直前、愛し合っていたはずの婚約者に駆け落ちされてしまった。 急遽の結婚相手にと縁談がきた伯爵令嬢レニエラは、以前夜会中に婚約破棄されてしまった曰く付きの令嬢として知られていた。 間に合わせで自分と結婚することになった彼に同情したレニエラは「私を愛して欲しいなどと、大それたことは望んでおりません」とキッパリと宣言。 元々結婚せずに一人生きていくため実業家になろうとしていたので、これは一年間だけの契約結婚にしようとジョサイアに持ち掛ける。 愛していないはずの契約妻なのに、異様な熱量でレニエラを大事にしてくれる夫ジョサイア。それは、彼の元婚約者が何かおかしかったのではないかと、次第にレニエラは疑い出すのだが……。 また傷付くのが怖くて先回りして強がりを言ってしまう意地っ張り妻が、元婚約者に妙な常識を植え付けられ愛し方が完全におかしい夫に溺愛される物語。

猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない

高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。 王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。 最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。 あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……! 積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ! ※王太子の愛が重いです。

処理中です...