上 下
33 / 37

しおりを挟む
「シアーズ博士!」
 星來は一気に眠気が吹き飛び、勢いよく椅子から立ち上がった。
「来ていらっしゃるとは知りませんでした」
 
 博士は今、日本に住んでいるそうで、この間、モニター越しに話した時は関西方面にいたのだそうだ。
 実はリヒトの出勤先は博士の研究所で、博士が戻って来ている時に通っているのだと言う。
 近くに住んでいるならもっと早く会いたかったと、星來はお茶を用意しながら思ったが、かなり忙しい人なのだろう。
 この後、仮眠だけで会議へ出ると言っていた。
 
 博士はモニター越しで話した時に思った通りの、とても優しくて温厚で、それでいてお茶目な人で、リヒトが年を取ったら間違いなく博士になりそうだ。
 彼は、外見は博士の息子に似せていると言っていたけれども、性格は博士の影響が大きいのかもしれない。
 だから、博士と話していると星來はリヒトを思い出して会いたくなってしまったが、それを悟られないように笑顔でお茶を配った。

「こんな時間にすまないね。早速だが隣の部屋のあれね、全く危険なものではなくて、『訪問者』の卵だったよ。それで、羽根田さんに心当たりを聞いたら、良く覚えていないから、貴方に渡した記録を見て欲しいと言われてね」
「卵? 何か産まれるの?」
 シャーリーは楽しそうに聞いていたが、星來は妄想が現実になるのではと、驚いで動きが止まってしまう。

「やだ、何が産まれるのかしら。ワクワクしちゃう」
「私もだよ。でも、先ずは記録を見せて欲しいな……星來さん、良いかな?」
「あ、はい。今、持ってきます」
 星來は博士に話しかけられて我に返り、慌てて部屋から古びた母のノートを持って来た。

 
「7年前から住んでいる虎之助さんが知らないって言っているんで、それ以前の話だと思います。あの部屋に人が住んでいたのは、10年くらい前が最後なんです……ここです」
 星來はノートを開き、付箋を貼っておいた場所を指し示す。
 そこには、はっきりと住人がひと月もせずに出て行った事が書いてあった。

「その前はどうだったんだい?」
「母の話だと誰も入っていないようです。その人の後に内覧へ来た人がいたそうなんですけれど、みんな何かに怯えて借りなかったそうです」
「じゃあ、その住んでいた人が何か知っているのかもしれないね」
「そうなんですけれど、不思議な事があって」
「何だい?」
「俺、タ、黒永くんが引っ越したいって言って来るまで、203号室の事を思い出しすらしなかったんです」
「それは不思議だね。ふむ、その最後に住んでいた人の事をもっと良く調べてみよう。名前は……白石 快哉しらいし かいやか。ここへ最初に『訪問者』が住み始めたのもその頃だね。ちょっと調べてみよう」
「はい」

「で、博士。卵って何なの?」
 話が終わったと見るや否や、シャーリーが隣で見つかった卵の話を聞きたがった。
 博士の話だと、いま生物学者が調べているところだと言う。
 卵の大きさは、子供くらいなら余裕で入れそうな大きさだそうで、ライトを当てたところ、中に何かが入っているのが見えたそうだ。
 
「……それは」
 興味津々な二人と違って、星來は恐怖を感じる。
「持って帰りたいのはやまやまなんだけれど、床下と粘液でくっ付いていてね。無理に剥がせないし、どうしようか考えているところなんだよ。ああ、星來さん大丈夫ですよ。直ぐにリヒトを呼び戻しましょう」
 青くなった星來に、何かを察した博士が優しくそう言った。
 やはり、リヒトが最強生物らしい。
 
 取り合えず何も知らない住民にはあと2、3日ホテルにいてもらって、考紀達の事は彬が代わり、リヒトは直ぐにこちらへ帰って来る事になった。


「ただいま」
 リヒトは本当に飛んで帰って来たようで、連絡を受けると直ぐに戻って来た。
 しかし、ベランダにスライムの姿で現れたのには驚いてしまった……星來以外は誰も驚いていなかったけれど、他人が目撃していたらどうするつもりなのだろうか。

「リヒト、隣の部屋へ一緒に行っておくれ。星來さんとシャーリーもね。寝不足の所すまないね」
「オッケー」
「いいえ、大丈夫です」
 実のところ、星來は中途半端に寝てしまったのもあって目が冴えてしまっていた。
 聞いた話の衝撃が強かったせいかもしれないが、とにかく今はもう眠れる気がしないので、何かする事があるなら丁度良い。
 
 直ぐにリヒトが人の姿になって着替えると、3人は博士に付いて203号室へ行った。
 外にはまだ、10人程の警棒やトンファーを持った警備員が残って辺りを警戒していて、物々しい雰囲気だった。
 
 
「黒永くん、どこにいるんだね」
 玄関から博士が呼びかけると、奥から「はーい」と竜弥が出てきた。
「彼らも見て良いかい?」
「良いですよ。でも、星來は……大丈夫か?」
「え、やっぱり怖いやつなの?」
「怖くはないけどさ」
 心配そうな顔の竜弥に付いて部屋の奥へ行くと、穴は見事に拡張されていた。
 特に202号室との間の壁も大きく壊されており、これが直らないと次の人が入るのは無理そうだ。
 弁償は絶対にしてもらおう。と、星來は遠い目になった。
 
 博士が穴を指し示すと、竜弥は「どうぞ」と言って、三人それぞれにライトを手渡して来た。
 その時の彼の顔と言ったらとても気づかわし気で、星來は微妙な気持ちになったが、管理人の自分が見ない訳にはいかない。
 博士、リヒト、シャーリィ、星來と順番が回って来て、恐る恐る穴の中を覗いてみた。
 
 卵は一階と二階の間の狭い空間を埋めるように粘液でくっついていて、白い殻にライトを当てると反射して眩しい。
 変なホラーの知識が無かったら、きっと神々しく見えただろうに、今の星來には中から何か飛び出して襲ってきそうとしか思えなかった。
 
 他の人はどう思っているのだろうと隣を見ると、シャーリィは嬉々として博士と話し合っている。
 リヒトに関しては無だ、全く興味が無いらしい。
 そんな星來の肩を竜弥がポンと叩いた。
「安心しろ、俺もあの映画を思い出したから。でも、これは大丈夫だと思う。どっちかって言うとヤモリとかの卵みたいだろ。やっぱりでっかいトカゲがでてくるのかな?」
 竜弥は子供みたいに目を輝かせて、ニカっと笑った。
 そして、その大丈夫はどこから来たんだろうと星來は思う。
 
「これって、サイカニア星人かしらね。彼らは卵を産むと放置して行ってしまうそうだし、卵から産まれるのに10年掛かると聞いた事がある。それならば計算も合うわ」
「良く分かったね。シャーリーはサイカニア星人の事、詳しいのかい? ならば後で知っている事を聞かせておくれ」
「オッケー。彼ら珍しいのよねぇ。体を中まで調べたいわ」
 
 シャーリィが何やら物騒な事を言っている一方で、星來はノートの中身を思い出していた。
 サイカニア星人なんて初めて聞く、母のノートにも記述が無かった。
 もしかしたら、その白石と言う男がそうだったのだろうか?
 彼はどんな人だったのだろう。

「そうだ、10年前なら大橋さんと佐々木さんも覚えているかもしれません。あの二人は10年以上ここに住んでいますから。まぁ、母が覚えていないくらいなので、望みは薄いかもしれませんが」
「そうか、ではこちらで聞いてみるよ」
 座ってシャーリーと話していた博士が立ち上がり、星來と並んだ。
 と、そこへスーツの男がやって来て、博士に耳打ちする。

「おや、私はそろそろ時間のようだ。では星來さん、これからもリヒトの事をよろしくね」
 
 博士から意味ありげにウィンクされて 星來は焦った。
 多分、星來とリヒトの事を知っているのだろう。
 どこまで知っているのか、あんな事をしたのも知っているのだろうか。
 
 ……知ったら、博士はどう思うだろう。
 何も知らないリヒトに、俺が疚しい事を教えたと思っているんじゃないだろうか……。
 
 チラっと、リヒトの表情を窺ったら、目が合って微笑まれた。
 
(もしかして、全部喋っちゃってるんじゃなかろうか)

 これはちゃんと釘を刺しておかねばならなそうだ。

 
 ・・・・・・・
2023 11/30 博士のセリフを少し変えました。
しおりを挟む

処理中です...