上 下
8 / 37

引っ越し

しおりを挟む
 
 良く良く話を聞けば、澪は高校生の時分に年上の男性の子供を妊娠してしまい、高校を中退してまで相手との結婚を望んだものの、自分の方が浮気相手だったと言う過去のある女性だった。
 それを聞いて、星來は他人事とは思えず、澪に強く言えなくなってしまったのが災いした。
 
 考紀が置いて行かれた時は星來が面倒を見てやっていたのだが、そんな事が何度か続くと味を占めたのか、澪は次第に考紀を置いて行く間隔が狭くなっていったのだ。

 それが月に1,2回から週に1,2回になって来ると、流石に星來もこれではいけないと思い始めた。
 しかし、一方的に責めたとして、澪が機嫌を損ねて考紀を連れて来なくなり、また前のように放置してしまったら? と思ったら強くは言えない。
 そうしている悶々としているうちに、突然、澪が客だった男と結婚するので店を辞める、と言ってきたと店長から聞いた。

 何故、考紀の面倒を見ている自分に直接言わないのか。
 腹立たしく思い、澪を探すと、彼女は女性の控室で呑気にお喋りをしていた。
 
「澪、結婚するんだって? 」
「そー、顔も格好良いし、お金持ちなんだ。いいでしょ」
「そう。でも考紀はどうすんの? 」
「彼氏、子供好きだから可愛がってくれるって。セイラ、ほんっとうに今までありがとうね」
「うん……」
「澪、おめでとう!」
「幸せになってね!」
「みんなありがと!」
 
 その時の澪は、皆に祝福されてとても幸せそうだったのを、星來は今でも覚えている。
 
 しかし、仕事前に考紀へ聞いてみたところ、彼氏は一度会った事があるが、結婚話は知らないと言う。
 星來は心配になったが、その日は忙しくて、もう一度澪と話す機会は訪れなかった。
 そして澪はそのまま辞める事となり、考紀も一緒にいなくなってしまったのだった。
 
 
 
 それからの星來は、考紀の事が心配で仕方なかった。
 しかし、店長に頼んで澪に連絡しても「大丈夫。元気にしてるし、旦那がヤキモチ焼くから」と言われて、まともに話す事すらできない。
 それでも、しつこく店長に澪と連絡を取りたいと言っていると「夫の家族に水商売をしていた事を隠して結婚したかもしれないから止めなさい」と、連絡を取る事を禁じられてしまった。
 情報通の黒永に聞いてみようにも、彼も転職したらしく、店へ顔を出さなくなって久しかった。
 
 そうして時が経ち、季節が変わり、風が冷たくなって季節は冬になった。
 借金を返し終わる目途が立ち始めた星來は、そろそろガールズバーを辞めようと思い、昼間のアルバイトを始めた。



 
 ――それはクリスマスイブの前日だった。
 昼間のアルバイトへ出かけようと、アパートのドアを開けると、何とそこに考紀が立っていた。
 この時ばかりは、借金返済の為とは言え、貧乏アパートに我慢して住み続けていた自分を褒めたくなった。

「考紀。どうしたの? 身体が冷え切ってるじゃないか、入って」

 久しぶりに会った考紀は、別れた頃より少し背が伸びていた。
 しかし、その顔は前に会った時よりも更に暗くなっている。
 考紀は部屋へ入ると、何も言わずに以前自分が使っていた布団を敷いて、碌に説明もせず直ぐに眠ってしまった。
 
 困った星來は、もしかしたら澪が考紀を探して店へ連絡してくるかもしれないと思い、家に考紀が来ている事をガールズバーの店長へ知らせて出勤時間ギリギリまで考紀を見ていた。
 その間も考紀は一向に起きる気配がなく、死んだように眠っていたので、星來は起きたら何か食べられるように用意をして昼間のアルバイトへと向かう事にした。
 しかも、帰って来た時も考紀はまだ眠っていた。

 夕方になり、夕食を作っていると、匂いにつられたのか考紀が起きてきた。
 そして、ここへ出入りしていた頃と同じように手際良く手伝い始めたが、やはり何も話そうとしない。
 前みたいにお喋りしなくなってしまった考紀に星來は寂しくなったが、無理に事情を聞き出そうとはしなかった。
 
 その日は、考紀が好きな唐揚げを作った。
 醤油とショウガで下味をつけてる時から期待しているのが分かったので、出来上がったら直ぐに食べる事にする。
 考紀に食欲はあって、無言でもたくさん食べていたので、星來は安心した。
 
 

「……星來」
「なあに? 」
 考紀がやっと話しを始めたのは、寝ようと部屋を暗くした時だ。
 星來のベッドの下、床に直で敷かれた布団の中から聞こえる声は震えていて泣いている様にも聞こえるが、あえて指摘はしないようにする。

「あのさ……、今度の父さん厳しくてさ。何しても怒られちゃうんだ」
「そうなんだ」
「何が悪いのかわかんなくて、誰かに聞けばわかるかな、って思ったら、いつの間にかここに来てた」
「うん。よく来たね」
 
 話を聞くと、どうやら親子関係が上手くいっていないらしく、お互い良かれと思ってしている事が、理解し合えないみたいだった。
 そもそも相手は澪に子供がいるのは知っていたが、澪の年齢からして、最初は幼児だと思っていたそう。
 会ってみたら思った以上に大きな子供で、驚いていたらしい。
 その上、澪が放任で戸惑ってしまったようで、考紀の為に良かれと思って厳しめに指導しているらしいと、彼の話から分かった。
 
「お父さんは悪くないんだ。分かんないオレが悪い」
「そんな事ないよ」
「でも、オレがちゃんとすれば、お父さんすごく優しいんだ」


 
 粗方話すと疲れてしまったらしく、考紀はストンと寝落ちてしまった。
 そこへすれ違うように澪から電話が来る。
 
『セイラちゃん迷惑かけてごめんねぇ、店長から連絡もらった』
「ううん。全然、迷惑じゃないよ」
 電話の向こうの澪の声は、ごめんと言いつつも、相変わらずあっけらかんとしている。
 
『考紀は? 何か言ってた? 』
「ああ、今は寝ているよ。寝る前に新しいお父さんと上手くいかないって言ってたな」
『そうかぁ……。そうなんだよね。だから、少し距離を置いた方が良いかと思って、考紀をあたしの実家に預かってもらおうかって話をしたら飛び出しちゃったのよ』
「澪のお父さんとお母さんに? 仲直りできたの?」
『うん』

 澪は考紀を妊娠した事で家族と色々あったが、ちゃんと働き口を見つけた事や、結婚した事を機に許してもらえたそうだ。
 だからと言って、会った事もない遠くに住む祖父母のところへ突然一人で預けられる考紀の気持ちを考えたら複雑な気持ちになる。
『直ぐにでもおいでって言ってるから、明日、迎えに行くよ』
「明日? 急じゃない?」
「いやだ! 」
「考紀? 起きたの?」『考紀?』
「オレ、知らない人のところに行くのは嫌だ! セイラと一緒にいる! 」

 眠ったと思っていた考紀は、実は起きていて、聞き耳を立てていたようだ。
「セイラは一緒にいてくれるでしょ? 毎日帰って来るでしょ?」
 澪が迎えに来ると知るや否や、星來に縋りついてどうして帰らないと言って聞かない。
 星來はそんな考紀を何とか宥めると、全員に会話が聞こえるようにして通話を再開した。
 

「澪。俺、もうすぐ借金が返せそうなんだよ。そうしたら実家へ戻って昼間の生活に戻るつもり。暫くは近くでアルバイトの予定だし、家を空ける事は無いと思う……ねぇ、また考紀を俺に預けてみない?」
『え、いいの? 考紀もそれでいいの? 』
「オレ、星來に付いて行く! 」
 考紀は大きな声でスマホに向かって叫ぶ。
 
「だってさ。たまには考紀の意見を聞いてもいいんじゃないかな。それに遠くの親類より近くの他人って言うじゃない? 俺も子育てした事ないから上手くいくか分からないけどさ。で、考紀が落ち着いたらそっちに戻せばいいでしょ」
『旦那も、もう考紀の事はあたしに任せるって言ってたし、セイラちゃんが良いなら、あたしは構わないんだけど……』
「じゃあ、決まりね」
 
 諸々の手続きなどは、後で顔を合わせて進めると言う事で、その日の通話は終わらせた。
 
 この時、澪にはその場を収める為に星來が考紀を預かる、と提案したように聞こえたかもしれない。
 だが、実際は星來も一人で実家へ戻るのが気まずかったので、考紀が一緒に来てくれたらと言う打算があった。
 かと言って、これで考紀も少しの間、両親、特に義父と離れて、お互いの事をゆっくり考えられるだろうから双方にメリットがあるはずだとも思ったのもある。
 
 その後、澪とその夫と直接会って、考紀の事を話し合った。
 そこで考紀が、転校もして星來と住みたいと言い出して、澪と揉めるような事態が起こる。
 しかし、澪の夫はしっかりした人だったので、二人の間に入ってくれて、最後に色々な決め事を纏めた契約書のようなものを作って了承してくれた。
 彼は考紀が言っていたほど酷い人物ではなかった。
 一緒にいた澪も、前よりずっと綺麗になって、幸せそうだったし。
 きっと考紀は難しい年頃だからこんな風になってしまったのだろう、もう少し時が経てば受け入れられるに違いないと、星來は思った。


 
 そして桜の花が散る頃、考紀の新学期に合わせて、星來と考紀は星來の実家の経営するアパート『フェザーガーデン』へ越してきたのだ。
 
 
 ―― 今でも覚えている、引っ越してきた日は、海外で大きな火球が見えたと大騒ぎになっていた日だった。

 
しおりを挟む

処理中です...