Hope Man

如月 睦月

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中学校編

卒業の時

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足元が良くないので濡れている路面を避け、乾いたところを選びながら歩くと、いつもより少し疲れた。



学校の門の前には記念撮影をする家族でごった返している、卒業式の看板の前で父親とパシャリ、母親とパシャリ、兄弟とパシャリ。それを数秒見つめる龍一は鼻で『ふんっ』と笑うと玄関へ向かった。生徒もいつもより多い玄関で、ごちゃごちゃしていたけれど、特に龍一に声をかける者も居なかった、だからと言って猛烈に嫌われているわけではない、ただただあまり話しかけられない、それだけだ。



龍一も慣れたもので、別段寂しくも悲しくも辛くも無かった。



教室に入るとかなりの人数が既におり、いつもの数倍は賑やかだった。

『ただのそつぎょうじゃねーかよ』そう呟きながら椅子に着く龍一に、後ろの席の馬場が直ぐに声をかける『おはよう』その笑顔はキラキラしていた、龍一とは違い、この先に待っている高校生活への希望がそうさせているのだろう。



明日になれば今日なんか昨日になるだけだ…そんな思いしかなかった龍一に向けられた馬場の笑顔は、少しばかり心を温かくさせた。



『よーし!みんな席に着けぇ~』



担任の野呂がいつものシワシワのスーツではなく、パリッとした折り目の入った黒いスーツで教室に入って来た。「ふぅん、いいスーツ着れば少しは違って見えるもんだな、でも白いシャツに白いネクタイは個人的に好きじゃないなぁ…」おしゃれを自称する程でもないが、服や装飾には興味があった龍一は、そんな事を考えながら担任の話を聞いた。



『これから卒業式となるわけだが…』担任が言葉に詰まった。それを察して女生徒たちが数人涙ぐむ。龍一はそんな生徒をチラ見すると「卒業式が始まっても居ないのに」と脳内でクスクスと笑った。



体育館入り口に3年生全員が待機させられ、司会者から呼ばれた順に、A組から入場する。生ピアノ演奏に乗せて行進し、食料を運ぶ蟻のようにきれいに並んで着席してゆく、来場者の鳴りやまない拍手が体育館の無駄に高い天井の空間に吸収されて行く。『全員起立』の掛け声で三年生全員が立ち上がり『礼!』と言われて礼をする。『着席』と言われて座る。



『学校長挨拶、一同起立!』

校長の挨拶が終わると『着席!』と言われて座る。

いっそ立ったままにしてくれないだろうかと感じる龍一。

その後は形式ばった型にはまったテンプレート挨拶をだらだらと聞かされる。関心も持てなければ心に刺さる言葉もない、恥をかかないように当たり障りのない言葉を並べているだけだ、顔も見たことのない生徒にかける言葉なんてそんなものだろう、未来の為だの夢を持てだの頑張れだの無責任な言葉を体裁よく並べるだけ。「所詮他人事、生徒の未来なんか本気で考えちゃいない、だから一言も響かないんだよ…」卒業式だと言うのに冷静に来賓の挨拶を分析する、つまらない時間はこうして過ごすのが龍一流だ。



呼びかけが行われ、校歌斉唱となり、卒業証書授与式が行われる。カメラのシャッター音があちこちから聞こえ、緊張感が高まり、右手と右足を一緒に出す生徒まで現れ始める。「あんなに練習したと言うのに本番というものはやはり空気が違うなぁ」と感じる龍一本人は意外と本番に強く、滞りなく卒業証書を手にした。



『全員準備!』



卒業生全員が鍵盤ハーモニカを持ち、ピアノ前奏が行われて演奏が始まる。そもそも鍵盤ハーモニカは小学生で授業での使用は無いのだが、事前に所持しているか否かを聞かれて、無いものは購入させられてこの日の為に練習をしたのだ。少し演奏をして鍵盤ハーモニカを小脇に抱えて合唱をする、感極まって泣き出す生徒がどんどんと増えてゆく、卒業式の醍醐味と言えるだろう、しかし龍一は泣けることはなかった。



卒業生代表の挨拶が終わり、退場する事となる、事実上卒業式の幕が下ろされた。



クラスに戻ると、別れを悲しむ声で溢れかえっている。

涙していないのは龍一だけと言っても過言ではないくらいだ、ヤンキーぶっていた男子生徒ですら顔を隠してむせび泣いていた。「俺はなぜ泣けないのだろう、なぜ涙が出ないのだろう」過去に涙した事はあったが、あの感情とは全く違った。前にも感じた事だが「自分には感情が欠損しているのではないか」と改めて思った。



担任の野呂による生徒への思い出や言葉を聞くと鳴き声がより一層クラスに響いたが、それでも龍一の心は動かなかった。これで一応解散となったが、生徒たちはその場に残り、寄せ書きを書きあったり写真を撮ったりし始める。龍一がそれを求められることは無かった。



ここからは男子の第二ボタンを誰が手にするのか?が注目となって来る。



『桜坂君、ちょっといい』



馬場に呼ばれた龍一。



『あ、優ちゃん、どしたの?』



廊下に連れてこられた龍一に馬場が一歩前に出て、勇気が必要だろうと思う言葉をあっけらかんと笑顔で言ってきた。

『第二ボタンちょうだい』



『あ?え?』



『あれ?第二ボタンは?誰かにあげたの?』



『あ、いや、裏ボタンが壊れちゃって落としたみたい。』第二ボタンが既にないことを、ちょっと苦しい言葉で切り抜けようとしたが、馬場は食い下がる。

『え、じゃ、じゃぁ第一ボタンでいいから欲しい』



『それって…』『好きだよ』『え?』『桜坂君が好きだから』



『そ…そっか、嬉しいよ、ありがとう』

龍一は第一ボタンを外して馬場に手渡した。



『じゃぁ私帰らなくちゃ、クラス会の打ち合わせとかでまた会えるよね』



『うん、そうだね』『じゃ、バイバイ』

そう言うと、ポニーテールを弾ませて去って行った。ドストレートに馬場に好きと言われ、心臓を握りつぶされるような感覚を覚えた。これが恋と言うものだろうかと考えもしたが、自分には馬場を好きだと言う感情はないので恋ではないのだが、馬場を可愛いなぁと言う気持ちはあった。少し余韻に浸っていると、後ろから声をかけられる。『桜坂先輩』振り向くと、先日消しゴムとハンカチを握って欲しいと頼んできた後輩の女子、猪股だった。想像していた通りの要件を想像していた通りに龍一に尋ねる『第二ボタンいただけませんか』その笑顔は少し照れくさそうだけど、幸せに満ちた様に見えた。



『ごめん、第二ボタンはその…』



『あー遅かったんですね、じゃぁ第三ボタンでいいので下さい』



いただけませんか?から下さいと言う言葉の変化に少し押され、龍一は猪股に第三ボタンを渡した。『ありがとうございました!大切にします!先輩大好きです』

みんなもっと早く言ってくれればお付き合いしたりして、俺の中学校生活はもう少し違ったのかなぁと思ったりもした。



『龍一君、どこでもいいからボタンちょうだい』



教室に戻った龍一の前に立ちはだかるように現れた笠井。

『え?笠井も?』『ダメなの?』『いや…』『ならちょうだい』

その様子を見たクラスの生徒がヒューヒューと野次を飛ばす。

伸ばした手が二本ある事にふと気づく。『あれ?』顔を上げると山下も無言で手を伸ばしているのだった。笠井と山下に手を出され、周囲は一層盛り上がる。

『何番でもいいよ』『私も』



龍一は第四と第五ボタンを外して手の中でカラカラとシャッフルして手を開くと、2人が1つづつ取った。手の平に笠井と山下の爪が触れてゾわっとした龍一。



『好きだから』『私も』



『クラス会の打ち合わせするよね、会えるの楽しみにしてる。』『私も』



私も しか言わない山下も、龍一が言った通りに髪を切った笠井も、クラスでは気持ち悪がられているが、龍一にとってはとても輝いて見えた、キラキラして凄く可愛く見えた。クラスがざわついてうるさいので、ボタンのない学ランを颯爽と靡かせながら教室を出た。



そのまま帰る事にした龍一は、忘れずに上靴を鞄に入れて振り向き、校舎に一例をして3年間通った学び舎を後にした。



門の上に第二ボタンを置いて。
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