Hope Man

如月 睦月

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中学校編

公立高校入試日

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『早く暖まりてぇ』



骨の髄まで冷えた龍一は裸足で試験が行われる教室へ向かった。失礼な言い方ではあるが、オンボロ校舎なので踏みしめる度に床がギシギシと苦しそうに悲鳴を上げる。周囲を見回しながら小走りで歩くと、壁の隙間から雪が吹き込んでいるのが見えた。



『ボロ…』



ボキャブラリーの欠片もないストレートな言葉を吐いた、その言葉と同時に白い息が出る。『さみぃ、校舎の中でもこれはキツイわ』そそくさと教室に入ると、さすがインテリア科と言うべきか、ヤンキーっぽさが微塵もなく、なんなら女子生徒のいい匂いすらした。



だが、そこは極寒の空間。



ストーブが焚かれていないいないのだった。古い学校なので石炭ストーブを設置しているのだが、熱を帯びていないのは明らかだった。龍一もそうだが、寒さできつい思いをしている他の生徒がストーブを開けたり石炭を探したりしているが、周囲には何もなく暖をとる方法は上着を着たまま腕を組み、じっとしているしかなかった。ヤンキーなら吠えて怒鳴っているところだろうけれど、流石にファンシーな生徒ばかりなので、せいぜい舌打ちするしかなかったようだ。いや、当然だがそれが正解だ、今日は受験日なのだから。



全員の吐く息が白いと言う不思議な教室で試験の開始を待った。



ガラガラっ!



勢いよく引き戸が開くとダウンジャケットを着た教師が教室に入って来る。



『さぁ上着脱いで椅子の背もたれにかけなさい。』



自分はモコモコのダウンジャケットを着こんで、生徒には脱げと言う、そしてストーブすら焚いてくれていない、これはどういう事なのだろうか。運営側のミスなのか、それともガキの試験なんざこの程度で良いと言う事か、こんなことが世の中に知れたら大変なことにならないのだろうか。時代が進めばきっとデジタル社会になり、生徒たちに全世界に向けてこの失態を配信されるだろう。逆に考えると、大人たちのやりたい放題が許される恐ろしい時代でもあったこの世界。



上着を脱ぐと、汗をかいて歩いてきた龍一は急激に体温を奪われるのが体感でわかった。『寒い』出てくる言葉はこれしかなかった。方々から『寒い』と聞こえる。そのタイミングで教師が言う。



『集中してないから寒いんだ、試験に集中しなさい』



何と言う横暴な言葉だろうか、厳密に言えば集中するのは答案用紙が配られてからであって、今ではない。そう思うと、あの教師に帰り飛び蹴りしてやろうと思う龍一だった。



隆斗高校と同じように、机の上には鉛筆またはシャープ、そして消しゴム一個のみ置く事を許された、同じ失敗はするまいと龍一は言うとおりにした。もちろん隆斗高校受験日も言うとおりにしていたのだが。



答案用紙が配られた、今日の試験科目の順番も『こくしゃすーりえー』だった。もしかすると共通なのだろうかと龍一はまた余計な興味を持つ。

国語の試験内容は龍一にとって面白い程に解けた。解答用紙に回答が快調に書き込まれて行く。漫画を描いていた龍一は、ストーリーを作る為に小説を書くので、割と国語に抵抗はない。漢字に関しても図形で覚えるクセがあったので苦手と言う程でもない、総じて国語の成績は悪くなかった。試験内容に関しても少し首をかしげる程度で、自分の中では60点満点中50点は取ったのではないかと確信できるほど回答には自信が持てた。



一時限目が終わった。



焚かれていないストーブに集まる生徒達、習慣がそうさせるのか、人間の本能か、それとも願望か。龍一は現実的で、焚かれていないストーブは希望から削除し、フード付きのロングコートを着込んでじっとした。少し暖まってきたところで二時限目が始まるから脱がなくてはならず、その寒暖差でまた一気に身体が冷えた。



社会は日本史、世界史、地理をごちゃまぜにした試験内容で、それがカテゴリーでまとまっておらず、日本史問題の次に地理が来て、また日本史に戻って世界史が来たりする、これはもう思考を混乱させるための安っぽい策略としか思えなかった。



『ポタっ』



音をたてて龍一の答案用紙に水滴が落ちて1つの丸いシミを作った。『ん?』雨漏りかと天井を見上げると閉め忘れの蛇口の様に右の鼻の穴から鼻水が流れた。すすり上げてどうにかなる感じではないのがわかった、ちょろちょろと流れ出る鼻水。とっさに左手でマスクの様に鼻から下を覆った。



『タラタラタラ…』



左手の指の隙間から鼻水が溢れ出した、もう限界だと感じた時、コートのポケットにポケットテッィシュがあるのを思い出した。ポケットにポケットティッシュとは考案者の策略通りでムカつくが、龍一にとってはポケットにポケットティッシュがあることで助かったのは言うまでもない。



ティッシュを出し、2枚取り出して鼻から流れる鼻水を拭き取り、左手の鼻水を拭き取った。念のためもう2枚取り出して左手に握りしめ、残りのティッシュはコートのポケットに戻した。



コツコツコツと音が近づいてきた。

試験官が龍一の机の前で立ち止まると、右上の受験番号を確認して、手持ちのA4程の紙の束をめくると、その手が止まり、大きく✕の動きをするのが確認できた。この光景、デジャブーだろうか。龍一はただただ『やっちまった』と思った。龍一はとっさに試験官に『寒くて鼻水が出たので』と言ったが、試験官の答えは『寒いのはみんな同じだ』だった。生徒には上着を脱がせ、自分は暖かなボア付きのベンチコート、言うに事書いて『みな同じ』とは何事だろうか、ヤンキーの方が余程素直でわかりやすい、大人は本当に汚いヤツばかりだ、龍一の中で作品に唾を吐きかけ、踏みにじられたあの出来事が渦巻いた。



完全に終わったと理解した龍一は社会の試験を放棄した。



その後の試験も全て白紙で出した。



やらずして諦めるのは嫌いな龍一だが、こればかりはやっても無駄だからだ。撤退だ、勇気ある撤退、この場合の勇気は龍一の怒りでもあった、この状況への怒り、くそったれな大人への怒り。



試験が終わり、冷えた体のまま外へ出ると、風があったので体感温度が低く、より一層寒さを感じた、日が落ちてくる時間なのでその寒さは加速する。龍一は寒さに耐えかね、帰り道にある店に立ち寄った。そこは本やファミコンソフトを売っている店で、店内には小規模だが学生で賑わうゲームコーナーもあった。凍えそうなその身体を自動ドアが開くか開かないかの隙間にねじ込んではいると、暖気を感じ、生き返る思いをするのだった。



『ふぁ~・・・・・・』



コートを通して染みて来る暖気、やがて皮膚を温め、温まった血液が全身をめぐるのがわかる気がする、それほど冷え切った身体だったのだ。15分はベンチに座っていたと思う、濡れたコートもすっかり乾き、暑さすら感じる程になったので、店内を見て歩くことにした、様々な本を手に取り、買う事が出来なかったファミコンのカセットを見て、店内をゆっくりゆっくり見て回った、こんなにもゆっくりと見て回る事が出来たのは久しぶりなので、龍一はとても有意義な時間を過ごせた。窓を見ると、すっかり暗くなっていたことに気付く。



『温まったし行くかな、これなら歩けそうだ』



ほぼ真っ暗になった帰り道、龍一的には諦めがついていた。

家を出て働いて生きていこう…そんな考えにすでに至っていたからである。

なかなかに重い足取りだったが、やっとの思いで家に到着した。

玄関を開けてただいまと言うと、母親が椅子に座ってため息をつき、

『あんた試験終わってから遊んで歩いてたの?』



『いや、身体が冷えてたから本屋に寄って温めてから帰って来た』



『さっさと帰って来て答え合わせみたいのとかするもんでしょ、心配じゃないのかい?自分がどうだったのか、これしかないんだよ?』



いつもの聞く耳持たずな態度に、嫌気がさした龍一は喧嘩を買った。



『終わってから何をどうしたって無駄だろ!早く帰って来て答え合わせして、それがどうなる?落ちたら落ちたしかねーんだよ!』



その瞬間、ドアの横に隠れていた昂一が飛び出して、龍一の顔面を殴りつけた。そのパンチは容赦のない全力で、龍一の鼻を直撃した。玄関まで吹っ飛んだ龍一の髪を掴んで引きずり上げて、後ろから羽交い締めにすると『母ちゃんの顔を見ろ!こんなに心配してるじゃねーか!』



龍一は溢れ出た鼻血が口に入って溺れそうな勢いだったので、母親に血ヘドをぶっかけて『心配して何になる!答えが変わるのかよ!』と吠えた。

『てめぇ母ちゃんに何してやがる!』



『うるせぇ卑怯者が!隠れてなきゃ殴れねぇのかよ!』



そう言葉をぶつけると羽交い締めしている昂一の腕が緩んだ瞬間に思いっきり噛みついた、勝つ為なら噛むことだってする、モデル「犬」の発動だ。



『いてぇ!この野郎噛みやがった!』



その瞬間龍一が無理矢理昂一の腕から飛び出すと、そのガラ空きの脇腹に膝で飛び込んだ!龍一の全体重が乗った膝はバキと言う音を立てるのが聞こえた。もはや狂人と化した龍一はその脇腹に、何度も何度も何度も何度も躊躇なく拳を叩き落した。顔面に手を当てて龍一の顔を上げると、右足をその空間にねじ込んで、押し飛ばすように龍一を剥がす昂一。



『てめぇこの野郎』



『どっちが正しい!兄貴!言ってみろよ!』



『ちっ…母ちゃんの顔拭くから部屋行け』



部屋に入った龍一はベッドに仰向けになり声を殺して号泣した。

涙と一緒に鼻血がドクドクと流れるのを肌の感覚で感じた。



数時間経っただろうか、ドアの向こうから『龍、ごはんだよ』と姉の声がした。

知らぬ間に眠っていたようで、閉じていた目を開けると鼻の痛みをズキズキと感じ、何があったか全てを思い出すと、やり切れぬ思いが込み上げてきて、ひと言だけ姉に答えた。



『ごめん、いらねぇわ』
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