Hope Man

如月 睦月

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中学校編

変わりゆく日常

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目を覚ました龍一、昨日の今日と言う言葉の意味は分からなかったが、なんとなく昨日の今日だから疲れが抜けないと感じていた。受験日翌日だと言うのに学校は休みにならない、居間に行くと明らかな重い空気だった、母親が早速口を開く。



『名前ないよ』



なんたる衝撃的な言葉だろうか、この一言で全てが理解できる。言いたいことが全て練り込まれたダイナマイトを投げつけられたような感覚だ。そのダイナマイトは龍一の前で不発する、そう、爆発しないからたちが悪い。



『うん』



『はぁ~』



この母親のため息は龍一の心を抉り、思考の全てを停止させ、テンション、モチベーションをゼロまで下げて来る必殺技のようなダメージを受ける。



こういう事情があったと言いたい龍一だったが、面倒くささが勝った。それは龍一の過去があるからだ、言う事でどんどんあらぬ方向に転がってゆく、その度に解決への選択肢が増えてしまい、何をどうして良いのかわからなくなって、結局は自分の心が受けるダメージが大きくなるのを知っているからだ。だったら今、罵声怒声を浴びて侮辱を受けて少しの間屈辱を味わうだけで済む方が楽だ、耐えれば終わるのだから。龍一は何時からか「耐え忍ぶ戦い」を選択することで、その先に見える小さな希望を見ていたのだった。



だが、信じられない言葉を父親、康平からかけられる。



『振り返っても何もないんだから、次に向かって…なぁ、まず頑張れ』



母親の態度に対して嫌悪感を抱いたのか、受験と言うプレッシャーの毎日を頑張っている息子に対する労いなのか、また少し父親への気持ちが動いた瞬間だった。



そっと手に取った、朝刊に折り込まれてきた隆斗高校合格発表。

記憶でしかないが、同じ中学校の受験者の名前がほぼ全員あった、ほんの一握りの生徒が自分を含めて受験に失敗したのだった。本来ならほんの一握りの生徒が合格と言う目立ち方がポピュラーなのだが、この度はその逆なのだから当然学校言ったらまた始まるんだろうなと感じた。



『はぁ~』



龍一が嫌いな「ため息」をついつい自分で吐いてしまった。嫌いと言いつつ今まで結構な数のため息をこの地球の大気の中に吐き出してはいるのだけれど。

地獄と分かっている場所に自ら飛び込むのは気が進まないのだからため息のひとつも出るだろう、何かの為と言う確固たる信念があるのなら地獄の業火も紅蓮の炎も熱くないのだが、ただただ遠くから槍で刺されに行くだけなのだから。



足が重い、誰も話しかける者も居ない通学路、ヒソヒソと聞こえる声が全て自分の事の様に聞こえる。



教室に入って座席に着く、思った通り周囲の目が注がれる、視線で刺し殺されそうな気持ちだ、いっそ刺し殺してくれればいいのに。自分が犯したミスだ、甘んじて受けよう…そう何度も自分に言い聞かせるが、納得できるような槍の数ではない。



『さっくらっざかぁーーーー』



リズミカルに龍一を呼んだ吉田が駆け寄って来て、大きな声で言った。

『この学校で隆斗高校落ちたの桜坂とB組の本明(ほんみょう)だけなんだってさ、有名人ジャン!スゲーな!わはははは』



龍一の心を逆なでするような爆弾発言、のちの日本で「(K)空気が(Y)読めない」をKYと呼ぶ言葉として流行りそうな台詞をデカい声で言った、爆笑付きで。周囲は凍り付いた、龍一は知らなかった事実だが、この静けさは全員が知っていたと察した。ろくに言葉を発せず、かといっていじめられっ子でもない、むしろキレさせたらヤバイ奴で、危ないヤツと付き合いがあるくらいに思われていた龍一なのだから、吉田が殺されるとさえ思ったのかもしれない。



数秒経過したのち、吉田の顔が噴き出した龍一のツバだらけになった。

『ぷはっははははははは!そうなの?2人だけなの?俺バカだからなぁ』



どうにでもなれと思って大きな声でそれを言った。

『知ってる!わははははは』

続けて吉田も追い打ちをかけると2人の笑いは徐々に周囲を巻き込んでクラスが爆笑の渦と化した。



こんな光景初めて見た気がする…



『いやぁ実は色々あってさ、カンニングとみなされて一時限目のテストの点数しかなかったのよ俺、それでも3点くらいだと思うけど、はははは』



『え?まじで?俺なんかその話聞いたよ、桜坂だったんだ』



普段話をしたことのないクラスメイトが話しかけてきた。



『俺も先輩に聞いた、受験でカンニングした根性ある奴お前のクラスらしいなって』



『違う違う、筆箱をね…』



『あーやっちゃうやっちゃう』



『あるよねー』『うんうん』



男女入り乱れて龍一の周りで受験あるある大会が繰り広げられた。龍一がふと気づいた、自分がクラスの真ん中にいる事を。別に望んではいなかったが、今の状況をとても心地いいと感じた、ずっと心に抱えていた孤独感が消え去った気がした。だが今まで裏切りを何度も経験したので、疑心感は拭い去る事は出来ない。でも、今、本当に龍一の周りに笑顔が溢れていた、受験失敗と空気をぶち壊した吉田、この化学反応がクラスと龍一の距離をちょっと縮めたのだった。



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とは言ってもいきなりクラスメイトが一緒に帰ろうぜなんて事はなく、一人で下駄箱へ向かう龍一。むしろその方が気楽だった、突然みんなが寄って来ても自分が対処できる自信が無いからだ、今が変わっていくなら少しづつでいい、そう思うのだった。



『桜坂くんだよね』



世捨て人の様な龍一だが、声だけはよくかけられる。

振り向くとなんとなく観たことがある程度の男子生徒だった。



『そうかもしれないけど誰?』



電話ばかりではなく、初対面にもなかなかガードが堅い龍一。



『あ、ごめん失礼だよね、俺B組の本明(ほんみょう)』



『そっか、それは…ええ、どうも』



『隆斗落ちたの俺たち2人なんだよね、仲良くできたらと思って』



『2人で落ちたから仲良くしようって意味わからんけども…』



そう言いながらも本明の差し出した右手を軽く掴んで握手した。その姿は細くてガリガリで、ご飯食べてるのか?と思う程。人に声をかける事の勇気がどれほどのものか知っている龍一は、そのガリガリの姿を見てついつい意味不明な言葉がでてしまった。落ちたから仲よくしようってのは意味がわからないと言ったその口も乾かないうちに…



『がんばれよ』



何をだ…自分で自分に1秒でツッコみたくなる程おかしな言葉だった。それはもう彼の容姿を見てでた「哀れみ」でしかないとさえ思った、何と言う失礼な言葉をかけてしまったのだろうと思いなおすと、キョトン顔の本明にすぐにもう一度言葉をかけた。



『受験…公立もあんじゃん、俺も頑張ってみるし』



『ありがとう、俺は頭悪いから無理だと思うけど』



『やる前から無理って言うなよ、面白くねぇじゃん』



『そうだね、やってみるよ』



また1人、変な奴が寄って来たな…と思うと、自然に笑みがこぼれる龍一。それを見たクラスメイトの女子が声をかける『何笑ってんの?龍一くん』『い、いや、はは』『わらってんじゃん』『笑ってないって』『いやわらってるし』



いつもの日常がちょっと変わった気がした。
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