Hope Man

如月 睦月

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小学校編

カツラ妖怪

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龍一が保育園から帰って来ると、斜め向かいの家の山倉(やまくら)さんの家の開けっ放しの玄関に自分の家のように上がり込み、『ただいま~』と言うと、真っ黒なダイヤル式の電話の横にある鍵を握りしめた。
これは近所づきあいの一種で、鍵は山倉さんの家に預けていると言うことである。

龍一は立ち止まり、黒電話が服を着たように毛糸で編まれた姿を見つめ、ダイヤル部分の丸く縫われた蓋をペロリとめくる。当然ダイヤルが顔を見せるので、パタリとその蓋を閉じる、特に意味はない。

静かに鼻歌を歌いながら黒電話が上がっているサイドボードの中を覗くとヤクルトの飲んだカラの容器をボディにして毛糸で縫われた『謎の人形』が目についた。ボタンを眼球に見立てて作られたようだが、左右のボタンが違い、更に段差もあって恐怖すら感じる。

ブルっと身をすくめた龍一はさらにサイドボードの中身を観察すると、唇を突き出して目を閉じ、立っていられるのが信じがたいポーズの女の子の人形があった、木の実を半分に割って作ったブラジャーを胸にあてがい、腰には藁が巻かれている。髪の毛はボサボサでピンクの口紅もはがれ落ち、龍一は妖怪が生気を吸っている姿を人形にしたものだと思っていた。

ここまでの一連の行動は実は龍一のルーティーン、いつもサイドボードを覗いては、その謎めいた人形たちに身震いするのだ。
その妖怪の横には綺麗なガラスの器に色とりどりの包み紙に包まれたチョコレートがあった、龍一の家では年に一度お目にかかれるか否かの代物、まさに超高級品なのだ。音を立てないように静かにサイドボードのガラス戸をスライドさせて開け、赤く輝く包みのチョコレートを1つ握りしめた。
当然窃盗行為ではあるが、オープンな街のおかげで、人の家から勝手にお菓子を持っていくのが悪い事だとはまだ知らされていなかった。
いつも『いいよ、持っていきなさい』と言われるのも教育上よろしくないようで、小さな犯罪者を育ててしまったようである。しかし実際は山倉さんは『持っていきなさい』と言う意味でチョコレートを置いている、サイドボードを覗くルーティーンを知っていたのである。

自宅の鍵を開けて、急な階段を両手両足を使ってトカゲの様に登る龍一。

保育園が終わるのは午後2時頃、お弁当を食べて遊んだら帰る時間となるわけで、帰って来ると丁度のタイミングで何かを食べたい。
山倉さんのチョコレートでは物足りないのだが、かと言って園児に出来る事は台所周辺を探すことくらいだ。いつも見つけるのは”出汁昆布”で、ちょっとだけパリンと割って口に入れる。
顎の付け根がキーンと来るほどの塩気が襲って来るが、それを乗り越えれば磯の香りが口いっぱいに広がり、昆布からでた粘りが何とも言えない”おやつ”となるのだ。しかし少々おやつと呼ぶには味もそうだが身体にも大人っぽいわけだが。

それでも物足りない龍一は冷蔵庫と言う白い宝箱を開ける、粘りを感じた音と呼ぶには説明し難い音がする。赤い色が透けたビニール袋を見つける、いつもの場所にそれがあるので龍一は当然のように手に取る。
その中身は赤ウインナーだ、全てが皮でつながった赤ウィンナーを1つ引きちぎり、数ミリ単位で噛みちぎる。龍一にとってはこの食べ方をするのが生きる手段となっているのだ、母親が帰宅するには少なくとも3時間近くある、それをこの赤ウィンナーで凌ぐのだ、ちょっと噛んで長く噛む、呑み込まずに口にずっと入れている、そう、飢えを凌いでいるのだ。

龍一が辿り着いたサバイバル術なのだった。

ガラガラガラ

『おーっ』

例えばアイスコーヒーをナイスコーチと誤魔化して音階だけ似せたら、アイスコーヒーに聞こえるのと一緒で、今の『おーっ』は『ただいまー』なのであった、それを奏でたのは四男である兄、弥生 潤一だった。先生はおろか、学校が恐れる不良番長は意外にも学校が終わるとすんなり帰って来る。お腹がすくからだ、夕飯を済ませると出ていくわけだが。

龍一は若干潤一が苦手だった、それは・・・

部屋に荷物を置いた潤一はニヤニヤしながら母親の箪笥の下から2段目を少しだけ開ける、龍一は気づかずに赤ウィンナーをちびちびかじりながら妖怪大百科を読んでいた、潤一はゆっくり近づき龍一の本の上に真っ黒い塊を投げつけた。

龍一はギャ!!!!と悲鳴を短くあげてトイレに逃げ込み鍵を中からかった。潤一が投げつけたモノは母親喜美のカツラだった。喜美は薄毛だったり禿があるわけではない、保険会社にはオシャレな同僚が多いために購入したものだった、当時の保険のセールスレディはオシャレが基本だった、その後に使われる言葉でセレブと言うのがしっくりくるだろう、どういう訳かはわからないが保険のセールスレディはオシャレだった、今思うと金回りが良かったと言うのがその種明かしかもしれない。
だが、父親の稼ぎが良いわけでもないので、桜坂家のセールスレディの稼ぎは生活費となっている。

私はそのカツラがとても怖かった、妖怪大百科に掲載されている数々の妖怪の中に髪の毛だけの妖怪が居たからだ、この頃から龍一は脳みそが少しファンタジーに侵食され始めていたのだった。『妖怪』にとても興味があり、園児の私は本当にいると思っていた。だから現実との区別が若干つかない事もままあったのである。怖がりのクセに妖怪が好きと言う悪しきスパイラルは龍一を少しづつ飲み込んで行くのだった。

夕食を待たずに潤一がでかけ、誰も居なくなった桜坂家。
いつものように独りぼっちの龍一は薄暗くなってきた部屋の電気をつけるために、椅子を持ってきた。その椅子の座る部分はドーナツ型でビニールを張り付けたような貧祖な作り、あちこち破れて薄っぺらいスポンジが飛び出している。無骨に曲げて湾曲させた2本のパイプをクロスさせ、ネジ止めしただけの簡素な椅子を使い、よじ登る。
椅子の足は錆びあがっているので、手に付いた赤い錆の匂いを嗅ぐと血の匂いがした。
気になって何度も臭いを嗅ぎながら椅子をよじ登り任務を遂行した。

明るくなった部屋、箪笥の下から2段目をじっと睨み、台所から持ってきた火ばさみを握って近づいた。何度か深呼吸を重ねると、意を決してその引き出しを開けた。黒い髪の毛の塊が悍ましい姿を現す、まるで生きているかのように見える龍一は火ばさみでその魔物を掴み、トイレに捨てて討伐した。

『いえーい!』

この時龍一は重大なミスを犯す、そう、水を流し忘れたのだった。

モンスターを討伐した事で歓喜し、止めを刺すのを忘れた勇者龍一は、うんこだらけになったカツラ妖怪をトイレで発見した中ボス喜美に捕まり、こっぴどく叱られるのだった。

その夜、中ボスに通報を受けたラスボス康平のビンタで龍一は倒されるのだった。
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