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1 婚約者の恋慕の相手は妹でした
しおりを挟む「レティアナ、僕は君との婚約を破棄したいんだが……」
「え……?」
婚約者が突然そんなことを言い出した。
私は持っていた紅茶のカップを取り落としそうになり、すんでのところで握り直した。
中身の紅茶は幸い取りこぼしはしなかったが、まるで私の心を表したかのように波打っている。
何も前兆はなかった。それがなぜ突然婚約破棄を打診されなければならないのだろう。
何度考え直しても思い当たる節がなく、私は内心の動揺を隠して婚約者に問いかける。
「ヴィル、それはどうしてかしら」
努めて冷静に問いかけると、婚約者はものすごく居心地が悪そうな表情をする。ものすごく話しづらそうにしているのが伝わってきた。
けれど私としても理由を知らなければ対処ができない。そのまましばらく黙っていると、観念した様子の婚約者が躊躇いがちに口を開いた。
「私は君との婚約に納得していたんだ。もちろんその将来を前向きに考えていたよ。私は君の婚約者で、お互いに恋愛に発展することはなかったけれど……将来の永きパートナーとしてやっていこうと思っていたんだ。けれど……私は知ってしまったんだ。恋というものを。自分では制御できないこの感情をもうどうすればいいのか分からない!」
感極まって胸を抑える婚約者。気の所為ではないと思うが頬が赤くなり、琥珀の目を潤ませている姿は成程、確かに誰かに恋をしている姿とも言えなくない。
はじめから婚約者がいた私には本当の恋愛というものを経験したことがない。だから婚約者が今どのような気持ちを持っているのかは知り得ない。少なくとも、私にはもう気がないのだな、ということは理解した。
「私はもうこの気持ちを抑えられないんだ。こんな気持ちを抱いたまま、誠実な君との婚約を続けるのは不謹慎だと思ったんだ。だから……」
「私との婚約を破棄したい、とそういうことなのね」
「ああ……。本当に済まない」
心から申し訳なさそうに謝るヴィル。
少しくすんだアッシュブロンドに、切れ長の琥珀の瞳。今はその瞳は睫毛に伏せられて見ることができない。
端正な顔立ちは決して目立つようなものでは無いけれど、その素朴さと優しい性格が私には好ましく、彼となら幸せな家庭を築けるだろうと思っていた。
小さな時から決められた婚約者。家族のように育ったので、お互いに恋愛に発展することは無かった。
しかし将来の良き伴侶として信頼し合えるくらいの愛情はあった。
少し心が痛むけれど、彼に好きな人ができたというのなら、素直にそれを応援するのが私の役目だろう。
「いいえ、素直に口にしてくれてありがとう。貴方の心が既に決まっているのなら、私がこれ以上言うことは無いわ。私はそれを応援することにしましょう」
まだ内心の動揺は抑えきれていない。
けれど、それよりもヴィルの恋を応援しよう。
心からそう思ったフリをして私は無理やり笑顔を浮かべる。
「そうか、本当にありがとう。レティアナ……済まない」
目尻に涙を浮かべるヴィル。そこに浮かんだ表情は何ともいえなくて、本当に悩みに悩んで出した答えなのだろう。
その苦悩を少しは汲み取れた気がして、私もいたたまれなくなった。
「でもそこまで思い悩むなら私に相談してくれれば良かったのに。なぜ相談してくれなかったの?」
婚約は親に決められたものだが、どちらかに好きな人が出来れば融通くらいはつけられたはずだ。なぜそうしなかったのだろうか、と疑問を口にすると彼は何故か固まった。
「それは……」
もごもごと言い募る彼の姿をじっと見つめる。
何か理由があるのなら話して欲しい。そう思っていると、彼は長い迷いの末、口を開いた。
「それは、私が恋をしたのは君の妹ラティシアだからなんだ……」
――やっぱり、そうなのね。
心のどこかでそう思っていた。
彼の答えに私は知らず、声なき声でそう返していた。
ラティシア・ライト・エヴァンヌ。
魔法を司る名家に生まれながら、魔法が使えない不出来と呼ばれた私とは違う、美貌と才能を兼ね備えた誰からも愛される妹。
魔法に秀でたエヴァンヌ家で『光の再来』と呼ばれた妹ラティシアは巧みな魔法の使い手であり、可憐な美貌で社交界を賑わせる、まさに才色兼備な美少女だった。
魔法がろくに扱えず、両親からの期待を裏切った私とは違う。私は誰からも必要とされない不出来な姉。
――ヴィル。貴方も、私を必要とはしてくれないのね。
「そう、わかったわ。両親には私から伝えておくから」
「ああ……」
無理やり貼った笑顔でそう答える。
ほっと安心した表情を浮かべる彼を安心させるために、そうすることしかできなかった。
それでもズキズキと傷む胸に、私は今度こそ気づかないフリをした。
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