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 俺とメリアとカリメロが軽く朝食を済ませて自室に戻った頃、他の従業員も出勤し始めた。あれほど静かだったレストランが、一気に人の声や作業の音で賑わいだす。
 皆が準備を始める中、急いで俺も自室に戻り、仕事用のスーツに着替えた。
 実質十五分もかからずに着替え終わり、大広間へと降りると、すでに着替えを終えたメリアが従業員に指示を出している所だった。レストランで作業する服装ではなく、純白のロングスカートに黒のブラウスという、いかにも外出用の服を着ていた。

「今日は予約が三件あります。昼に二件、まず時計屋のランタナさんです。ランチコースを予約されています。羊肉が多く仕入れてあるので、コンソメベースでキャベツと一緒に煮込んだスープをメインに入れてあげてください。くれぐれも甲殻類は混ぜないように。あそこの息子さんはアレルギーがあります。もう一件は修道院のボネットさんです。彼女は一人での予約なので、こってりした物が食べたいということでしょう。分厚いステーキを提供してください。はい、なるべく視覚的にも肉を感じられるようなものを。お酒はダメです。あとで修道院から注意の電話が来てしまうので。いくら懇願されても断ってください。もしボネットさんが暴れ出したら、マグナムを呼んでください。彼なら止められると思います。夜の予約は五人で新規です。ディナーのコース料理をご所望なので、こちらは魚を中心に上品なものを選りすぐっていきましょう。ムール貝の酒蒸しなどあっても良いかもしれませんね」

 一通りの指示を終え、一呼吸を置くと、少し離れた所でメリアを見ていた俺の方へと近寄ってきた。
「お待たせ。支度、まだ数回なのに手慣れてるわね。もう少し待たされるかと思ったわ」
「凄いだろ? 一度やれば覚える。アンドロイドのなせる業さ」
「でも、今日もその服なのね。買い出しに行くから、もっとラフな格好で良いのに」
「純粋に服がない」
「なら、プロトの服もついでに買っちゃいましょうか。今日の仕事はみんなに任せることにしたから、一日ゆっくりと町を案内するわ」
「良いのかよ、半日ならともかく、急に休みなんか貰って。しかも新人の俺まで」

 少し気が引けて厨房に目を向ける。
 調理中のスタッフは皆して親指を立てて笑っていた。
「新人の内に休みは謳歌しておけ! 重鎮になったら、重要人物すぎて休みが貰えなくなるぞ! だから俺はいまだに皿洗いで我慢してんだ」
「テメェはいつまでも皿洗ってないで魚の処理をしろ!」
 笑顔で皿洗いをしていたシェフが、隣にいた年上のシェフに思い切り殴られた。
 涙目になりながらたんこぶを携えた彼は、魚をすさまじい速さで三枚におろしていた。下っ端に見えるけど、それでもあの手際はいつ見ても恐れ入る。

「うちのスタッフ優秀すぎるから、私ものんびりさせてもらえて嬉しいわ」
 自慢げに胸を張るメリアに、シェフらも満足げだった。
「ただ、昼に予約してくれたボネットさんが暴れるのはほぼ確実だから、町でマグナムさんを見かけたらレストランに召集かけてくれませんか?」
 たんこぶの彼がメリアに頼んだ。

「昼の予約にゴリラでも来るのか?」
「うん」
 ふざけてメリアに聞いたら、真顔で頷かれた。
「マジかよ」
「まぁゴリラはさすがに言い過ぎだけど、修道院のボネットさんは中々に強い女性なの。私も小さい頃、よく護身術とか教わったわ」
「修道院だよな……?」
 修道院は、たしか神を信仰している施設で、そういった暴力や腕力とは遠い存在のはずだが。
「彼女、元々が元気な性格だから、修道院の生活に慣れないんでしょうね。こっそりレストランに来てくれて、がっつり肉とかお酒を食べてくれるの。あそこは食事も質素なものが多いから」
 まだ見たことのない女性だが、俺の中でマグナムと同じような体格であることは確定してしまった。
「いつもはお酒もこっそり提供してたんだけど、先週飲み過ぎて、千鳥足で修道院に帰って行っちゃったのよ。それで、飲酒がバレて直々に注意が来た」
「怒られたのな」
「ううん。『酔って暴れたボネットを止められる人間が修道院にいないから、酔わせないでください』って頭を下げられたわ」
 その時のことを思い出したのか、メリアは少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。

「彼女……泣いていたわ……」
「俺が最初に鎮圧する相手は、そいつかもしれないな」
 よほど修道院に被害を及ぼしたのだろう。まだ見ぬ彼女らの苦労が伺えた。

「というわけだから、今日は調味料や備品の買い出し、マグナムへの業務連絡を先に終わらせて、それから街を探索するから」
「分かった」
「じゃあ、行こっか」
 レストランの扉を開けると、ちょうど朝日が目の前に来ていて目が眩んだ。
 少しだけ、わくわくした。



 自分の部屋から見える町も広かったが、歩いてみるとその広さは途方もないものに思えた。
 レンガ調に舗装された道を、街路樹が囲んでいる。今は青々とした葉を蓄えた大樹だが、この木はたしか、春になると美しいピンク色の花を枝いっぱいに咲かせるものだったはず。まだ半年ほど先の話だが、見てみたいものだ。この通りはその花びらで包まれることだろう。
 大通りでは、馬車がいくつも行き来できるほどに広い道を、多くの人々が行き交っていた。
 
 その賑やかさたるや、レストランの非では無かった。知識として持ち合わせていた街の人口を、実際に感じて圧倒されてしまった。
「あら、どうしたのプロト」
「いや……情報では知っていたが、こうも人が多いと圧倒されるというか」
 メリアと話しながらも、行き交う人と時たまぶつかりそうになる。
 そんな俺を見て、メリアは意地悪そうな笑みを浮かべた。数歩先を歩くメリアが、クルリと俺の方へ振り返る。
「あら、護衛ともあろう男が、人ごみに恐れをなしたのかしら?」
「そういうわけじゃ無い」
「無理しなくていいのよ? はぐれそうなら、手を繋いであげても良いけど?」
 子供をあやすように言われ、それがどうしようもなく恥ずかしかった。
 
 どう言い返してやろうかと睨み返してやると、メリアの向こうに、大きな荷物を抱えた大きな男が近づいているのが見えた。見上げるほどの体躯の男が、自分の体くらいあるだろう立派な箪笥を一人で抱えている。足取りは至って安定しているが、全く前が見えていない。周りの人が自主的にその男を避けている中、メリアはこちらを向いているので気付く気配は無かった。

 ぶつかる。

 すかさず、メリアから差し伸べられた手を握り、一気に自分の方へ引き寄せた。そのまま、よろけるメリアの体を抱きとめ、道の横へ躱した。

「危ないだろ! ちゃんと前が見えるくらいの荷物を持てよ!」
 通り過ぎる男に怒鳴りつけると、男は持っていた箪笥をその場に置いて、こちらへと向き直った。その男は屈強でいて迫力のある体格とは裏腹に、軽快な笑顔でこちらに駆け寄って来る。

 そして、聞いたことのある声で話しかけてきた。
「おっとすまねぇ! 急いでいたもんでな。怪我は無かったか……って、プロトじゃねぇか」
「お前かよマグナム。でかい箪笥を一人で抱える馬鹿力な男がいるなと思えば」
「そんな馬鹿力な人間、この街には俺一人だぞ」
「たしかに、そんな人間はマグナム一人で十分だ」

 こちらが知り合いだと知ってマグナムも安心したのだろう。いつもの大きな声で俺と笑い合った。だが、笑って済ませるだけではいけない。改めて表情を真面目にし、マグナムに念を押す。
「今回は俺がいたから良かったものの、危うくメリアを吹き飛ばすところだったんだぞ。急ぐのも仕方ないが、安全に頼む」
「おう、気を付けるさ! 俺も、二人のデートの邪魔して悪かったな!!」
「デートじゃねぇ。ただの買い物だ」
「ただの買い物……ねぇ」
 珍しく奥歯に物が挟まったような言い方をしていたが、特に何も言うことなくマグナムは頷いていた。
「まぁいいや。俺も急ぎの用の途中だから、先に行かせてもらう! 楽しい買い物にしろよな!! がっはっは!」

 マグナムは大振りに手を振り、そのまま箪笥を肩に担ぎ上げて走り去っていった。まるで発泡スチロールを持ち上げるかのような素振りだったが、本来なら数人で持っても走れる代物ではないだろう。
「あいつ、もしかしたら俺より強いのかもしれないな……」
 あいつが悪い奴じゃなくて本当に良かったと思う。

 一段落して、メリアを離した。さっきまでの威勢の強さはどこに行ったのか、口数を極端に減らして固まってしまっている。
「どうした。どこか怪我したか?」
「いや、その……ちょっとビックリした」
「まぁな。あんな巨大な男が突っ込んでくれば、誰だって驚くさ」
「それもあるんだろうけど……」
 俺は間違って、メリアじゃない別の女性を抱き寄せてしまったのではないか?
 そう思えてくるくらいに、メリアは挙動不審になっていた。

 ……原因は、唐突な俺との接触だろう。
 いやまぁ、確かに俺は比較的端正な見目形で作られているため、対応によっては女性から意識されるのも仕方ないものだと理解はしている。それが嫌なわけではないし、むしろ好印象を持たれて嬉しい。今だって、護衛主であるメリアが俺の事を多少なりとも意識してくれてるようで、悪い気はしないのだ。
 しないのだが……。
 
 俺の心配をよそに、メリアは仄かに微笑んでいる。普段の快活な面を見ているからこそ、この表情に稀少価値を感じた。
「急に手を引かれて、ビックリしたというか……」
 可愛いことを言ってくれる。
 だが、それを手放しに受け止めてはいけないのが、アンドロイドである俺なんだ。
「乙女みたいな反応するなよ。たかが一瞬の出来事だろう?」
 急にしおらしくなったメリアの腰を抱き、強引に引き寄せた。
「ちょ、プロト!?」
 
 まるでフォークダンスでも踊るかのような格好に、行き交う人が冷やかしの声を上げた。周りの視線に気が回り始めたメリアは、もはや混乱して目を回している。高熱を帯びた頬は赤み差し、声も裏返り、震えていた。
「何をしてるか分かってる!? 街中よ!?」
「あぁ、分かってるさ」
 メリアの耳元で囁き、そっと手を離した。

 ふらついたメリアが、俺から少しだけ距離を取った。
「何してるのよ……プロト……?」
「俺はメリアの手を引いただけだ。そして、腰を抱いた。ただそれだけ」
 気が動転しているのだろう。何か言っているが、言葉になっていなかった。
 そのまま棒立ちのままのメリアの前に膝をつき、いつの間にか砂が付いたスカートを優しく叩いて綺麗にしてあげた。
「俺はただ、メリアが危険だと判断したから手を引いただけだ」

 立ち上がり、メリアの火照った頬を少し強めに手で挟んだ。熱っぽさも相まって、搗きたての餅を彷彿とさせる。
「俺の行動の殆どは、ただインプットされた防衛行動に過ぎない。そもそも恋愛感情を持ち合わせていない俺が過度な接触をする時は、そうせざるを得ない危険な状況に陥っている場合が多い。今だって、俺が手を引かなければメリアは怪我をしていただろう」
「それは感謝してるけど……」
「そんな時に、一々感情を昂らせて動きを鈍らされても困るんだ。だから、俺のこういう行動にも慣れてくれ。シートベルトを締めただけで、ときめいたりしないだろ」

 メリアの頬から手を離す。心なしか、不機嫌そうに膨らんでいた。
「なんか私だけ馬鹿みたいに緊張したって言いたげね」
「言いたいことが伝わってくれて助かるよ」
「無駄に一回抱き寄せたくせに」
「それをしても、俺にはドギマギする感情は湧いてこなかった。サンの設定が正常だった証拠だ」
「それは本当に正常なのかしらね」

 しっかりと不機嫌になってしまったメリアは、まだ火照る頬を手で仰ぎながら、スタスタと歩き出した。何となくバツが悪いので、俺はその数歩後ろを歩くことにする。

 そして、歩きながら自分の胸に手を当ててみた。心臓部分が、普段と何も変わらない鼓動を奏でている。
 抱き寄せたメリアの鼓動は、こんなものでは無かった。握る手は熱く、抱き寄せた肩は小さく震え、仄かに甘い香りもした。
 それに対して、俺は何も感じない。守らなければ、とは思った。
 もし俺に恋愛感情があれば、もっと違う風になっていたのだろう。

 その時は、生き物として正常でも、俺としては異常なんだ。

「おい待てよ、歩くの早いって」
 先を行くメリアに駆け足で寄っていく。
「ごめんって」
 軽くかけた言葉に、目的語を付けるなら、俺は何と言うのだろうか。
 なんて、人間みたいに考えながら、メリアの隣を歩くのだった。
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