遠響の魔女エクラ

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遠方へ嫁ぐ娘

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 その日、ハガンの森の屋敷では、朝っぱらから皆が頭を抱えるような事態が発生していた。
 ハガンの長男エルデミルの許嫁と名乗る娘が、たった一人で供もなく小さな革袋一つ背負っただけで到着したからである。
「………娘?」
「その、声を聞く限りでは、……多分…?」
 声変わり前の男じゃないよねアレ、と屋敷のお女中や下男らにひそひそされる中、エクラは「そりゃオメー、徒歩で半月かけて山三つ越えて着の身着のまましかも旅装束って話ならこうなるに決まってんだろが何言うとるんじゃコイツら」と野良着に毛の生えたようなというか、ずだ袋その他を余分にまとったような姿でふんぞり返っていた。山野で寝起きし虫の襲来や木の枝の跳ね返りを防ぎ風雨や霜を流し落としつつ避ける仕様は、色といい質感といい、さながら人間型のミノムシである。

 しかし実は『集落』からここまで四日もかかっていない。差分は村の偽装工作と移住のためだ。
 一般的な馬車なら十日はかかるが、集落の連中は山そのものと「響く」ゆえに野の獣に襲われる用心も水や食料の確保・運搬も要らず、道に頼めば障害物もなくここまで自動で運んで来てくれる感覚でいる。一部の崖は馴染みのクマとその親戚に運んでもらってショートカットしたが、そこだけは緊急時ゆえのチート仕様だった。
   よってエクラの珍奇な格好も別に実用的でも普段使いでも何でもなく、状況から想定されることを見よう見まねでまとめただけの要はコスプレだ。虚仮威しの必要がない素のままなら、嵐やどしゃ降りの中でも寝間着一枚でやって来られる距離でしかない。

「半月!?女の足であの道をか!?」
 これが遠響の魔女、と思わず漏れた誰かの声に、誰が「魔」女やと食らわすどオンドレ。とぐるぐる巻きの砂埃よけショールの下でエクラは顔をしかめる。
 ぶっちゃけ顔隠しも要らないが、心配性のおかっぱ娘アイラに、行き先にはロクな布も無かろうと持たされたからである。
 まあ確かに、と取りあえず出てきたっぽい全員を見渡した彼女は思う。
  「響く」ことを何代も前に手離した彼や彼女らの、つまり身分からの仕分けや手にした財力や慣習や流行りに従って実用と装飾のバランスを取って山中とはいえ豪壮なこの館に相応しくしつらえられた使用人たちのお仕着せや、いかにも身分の高い者らしい雰囲気にまとめられた衣装は、彼女から見たらまるでなっちゃいなかった。
 色ばかり鮮やかな染料はどれもこれも質が悪い。いいものもたまにあるが少なくとも薬のクオリティではない。よくても着る者の体調に合っていない。なんで生理痛や婦人病に効く赤根の染めものを屋敷の主人のおっさんが首に巻いてんだか全く意味不明である。お前に合うのは肝に効く黄根じゃねえんか。その襟巻きは後ろに立ってる黒服の姉ちゃんに巻いてやれや、どう見ても血の気足りてねえぞと思う。
    彼女にとって服は薬でもあり「響く」ための助けであり、肌身にふれて快適なことが最優先だ。なのにこの連中ときたら。
   優先順位がこの屋敷の主人の好む見た目だということは分かるが、女の腰をあそこまで縛り上げたらおそらく冷えて難産になる。靴など論外だった。外歩きの形をしていないのに立ちっぱなしの若い女が何人もいる。
 …こりゃあ面倒なとこに来てもうた…。
 相性かー、と彼女はおそらく番うだろう相手を見やる。
 くすんだ髪色に輪郭のはっきりしない、猫背ぎみの若い男は、彼よりも背の低い猪首の男の少し後ろに控えていた。
 彼らの顔立ちはそれなりに似ている。が。
 なるほど、捨て石か。
 屋敷の規模と許嫁の若者を見比べたエクラは、そう納得する。通常ならばこの年の娘の婚約者に対する感性でも感想でもないだろう、どちらかというと軍の参謀か諜報機関が冷徹に取引相手の状態を見定める折りのソレである。
    エクラは辺りの当惑や緊迫には目もくれず、山の斜面の迫る館の形と規模に目を配った。
   「響く」ことから離れた雑多な人の気配の多いぶん、集中するのに手間がいるが、街中ほどではないのは正直ありがたい。それはともかく。
 自分は跡取りの妻に所望されたはずだが、その跡取りの扱いが相当に悪いのは事前に想定していた。自分がこのあと毒殺などされて跡取りが後添いを得たとして、この立場の女が最初の妻というのは「こいつら」の感覚では分が悪いはずだ。
 この館がハガン家の別荘のうちの一つで本宅ではないことは行商連中から得た事前の話で確認済み、婚約がここで婚礼が本宅の可能性もゼロではないにしろ、物資の動きからして近々のことでもなさそうだとの報告も得ている。
    何より、若い男に対して屋敷の主らしき猪首の男から臭うのは「隙あらば廃嫡!!」の気配であった。
 こりゃー、本宅にいる若い愛人に跡取り候補とか生まれてんじゃね。
 こっちに連れて来てる感じはないな、と手入れのいい乳幼児の気配のないことを聞き取った彼女は、さて流行病(仮病)の件をどう伝えたもんかな、と思案する。
    その様はどう見ても嫁とりに応えてはるばるやって来た新妻ではなく、単独で敵地の偵察と制圧、もしくは投降の説得にきたゲリラ側の使者じみていた。

「…ぜ、全滅…?村ごと…?」
 あちゃー、こりゃやりすぎたか。
 とエクラは文字通りドン引くハガン側の面々を、たぶんこれ森関係、たぶんこれ家令、たぶんこれ若旦那の側用人、とアタリをつけながら見渡していく。
 空気に飲まれて青ざめながらも足を踏ん張っている粗末ななりの娘と、野良着の女に『集落』と似た気配を肌で感じた。馴染むとするならここからだろう。
「まぬがれたのは私だけじゃけ。他あ穴ぁ掘って埋めてある。一年は寄るな、感染る。知らせは出したが、その先でも感染ったか知らんでな」
    そう言われた屋敷側の集団の脳内に浮かんだのは、バタバタと業病に倒れ葬儀も埋葬も間に合わず腐りかけた身内の遺体を、たった一人で巨大な墓穴に次々と放り込む目の前の人間ミノムシの姿で。
 ひ、と息を飲んだ黒いお仕着せドレスにひっつめの女が二人ばかり失神しかけて運ばれる。
     やっぱ貧血じゃねーかその襟巻きやれやオッサンと胸内で突っ込むエクラの前で、残った一同が無言で固まっているので、んー、と腕組みをしたままの彼女はあわよくばと言ってやる。
「ほんなら婚礼の話、ナシにすっかね?」

 「跡取りの許嫁」は、速攻で物置に隔離された。
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