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ぬらりひょんの憂鬱
ぬらりひょんの憂鬱 七
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「天気いいし、屋根上げて行こーよ」
「ばか言うな、この炎天下じゃ熱中症んなっちまう。さっきだって木陰があったからなんとかなったんだぞ」
「ちぇー」
ぬら氏と別れ、車に乗り込んだ俺と小梅は、どーでもいい話をしながらあるところに向かっていた。
助手席に乗った小梅は、ぶーぶー言いながらもご機嫌な様子だった。
行きは姿を戻していたのが不満だったんだろう。
「で、どこ行くの? お茶する?」
「お茶はあとでな。ちょっと調べることがあるんだ、中央図書館に行く」
「さっき言ってたこと?」
ああ、と俺は応え、赤信号で停止した。
「考えたら、ぬらりひょんの名前は普通の人間に知られるはずがないんだ。だって気付かれないんだから」
「ん、まぁそうよね」
「にも関わらず、ぬらりひょんの文献はそれなりにあるし、なんなら絵に描かれてもいる。過去にも俺みたいに見ることができる人間がいて、そいつが広めない限り、彼は超マイナー妖怪で終わってしまっていてもおかしくはないんだ」
「たしかに。でも、実際は総大将とまで言われちゃってたりするよね」
「今朝、さらっと調べたんだけどさ」
信号が青に変わり、一拍遅れて発車する。控えめだが乾いた排気音が、心地よく加速する愛車によく似合った。
「ぬら氏が人間に妖怪の総大将とか持ち上げられ始めたのって、ここ最近らしいんだよ」
「最近?」
「つっても、俺や小梅が生まれる頃には、すでにそうなってたんだけどな」
彼は最初、総大将だのなんだのと言われていたわけではない。
よくある怪異談として、なんかちょっと不思議なじーさま、くらいの言い伝えであることがほとんどだ。
そう言うと、小梅はこくん、と小首をかしげた。
「それがなんで、総大将とか言われるようになっちゃったの? やっぱり百鬼夜行の絵?」
「あの絵の元になった記述がどこかにあるかもしれない。それを調べに行こうと思ってるんだ。……どうもあのじーさん、ただ存在感がないってだけじゃないような気がすんだよなぁ」
小梅はふうん、と分かったような分からないような返事をして、俺の肩に頭をちょん、と乗せてきた。ええい可愛い。
やがて俺たちは“中央図書館”と書かれた門に車を向け、建物の中に入った。
「さて、ちょっと手分けしようか。小梅は向こうの棚、俺はこのへんの棚を探す」
「何を探すの?」
「そうだな……。妖怪や民間伝承、民俗学関係の本だ。時代は室町から江戸あたり。中身を確認しなくてもいいから、めぼしいやつをいくつか持ってきてくれ」
「おっけ。じゃ、あとで」
そう言って小梅はててっと小走りに棚の迷路に消えていった。図書館は走らないの。
俺は目に付いた本をいくつか手に取り、閲覧席に座った。
――それにしても。
と、資料をパラパラとめくりながら思う。
我ながら、よく分からないことになってるなあ、と。
きっかけは、20年前に人の姿に覚醒した小梅である。
最初、彼女の姿は、俺と祖母・キミにしか見えなかった。
当時はうちの近所で一人暮らしをしていた祖母だったが、その実家は神社で、元々いわゆる“見える人”だったらしく、俺もその血を受け継いでいたようだ。小梅は小学生の俺を相当気に入ったらしく、祖母の家に遊びに行くたびに出てきては一緒にいたずらして叱られたりしていた。
彼女が覚醒してしばらく経った頃、一度だけ祖母の実家に連れて行ってもらったことがある。
そこで俺の首の後ろに“印”を結ばれた時から、小梅は他人にも見える存在となった。
「いいかい、怜。この印は、元々ついてるアザの力を封じる、とても大事なものだ。消えるようなものじゃないが、怪我なんかして印が崩れると大変なことになってしまうから、気をつけるんだよ」
祖母は俺に印を結ぶ儀式をしながらそう言って穏やかに笑ってみせた。
「この印があると、あたしは怜ちゃんやキミちゃん以外の人にも見えるようになるの」
「マジで!? すっげぇ、オレにもそんな力があったんだ!」
「って言ってもそれはオマケの力。この印の本当の意味は別にあるんだけどね」
「ほんとうの、いみ?」
「まぁ、それは怜、あんたが大人になったらわかるじゃろ。分からずに済むならそれはそれでええ。……平和が一番じゃからの」
「……ふーん?」
「そうそう。それに、これからはずっとあたしが怜ちゃんのそばにいるからねっ。そんで、怜ちゃんの身長があたしより高くなったら、恋人にしてもらうんだから!」
それまで祖母の所有物だった小梅―つまり種子鋏―は、この日を境に俺が譲り受けることになった。
当時小学生で、小梅より20センチほど小さかった俺は、中学二年生の時に彼女の身長を追い抜くことになり、それ以来、最初で最後の恋人であり伴侶として、病める時も健やかなる時も「……ちゃん、怜ちゃん」おっと。
我に返って見上げると、後ろから頭越しに俺を覗き込む小梅と目があった。
「どしたの? なんかぼーっとしてたけど」
「ああ、悪い。……で、なんか見つかった?」
「とりあえず3冊ね」
そう言って俺に本を渡し、隣の席に座る。ツイツイと俺の椅子に寄せ、肩がくっつく位に寄ったところで、小声で話し掛けてきた。
「そんで、何か考え事? 真剣な顔してたけど」
「んー、小梅は初めてあった頃から変わらないなあってな」
「そりゃ付喪神だもん。人間とは違うわよ」
「そうだな」
「でも、変わったところもあるんだよ?」
「へぇ?」
「昔は怜ちゃんの方がちっちゃかったし、子供だったから、お姉さん的な感じだったじゃない?」
「まあな。随分甘やかされた覚えはあるよ」
「でも、怜ちゃんがあたしより背が高くなって、考えも大人になって。そのあたりから、今度はあたしが甘えっ放しだよね」
そういえば、いつの頃からか、立場が逆転したな。
それはつまり、彼女の精神年齢を俺が超えた、ということになるのだろう。
「ま、どんな関係でも、あたしが怜ちゃんを愛でるのは変わらないけどね」
そう言ってにしし、と微笑う彼女を見ていると、つい俺もつられてしまう。
「じゃあその小梅を愛でるためにも、やることはさっさとやっちまおう。ぬらりひょんに関する記述、何でもいいから見つけて俺に見せてくれ」
「はーい。……あ、早速あった」
「ん? ……これは」
小梅が見せてきたその一文は、知っていることとほとんど変わらない内容だったが、ただ一つ、
「……他人の家に上がり込むが、家人もそのあやかしを家長として扱ったりしていた」
と書かれていたのだった。
「ばか言うな、この炎天下じゃ熱中症んなっちまう。さっきだって木陰があったからなんとかなったんだぞ」
「ちぇー」
ぬら氏と別れ、車に乗り込んだ俺と小梅は、どーでもいい話をしながらあるところに向かっていた。
助手席に乗った小梅は、ぶーぶー言いながらもご機嫌な様子だった。
行きは姿を戻していたのが不満だったんだろう。
「で、どこ行くの? お茶する?」
「お茶はあとでな。ちょっと調べることがあるんだ、中央図書館に行く」
「さっき言ってたこと?」
ああ、と俺は応え、赤信号で停止した。
「考えたら、ぬらりひょんの名前は普通の人間に知られるはずがないんだ。だって気付かれないんだから」
「ん、まぁそうよね」
「にも関わらず、ぬらりひょんの文献はそれなりにあるし、なんなら絵に描かれてもいる。過去にも俺みたいに見ることができる人間がいて、そいつが広めない限り、彼は超マイナー妖怪で終わってしまっていてもおかしくはないんだ」
「たしかに。でも、実際は総大将とまで言われちゃってたりするよね」
「今朝、さらっと調べたんだけどさ」
信号が青に変わり、一拍遅れて発車する。控えめだが乾いた排気音が、心地よく加速する愛車によく似合った。
「ぬら氏が人間に妖怪の総大将とか持ち上げられ始めたのって、ここ最近らしいんだよ」
「最近?」
「つっても、俺や小梅が生まれる頃には、すでにそうなってたんだけどな」
彼は最初、総大将だのなんだのと言われていたわけではない。
よくある怪異談として、なんかちょっと不思議なじーさま、くらいの言い伝えであることがほとんどだ。
そう言うと、小梅はこくん、と小首をかしげた。
「それがなんで、総大将とか言われるようになっちゃったの? やっぱり百鬼夜行の絵?」
「あの絵の元になった記述がどこかにあるかもしれない。それを調べに行こうと思ってるんだ。……どうもあのじーさん、ただ存在感がないってだけじゃないような気がすんだよなぁ」
小梅はふうん、と分かったような分からないような返事をして、俺の肩に頭をちょん、と乗せてきた。ええい可愛い。
やがて俺たちは“中央図書館”と書かれた門に車を向け、建物の中に入った。
「さて、ちょっと手分けしようか。小梅は向こうの棚、俺はこのへんの棚を探す」
「何を探すの?」
「そうだな……。妖怪や民間伝承、民俗学関係の本だ。時代は室町から江戸あたり。中身を確認しなくてもいいから、めぼしいやつをいくつか持ってきてくれ」
「おっけ。じゃ、あとで」
そう言って小梅はててっと小走りに棚の迷路に消えていった。図書館は走らないの。
俺は目に付いた本をいくつか手に取り、閲覧席に座った。
――それにしても。
と、資料をパラパラとめくりながら思う。
我ながら、よく分からないことになってるなあ、と。
きっかけは、20年前に人の姿に覚醒した小梅である。
最初、彼女の姿は、俺と祖母・キミにしか見えなかった。
当時はうちの近所で一人暮らしをしていた祖母だったが、その実家は神社で、元々いわゆる“見える人”だったらしく、俺もその血を受け継いでいたようだ。小梅は小学生の俺を相当気に入ったらしく、祖母の家に遊びに行くたびに出てきては一緒にいたずらして叱られたりしていた。
彼女が覚醒してしばらく経った頃、一度だけ祖母の実家に連れて行ってもらったことがある。
そこで俺の首の後ろに“印”を結ばれた時から、小梅は他人にも見える存在となった。
「いいかい、怜。この印は、元々ついてるアザの力を封じる、とても大事なものだ。消えるようなものじゃないが、怪我なんかして印が崩れると大変なことになってしまうから、気をつけるんだよ」
祖母は俺に印を結ぶ儀式をしながらそう言って穏やかに笑ってみせた。
「この印があると、あたしは怜ちゃんやキミちゃん以外の人にも見えるようになるの」
「マジで!? すっげぇ、オレにもそんな力があったんだ!」
「って言ってもそれはオマケの力。この印の本当の意味は別にあるんだけどね」
「ほんとうの、いみ?」
「まぁ、それは怜、あんたが大人になったらわかるじゃろ。分からずに済むならそれはそれでええ。……平和が一番じゃからの」
「……ふーん?」
「そうそう。それに、これからはずっとあたしが怜ちゃんのそばにいるからねっ。そんで、怜ちゃんの身長があたしより高くなったら、恋人にしてもらうんだから!」
それまで祖母の所有物だった小梅―つまり種子鋏―は、この日を境に俺が譲り受けることになった。
当時小学生で、小梅より20センチほど小さかった俺は、中学二年生の時に彼女の身長を追い抜くことになり、それ以来、最初で最後の恋人であり伴侶として、病める時も健やかなる時も「……ちゃん、怜ちゃん」おっと。
我に返って見上げると、後ろから頭越しに俺を覗き込む小梅と目があった。
「どしたの? なんかぼーっとしてたけど」
「ああ、悪い。……で、なんか見つかった?」
「とりあえず3冊ね」
そう言って俺に本を渡し、隣の席に座る。ツイツイと俺の椅子に寄せ、肩がくっつく位に寄ったところで、小声で話し掛けてきた。
「そんで、何か考え事? 真剣な顔してたけど」
「んー、小梅は初めてあった頃から変わらないなあってな」
「そりゃ付喪神だもん。人間とは違うわよ」
「そうだな」
「でも、変わったところもあるんだよ?」
「へぇ?」
「昔は怜ちゃんの方がちっちゃかったし、子供だったから、お姉さん的な感じだったじゃない?」
「まあな。随分甘やかされた覚えはあるよ」
「でも、怜ちゃんがあたしより背が高くなって、考えも大人になって。そのあたりから、今度はあたしが甘えっ放しだよね」
そういえば、いつの頃からか、立場が逆転したな。
それはつまり、彼女の精神年齢を俺が超えた、ということになるのだろう。
「ま、どんな関係でも、あたしが怜ちゃんを愛でるのは変わらないけどね」
そう言ってにしし、と微笑う彼女を見ていると、つい俺もつられてしまう。
「じゃあその小梅を愛でるためにも、やることはさっさとやっちまおう。ぬらりひょんに関する記述、何でもいいから見つけて俺に見せてくれ」
「はーい。……あ、早速あった」
「ん? ……これは」
小梅が見せてきたその一文は、知っていることとほとんど変わらない内容だったが、ただ一つ、
「……他人の家に上がり込むが、家人もそのあやかしを家長として扱ったりしていた」
と書かれていたのだった。
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