上 下
3 / 7
Episode.2

特別は作らない①

しおりを挟む


──── 裏社会に身を置く桐生家に生まれた俺は、何不自由することなく生きてきた。


ガキの頃からこの界隈で育った俺は、この日常が“当たり前”で“普通”でしかない。だが、一般人の“普通”とは掛け離れている……そう理解はしている。だから、“特別”は作らない。

・・・・大切なものを失った奴等を何度も、何度も、この目で見てきた。巻き込まないよう守ってきたつもりが、急襲や予期せぬトラブルに……なんてことはザラだ。防ぎようがないことなんて山ほどある。

裏社会に限ったことではないが、表社会よりリスクが格段に上がるのは間違えないだろう。


『こんな生業をしていなければ、こんなことにはならなかった』


この一言に尽きる。


『悔やんでも悔やみきれない』


あまりに理不尽で不条理な世界──。

そんな奴等をガキの頃から見てきた俺は、“特定のなにか”を作らないと決めていた。“絶対”なんて言葉は存在しない。100%守りきれる保証なんて何処にもない。


──── 理不尽で不条理なこの世界に、大切なものを巻き込むわけにはいかない。


・・・・なんて、聞こえは言いかもしれないが、俺は単純に逃げているだけ。俺のせいで大切なものが奪われ、失うのが怖い。要はただのヘタレ野郎ってことだな。


「ねぇ、どうしたの~?」

「別に」


ベッドのフチに腰を掛け、乱れた髪をかき上げながら立ち上がり、身なりを整える。


「もう行っちゃうの?つれないわね」

「用は済んだ」

「ヤり逃げみたい」


俺は欲を満たせれば誰でもいい。この女は俺とヤりたいだけ……これは利害の一致。余韻に浸って馴れ合うつもりは毛頭ない。事が済めば、ここに居座る理由は何一つないだろ。

適当に金だけ置いて部屋から出ると、壁にもたれながらスマホをいじっている長岡ながおかが突っ立っていた。俺の方をチラッと見て、スマホをポケットに入れながら妙にニヤニヤしている。


「相変わらず早いっすね~。誠さんって早漏すかぁ?」

「あ?殺すぞテメェ」

「ははっ。冗談すよ、冗談~」


この能天気な野郎は、死にそうになっていたのを俺が拾って、なんだかんだ流れで組に入ったような奴。


「……長岡。後悔してねぇか」

「え?何がっすか~」

「俺に拾われたこと」

「……なんつ~昔の話してんすかぁ。そんなこと心配しなくても、後悔なんて1ミリもしてませんよぉ~」

「心配なんざしてねえよ」


──── こういう奴ほど、堕ちる時は一瞬。俺が拾ったからには最期まで面倒を見る責任がある。


「なんかあったらすぐ言えよ」

「くくっ。見た目とは裏腹に~とは、まさに誠さんのことっすねぇ」

「どういう意味だ」

「優しいってことっすよ~」


なんて言いながら、俺の隣でケタケタ笑っている長岡にイラッとして、容赦なく頭頂部を殴った。声にならない声を上げて悶絶している長岡を横目に、駐車場へ向かう。

その後、ブツブツ文句を言いながら運転する長岡をガン無視して、人が行き交う街並みをボーッと眺めていた。


「うわぁ~、ありゃ渡りきれんでしょ~。俺達もあんな風になるんすかねぇ~」


信号待ちをしている時、長岡のその言葉に視線を前へ向けると、長い横断歩道をゆっくり渡っている老人がいた。どう考えても渡りきれるわけがねぇだろ、あれ。

誰も手を差し伸べず、老人を避けて通るだけ。ま、所詮はそんなもんだろうな。他人を助けて得することなんざねぇし。それに今のご時世、何が起こるか分かったもんじゃねぇからな。下手に人助けもしたくねぇだろ。


「どうします~?誠さん」


車は次々と老人を素通りしていく。


「停めて待ってろ」

「へーい」


俺がドアノブに手を掛けようとした時だった。


「すみません!!ごめんなさい!!」


そう大声で謝っている女の声が俺の耳に入ってきた。再び視線を前へ戻すと、若い女がどっからともなく走ってきて、老人のもとへ向かっていた。

若い女は老人に声をかけて、老人をおぶりながら止まっている車へ何度も頭を下げつつ、横断歩道を渡りきる。別に大した光景ではない……はずなんだが、どうしても若い女から目が離せない……いや、離したくねぇとすら思う。


・・・・なんだ、この感情は。


随分と大人びてはいるが、どっからどう見ても大学生くらいの女だろ。そんな女から目を離せないってどういうことだ?こんなにも目を奪われたことは、今までかつてない。そもそも、女に興味を持ったことが一度もない。どれもこれも一緒にしか見えねぇし。


「いやぁ、今時の子も捨てたもんじゃないっすねぇ。つーか、めちゃくちゃ可愛くなかったすか!?美少女的な感じで!!俺、ナンパしてきていいすかね!?」


うぜぇテンション感で車を走らせている長岡。つーか、あの女だけは誰にもやれねえ。他の野郎にやるくらいなら俺のモンに────── は?

・・・・いや、なに考えてんだ……俺。すこぶる可笑しなこと言ってねぇか?……そうは思っても、あの女への好奇心が止められそうにない。


「止めろ」

「え?なんすか~?」

「車止めろ」


俺がそう言うと路肩に車を停めて、ルームミラー越しに長岡がこっちを見ている。


「先に戻ってろ」

「いやいや、会合がっ……」

「戻ってろ」

「……はぁぁ。へいへ~い」


面倒くさそうな顔をして、『早く降りろ』と言いたげな長岡。俺が車から降りると、すんなり車を発進させ去っていった。


・・・・あの女がまだあの周辺に居るのかも分かんねぇのに、何をやってんだか……馬鹿馬鹿しい。そう思いながらも来た道を戻る。


「ちょっとだけど……これ、受け取ってちょうだい。お礼よ」

「当たり前のことをしただけなので、お礼だなんて……その気持ちだけで十分です。ありがとうございます」

「いいのよ、老い先短いんだから。あの世にお金は持っていけないもの。受け取ってくれると助かるわ」

「いや、でも……受け取れません」


謝礼を渡したい老人と、その謝礼を受け取りたくない女が押し問答をしていた。


「嬉しかったのよ。あなたみたいな優しい子に手を差し伸べられて。おばあちゃんからのお小遣いだと思って。ね?受け取ってちょうだい」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

夫には愛人がいたみたいです

杉本凪咲
恋愛
彼女は開口一番に言った。 私の夫の愛人だと。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

処理中です...