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娘と父の恋(後編)

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私は北に向かう列車に乗っていました。
なぜか急に、お腹が空いたと思いました。
私は駅弁を食べようと思いました。
自分の横に置いてあった弁当を見て、列車に乗る前に買ったことを思い出したのです。
でも、それもはっきりとした記憶ではありませんでした。
全てが曖昧でした。

私は弁当を開いて食べました。
自分で箸を使って食事をするのは久しぶりでした。

私は、部屋の中ではいつも手足を縛られていましたから。
食事をする時も、手足を縛られたままでした。
ご飯はいつも、お父さんがベッドのそばに持ってきてくれました。
そしていつも、お父さんの手から直接食べさせてもらいました。
お父さんがスプーンでスープやご飯をすくって、私の口の中に入れてくれるのです。

最初は自分で食べたいと思っていました。
最初は普通に自分の手で食べたいと思っていました。

でも、次第に慣れてきました。
そして、お父さんが食べさせてくれるだけで、少し幸せな気分になっていたのです。
それは確かに不思議なことでした。
私は一日中、部屋の中にいるのです。
何の変化も起きません。
だから、食べ物を持ってお父さんが部屋に入ってきてくれるだけで、うれしかったのです。

でも、お父さんもだんだん変わりました。
しばらくすると、食事を持ってきても、皿やお椀を床の上において、そのまま出ていくようになりました。
私は手足を動かせないまま、床に這いつくばって、皿を舐めたり、唇をお椀につけたりしました。

私は悲しい気持ちになりました。
私が悲しくなったのは、そんなみじめな姿で食事をしていることに対してではありません。
お父さんが次第に冷たくなっていったことです。
どうして、お父さんが変わって行ったのかはわかりません。

お父さんは私の体も拭いてくれなくなりました。
私は一日中、部屋の中にいます。
縄でしばられたまま動けません。
トイレに行くこともできません。
だから、私は、体の中から出てくるものを全て、そのまま垂れ流していました。
お父さんは、時々部屋を見にきて、私の体を拭いたり、床を拭いたりしてくれました。
でも、だんだん見にくる回数が減っていきました。
私は汚れたまま部屋の中にいなければなりません。
私の体を拭いてくれる時のタオルも、まるで雑巾のように汚れていました。
もう、洗濯もちゃんとしていないのでしょう。

何もかもが汚れていきます。
何もかもが壊れていきます。



それでも、お父さんは夜になると、私の体を狂ったように求めました。
汚く汚れた部屋の中の、汚く汚れたベッドの上で、汚く汚れた私の体を抱きしめるのです。
狂ったように激しく、私の中に入ってきました。
そして、空腹の野獣が肉を貪り食うように荒々しく、私の体を突き動かすのです。
それは何度も何度も繰り返されました。
それは毎晩、朝まで続きました。
それだけは変わりませんでした。

いえ、それさえも変わりました。
お父さんは私の体をはげしく抱く代わりに、私に暴力を振るうようになりました。
お父さんは私の頭を殴ったり、お腹を蹴ったりするようになりました。
どうしてそんなひどいことをするのか、私にはわかりません。

それは何時間も続きました。
私が苦しんでいても、私が叫んでいても、私が手足をばたつかせていても、お父さんは私を殴り続けました。
私が我慢していても、私が堪えていても、私が泣いていても、お父さんは私を蹴り続けました。

何が起きているのか 私にはわかりませんでした。
でも、何かが壊れてしまったのです。
何もかもが壊れてしまったのです。
もう破綻してしまったのです。
もう終わってしまったのです。

もしかすると、お母さんは気がついていたのかもしれません。
お父さんと生活していたら、いずれはこうなるということに・・・
だから出て行ったのかもしれません。
わかりません。
でも、もしそうなら、お母さんはどうして私を見捨てて出て行ったのでしょうか。
お母さんはどうして私にお父さんを押し付けて、自分だけ出て行ったのでしょうか。
わかりません。
わかりませんが、もういいんです。
私はいいんです。
これでいいんです。

もう今日がいつなのか、私にはわからなくなっていました。
お母さんが家を出て行ったのはまだ夏休みのことでした。
お父さんが私を部屋に閉じこめるようになったのも、夏の終わりでした。
きっと、もうとっくに二学期が始まっているのでしょう。
私は学校に行っていません。
私が登校しないことを 誰も不思議に思わないのでしょうか。
もしかすると、もう先生から家に電話があったのかもしれません。
お父さんが何か言って、もう私は 学校を辞めたことになっているのかもしれません。
もう私は、この街に住んでいないことになっているのかもしれません。
もう私は、この世に生きていないことになっているのかもしれません。
わかりません。

でも、私は決心しました。
私は心を決めました。
今までずっと、お父さんの言うとおりのことをしてきました。
今までずっと、お父さんの行為を逆らうことなく受け入れてきました。
でも、私は一つだけ、自分がやるべきことがあると思いました。
私には一つだけ、やらなければならないことがあると思いました。
そして、それをやることにしました。

私は列車に乗っていました。
北に向かう列車の窓から、私は外を見ていました。
海が見えました。
荒々しい海でした。
海岸に打ち付ける激しい波が見えました。

私は眠っていたようです。
長い間眠っていたようです。
街をはなれてから、どのくらい時間がすぎたのでしょうか。
わかりません。

ふと携帯がまた鳴ったような気がしました。
またお父さんからだろうかと思いました。
私は携帯を手に取りました。
でも、携帯は鳴っていませんでした。

私は思いました。
お父さんから電話があるはずがないと。・・・
携帯の受信履歴を見ました。
この携帯には、もう長い間 電話などかかってきていませんでした。
さっき お父さんから電話があったと思ったのも、単なる幻覚だったのでしょう。
お父さんの声が聞こえたのも、・・・。

私はトイレに行きました。
制服のジャケットの袖やスカートの裾に血がついていました。
いや、それだけではありません。
シャツが血だらけでした。
私は血まみれでした。
それは私の喉から出た、たくさんの血でした。

私はトイレの鏡を見ました。
それはさっきと同じでした。
そこには誰も映っていないのです。
鏡の中に私はいないのです。

私は席に戻りました。
窓の外の風景は真っ白でした。
いつのまにか、列車は雪の中を走っていました。

私はじっと外を見ていました。
一面真っ白な世界を列車は静かに走っていきます。

私は思い出しました。
私は今朝、全てを終わらせたのです。
お父さんとの生活を終わりにしたのです。
それは私のためではありません。
それはお父さんのためでした。

お父さんはどこかで道を間違えたのです。
そして、もう後戻りができなくなったのです。

私は今朝、お父さんがベッドの上で寝ているすきに、部屋を飛び出しました。
そこはゴミだらけでした。
洗濯物や生ゴミが散乱していました。
私はキッチンに走りました。
そして、ナイフを手に取りました。
振り向くとお父さんが立っていました。
私はお父さんの胸を刺しました。
二度 刺しました。
お父さんはまだ生きていました。
でも、もう次第に力を失っていくのがわかりました。
お父さんは床の上に倒れました。
私も倒れたお父さんのそばに横になりました。
私もお父さんの横に寝ました。
そして、お父さんを刺したナイフで、自分の喉を突き刺しました。
意識が遠くなっていきます。
私は体を動かして、お父さんの体をだきました。

・・・
列車は静かに雪の中を走っています。

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