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第六十一話 見えない涙

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 蒼side


 茜の部屋から戻って、キキ達と別れて、宗介は麻衣ちゃんに実力を見せろ!とまた射撃場に行っている。
 私は昴に引っ張られて、部屋の中に閉じ込められてるんだけど…。



「あの…昴?」
「ん?」
「どういう状況なの?これ」
「蒼を見てる」
「そう言うことじゃなくて…」

 ベッドの上でお姫様抱っこされて、じっと顔を見つめられてる。
 目を逸らそうとしても追いかけてくるし、目を瞑ってもキスされたり、体を触られて瞼を開かされるし…。
 見つめ合っていれば何にもしないし言わないからずっとそうしてる…。

 昴は少し伸びた髪が顔に影を落として、前髪の間から瞳を覗かせてる。頬にも髪がかかって、いつもよりずっと色っぽい…。
 じーっと見てくるから、私の顔がどんどん赤くなるのがわかる。自分の顔がどれだけかっこいいのか自覚してないの?
 いや、自覚してるからこうなっているのかもしれない…。


「蒼の考えてる事を見てるんだ」
「何それ?…いつもならすぐわかるのに…」

 昴が目を細めながら頬に触れてくる。大きな手のひらが、私の頬にその熱を伝えてくる。

 宗介とは違う、とても高い温度。
 火傷しそうなその熱が私に染み込んで、宗介の残した熱が、消えて行く。



「蒼はここに来てから、いろんな事をしてる。自分の死んだ後のことばかり考えて、先手を打って、整理整頓を始めてるだろ」

「あ、あの…」

 昴の青い瞳の奥に、炎が灯る。
 暖かい光。私の事を思ってくれている気持ちが見える。


「蒼が空き時間に辞書で何かを調べていたり、分厚いハードカバーの冊子に書き込んでいたり、研究者達に積極的に話しかけたり、子供達へ俺たちを繋いだり…そう言うことをしてる。施設の設備に関してもアドバイスしたり、警備の穴を見つけたり…忙しそうだな」

 びっくりした。ほとんど把握してるんじゃないの…。
「それなら考えてることは、わかってるんでしょう?」
「いいや。まだわからないことが多すぎる。ひとつひとつ確認が必要だ。」

 眉を顰めて、私の頬を撫でる。

「先ばかり見て、今の自分を見てない。
 蒼の中にいる俺たちの子もだ。大義の前に蒼は…焦ってる。今までそんなことは無かった」
「そ、んなの…」

「ちゃんと寝てないだろう?俺がどれだけ蒼のこと見てると思ってるんだ?千尋も慧も、蒼がいつもより寝られていないのはわかってるんだぞ。夫ネットワークを舐めるな」


 夫ネットワークって…なに?すごいのが出来てるね…?
 寝てる時間が惜しくて…睡眠時間を削ってはいるけど…体に影響がある範囲じゃないし、クマもできてないはずなのに。


「体の変調もあるはずなのに言ってない。つわりがきてるはずだ。ごく軽くみたいだが、体重減っただろ。時々辛そうにしてる。」
「ど、どうして…?」

「触ればわかる。どんなに離れてたって、一瞬見れば何かを感じるよ。俺は夜中に一人の時は監視カメラで蒼を見てるからな。慧も千尋も蒼の事を思ってまだ口に出すべきじゃないと言ってたが、今日のことではっきりした。
 蒼は無理をしてる。それを自覚してもらわないとダメだ」


 びっくりしたし、色々と突っ込みたい…。
 監視カメラで私の事見てるの?昴のヤンデレが増してる。
 でも、三人とも私の事を心配してくれてたのか…。
 実は少し前から胃もたれみたいなのが続いてる。悪阻なんだとは思う。
 集中していれば何ともないんだけど、寝てて吐きそうになったり、ご飯を食べた後にうっ、てなることも増えた。

「ご飯を控えて居れば大丈夫だし、ちょっと体重減っても問題ないよ…」
「それで?無理してる理由は?」
「う…あの…その…」

 ため息をついた昴が、たくさんキスを落としてくる。
「す、すば…んっ」

 唇を優しく噛まれて、切なく歪んだ顔が姿を現す。



「蒼は、強い。かっこいい。綺麗で可愛い…」
「えっ、えっ…」
 突然褒められて、戸惑ってしまう。


「でも、俺達にだけは…俺だけだっていい。ちゃんと、教えてくれ。ありのままの姿を見せて欲しい。ストーカーみたいに蒼の事を調べるのは好きだが、蒼の口から苦しいとか寂しいとか…そう言うのを聞きたい。傍にいられない分、ヤキモチなんかよりもっとキツいんだ…」
「昴…」

「蒼がかっこいい顔してる時、何かを我慢してる。目つきが鋭い時は泣きたいのを我慢してる。それを見守るのも正しいが、俺は甘やかしたい。頼られたい」

 真剣な眼差しが、青くゆらめく。
 昴の気持ちが私の中に侵入してきて、固く閉ざした心を開いていく。



「だって…私…何かしてないと、立ち止まっちゃう…」
「立ち止まったっていいだろ?どうしてそんなに急ぐ?まだ時間はある」

「真衣ちゃんがここに来たじゃない…事態が悪くなってるし、早く終わらせたいのに…」

「うん。でも、それだって関係ない。俺は蒼のことが一番だから。目の前にいて、こうして見つめ合える蒼が大切なんだ」

 膝の上に体を起こされて、正面から昴が見つめてくる。
 そんなに優しい目で見ないで…。



「ご飯、食べれないほどひどいのか?」
「ううん、そんなには。でも…油物とかは食べた後、ちょっと辛い」

「吐いたりは?」
「今のところは…大丈夫。吐きそうな時はあるけど」


「わかった。それから?辞書は子供の名前か?」
「うん…お腹の子もそうだけど…ファクトリーの子達にも名前をあげたいし」

「ん、それはみんなで手分けしよう。あとは?子供達を見て寂しそうにしてる」

「……」
「蒼?」



 昴の大きな手が、頭を撫でてくる。
 も、だめ。泣いちゃう。
 私、妊婦さんなんだから。ちょっと感情が不安定になってるの。


「感情にも波があるんだな?」
「そ、そう、なの。ホルモンバランスが崩れてるから…刺激に弱いの…」

「泣きたいなら泣いていいんだ。どうして我慢してるんだ?」

「だって…泣いたら、みんな心配…するでしょ?」
「もうしてる。」
「う…」



 そっと体を引き寄せられる。
 膝を丸めて抱えられて、背中をとんとん、叩いてくれる。
 あの時は知らなかった、昴がしてくれた…優しい仕草が私の涙腺を緩めてくる。

「色んなことしてれば、それに集中して何も考えなくて済む…から」
「うん」


「こ、子供達が…小さくて、可愛くて…私の子が今くらいになった時に…私はいないでしょ。だから、だから…」

「蒼…気付けなくてごめん。辛かったな」
「っ…」

 涙が溢れてきて、昴のシャツを濡らしてしまう。
 子供達と目一杯遊んでくれた、昴の汚れたシャツに顔を押し付ける。
 いつもはすまない、って言うのに。私のこと甘やかそうとして言葉を変えてるのがわかる。
 昴はこう言うところ、すごく優しい。いつも、いつも私にかけがえのない優しさをくれる。



「昴も、千尋も、慧も…子供と遊ぶのがすごく上手で…笑顔が眩しくて…ひっく…寂し…」
「うん、ごめん。気づかなかった…」
「昴は…なにもわるくない…のに…」

 腕に力がこもって、体がぎゅうっと抱きしめられる。
 あったかい。固まっていた何もかもが緩くほぐれて行く。



「蒼の気持ちに気づけなかったのは良くない。旦那としてはな。妊婦さんが情緒不安定になるとキキから聞いていたのに。
 だが、最近の蒼があまりにも眩してくな…よく見えてなかったんだ。
 だから、こう言うときは甘えてくれないか?
 寂しい時や辛い時に何も出来なかった自分が歯痒い。
 役に立ってもらってるのに、お礼すら言う暇がない。蒼は優秀すぎる。
 ボスとしても夫としても困ってるんだぞ」


 昴にしがみつきながら、深く息を吸って、長く吐く。
 少しの汗の匂いと、土の匂い、昴の匂い。
 暖かくて色っぽい…ムスクの香りが体に満ちる。
 そんなふうに言ってくれたら、満足しちゃうよ。お礼なんか言われなくたっていいのに。もっと、好きな人の役に立ちたい。


「汗臭いだろ?あんまり嗅がないでくれ」
「ううん。いい匂い。大好き。ぐすっ」

「…蒼は少し、匂いが変わったな。赤ちゃんがいるとわかってからだが。甘い匂いがする」
「そうなの?…千尋の匂いじゃなくて?」

「そこまで千尋の匂いはわからないが、違う匂いだな。宗介さんほどじゃないが、わかる」
「そうなんだ…」


「宗介さんは、どうしたい?」

 どきり、と胸が音を立てた。


「宗介さんから聞いてるよ。ちゃんと告白されて、蒼が必要だと答えたこと。そして、宗介さんに一線を引いたこと。
 蒼の初恋は間違いなく宗介さんだった。違うか?」

「そう…だと思う。でも…」


「俺は夫が増えても構わない。今更一人増えた所で何も変わらないよ。
 でも、何となくだが、蒼が考えているのはそうじゃないとは思うんだ。どうしたいか教えてくれ」


 胸がドキドキする。浮気じゃない…とは思う。昴がこうしていると体の力が抜けるけど、宗介は違う。
 好きになってくれているのは嬉しいけど…決定的な違いがあるのは、わかってる。

「昴とは、違う気持ちだけど…大切な人だと思う。
 私の事を好きな気持ちが真剣なのが嬉しかったし、初めての恋が報われた気がしてる。
 でも、これってどうなの?私は最低な気持なんじゃないのかな…宗介に対しても、昴達に対しても」

 耳に昴のふっ、という笑いが響く。



「蒼は、いつもありのままでいいんだ。倫理観や常識なんか、なくていい。
 俺が愛してる蒼は…そこが一番魅力的なんだよ。
 可愛いけどかっこよくて、クールだけど寂しがり屋で、頑固なのに臨機応変に対応できて…常識があるのに、それを飛び越える」


 キラキラした昴の目が流れ星の輝きを私の目にも映してくれる。


「宗介は、大切な人だからそばにいたい。キスとか…エッチなことはできないけど、触れていたい。わがまま言って、甘えたい気持ちがある…」

「セックスはしないんだな?」

「うん、できないよ。そう言うのじゃない。お父さんの枠をはめたいけど、ちょっと違う様な気もしてるし…だから旦那様達には言いたくなかったの」
「わかった…じゃあこれは俺と蒼の秘密だ」


 イタズラに微笑まれて、釣られて笑ってしまう。

 目を細めたせいでまた涙がぽろん、と溢れる。あーあ、今日も泣かされちゃった。
 昴のこう言うのには、私敵わないんだな。
 大人しく目を瞑って、涙をこぼす。



「昴は私を泣かせるの、上手だね」
「それはいいな。赤ちゃんが産まれて落ち着いたら別の意味でも泣かせたいけど」

「もう。そんなこと言って…」

「心配したんだ、本当に。誰も彼も救い出しては羽根を分けて、自分の羽がなくなっちゃうだろ?こうして泣いて、心の羽の養分をチャージしないとダメだ」

「昴まで私の事天使扱いなの?昴が電池なのはどうなの…」


 千尋が言ってた。羽を分けてるって。
 恥ずかしいけど千尋が言うから受け入れてしまっている。


「蒼の電池ならいくらでも引き受けたい。俺的には羽をもいで閉じ込めたいが。最初の日にそうしたつもりができなかったしな。ある意味成功してるか?
 蒼は……アフターピルの存在を知っていたのに、なぜ使わなかった?」

「…そんなの決まってるでしょ」
「いい様に解釈していいのか?」
「うん…」


 昴が特大の笑顔でキスしてくる。

「蒼はちゃんと俺の事好きだったんだな」
「そ、そう言ったでしょ?」
「そうだけど、好きだった証拠が見えた。すごく嬉しいんだ」

 思わず笑ってしまう。



「昴も私も、わがままだね?」

「そうだな。でも、それがいい。じゃあ、わがままってことが分かったから、もう一つ。…キキの話を真剣に考えよう」


 昴の瞳から目が逸らせない。
 キラキラしていて、私の事を魅了していて…そらせるはずがない。

「希望を持つことを恐れる必要はない。キキの尻を叩いたのは蒼だろ?研究者達の反応を見てもわかる。明らかな新しい道筋だ」

「うん…でも、そうしたら茜と同じになっちゃいそうで怖いの」
「茜か…同じと言うのは?」


「私の事を思ってキキが自らそうしてくれているでしょう?それをこう、茜みたいに許すって言うのも烏滸がましいけど…同じ道を辿りそうで怖いよ」

「蒼は茜じゃない。同じにはならない。なぜかわかるか?」



 迷いのない目で昴が微笑む。

「本当の愛を知っているからだ。
 泣いたり怒ったりするものの、同情に溺れたり、周りの意見に流されず、泣いて慰めるんじゃなくて尻を叩き回してその人自身を立ち上がらせる。
 ダメなことはダメだと言う正義感と、自分にも厳しいから他人にもその人の為に厳しくなれる。
だから、キキが研究者達みたいに心を無くすことなんかありえない。
 その人自身を奮い立たせる蒼は…そんなことできやしないんだ」


 言葉がなくなった。
 私、そんなにすごい人じゃないよ?
 必死なの。
 期待しちゃった後にそれがなされなかったらどうなっちゃうの?怖いよ。



「怖いな…蒼。期待したら、ダメだった時のことを考えると、俺も足がすくむよ」
「うん。昴には…わかっちゃうんだね」

 頷いた昴が私を抱き上げて部屋についたお風呂に向かって行く。



「えっ??えっ???」
「だから、不安をなくせばいい。希望しか見れない様にしようか。蒼を歩けなくした時と同じだ」

 更衣室がないから、お風呂の入り口前で服を脱がされる。お腹のボディウォーマーを見て笑ってるし。



「ちょ、ちょっと!待って!」
「待たない。俺も不安だからな」
「う、嘘でしょ!?ちょっ!パンツ返して!」
「いやだね。次はブラだ」
「きゃっ!?もう!」


 あっという間にスッポンポンにされる。
 温かいシャワーを流しながら、シャツのまま一緒に入ってきた昴が、真剣な顔になる。


「俺も諦めない。蒼が長生きする方法があるなら、キキに期待して、協力して…成功させてみせる。一年でも一日でも1時間でも…1秒でも長くそばに居てくれ」


「すば…る…」

「愛してる。愛してるんだ…そうして欲しいと言ってくれないか…頼む…」


 縋る様な目つき。シャワーに濡れて、昴の涙なのか、お湯なのかわからないけど…たくさんの雫が伝って行く。
 目が赤いよ、昴…。

「そうして…欲しい。わたしを助けて。
一日だけでもいい。昴と一緒にいたいから…」



 瞳を閉じて、暖かいお湯と昴に包まれて深く唇を重ねる。
 シャツに染み込んだお湯が昴の体とわたしの体を温めて行く。
 湯気が上がって、きつく眉をしかめた顔の昴の涙を隠してしまう。

 人は泣かせるくせに、昴の涙は見せてもらえないの?
 胸がドキドキして、止まらない。
 胸から苦しいほどの愛おしさが浮かんできて、不安をかき消して行く。



「昴…愛してる…」
「俺もだ…愛してる…蒼…」

 ふわふわ漂う湯気の中で、熱と昴の震える声に浮かされたわたしは…ゆっくりと瞳を閉じて再び唇を迎えた。



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