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第四十一話 涙
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昴side
「ひどい顔だな。一体何事だ」
俺たちは幹部に情報を伝えた後、相良の元へ顛末を伝えに来た。確認も兼ねている。
蒼の両親に、真実を聞かなければならない。
しっかりしなければと思っても…心も、体もうまく動かない。
蒼は銀たちに任せてきたが、相良にもどう言えばいいか、わからない。
「とりあえず座れ。どうせ蒼のことだろ?まったく。組織のトップスリーが聞いて呆れるよ。プレスリリースを見るからテレビ付けるぞ」
ため息をつきながら相良がテレビをつけた。
警視総監とお偉方が並んで写っている。
警察との密な関係を結ぶ企業として、発表されているウチの組織。
表向きの名前はあったが、変えた。
「その、ゴールデンアワーという会社はどのような会社なんですか?」
「会社組織としては傭兵集団のようなものです。我々警察のSAT出身者もおります」
「警察の権限を与えるという事でしょうか?」
「警察官ではありませんので、我々と協力してと言う形ですよ」
「武器を所持しているという事ですか?」
「基本的として法律遵守ですから、本物を持っているのは警察の人間だけですよ」
嘘八百だ。傭兵は正しいかもしれないが、全員正規の武器を所持してるシンジケートだぞ。
これで蒼の言っていた保証が終わったな。俺たちの将来も、危ない仕事をするとはいえ綱渡りからは解放された。
蒼の改革提案書類にあった、犯罪から手を引く、という形になるだろう。
もう誰も蒼に対して敵対心を持っていない。
新しくつけた会社名のゴールデンアワーという名前。それは夜明けの色、夕焼けの色両方のことを示す。
千尋が言っていた、蒼の人となりを表す色だ。
夜明けを告げる朝の清い青と、夕暮れの優しい朱を持っている。全てを知っていながら綺麗なままで、全てを受け入れて内包してしまう。絶望を断ち切り光を与え、優しい色で染めていく。
蒼は…そういう人だ。
新会社は蒼あってこそに、なるはずだった。
力が抜けて椅子に腰掛けた俺たちを眺め、相良がトントン、と机を叩く。
蒼が会議の時に使った合図。落ち着け、という意味だ。
「それで?何があったかそろそろ吐いてくれ。私も気が気じゃない」
相良が珍しく焦っている。
お前も蒼のことが好きだったな。みんなが蒼を愛している。
深くため息をついて、重い口を開いた。
━━━━━━
「まずは…確認からだ。我々の基本だろう。…クソっ…」
話を聞いた相良が蒼白になって立ち上がる。
俺たちものろのろと立ち上がり、相良がドアを開ける。
「…総監」
「聞こえたよ。私も行こう」
俺たちに負けず劣らずな顔の田宮総監が立ち尽くしていた。
全員で静かに歩く。
何も、浮かんでこない。
心の中、静かに凪いだ水上で蒼が立っている。
その柔らかい笑顔が俺を満たし続けている。こんな時まで…ずっとそのやさしい顔で。
本当に天使だったのか?蒼。
俺たちに幸せだけ与えて、去っていくのか…?
胸の中の蒼は答えない。
硬く目を閉じて、涙を押し込む。
「あれ?どうしたんですかみなさんお揃い…で…」
「千木良、すまん…」
笑顔で話しかけた千木良が呆然とする横を通り過ぎ、俺たちは悲しみの渦に飲み込まれていった。
━━━━━━
警察庁の管内に建てられたプレハブ。
たくさんの試験管、ビーカー、いかにも研究室と化したそこに佇む二人。
真っ黒なクマを携えて虚な目がこちらを見ていた。
顔に表情がない。双眼鏡で見たファクトリー内部の研究者たちは、皆一様にこうだった。
「すみません。……チップの事を…伝えていませんでした。仰ったことは事実です」
全員が息を飲む。
目を瞑った白衣の二人がふらついて、椅子に座る。
「伝えなかったのはなぜですか?暴走するまで生きたとしても結果は同じ……テロでも起こすつもりだったのですかな」
総監が厳しい顔で問うている。
俺たちはもう、口すら動かない。
「違います。チップは…無効化する方法が一つだけあるんです」
千尋が立ち上がる。
「どうやって?!」
ご両親の顔が僅かに歪む。
「脳の、データを移すんです。研究はそこがゴールでした。」
「元々の研究はボスの脳データを子供達に移し、体が寿命を終えそうになったらまた挿げ替える、それが最終目的で……。
脳にデータを移された子供は自我がなくなります。使う体はDNAをいじる必要があり、その結果30年までしか生きられない子供達が沢山ファクトリーに居ます。」
「脳の…データ…?」
二人の瞳に狂気の光が宿る。
「人間は心も意志も、全てが脳にある。脳のデータは全て電子化でき、それを移せばその人が新しい体で生まれる。何度も繰り返せば永遠の命になります」
「体の時を止める薬もそのために研究していました。30年よりもっと長く、その体が生きれば移すデータも擦り切れることはないんです」
千尋が肩を落として丸椅子に座り込む。
「そんな事…蒼がしたいと思うはずもない…」
「あなた達は正しく研究者な訳だな。ますますファクトリーは潰さねばならない」
相良が怒りに打ち震え、拳を握りしめる。
「蒼は、子供達を仲間だって言ってた。その子達を犠牲にしてまで、生きたいなんて思わない。…他に方法は、ないんですか」
慧の言葉に二人の目の光が消えていく。
ないんだな。他の手段は。
「あの子は…ひどい実験をする私たちに、優しくしてくれました。オートミールに入れる砂糖をあげただけなのに…頓挫した研究に怒り狂って、組織の人間が振るう暴力の盾になって…守ってくれたんだ!」
男性が握った手を打ち下ろし、机の上のビーカーが跳ねて床に落ちる。
粉々に割れたガラスが日差しに光を反射してキラキラ光る。
「優秀な子でした。何もかも完璧で、頭が良くて…ボスの器として最後まで育成されていました。
しかし、その優しい心がなくならなかった。スクラップが決まった後に、あの子が守ってくれた研究者達で一丸となって蒼を逃しました。
私たちは成人を待って、蒼を手放した。
冷たく突き放して、私たちを忘れて自由に生きて欲しかった。あの子が最後に人を殺すことになっても、名前の通りに、自由に…」
女性が両手で顔を覆って、机に伏せる。肩が震えている。
「どんなに痛い事をされても、血溜まりの中で私たちを見て微笑んでいた。
傷だらけの手で私たちの受けた暴力の跡を撫でてくれた。
大丈夫?痛かったでしょう?って…いつも、いつも…そんな子が…また私たちの元へ会いにきてくれた。
自由に羽ばたいて恋人を見つけて…子供を作ると。
だから、言えなかった。もう脳のデータを移すしかないとわかっていながら、他にも方法がないか、チップを壊せないか……ずっと、探っていたが…見つからない…」
「蒼は…昔からそうだったのか。でも、チップがある限り、最期の時は伸ばせない。」
「蒼さんは辛い思いをして生きてきたのに…あんな風なんだな。すごい人だ。言葉では言い尽くせない。」
相良と総監二人が項垂れながら呟く。
「…蒼に、伝えるべきだ」
相良が涙に濡れた双眸でこちらを睨む。
強い光を宿したその目に思わず怯んでしまう。
「蒼の命は蒼のものだ。こうなった以上彼女に残された時を、思うままに生きてもらうしかない」
「…相良、流石に時間を置くべきでは無いか」
「残り5年も無い蒼の時間を削ることが許されると思いますか?あの子の時間を無駄に消費することなんか…私が許さない…」
黒い瞳からボロボロと大粒の涙が溢れてくる。顔が赤くなり、眉が顰められる。
「どうしてこんな研究をした!
蒼が…どんなに尊い子なのか知っていて、それを冒涜するような事をして…それを知った蒼がどんな気持ちになると思う?
蒼は自分よりも他人を大切にする人なんだぞ!蒼の愛情を受けながら、どうしてそれがわからないんだ!」
総監が机をトントンと叩く。
身についた習慣で、相良の激昂がぴたりと止まる。
「この人たちのせいでは無いだろう。大元の病気で死にそうなボスのせいだ。全てはそこへ集約する。
今、彼らを責めても何にもならない。相良らしくも無いな」
「…申し訳…ありません」
「涙を止めてから言え。…お二人には申し訳ないが、研究は終わりです。警察庁で身柄を拘束させていただく」
「「はい…」」
相良が二人を連れていく。三人ともがっくりと意気消沈している。
総監がチラリ、と俺たちを順番にみて頭をポリポリかいている。
「あ、あー。その。元上司として一言いいかな。慧さんには関係ないが…」
「いえ…大丈夫です」
「そうか、では。」
総監が頷き、鋭い目つきになる。
「自分の感情だけで精一杯とは情けない。お前達がやるべき事を思い出せ。
悲しみに沈む事でも、諦める事でもない。蒼さんのために戦う事だろう。相良やお前達が流す、自分のための悲涙に一片の価値もない」
ふと、厳しい視線が和らぐ。労わるような、優しい顔だ。
この人の…この二面性を狸と思っていたが…本当はこういう人だったんだ。
守るべきものを持って、非情になるときもある。そんな事はわかっていたはずなのに。
「…気持ちはわかるよ。あの子を失うのは私も悲しい。だが、今は生きている。これから先そんな悲しい顔を見せて、蒼さんを傷つけるのはやめてくれ。幸せな笑顔にしてあげてほしい。
君たちなら出来るはずだ」
「「「…はい」」」
「蒼さんに話してあげなさい。それが彼女のためだろう。
蒼さんだけは、自分のために泣いて欲しい。そうさせてあげられるのもまた、君たちだけだ」
悲しい笑顔を残して、総監が去っていく。
相良もようやく泣き止み、ハンドサインで伝えてくれる。
『がんばれ』
四人を見送って、目を瞑る。
頬に一筋、涙が流れる。
これが最後だ。蒼を失う俺たち自身への。
最後の、涙。
手のひらに落ちた涙の粒をギュッと握り締め、立ち上がる。
「行こう。蒼に…伝えよう」
涙を拭った慧と千尋が頷く。
来た時に晴れていた空は曇天に変わり、雷鳴が響き渡る。
夏の最後の夕立が俺たちを濡らして行った。
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