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ハネムーンへ

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「優さん、そんなに走らないで!」
「きゃー!見て!見てください!これはカニ?それともヤドカリ?何か生き物がいます!」
「ヤドカリです!あっ、なんで逃げるんですか!」


 私は久しぶりに足を地面につけて、大はしゃぎで浜辺を駆け回っている。
右手はまだギブスをはめているし、背中の傷は引き攣れてチクチクするけど……。
 こんなに綺麗な海があって、浜辺があって、可愛い水着まで着てたらはしゃがない方がおかしいと思うの!


 柔らかい砂はそんなに熱くない。季節的にはまだ春の前だし、海の水は冷たいけど……照り返しの日差しが眩しくて、荷物を抱えたまま、必死で私を捕まえようとする龍一さんが可愛くて。胸が弾んで仕方がない。
 好きな人と海に来るなんて初めてのことだ。まだ海には入れないけど、お弁当を持ってきたし、お昼にはそれを食べてパラソルの下でお昼寝をする予定。

「はっ…なに、これ…もしかして海鼠では?」
「優さん!やたらめったら触らないでください!!」
「………えいっ!」
「あぁっ!!もう!!!」


 私がおそらく海鼠だと思った物体をガシッと掴む。追いかけてきていた龍一さんはパラソルとクーラーボックスを投げ出して、本気で走ってきた。
 あっという間に捕まえられて、抱き抱えられる。


「毒があったらどうするんですか!?」
「……でも、海鼠なら食べられますよね?お夕飯に食べますか?」
「確かにこれは海鼠ですが、あなたはまだ海産物はダメですよ。体が弱ってるんですから。ほら、ポイっとしてください」

 ぬるぬるの海鼠は手の中でカチカチに硬くなり、何かを彷彿とさせる。
 ……大きさといい、形といい、そっくりだと思うの。

 

「…………ぎゅうぅ…」
「あっ!?そんな握りしめたら…わぷっ!!」
「し、潮??液体を吹きました!!!あはは!龍一さんがびちょびちょに……んふふ」
「くっ、何故か屈辱的な気分です。
 それは袋に入れて、一応持ち帰りましょう。お気に召したのなら水槽にでも入れてあげますよ」

「…………ううん、閉じ込めるのは良くないです。この子には、生きていく自由があるから」



 海鼠を浜辺に戻し、黙り込んでしまった彼に抱えられて、荷物の元へ。
砂浜の上に下ろされて、パラソルを組み立て、地面に大きな敷物を敷いてくれる。
 手のぬるぬるが気になって海水で手を洗っていると、背後から抱きしめられた。

「龍一さん?」
「…………」
「どうしたんですか?そんなに汁をかけられたのが嫌でした?」
「汁というのはやめてください。そんな事じゃありません。少し、お話をしましょう」
「はい」

 真剣な声に変わった龍一さんに手を引かれ、パラソルの中へ。
 お互い向き合って座り、言葉を待っていると……彼は口を開いたり閉じたりして、何かを言い迷っているようだった。

 青い空と青い海の境界線が溶けて交わる地平線が遠くに見える。暖かい日差しに照らされて、潮風の中で私と彼の髪が揺れていた。
 
俯いたままの彼の手には、指輪が光っている。
それがただ、愛おしくて…そっと手を重ねた。


「龍一さん、わたしまだ…お礼を言っていませんでした。助けてくれて、ありがとうって」
「……っ、お礼を、言われる立場ではありません。あれは僕の失態です。
 何よりも大切なあなたを簡単に奪われて、傷つけた。僕は……僕は……」

「お話は、それですか?」
「はい。最後の…選択肢をあなたに捧げたくて。でも、これを言えば僕は本当にあなたを失うかも知れなくて、口に出せずにいました」
「…………」



 躊躇いがちに手を握り返し、指輪にキスをした龍一さんは、泣きそうな顔をしている。
 長い前髪が目に入ってしまいそうで、それを耳にかけてあげた。
切そうに瞳が細くなり、涙が溢れる。

 

「あなたを守りたかったのに、出来なかった。監禁すると言うことは、あなたを守る義務を負うと言うことです。それを果たせなかった僕には、あなたを独占する資格がありません。」
「……龍一さん……」
 
「だから、だから……あなたが望むなら、自由を選んでくださって構いません。
 国内ではまだ危険かも知れませんから、海外へ行くのもいいでしょう。ここから遠く離れた…フィンランドとかでもいいですね。長閑な街で穏やかに暮らせるように一生責任を持ちます。
 働かなくてもいいように手配します。」

「……私が、離れても良いんですか?」
 
「あなたが生きて、幸せでいることが一番の望みだと気づきました。
 例え僕の手の中にいなくても安全で、安心出来る場所で暮らせるならそれで良い。もし好きな人ができて、結婚したとしてもずっと心配のないように――」

「どうしてそんな事言うんですか?」



 彼の言葉を遮って、手を引っ張って腕の中に自分を押し込む。
悩んで苦しんだ末に出した結論だとしても、とても受け入れられない。

「わたし達の赤ちゃんが、もしできていたら…」
「子供はできていませんでした。……だから、最後のチャンスなんです。あなたの幸せを思うからこそ、そう考えました」

「…………」


 私をゆるく抱えた彼は、いつものように抱きしめ返してくれない。体を支えているのに、ぎゅうっとして、キスしてくれない。
 龍一さんのばか…。


「わたしは、義兄には汚されていません。あの人のお肉が邪魔して入りませんでしたから。小さくて届かなかったです」
 
「……あっ…そ、そうなんですか?」
 
「そうです。胸を触られましたが、なんとも思いませんでした。龍一さんと、もうずっと会えないと思ったら景色の色が褪せていくし、何もかもがどうでも良くなって……責任とってください」
「せ、責任をとって…その」
 
「わたしは、あの人たちに傷つけられて怪我をしました。とっても痛かったし、悲しかったです。
 でも、これをしたのが龍一さんなら良かったのにってずっと思ってました」
「…………え?」



 びっくりした顔の龍一さんは、ようやく涙を引っ込めた。眦に溜まった雫を唇で受けて、おでこをくっつけて目を閉じる。

  
「私の腕も、足も、あなたにもがれるなら構いません。命そのものでさえも。
 ……こんな風に思ってしまうなんて、自分でも驚いてます。だから、責任をとってください。」

 膝の上に乗って、足を投げ出して抱きつくとようやく抱きしめ返してくれる。
 暖かさと彼の匂いにうっとりとしてため息を落とし、胸元に顔をぐりぐり押し付けた。

「……いいん、ですか?僕は、もう二度とあなたを手放すなんて考えませんよ。今まで通り監禁して、佐々木に妬いて、手ひどく抱き潰すかもしれません」
 
「そうして欲しいんです。あなたに愛されて、他の人なんか愛せるわけがないでしょう。
 わたしのことを今更手放すなんて二度と言わないでください。首輪をつけて、手錠を嵌めて、歩けないくらい抱いてください」
 
「………………はい」


 
 震える体にギュッと抱きしめられながら、彼の体にすっぽり包まれて、ようやくホッとした。
 龍一さんがそこまで追い詰められてしまうなんて思いもしなかった。
わたしって、意外に強かなのかも知れない。身を引くことも考えたけれど、先に言われてしまうと何がなんでも絶対離れたくないと思ってしまうんだもの。
 ――こんな事は、初めてだ。

 
「優さん、療養ではなくて……ハネムーンにしても、良いですか?ベッドから出られなくなりますけど」 
「良いですよ。でも、せっかく着たのに水着は見なくて良いんです?」
 
「ものすごく見たいです」
「ふふ…じゃあ……ここじゃなくて、お布団の上で見ませんか?」


 首筋に触れた唇が、音を立てながら頬に登って、上目遣いの彼が目で聞いてくる。
 わたしはそれに微笑みで応えて、唇を重ねた。
 
 
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