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誰が為の箱庭

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佐々木side

 泣きもせず、喚きもせずに沈黙した優さんをソファーに寝かせて、苦い気持ちで立ち上がった。

 部屋の中で作動しているロボット掃除機はこの広さにしてはやけに多い。大きなゴミまで拾い集め、水拭きまで可能なタイプが縦横無尽に走り回り、忙しなく掃除をしている。
 茫然自失となってしまった優さんの持ち物を探すべく、それぞれの部屋に立ち寄る。

 ウォークインクローゼットを埋め尽くす上質な衣服たちは、全て肌触りのいいものばかり。彼女はアレルギー体質で安い化繊に肌が荒れることが多かった。それを、龍一は知っている。
 小さなキャスターに詰められた色とりどりの際どい下着は見ないふりをした。

 

 ウォークインクローゼットの中に、一つだけ安めの衣服を見つけた。これはおそらく彼女が持ち込んだものだろう。それを手に取り、寝室へ。

 ……加湿器、空気清浄機、アロマオイルのボトルがずらっと並んだ棚が目に入る。化粧水やボディークリーム…コットンや綿棒に至るまでの全てがセットされ、エステサロンのようだ。
 
 シーツや枕カバーも全て柔らかいリネンで包まれている。……ここには、持っていくものはなさそうだ。

 

 念のためトイレも、と覗いてみるが…封の開いていない生理用品がボックスに詰められていた。……知識がないからなんとも言えないが、未使用品であるならばこれもあらかじめ用意していたものだろう。

 1/3ほど残ったトイレットペーパーが違うボックスに詰まっている。トイレの裏にあるという事は…早めに交換しているのだろうと察せられた。優さんの性格からして、使い切らないうちに交換などしないことはわかっている。

 

 つぎは、洗面所へ。
 洗面台にある布袋…その中には大きなバスタオルと小さなタオルがセットになり、それが二つ重ねられている。
 周りの棚を開くと、そのセットがずらりと詰められていた。一つ一つが丁寧にリネンの袋に入っていて、ハーブのサシェが入っている。
 
 入浴剤があるゾーンは、ものすごい量だ。龍一一人でこんな大量のパッケージが必要な訳がない。全て匂いが控えめで『体を温める』『筋肉疲労を和らげる』『夜眠りやすくなる』と効能が書かれている。誰のために揃えられたものかは、一目でわかるファンシーなカラーばかり。

 鏡の裏の扉を開けると、ずらりと並んでいたのは敏感肌用の化粧水やクリーム。未開封のものがぎっちり詰まっている。

 手が震えてしまい、扉をうまく閉められないまま洗面所を後にして……キッチンへ。

 

 キッチンの横にあるパントリーは、パスタ、蕎麦、ラーメンから始まり…塩、醤油、オリーブオイル、胡麻油…乾燥エビや干し椎茸…安いものと高いものが二種類ずつ揃っている。

 食器棚も、派手な装飾がなくてシンプルで白い皿やカップが並んでいた。
流石に冷蔵庫の中には持っていくものなどないとわかっていながら覗いてしまう。
 扉を開いてすぐに目に入ったのは鉄分を多く含んだヨーグルト飲料、プルーン…魚や肉が解凍されていて、ポケットには出汁の匂いがする水のボトル、フルーツ飲料が並んでいた。
 

 残っているのは龍一の書斎と撮影部屋だが……流石にそこは手をつけられない。
 ようやく一巡し終えて、手に取ったものは優さんがここに来た時に着ていただろう衣服だけだった。


 
 空な目のままでソファーに横たわる彼女を眺め、ふと気づく。ソファーにもコットンのカバーがついている。寝具につけられていたものと同じメーカー、手触りの物だ。
 カーテンも、無造作に置かれた膝掛けも、まるで女性用の物品ばかりだった。


 この家の全ては、優さんのためのものだ。何もかもが龍一の優さんに対する愛情が溢れ、気遣いに満ちている。
 
 高いものばかりではなく、おそらく優さんが好きだったものを選んでいるのだろう。戸棚に置かれた恋愛小説、消臭剤、芳香剤やボタニカルなドライフラワーの飾り。
 それらはどう考えても龍一の趣味ではない。この家は、優さんのために作られた箱庭で……彼女はここで幸せに暮らしていたのだと思い知らされた。


 彼女は、こんなにも愛されている。
 こんなにも大切にされている。
 行動だけではなく、言葉にももちろん現していることなど動画をチェックしている俺には分かっていた。
 


「服、着替えますね」

 むくりと起き上がった優さんがようやく口を開いてくれた。慌ててしゃがみ込み、顔を覗き込む。

「…………優…さん…」



 まるで…瞳をくり抜いてしまったかのように空になった瞳の色が、そこにはあった。
 瞬きひとつせず、真っ赤になった白目の中にあるのは光を失った昏い瞳。
腕を動かすのにも、足を動かすのにも緩慢に動き、無頓着に服を脱いで体を露わにしていく。

 目を逸らせないまま彼女の体を見つめた。鬱血の痕が無数にあり、歯型までついている。全身に組まなくつけられたそれは、花びらで包まれたように肌を飾っていた。
 彼女が愛された証が刻まれている。


 
「……持っていくものは、何もありません」
「は、い…」

「メモ、書いていいですか?」
「……どうぞ」


 ダイニングテーブルの上にあったメモ帳とペンのセットに彼女が触れて、少し迷った後にサラサラとペンが紙の上を滑る。
 それらを定位置に戻した優さんは、そのままフラフラと歩き出した。


 慌ててそれを追いかけつつ、メモを目の端にとらえる。
 
 そこにはたった一言……。


『ありがとう』

 とだけ記されていた。
 
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