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苦渋
しおりを挟む佐々木side
「日本の長者番付にも載っていて、世界にも幅を利かせていて、知らない者など存在しない。
そんな財閥の婿に迎えると言われて……なぜ頷かないのか理解できん」
「僕には必要がないものだからです。金も、権力も何の価値も意味もない。この世で一番愛してる人は、長者の名前なんて…一人も知りませんよ、きっと」
堂島財閥、トップグループを仕切る手腕にまで成長した若き取締役の龍一は、自身の親である堂島会長を前に一歩も引かなかった。
本人が手塩にかけて育てたグループ会社は、本当に小さな会社だった。それをあっという間に大きくし、黒字に押し上げ、富豪のランクづけに迄堂島気をのし上げたのは彼の一手によるものだった。
三上物産のご令嬢の後を引き継ぎ、婚約者に名乗りをあげたのは日本一の長者である柳澤氏。一人娘が跡取りであり、彼女にも経営手腕はあるものの…男の跡取りが欲しいと…事件発覚直後には名乗りをあげたそうだ。
いや、これはすでに用意されていた手段だと思わざるを得ない。龍一が熱を上げて優さんを追いかけている頃から決まっていた話で、この一連の事件をどう片付けるか……相手側が様子を見ていただけの事だ。
そうでなければ、日本一の財閥社長がこんなにも早く『婿になってくれ』などと言う訳もない。
龍一の動きを見て『これは一族に引き入れるに値する』と確信を得て一人娘を差し出した。
優さんを愛しているのなら愛人にしても良いとまで言って来ている。
――そんな事、龍一が了承するわけもないのに。誰も彼もが彼の本意を見ようとはしていない。彼を欲しがって、持ち上げる誰もが彼の言い分など聞くがそもそもないのだ。
「この話をもし、断ると言うのなら親子の縁を切るんだぞ。お前の私財があったとして、それを潰してやることなど造作もない」
「そうかもしれませんね。僕は方々に手を回されて再就職もできず、会社を立ち上げても潰されるかもしれません」
「身の危険も、あるんだ」
「わかっていますよ。そんな事は。一応父上と言っておきましょうか。
僕は優さんに最後の一手を貰っていますから、自分の意思を曲げるつもりはありません」
「……最後の?なんの話だ」
堂島会長は腕を組んで完全にご不満顔だ。ここから、どう話を持って行くのだろうか。
「僕には優さんがもたらしてくださった自由の羽があります。今まで知りもしなかった事業を手に入れた。
あの産業はインターネットの中にある。アングラなサイトからの発信や秘密裏に動いても大金が動くんです。
……もし、あなた方が見つけてもまた新しく立ち上げ直せばいい。
知ってますか?人の執着や、愛は必ず求めるものを手に入れようとする。どんな障害があっても、それは変わりませんよ。人の性と言うものです」
「……いかがわしい事業で生計を立てると言うのか」
「いかがわしい、と言う観点に関しては個人の感想でしかありませんが。少なくとも黒いやり取りや思惑、草達を使うような仕事ではありませんよ。
あなたと違って、他者の命を手に取ることもなく、実の子を道具にすることもない。……僕は、もうあなたの道具でないんだ。なりふり構わず噛みつきますよ。たとえ血が繋がっていたとしても、そこに愛も執着もない。形ばかりの家族に対して、情は抱けませんね」
「…………わかった。縁切りと、社長退任の手続きを行う。顧問弁護士を読んでくれ」
あっさり引いた会長に鋭い視線を送りつつ、ポケットの中のスマートフォンが鳴動する。……予定通り、これから龍一の自宅に向かう事になった。
緊張感の漂う会議室を後にして、鎮まり返った廊下を歩く。
……この時点でも、自分の腹の中が決まっていないことに……自分でも驚いている。
「佐々木さん」
「……っ!?は、萩原……どうした、こんなところで」
廊下の角を曲がると、腕を組んだ萩原が壁に背をつけ、睨んでくる。
萩原はぱっと見が派手で優柔不断そうに見えるが、その実勘が鋭く大事な場面ではなかなかその勘を外さない。
共に仕事をする様になってから、より顕著にそれを発揮する様になったと思う。……何か、気づかれたのだろうか。
「俺は、優さんと社長について行きますよ。佐々木さんも、そうですか」
「……あぁ」
「信じていいんスよね?俺は、優さんの気持ちが第一ですから。社長とイチャイチャしてもらって、この先バンバン儲けて……幸せになってくれるのを見守りたいんス」
「俺だって同じだ」
「……そうですか、良かったです。
ご自身も気をつけてくださいね。怪我したら、心配されますから」
「あぁ。……後を頼むぞ」
「はい」
険しい顔のままでうなずく萩原を背にして、今更心臓が跳ね出した。
バレているわけがない。どんなに優さんを思っていても、それに気づかれたのは龍一にだけだ。……うまく行く。きっと、うまく行くはずだ。
そう言い聞かせて、駐車場へと足早に向かった。
━━━━━━
「遅かったわね」
「申し訳ございません」
「いいわ、出してちょうだい。話は長引かせられるのかしら?あの人…龍一とまともに話した事なかったでしょう」
「お互い、そうでしょうね」
いつもの社用車ではなく、会長が使う専用の車両を運転しつつ、後部座席に座った女性を言葉を交わす。
きつめの香水の香りが鼻につき、指にたくさんつけられた指輪が陽光を弾いて無駄にギラギラと反射している。石が小さくても、大量につけていれば同じ印象になるんだな、と納得してしまう。
……顔は龍一にそっくりでも、性格は微塵も似ていない。彼女もまた、自分の息子を大切にするような人ではなかったのだ。
「羽田さんを泣かせちゃうと思うわ。その方が都合がいいわよね、佐々木さんにとっては。」
「……お手柔らかにお願いします」
大仰にため息をつかれ、バックミラーから目を逸らす。
「全く…誰も彼もが何も持たない小娘に熱をあげて……バカみたいよ」
つぶやかれた言葉の棘を受け取り、ハンドルを強く握りしめた。何も言い返せる立場ではない、自分の不甲斐なさに唇を噛む。
血の味が滲んで、痛みすら感じなくなったそれを……生涯癒されることのないように、と願うしかなかった。
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