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県外遠征@沖縄
141⭐️追加新話 二人の夜明け
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颯人side
「真幸、海を見よう。朝焼けを眺めながら茶でも飲むか」
「ハイ」
「さんぴん茶とやらを淹れる。沖縄の茶なのだろう?あちらではあまり見かけぬからな」
「ハイ」
表情を固くした真幸を窓辺の大きな柔らかい椅子に下ろす。そろりと我を見上げてくる瞳は不安げに揺れていた。
そのような顔をせずとも、長きに渡って其方の決心を待つ我を信じて欲しい。
しかし、どんな表情も愛おしいが故口に出せぬ……この顔を見れなくなるのは嫌だ。困ったものだな。
湯を沸かす器に水を入れて、すいっちを押し、茶器を取り出す。布の中に茶葉を入れた『ぱっく』とやらの封を切り、琉球模様が刻まれた器にそれを落とす。
我は真幸と出会って、このように口に入れるものをはじめて触った。それは、差し出す相手が笑顔になると知っているからそうするのだ。
料理を作るのも、食事時に浮かべる笑顔のためだった。愛おしい人の笑顔を受け取り、幸せだと思うのを教えたのは真幸なのだ。
真幸は我が花開かせたとは思う。しかし、我自身を大きく変えたのは真幸なのに間違いない。
日々の暮らしは、相棒なしではこのように面白おかしく過ごせはしなかっただろう。それを失う事などないと確信していても、今一歩踏み出せずにいたのは我らしくもなかったな。
真幸の抱えた闇を溶かしてやりたいと思いつつ、真に拒絶されてしまうのが怖かった。
琉球では予想外のことばかり起きたが、ようやく踏み出す決心がついた。
真幸が堰止めているものを壊すのは、相棒であり半身である我の務めだと思い出した。
「熱い湯だ、溢さぬように」
「うん、ありがとう」
机の上に湯を注いだ器を並べ、差し出す。ふた揃いのそこから湯気が微かに漂い、朝の冷たい気配をあたためてくれる。
真幸の肩に手を置き、抱えて隣に座る。一瞬体を固くしたが胸元で我の心音を聞き、体の力が緩んだ。
「沖縄ってさぁ、不思議な場所だよな。景色が綺麗なのはもちろんそうだけど、時間の流れがゆっくりになる。
こんな風になるのって、どうしてだと思う?」
「そうさな……蒼海は青く輝き、花々が咲き乱れて色をさまざまに飾る。それに気づく者へは、全てが優しくなるだろう」
「……ロマンチックだなぁ」
「嫌いではなかろう、其方の感性に触れるものがあるはずだ」
「……うん」
穏やかな沈黙の中に、波音と心音が重なる。暖かな茶を啜り、時が止まり、全てが満たされていく。
地平線に朝日が完全に姿を現し、強い日差しが差し込む。
紗の布を引き、それをわずかに和らげる。
薄明かりになった部屋の中で、真幸を見つめる。じっと朝日を見るその顔は、やや思い悩んでいるようだった。……さて、どこから始めたものか。
「あの……は、颯人、俺は、颯人との関係を長い間曖昧にしていたけど、色んなものに区切りはついてる。まだ、越えられない物があるからちゃんと言い出せなかった。
白石が言ってたんだ。こう言うのは全部をそのまま受け入れて、全部を欲しがるのが正解なんだって」
「……ほう?白石は真理に辿り着いたか」
真幸から切り出されるとは思わず、茶を取り落としそうになる。白石の話とやらは、聞いていない……これは助け舟を出されたと言うことやも知れぬ。
「うん。前世の彼女と今世の彼女を分けて考えていたのは間違いだったって。どちらも魂は同じだし、悲しい過去があったとしても清音さんは清音さんだろ?
……だから、その清音さんの夢見話を聞いて思う事がある」
「ふむ……何を思う?」
腕を回して胸元に抱きつき、顔を埋めた真幸が僅かに唸る。あぁ、恥ずかしいのだな。愛い姿を見て顔が勝手に綻んでしまう。
空の器を机に置き、両手でそれを閉じ込めた。
女神になった我の花は小さい。元々大きくはなかったが、今では抱きしめた時に手が余るほどになった。
この姿を選んだのは真幸だったのだ。その事実が、心の中に熱を足していく。
「颯人が言ったように……トラウマを、どうにかしたい。ちゃんと颯人に結果を渡したい」
「……そうか。」
「す、すぐには無理だよ。多分……みんなの前では今まで通りにしかできないし、きっと颯人が望んでいるような事はできない」
「あぁ、わかっている」
「この気持ちが相棒としてなのか、そうじゃないのかが分からない。俺は本当にどこからが区切りなのかさっぱりわかんないままだ」
「先ほどの話を適用するならば、そこは線を引かなくても良いのではないか?」
「確かにそうかも知れないな。……でも妃菜が言っていた『気持ちが溢れてどうにもならなかった』とか、ウズメが言っていた『伝わりきれないもの』は感じたし、理解できた。
俺は、こう言うのをちゃんと区切りたい。区切った上で踏み出したい……と思う。」
「…………そうか」
そっと背中を撫でると、細やかな肩が跳ねる。我の花が長きにわたり思い悩んでいたのは我を思っての事だと知ってはいた。
これが真幸にとって恋なのか、そうでないのかは我にも分からぬ。頭の中を覗いても答えはそこにない。
我自身の中には清音と同じく熾火が燻っている。それを、真幸が知らぬはずはなく……わずかに火が起きたのを感じているだろう。
「少し触れても良いか。嫌だと思えば張り倒せ。我の思いはそれでも変わらぬ。結論を出したいと思ってくれるのならば遠慮するな」
「…………うん」
くぐもった声は既に緊張で掠れている。背中に指先で触れて、なぞるだけで胸元を掴んだ手が大きく震えだした。
――これが、其方の抱える闇なのだ。心の触れ合いは躊躇なくできるが、体の触れ合いは難しい。特に、無惨に扱われた過去の記憶と重なる部分は。
我は今、魚彦が言っていた過去に触れる事を許された。ただ癒してやりたい、我が現世を去ったが故にその傷を増やした過去を上書きしたい……愛しているからこそそう思っていても、真幸の体は恐怖を示している。
震えた肩を両手で掴み、そっと撫でて耳元に唇を寄せる。
「愛している」
「……っ、」
「我の花は其方一人だ。…………愛している」
何度も繰り返し囁き、耳に唇で触れる。
乱れた黒髪を整え、反対の肩に避ける。黒い絹糸はしなやかに肩を覆い、震えに流れていく。頬に手を置いたところで体全体が震え出した。冷たくなった体、目を強く瞑った姿に限界を悟る。
――今日はここまでだな。よく頑張ってくれた。
「ごめ……」
「謝る必要はない。これは我の為に其方がしている事なのだ。前進できたではないか」
「……」
「我は、其方以外に欲しいものなどない。枕を交わす事は考えておらぬし、震えるのを憎らしくも思わぬ」
襟の合わせからちらりと覗いた双眸は涙に濡れている。感じやすく、察しが良く、何もかもを知ってしまっている真幸はやや疑わしげな眼差しを寄越した。
「欲望を抱くのは仕方あるまい?この世でいちばん愛おしい其方が『踏み出したい』と言ってくれたのだから」
「……やっぱ、したいんじゃん」
「そう思っていても、我は出会ってからずっと手出しをしておらぬではないか。我の心を信じて欲しい」
「………………」
「其方が何よりも大切な我は手を出せぬ。結果としてとらうまの克服に利用されるだけでも良い。いつも言っているだろう?ヒトガミを『上手く使ってくれ』と。それと同じ事だ。もっと早くに伝えるべきだったな」
「……むぅ。うぅ……むーん」
「欲望のままに抱いても其方は腕の中からすり抜ける。そして、二度と戻らぬだろう?それこそ耐えられぬ事だ」
「うー……ん……」
「あぁ……こう思えば良いのではないか?ヤトや管狐に触れるのと同じく、愛らしいものをただ撫でたいだけなのだと」
「…………な、なるほど?」
「其方の細い髪は手触りが良く、我はとても気に入っている。頭を撫でられるのは嫌いではないだろう」
「うん」
「唇で触れるのは嫌か?」
「……別に、平気」
「そうなると、邪な心持ちで触られるのが引き金だな」
「うん、多分……だけど」
「わかった。今日はとてもよい収穫を得た。布団を敷こう、しばし休むのだ」
「…………うん」
真幸を手放し、畳の上に布団を敷く。
……二つ、敷くべきだろうか。怖がらせてしまったのだから同衾は控えるべきではないか。
布団を一組み敷いて、思い悩む。頭の中で魚彦や暉人に問うてみても、返事がない。
我とてこのような事態は初めてなのだが……いかにするべきかわからぬ。
我らしくありたいが、この先は本当に知らぬのだ……うーむ。
「お布団ありがと。」
「ん?あぁ……」
布団を敷き終え、悩んでいたらいつの間にか部屋の中が暗くなっている。
厚い布を窓に広げたようだ。真幸がさっさと布団に入っていった。
「……お布団、入りなよ」
「うむ……」
自宅の布団よりは少し小さめだ、密着せねば眠れまい。畳の上に体を横たえると、真幸が頬を膨らませた。
「なんで畳の上に寝てんのさ」
「うむ……その、怖かっただろう?我は手を繋ぐだけでもよい」
「やだよ。いつもみたいに当たり前の顔して腕枕してくれよ。颯人に抱っこされないと、俺は寝られないんだからな」
思わぬ褒美をもたらした真幸は頭まで布団の中に潜り込む。
口の端が上がるのは抑えられぬ。布団に潜り込み、いつもの通りに首の下に腕を通して互いの体を引き寄せる。
いつもと違う布団の中で、今までとは明らかに顔色が違う真幸が胸元に耳を押し付ける。瞼を閉じ、まつ毛の先が震えて……抱えた雫をほろりと溢した。
謝るな、と言ったのは間違いだったろうか。気に病んでしまうのは忍びない。だが、ここで覆せば確実に傷つけてしまう……なかなか難しいな。
「……今日は、雨降りのようだ」
「うん」
「我は晴れも好きだが雨も好きだ。特に、そなたの降らす雨がいちばん愛おしい」
「……うん」
口先まで出かかった『愛している』の言葉を飲み込み、額に口付けて目を閉じる。
胸元に降る雨は、優しく甘く、我の心に染み込んだ。
━━━━━━
「星野さん、ちょっとお話ししたいんだけど」
「ハッ!?ひ、ひさしぶりのご用命ですね!!???」
「う、うん。いい?」
「もちろんですっ!!!!!!」
「あの……颯人、待っててくれるか」
「あぁ」
星野を連れ出し、真幸が中庭に出て行く。……忘れ草を吸うのは久方ぶりではないだろうか?
煙を燻らせる二柱を窓越しに見つめ、茶を啜る。……伏見の目線がうるさい。
朝……いや、時刻は牛の刻を告げている。一眠りした後に綾子の作った麩ちゃんぷるーとやらが届き、皆でいただいたところだ。
食事の席には清音と白石以外は揃っている。清音は術を施し馴染むまでは動けない。自宅に帰るまでは眠ったままになるだろう。白石は……しばらく休ませてやりたい。
「颯人様?芦屋さんに何かしましたか??しましたよね??そう言えば綾子さんが良からぬ話をしていた、と思い出しました」
「良からぬ事はしておらぬ」
「いや、何かあったやろ?真幸の顔見てや、真剣なんやけど」
「ずっと気になってたんですけど、泣いた跡がありませんか?目尻が赤いです。颯人様、嘘つくと嘴で切り裂きますよ?」
「お前ら落ち着けって。颯人様が真幸に酷い事する訳ねぇだろ。二人の間を引っ掻き回すのはやめろ」
皆に凄まれて、鬼一に助けられた。
一様に眉を下げているのは真幸を思ってのことだ。近衛達の察しの良さが頼もしい限りであり、我にとってもこの状況は渡りに船だ。
「ちょうどよい。お主らに聞きたいことがある。真幸が星野に求めたように、我もそなた達に求めよう。魚彦も暉人も応じてくれぬのだ。何かあったかと言われれば是と答えるべきだな」
「な、なんやて!?」
「妃菜、トーンダウンして。私も聞くわ、何があったの?」
「あぁ、飛鳥は先輩なのだ。ぜひ忌憚なき意見を聞かせてくれ。
真幸は清音と白石の話に感化されて……それから神官長の言葉に感じいってな。我との間柄に『結論を出したい』と言った。」
「「「「………………ゴクリ」」」」
「そして、我が思わず口に出した『とらうまを克服しよう』と言う結論になり、しばし体に触れたのだ。
が、やはり難しいようだ。少しずつ慣らして行こうと話した。……そこでだ、触れ合いというものは、枕を交わさぬ場合どこまで許される?」
しばしの沈黙の後、伏見が防音結界を張った。
「どこまで触ったんです?」
「伏見、顔が怖いぞ。」
「鬼一は黙ってなさい。颯人様、芦屋さんにどこまでしましたか?」
「伏見が案ずるようなことは何もない。いつもと同じく抱きしめて耳元で囁き、背を撫でた」
「……本当ですね?」
「あぁ、相棒の座に誓う」
「はぁ……失礼な聞き方をしてすみません。そういう話をしていただけるのは本当にありがたいのですが、事前に言ってください!心臓が凍りつきそうでしたよ僕は!」
「聞きたいことがある、と言ったではないか」
「くっ……今後のために相言葉を作りましょう。後ほどお伝えしますから、次からはそうしてください」
「わかった」
みなが一斉に卓を囲み、顔を寄せてくる。真幸と星野はまだ長くなりそうだな、こちらも話を進めよう。
「今まで背中触るなんてよくあった事なのに、ダメだったって……どんな反応だったの?」
「我が真幸の言葉で熾火の火を起こしてしまった。すぐに収めたつもりだったがわずかに見えた炎に怯え、欲望を感じてしまった故に恐怖を覚えたのだ。あれは敏感だからな」
「あぁ…………。颯人様に向き合うってそう言う事になるんか」
「そうね。あの子には避けて通れないわ。颯人との関係をちゃんとしたいって思ったのよ」
「それにしたってですよ、僕にはプラトニックな両思いにしか見えないんですが?何故突然そんな事に……」
「今現在、相棒にこだわってんのは全てを明け渡せないからじゃねぇのか?あいつはそう言うのとことん頑固だろ。
感化されたってのは、真幸自身が『このままじゃダメだ』と薄々思ってたって事だ」
「過去が体をそうさせてしまうのだろうし、鬼一の言う通り『すべてを渡す事』がおそらく真幸が自身に課した縛りなのだ。
いつもと僅かに違う温度で、心地で触れただけだったが……すぐに察して体が震えていた。涙を流したのはそれ故だ」
「そうだったんですかー……すみません、嘴でつつくだけにしますね。泣かしたのは変わらないんで」
「突くのはやめないんやな、ちょこっとだけにしときや」
「そこは止めろよ、お前……」
「鬼一さんにも止められんやろ?」
「…………そ、それよりだ。どこまでが境界線なのか、考えたほうがいいだろ」
「確かにそやな……うーむ」
皆思い思いに思案顔になり、答えを待って中庭に目を向ける。ようやく真幸が口を開いた。
『俺、最低なことしちゃった』
『何があったんです?』
『颯人との関係にちゃんと向き合いたいって思って、トラウマを解消したいって思って、少しずつ触るとか……言わせた』
『ふむ、結論から聞きましょうか。芦屋さんが思い悩んでいるのはどの部分ですか?』
『俺、自分のトラウマを克服させるために触らせて……セ、セフレみたいな事をさせようとしてるんだ!!』
『わぁ……なるほど』
――星野に結界を張られてしまったな。これ以上は聴こえまい。せふ……なんと言ったか、あれはどう言う意味だ?
「真幸さんが言ったことは忘れてくださーい。知らないほうがいい言葉ですよー」
「ふむ、アリスも聞いたのか。知らぬほうが良いならそうしよう」
「いやいや!突っ込ませてください!!芦屋さんが何と言ってたんですか?」
「…………セフレみたいな事させようとしてるって」
「なるほど、わかりました。」
「あのー……みんな元人間だから多分そう判断したのよね?私たち神はそう言うことには本来奔放なのよ。古事記や日本史を知っているでしょう?」
「せやかて飛鳥はちゃうやんか。天照殿、月読もちゃうやろ?」
「あのねぇ、妃菜。私や颯人、天照殿や月読殿は真幸に出会ったからそう言う観念を持ったのよ。私はこう言う属性だから興味はなかったけれど、神にとって情を与えるのは福を与えるのと同じなの」
「……な、なるほど?」
「そうするってぇと真幸が貞操観念を齎したのか?」
「そうよ。子を成すのに誓で済むのにわざわざ枕をかわす、って言うのはそれが神々にとって悪い事じゃないからよ。
颯人はその点、本当にすごいのよ?私と違って内実を知りながら、何百年も手出ししないでいるんだから。」
「確かにそうですねー。真幸さんが抱えた過去が重たいのもあると思いますけど」
「でも、それならば尚のこと苦しいのではありませんか?颯人様はそれこそ史実では奔放な方でしたよね?そして、それを知っていて我慢させているとわかっている芦屋さん。お二方とも辛いじゃありませんか……」
皆苦い顔になってしまったが、我は取り残されているのではなかろうか。何をそんなに思い悩むのだ?
「我はせふ……何某がわからぬ」
「体の欲求だけ解消し合う仲をそう言うのよ。人間はそれを良しとしないの」
「そう言う事か。真幸には散々愛していると囁いているのにか?」
「颯人じゃなくて、真幸の方がそう言う求め方をしてしまったんじゃないか、って思っているのよ」
「あぁ、あれは真正直故に極端な思考に走るのだ。今は星野に任せれば良い。 それに、日々を過ごすうちにそれは解消できよう。我は間違いなく真幸を愛している。そして、真幸の求める行く末はそのような意思などない」
「……結論、出てるじゃないの」
「先の事はとうの昔にわかっている。だが、恋仲や夫婦と成らずの場合はどこまでが許されるのかは問題だろう?真幸自身が気に病むではないか。
友でも何でも良い、我は魂のある限り共にいたいのだ。苦痛ではなく安らぎを与える者でありたい」
「…………俺は、颯人様と真幸で決めていけばいいと思います」
「せやな、私……間違ってたわ。颯人様は鬼一さんの言う通り酷い事なんかするわけ無いって思い知った」
「ふふ、妃菜もわかってくれたのね」
「飛鳥はわかっとったんやな。ごめん」
「いいのよー。颯人との真幸はお似合いなのよ。それだけの事なの」
「はー……わたしにもようやく理解できました。颯人様は聖人だということが。」
「だからそう言ったのに……誰も俺の話を聞かねぇからだぞ」
「「「ハイ、おっしゃる通りです」」」
「……颯人様、すみませんでした」
伏見が頭を下げ、皆がそれに倣う。
……おかしい、何故こうなってしまうのだろう。ただ、人としての意見を聞きたかっただけなのだが。
「意見をもらえぬのか、我は」
「そういう事じゃ無いんですよ、颯人様。あなたには芦屋さんが、芦屋さんには颯人様がかけがえのない命なんです。それを思い知りました。
純粋な心持ちが、いろんな欲望に塗れた元人間の僕たちに滲みただけです」
「……うむ?よくわからぬ……」
中庭では星野が真幸を抱きしめ、頭を撫でている。そういえば我が現世に戻った時も助けてくれたのは星野だったな。
真幸の混乱を鎮め、絡まったものを解いてから我に渡してくれた。今回もまた同じことになるだろう。
あの頃は、真幸が他の者へ意見を問うのが心苦しかった。だが、我らの事を長きにわたり見てきてくれた者がそばに居るのだから話を聞けるのはありがたい。
我の話に感じ入る物があったのならば、今後は真幸と二人で決めていくのが良いという事だな。意見を問うてよかった。
「白石と清音さんは……颯人様と芦屋さんに似てますね」
「伏見は今頃気づいたのか?始まりは違えど、我は白石の心がよくわかる。それ故に苦しみも理解できる。
しかし、我らはあの二人のおかげで先に進めるのだ。我と真幸だけでなく皆が幸せになれるよう、努力を重ねるしかあるまい。恐らくはそう言う仕合わせなのだろう」
「はい」
頬杖をつき、真幸と星野を見つめる仲間達は瞳が溶けそうだ。我がそうしてしまったのか、真幸がそうしたのかはわからぬが……結論は二人で出せ、という事はよく分かった。
(颯人こそ今頃じゃ。何と言うか悩んでおったのに。我らが止めぬ限りは好きにせい)
(大将、すまん。俺には応えようがない。二人が導き出したものこそが答えだと、それだけは言える)
問いかけた二柱に言葉をもらい、深く頷く。中庭から星野に手招きされ、席を立った。
「真幸、海を見よう。朝焼けを眺めながら茶でも飲むか」
「ハイ」
「さんぴん茶とやらを淹れる。沖縄の茶なのだろう?あちらではあまり見かけぬからな」
「ハイ」
表情を固くした真幸を窓辺の大きな柔らかい椅子に下ろす。そろりと我を見上げてくる瞳は不安げに揺れていた。
そのような顔をせずとも、長きに渡って其方の決心を待つ我を信じて欲しい。
しかし、どんな表情も愛おしいが故口に出せぬ……この顔を見れなくなるのは嫌だ。困ったものだな。
湯を沸かす器に水を入れて、すいっちを押し、茶器を取り出す。布の中に茶葉を入れた『ぱっく』とやらの封を切り、琉球模様が刻まれた器にそれを落とす。
我は真幸と出会って、このように口に入れるものをはじめて触った。それは、差し出す相手が笑顔になると知っているからそうするのだ。
料理を作るのも、食事時に浮かべる笑顔のためだった。愛おしい人の笑顔を受け取り、幸せだと思うのを教えたのは真幸なのだ。
真幸は我が花開かせたとは思う。しかし、我自身を大きく変えたのは真幸なのに間違いない。
日々の暮らしは、相棒なしではこのように面白おかしく過ごせはしなかっただろう。それを失う事などないと確信していても、今一歩踏み出せずにいたのは我らしくもなかったな。
真幸の抱えた闇を溶かしてやりたいと思いつつ、真に拒絶されてしまうのが怖かった。
琉球では予想外のことばかり起きたが、ようやく踏み出す決心がついた。
真幸が堰止めているものを壊すのは、相棒であり半身である我の務めだと思い出した。
「熱い湯だ、溢さぬように」
「うん、ありがとう」
机の上に湯を注いだ器を並べ、差し出す。ふた揃いのそこから湯気が微かに漂い、朝の冷たい気配をあたためてくれる。
真幸の肩に手を置き、抱えて隣に座る。一瞬体を固くしたが胸元で我の心音を聞き、体の力が緩んだ。
「沖縄ってさぁ、不思議な場所だよな。景色が綺麗なのはもちろんそうだけど、時間の流れがゆっくりになる。
こんな風になるのって、どうしてだと思う?」
「そうさな……蒼海は青く輝き、花々が咲き乱れて色をさまざまに飾る。それに気づく者へは、全てが優しくなるだろう」
「……ロマンチックだなぁ」
「嫌いではなかろう、其方の感性に触れるものがあるはずだ」
「……うん」
穏やかな沈黙の中に、波音と心音が重なる。暖かな茶を啜り、時が止まり、全てが満たされていく。
地平線に朝日が完全に姿を現し、強い日差しが差し込む。
紗の布を引き、それをわずかに和らげる。
薄明かりになった部屋の中で、真幸を見つめる。じっと朝日を見るその顔は、やや思い悩んでいるようだった。……さて、どこから始めたものか。
「あの……は、颯人、俺は、颯人との関係を長い間曖昧にしていたけど、色んなものに区切りはついてる。まだ、越えられない物があるからちゃんと言い出せなかった。
白石が言ってたんだ。こう言うのは全部をそのまま受け入れて、全部を欲しがるのが正解なんだって」
「……ほう?白石は真理に辿り着いたか」
真幸から切り出されるとは思わず、茶を取り落としそうになる。白石の話とやらは、聞いていない……これは助け舟を出されたと言うことやも知れぬ。
「うん。前世の彼女と今世の彼女を分けて考えていたのは間違いだったって。どちらも魂は同じだし、悲しい過去があったとしても清音さんは清音さんだろ?
……だから、その清音さんの夢見話を聞いて思う事がある」
「ふむ……何を思う?」
腕を回して胸元に抱きつき、顔を埋めた真幸が僅かに唸る。あぁ、恥ずかしいのだな。愛い姿を見て顔が勝手に綻んでしまう。
空の器を机に置き、両手でそれを閉じ込めた。
女神になった我の花は小さい。元々大きくはなかったが、今では抱きしめた時に手が余るほどになった。
この姿を選んだのは真幸だったのだ。その事実が、心の中に熱を足していく。
「颯人が言ったように……トラウマを、どうにかしたい。ちゃんと颯人に結果を渡したい」
「……そうか。」
「す、すぐには無理だよ。多分……みんなの前では今まで通りにしかできないし、きっと颯人が望んでいるような事はできない」
「あぁ、わかっている」
「この気持ちが相棒としてなのか、そうじゃないのかが分からない。俺は本当にどこからが区切りなのかさっぱりわかんないままだ」
「先ほどの話を適用するならば、そこは線を引かなくても良いのではないか?」
「確かにそうかも知れないな。……でも妃菜が言っていた『気持ちが溢れてどうにもならなかった』とか、ウズメが言っていた『伝わりきれないもの』は感じたし、理解できた。
俺は、こう言うのをちゃんと区切りたい。区切った上で踏み出したい……と思う。」
「…………そうか」
そっと背中を撫でると、細やかな肩が跳ねる。我の花が長きにわたり思い悩んでいたのは我を思っての事だと知ってはいた。
これが真幸にとって恋なのか、そうでないのかは我にも分からぬ。頭の中を覗いても答えはそこにない。
我自身の中には清音と同じく熾火が燻っている。それを、真幸が知らぬはずはなく……わずかに火が起きたのを感じているだろう。
「少し触れても良いか。嫌だと思えば張り倒せ。我の思いはそれでも変わらぬ。結論を出したいと思ってくれるのならば遠慮するな」
「…………うん」
くぐもった声は既に緊張で掠れている。背中に指先で触れて、なぞるだけで胸元を掴んだ手が大きく震えだした。
――これが、其方の抱える闇なのだ。心の触れ合いは躊躇なくできるが、体の触れ合いは難しい。特に、無惨に扱われた過去の記憶と重なる部分は。
我は今、魚彦が言っていた過去に触れる事を許された。ただ癒してやりたい、我が現世を去ったが故にその傷を増やした過去を上書きしたい……愛しているからこそそう思っていても、真幸の体は恐怖を示している。
震えた肩を両手で掴み、そっと撫でて耳元に唇を寄せる。
「愛している」
「……っ、」
「我の花は其方一人だ。…………愛している」
何度も繰り返し囁き、耳に唇で触れる。
乱れた黒髪を整え、反対の肩に避ける。黒い絹糸はしなやかに肩を覆い、震えに流れていく。頬に手を置いたところで体全体が震え出した。冷たくなった体、目を強く瞑った姿に限界を悟る。
――今日はここまでだな。よく頑張ってくれた。
「ごめ……」
「謝る必要はない。これは我の為に其方がしている事なのだ。前進できたではないか」
「……」
「我は、其方以外に欲しいものなどない。枕を交わす事は考えておらぬし、震えるのを憎らしくも思わぬ」
襟の合わせからちらりと覗いた双眸は涙に濡れている。感じやすく、察しが良く、何もかもを知ってしまっている真幸はやや疑わしげな眼差しを寄越した。
「欲望を抱くのは仕方あるまい?この世でいちばん愛おしい其方が『踏み出したい』と言ってくれたのだから」
「……やっぱ、したいんじゃん」
「そう思っていても、我は出会ってからずっと手出しをしておらぬではないか。我の心を信じて欲しい」
「………………」
「其方が何よりも大切な我は手を出せぬ。結果としてとらうまの克服に利用されるだけでも良い。いつも言っているだろう?ヒトガミを『上手く使ってくれ』と。それと同じ事だ。もっと早くに伝えるべきだったな」
「……むぅ。うぅ……むーん」
「欲望のままに抱いても其方は腕の中からすり抜ける。そして、二度と戻らぬだろう?それこそ耐えられぬ事だ」
「うー……ん……」
「あぁ……こう思えば良いのではないか?ヤトや管狐に触れるのと同じく、愛らしいものをただ撫でたいだけなのだと」
「…………な、なるほど?」
「其方の細い髪は手触りが良く、我はとても気に入っている。頭を撫でられるのは嫌いではないだろう」
「うん」
「唇で触れるのは嫌か?」
「……別に、平気」
「そうなると、邪な心持ちで触られるのが引き金だな」
「うん、多分……だけど」
「わかった。今日はとてもよい収穫を得た。布団を敷こう、しばし休むのだ」
「…………うん」
真幸を手放し、畳の上に布団を敷く。
……二つ、敷くべきだろうか。怖がらせてしまったのだから同衾は控えるべきではないか。
布団を一組み敷いて、思い悩む。頭の中で魚彦や暉人に問うてみても、返事がない。
我とてこのような事態は初めてなのだが……いかにするべきかわからぬ。
我らしくありたいが、この先は本当に知らぬのだ……うーむ。
「お布団ありがと。」
「ん?あぁ……」
布団を敷き終え、悩んでいたらいつの間にか部屋の中が暗くなっている。
厚い布を窓に広げたようだ。真幸がさっさと布団に入っていった。
「……お布団、入りなよ」
「うむ……」
自宅の布団よりは少し小さめだ、密着せねば眠れまい。畳の上に体を横たえると、真幸が頬を膨らませた。
「なんで畳の上に寝てんのさ」
「うむ……その、怖かっただろう?我は手を繋ぐだけでもよい」
「やだよ。いつもみたいに当たり前の顔して腕枕してくれよ。颯人に抱っこされないと、俺は寝られないんだからな」
思わぬ褒美をもたらした真幸は頭まで布団の中に潜り込む。
口の端が上がるのは抑えられぬ。布団に潜り込み、いつもの通りに首の下に腕を通して互いの体を引き寄せる。
いつもと違う布団の中で、今までとは明らかに顔色が違う真幸が胸元に耳を押し付ける。瞼を閉じ、まつ毛の先が震えて……抱えた雫をほろりと溢した。
謝るな、と言ったのは間違いだったろうか。気に病んでしまうのは忍びない。だが、ここで覆せば確実に傷つけてしまう……なかなか難しいな。
「……今日は、雨降りのようだ」
「うん」
「我は晴れも好きだが雨も好きだ。特に、そなたの降らす雨がいちばん愛おしい」
「……うん」
口先まで出かかった『愛している』の言葉を飲み込み、額に口付けて目を閉じる。
胸元に降る雨は、優しく甘く、我の心に染み込んだ。
━━━━━━
「星野さん、ちょっとお話ししたいんだけど」
「ハッ!?ひ、ひさしぶりのご用命ですね!!???」
「う、うん。いい?」
「もちろんですっ!!!!!!」
「あの……颯人、待っててくれるか」
「あぁ」
星野を連れ出し、真幸が中庭に出て行く。……忘れ草を吸うのは久方ぶりではないだろうか?
煙を燻らせる二柱を窓越しに見つめ、茶を啜る。……伏見の目線がうるさい。
朝……いや、時刻は牛の刻を告げている。一眠りした後に綾子の作った麩ちゃんぷるーとやらが届き、皆でいただいたところだ。
食事の席には清音と白石以外は揃っている。清音は術を施し馴染むまでは動けない。自宅に帰るまでは眠ったままになるだろう。白石は……しばらく休ませてやりたい。
「颯人様?芦屋さんに何かしましたか??しましたよね??そう言えば綾子さんが良からぬ話をしていた、と思い出しました」
「良からぬ事はしておらぬ」
「いや、何かあったやろ?真幸の顔見てや、真剣なんやけど」
「ずっと気になってたんですけど、泣いた跡がありませんか?目尻が赤いです。颯人様、嘘つくと嘴で切り裂きますよ?」
「お前ら落ち着けって。颯人様が真幸に酷い事する訳ねぇだろ。二人の間を引っ掻き回すのはやめろ」
皆に凄まれて、鬼一に助けられた。
一様に眉を下げているのは真幸を思ってのことだ。近衛達の察しの良さが頼もしい限りであり、我にとってもこの状況は渡りに船だ。
「ちょうどよい。お主らに聞きたいことがある。真幸が星野に求めたように、我もそなた達に求めよう。魚彦も暉人も応じてくれぬのだ。何かあったかと言われれば是と答えるべきだな」
「な、なんやて!?」
「妃菜、トーンダウンして。私も聞くわ、何があったの?」
「あぁ、飛鳥は先輩なのだ。ぜひ忌憚なき意見を聞かせてくれ。
真幸は清音と白石の話に感化されて……それから神官長の言葉に感じいってな。我との間柄に『結論を出したい』と言った。」
「「「「………………ゴクリ」」」」
「そして、我が思わず口に出した『とらうまを克服しよう』と言う結論になり、しばし体に触れたのだ。
が、やはり難しいようだ。少しずつ慣らして行こうと話した。……そこでだ、触れ合いというものは、枕を交わさぬ場合どこまで許される?」
しばしの沈黙の後、伏見が防音結界を張った。
「どこまで触ったんです?」
「伏見、顔が怖いぞ。」
「鬼一は黙ってなさい。颯人様、芦屋さんにどこまでしましたか?」
「伏見が案ずるようなことは何もない。いつもと同じく抱きしめて耳元で囁き、背を撫でた」
「……本当ですね?」
「あぁ、相棒の座に誓う」
「はぁ……失礼な聞き方をしてすみません。そういう話をしていただけるのは本当にありがたいのですが、事前に言ってください!心臓が凍りつきそうでしたよ僕は!」
「聞きたいことがある、と言ったではないか」
「くっ……今後のために相言葉を作りましょう。後ほどお伝えしますから、次からはそうしてください」
「わかった」
みなが一斉に卓を囲み、顔を寄せてくる。真幸と星野はまだ長くなりそうだな、こちらも話を進めよう。
「今まで背中触るなんてよくあった事なのに、ダメだったって……どんな反応だったの?」
「我が真幸の言葉で熾火の火を起こしてしまった。すぐに収めたつもりだったがわずかに見えた炎に怯え、欲望を感じてしまった故に恐怖を覚えたのだ。あれは敏感だからな」
「あぁ…………。颯人様に向き合うってそう言う事になるんか」
「そうね。あの子には避けて通れないわ。颯人との関係をちゃんとしたいって思ったのよ」
「それにしたってですよ、僕にはプラトニックな両思いにしか見えないんですが?何故突然そんな事に……」
「今現在、相棒にこだわってんのは全てを明け渡せないからじゃねぇのか?あいつはそう言うのとことん頑固だろ。
感化されたってのは、真幸自身が『このままじゃダメだ』と薄々思ってたって事だ」
「過去が体をそうさせてしまうのだろうし、鬼一の言う通り『すべてを渡す事』がおそらく真幸が自身に課した縛りなのだ。
いつもと僅かに違う温度で、心地で触れただけだったが……すぐに察して体が震えていた。涙を流したのはそれ故だ」
「そうだったんですかー……すみません、嘴でつつくだけにしますね。泣かしたのは変わらないんで」
「突くのはやめないんやな、ちょこっとだけにしときや」
「そこは止めろよ、お前……」
「鬼一さんにも止められんやろ?」
「…………そ、それよりだ。どこまでが境界線なのか、考えたほうがいいだろ」
「確かにそやな……うーむ」
皆思い思いに思案顔になり、答えを待って中庭に目を向ける。ようやく真幸が口を開いた。
『俺、最低なことしちゃった』
『何があったんです?』
『颯人との関係にちゃんと向き合いたいって思って、トラウマを解消したいって思って、少しずつ触るとか……言わせた』
『ふむ、結論から聞きましょうか。芦屋さんが思い悩んでいるのはどの部分ですか?』
『俺、自分のトラウマを克服させるために触らせて……セ、セフレみたいな事をさせようとしてるんだ!!』
『わぁ……なるほど』
――星野に結界を張られてしまったな。これ以上は聴こえまい。せふ……なんと言ったか、あれはどう言う意味だ?
「真幸さんが言ったことは忘れてくださーい。知らないほうがいい言葉ですよー」
「ふむ、アリスも聞いたのか。知らぬほうが良いならそうしよう」
「いやいや!突っ込ませてください!!芦屋さんが何と言ってたんですか?」
「…………セフレみたいな事させようとしてるって」
「なるほど、わかりました。」
「あのー……みんな元人間だから多分そう判断したのよね?私たち神はそう言うことには本来奔放なのよ。古事記や日本史を知っているでしょう?」
「せやかて飛鳥はちゃうやんか。天照殿、月読もちゃうやろ?」
「あのねぇ、妃菜。私や颯人、天照殿や月読殿は真幸に出会ったからそう言う観念を持ったのよ。私はこう言う属性だから興味はなかったけれど、神にとって情を与えるのは福を与えるのと同じなの」
「……な、なるほど?」
「そうするってぇと真幸が貞操観念を齎したのか?」
「そうよ。子を成すのに誓で済むのにわざわざ枕をかわす、って言うのはそれが神々にとって悪い事じゃないからよ。
颯人はその点、本当にすごいのよ?私と違って内実を知りながら、何百年も手出ししないでいるんだから。」
「確かにそうですねー。真幸さんが抱えた過去が重たいのもあると思いますけど」
「でも、それならば尚のこと苦しいのではありませんか?颯人様はそれこそ史実では奔放な方でしたよね?そして、それを知っていて我慢させているとわかっている芦屋さん。お二方とも辛いじゃありませんか……」
皆苦い顔になってしまったが、我は取り残されているのではなかろうか。何をそんなに思い悩むのだ?
「我はせふ……何某がわからぬ」
「体の欲求だけ解消し合う仲をそう言うのよ。人間はそれを良しとしないの」
「そう言う事か。真幸には散々愛していると囁いているのにか?」
「颯人じゃなくて、真幸の方がそう言う求め方をしてしまったんじゃないか、って思っているのよ」
「あぁ、あれは真正直故に極端な思考に走るのだ。今は星野に任せれば良い。 それに、日々を過ごすうちにそれは解消できよう。我は間違いなく真幸を愛している。そして、真幸の求める行く末はそのような意思などない」
「……結論、出てるじゃないの」
「先の事はとうの昔にわかっている。だが、恋仲や夫婦と成らずの場合はどこまでが許されるのかは問題だろう?真幸自身が気に病むではないか。
友でも何でも良い、我は魂のある限り共にいたいのだ。苦痛ではなく安らぎを与える者でありたい」
「…………俺は、颯人様と真幸で決めていけばいいと思います」
「せやな、私……間違ってたわ。颯人様は鬼一さんの言う通り酷い事なんかするわけ無いって思い知った」
「ふふ、妃菜もわかってくれたのね」
「飛鳥はわかっとったんやな。ごめん」
「いいのよー。颯人との真幸はお似合いなのよ。それだけの事なの」
「はー……わたしにもようやく理解できました。颯人様は聖人だということが。」
「だからそう言ったのに……誰も俺の話を聞かねぇからだぞ」
「「「ハイ、おっしゃる通りです」」」
「……颯人様、すみませんでした」
伏見が頭を下げ、皆がそれに倣う。
……おかしい、何故こうなってしまうのだろう。ただ、人としての意見を聞きたかっただけなのだが。
「意見をもらえぬのか、我は」
「そういう事じゃ無いんですよ、颯人様。あなたには芦屋さんが、芦屋さんには颯人様がかけがえのない命なんです。それを思い知りました。
純粋な心持ちが、いろんな欲望に塗れた元人間の僕たちに滲みただけです」
「……うむ?よくわからぬ……」
中庭では星野が真幸を抱きしめ、頭を撫でている。そういえば我が現世に戻った時も助けてくれたのは星野だったな。
真幸の混乱を鎮め、絡まったものを解いてから我に渡してくれた。今回もまた同じことになるだろう。
あの頃は、真幸が他の者へ意見を問うのが心苦しかった。だが、我らの事を長きにわたり見てきてくれた者がそばに居るのだから話を聞けるのはありがたい。
我の話に感じ入る物があったのならば、今後は真幸と二人で決めていくのが良いという事だな。意見を問うてよかった。
「白石と清音さんは……颯人様と芦屋さんに似てますね」
「伏見は今頃気づいたのか?始まりは違えど、我は白石の心がよくわかる。それ故に苦しみも理解できる。
しかし、我らはあの二人のおかげで先に進めるのだ。我と真幸だけでなく皆が幸せになれるよう、努力を重ねるしかあるまい。恐らくはそう言う仕合わせなのだろう」
「はい」
頬杖をつき、真幸と星野を見つめる仲間達は瞳が溶けそうだ。我がそうしてしまったのか、真幸がそうしたのかはわからぬが……結論は二人で出せ、という事はよく分かった。
(颯人こそ今頃じゃ。何と言うか悩んでおったのに。我らが止めぬ限りは好きにせい)
(大将、すまん。俺には応えようがない。二人が導き出したものこそが答えだと、それだけは言える)
問いかけた二柱に言葉をもらい、深く頷く。中庭から星野に手招きされ、席を立った。
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