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閑話

115【閑話】妖狐の実態 その2

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アリスside


 瞼が開いたはずなのに、真っ暗だ。
なんの音もしない、なんの感触もない。立ってるの?座ってるの?……わからない。

 

 ――わたし、どうなったんですか?

「無理に転移をかけて、手足がバラバラになっている。馬鹿なことをして……」

 仕方ないでしょ。あんな姿で、お家にいられないもん。

「今、主は弱っている。誕生の日に妖力が増すのは確かだ。落ち着いて、しっかり自分を保て」


 
 そんなこと言ったってどうしたらいいのかわかんない。寂しい……悲しい気持ちに支配されてしまう。
私の顔を見て、真幸さんがびっくりしてた。もう、嫌われちゃったかもしれない。

 手足を動かしてみても、何も動いた気配がない。真っ暗闇の中にただただ私が浮かんでいて、ポタポタ血が垂れてる。

 
 ……もしかして、死んじゃうの?

「時が経てば危うい。四肢の断裂は……神にも妖怪にも致命的だ」

 魚彦殿の本にあったね。そう言えば。
首の断裂、もしくは四肢欠損による失血死はあり得るって。

 

『死にたいわけじゃ、なかったのに』

 
 呟いた声は、人間の発する音じゃない。私、本物の化け物になってしまったんだろうか。悪いことばっかりしてきたから……。

 暗闇の中にぽうっと灯りが灯る。
 
 青白い光。真幸さんが嫌いな色だ。私の目はこの色に似ている。
もしかして、私が真幸さんを見るたびに嫌な思いをさせてたりするのだろうか。

 嫌な考えばかりが浮かんでは消え、胸の中におり重なって行く。
 


 

 青白い光の中に、膝を抱えて泣く子が居る。長い髪が切り刻まれて、ざんばらになって、地面に丸くなって縮こまってる。


「化け物!」
「お前おかしいよ!血が濃すぎるんだ!」
「耳がしまえないのか?気持ち悪い!」

 少年たちが石を投げ、その子がそれを受けてさらに縮こまる。

 

「あなたはどうして人を模せないの?一番血が濃いならもっと優秀だと思っていたのに」
「出来損ないだ。一族の恥め」

 あぁ、お父さんとお母さんの声。
 そっか、忘れてた。小さい頃はずっとこうだった。こんなに嫌われてたんだ。
 


 小さな子が顔を上げ、お母さんの着物の裾に縋り付く。
眉を顰めてため息をついた母は、私の手を振り払い、去っていく。

 両手を見ると白い毛皮に囲まれて、盛り上がったまぁるい肉球がある。爪が異様に長い。
頭を触ると、大きな耳が二つ。とんがって、すごく大きい。
震えながら口に触れると、長い舌先がチョンと触れた。


 ――わたしは、化け物なんだ。
 生まれた時からずっと。
 だから誰にも愛されなかった。
 
 今は神様も、妖怪も、堕ちてしまった人もお腹の中に収めてる。
気持ち悪い。気持ち……悪い。




「アリス」

 優しい声が聞こえる。
 胸の鼓動が、速くなってくる。
 
不安と、焦燥、そして……その声がもっと、もっと聞きたくて。どうしたらいいかわからない。

 逃げたいのに、逃げたくない。
 見つけて欲しいのに、見つけて欲しくない。

 助けて欲しいのに……助けて欲しくない……。



「アリス、ここにいたのか。……探したよ」

 慌てて辺りを見渡すけど何にも見えない。わたし、もしかして堕ちたの?

 

「大丈夫。アリスは堕ちない。俺の勾玉を触って」

 言われたまま、胸に手を触れる。
小さな金属の勾玉がとくとくと心音を伝えてくる。
 真幸さんの神器……とってもあたたかい。いつの間にか体が冷たくなってたみたいで熱いほどだ。

 あれ?わたし、手が生えてる。ふと気づくと、なくなっているはずの足が生えて、四肢が戻っていた。
 
 勾玉に触れた爪先から熱がともり、それが小さな血管達から順番に温まってジンジンしてくる。ピリピリ電流が走るようにそれが心臓に近づいてきて、芯まで冷えた体全体に血が通って行く。


 
「俺の大切なアリス、帰っておいで」

 勾玉を握って、自分の目からぼたぼた落ちる涙をゴシゴシ拭って、歯を食いしばる。

『わたし、ばけものなの。みんながきらいなの……しんだほうがまし』

 自分の口から出てきた言葉が、あまりにも拙くてびっくりしてしまう。
 
 さっきまで見ていた、小さな自分の姿に同化してしまっているみたいだ。長い髪がバラバラに顔に触れて、悲しくて涙が出てくる。乱暴に切られた髪の毛の先まで痛い気がする。
 


「どうしてそんな事言うの?」
 
『かおがこわい。く、くちがこんなに大きいし、したがこんなにながいし、けがはえてる』

「だから、何だって言うんだ」

 間近に聞こえた鮮明な声。花の香りが漂う。
ふんわりと白い羽織をかけられて、後ろからぎゅうっと抱きしめられた。

 

「つかまえた」
『や、やだ!みないで!さわらないで!!』
 
「どうして?わぁ、おててがふわふわだ。綺麗な毛並みだな、肉球気持ちいいなぁ」
『……』

「髪の毛は俺が綺麗にしてあげるよ。耳が生えてる。もふもふじゃないか」
『…………』

 私の体を触って、真幸さんがあたたかな体温を染み込ませてくる。
わたしの体の傷たちが綺麗に治って、長さの揃った髪の毛がサラサラ肩に落ちてきた。

 

「アリス、お顔を見せて欲しいな」
『こわいからだめ。きらわれる』
「俺はどんな姿でも、アリスが好きだよ」
 
『…………』
「アリス?こっち向いて、ほら」

 
 顔を隠して首を振るけど、振り向かされるままになって、目の前に真幸さんが腰を下ろしたのがわかった。
……おひざに、乗りたい。
 
「おいで。」
『…………やだ』
 
「なんでだ?もふもふさせてくれ。」
『こ、こどもみたいにしないで!わたしはおとなですよ!』


 

 私の前脚を握って、真幸さんが顔を近づける。優しいままの瞳が、胸をぎゅーぎゅーに締め付けてくる。大好きな人がわたしの怖い顔、見てる。
出来損ないで、ごめんなさい。うまく人になれなくて、ごめんなさい。

 

「アリスは妖狐だ。俺も、それがちゃんとわかってなかった。……ごめんな。
 アリスは長命なんだから、20を過ぎたところで赤ちゃんみたいなものだったんだ」
『あか、ちゃん?』


 ちらっと上を見ると、真幸さんが長い髪を解きながらにっこり笑って見つめてくる。
ご先祖様の飾り紐と、道満のそれを重ねて私の首に結んでくれた。

 彼の真っ黒な瞳に映るわたしは、狐のお面みたいな顔してる。赤と、白と、黒が顔にある。全然可愛くないじゃない。誰これ。


 

「狐さんの顔だ。かわいいなぁ、おいでよ。膝に乗っていいよ」
『……きもちわるいでしょ』
 
「何言ってんの?もふもふしてるし、狐面は笑顔なんだぞ?可愛いに決まってる。ちゃんと女神姿にしたから、早くおいでよ。アリスに触りたいんだ」


 真幸さんに言われるまま、膝の上に乗って袂を掴む。おっぱい……柔らかいです。何も言えず、何を言っていいかわからず、両手でフニフニしてしまう。

「残念だけどお乳は出ないぞ?
 俺は狐さんが大好きなんだ。尻尾も生えてるし、耳がとっても立派で大きいな。舌はしまい忘れか?かわいい。
 あぁ、瞳はそのままだ……俺は、アリスの青だけは好きだよ」
 
『………ほ、ほんとう?』

 静かに頷いた真幸さんの胸に縋りついて、顔をぐりぐり押し付ける。
わたしの膝を抱えて、羽織ごと赤ちゃんみたいに抱きあげられた。背中に回った手のひらがとん、とん……とゆっくり音を刻む。

 
 

「寂しかったんだなぁ、ずっと」
『……』
 
「赤ちゃんなのに、大人扱いしちゃったから辛かったな。本当にごめん。俺がちゃんと見てなかったからだ。」

 柔らかいおっぱいに押し付けた私の目から、涙がじわじわ広がっていく。
わたしの体はもっともっと小さくなって、全身が毛皮に包まれたのがわかった。


「あぁ……かわいい。なんてかわいい子なんだ。お目目が大きいな、お鼻がツヤツヤしてる。」
『わたしのこと、本当にかわいいっておもう?』
 
「うん、かわいい。俺がかわいいもの好きなの知ってるだろ?ずっと抱っこしてたい。」


 
 穏やかに鼓動する心音が聞こえる。
ゆらゆら体を揺らされて、なんだか気持ちいい。もっとくっつきたい。

『あたま、なでて』

 うん、と優しい声が落ちて、柔らかい手のひらが頭を撫でてくる。
頂点をさすったそれが耳を撫でて、頬を撫でて、鼻の上を撫でてくれる。
きもちいい。やさしい。あったかい。

 

 
「アリスは化け物なんかじゃない。いつかきっと、こんなにかわいい子を手放した事を安倍家は後悔する。
 もう、あの家には戻してあげない。他の誰かにもあげない。
俺と一緒にずっと暮らして行こう。寂しくなったら膝に乗っかって、抱っこさせて?」
 
『おとななのに、はずかしい』

「アリスは赤ちゃんだからいいんだ。わがまま言って、俺に甘えてよ。……マガツヒノカミもそうだったんだな」


 腕に抱かれて夢見心地のまま、真幸さんの視線を追う。
 黒いパーカーの裾を握り締めて下唇を突き出し、小さなわたしの相棒が目にたくさん雫をたたえていた。顔が真っ赤で、眉毛の間にも、顎の下にも目一杯の力が入ってシワシワしてる。

 
「おいで。そんなに口とんがらせて。かわいい子だな」
「……っ」

 まっくろくろすけは私が抱かれた反対側の腕にしがみつき、パーカーで頭を隠してしゃくり上げ始めた。


 

「ふふ、アリスもマガツヒノカミもまだ小さかったんだ。謎が解けたよ。」
『なぞ?』

 マガツヒノカミが真幸さんの膝の上に乗って、わたしに両手を伸ばしてくる。
何も考えずにそれに応えて前脚を伸ばし、小さな体でお互いを抱きしめ合う。
真幸さんの胸に顔を乗せて、優しいお顔が見たくて首を持ち上げた。


「依代に宿る神は、みんな必ず依代との共通点がある。知ってるだろ?
 アリスもマガツヒノカミもまだ赤ちゃんだった。アリスは本当の意味で家族がいなかったから、来てくれたんだな。家族として来たんだよ」
 
『わたしと、マガツヒノカミが?』

「そうだ。俺も家族にしてくれるだろ?鬼一さんも、妃菜も、伏見さんもみんな家族だ。あんまり早く大きくならなくていいからね」

『……わ、わたしは、人だと思ってたのでちゃんと大人でいたいです。でも、でも、真幸さんに甘えて、我儘言う日があってもいいかもしれません』
 
「うん」


 
 マガツヒノカミのパーカーフードを外す。くるんとした黒い瞳はじっと私を見つめて、口を開いては閉じる。

『マガツヒノカミも、家族になってくれるの?』
「うん」
 
『甘えん坊で、口が悪くて、捻くれてますけど。わたしが一番好きなのは真幸さんです』
「いいよ。大人になったら僕が一番になるもん」
『……ふーん、ふーん……』

 2人で手を握って、真幸さんに全部を押し付けてのしかかる。
おでこに彼の唇が触れて、腕がぎゅうっと私たちを抱きしめる。

 

「寂しくさせてごめんな。今日はもう休もう。俺の布団で一緒に寝よっか」
『颯人様がいるのに。旅行も台無しにしました』

「また行けばいいよ。今度はみんなでいこうな。……気持ちは嬉しかったよ、とっても。お家に帰って、俺と颯人と一緒に寝よう。累を抱っこしてやってくれるか?」
『はい』


 目を瞑って、真幸さんの匂いを嗅ぐ。この匂い、大好き。
 
 わたしが生まれた安倍のお家は、もう忘れる。こんなに大切にしてくれる人がいるんだもん。
 
 たくさん可愛いって言われると、甘い気持ちがいっぱいになって、溶けちゃいそう。
 私は真幸さんが大好き。優しい気持ちでいつもわたしのこと見ててくれる。
こう言う嘘はつかないから、きっと本当に家族になってくれる。
 

 だいすき……だいすき。
 ふかふかのおっぱい、憧れてた。お母さんの胸に顔を埋めてみたかった。
こんなに気持ちがいいなんて、知らなかったな。


 

「アリスが大人になっても甘えん坊でいて。そうしてくれると、俺が幸せだから。俺も、アリスのことが大好きだよ」


 流れる涙が奪う体温を、真幸さんが触れた指先で足してくれる。
何も考えたくなくなって、体の力を抜いて、ただただ優しい揺らぎに身を任せた。


 ━━━━━━


「手足はちゃんとくっついたから、もう心配いらないよ」
 
「はぁ……良かった。流石に焦るわ、妖狐のこう言うのは知らんかった。後でちゃんと習わなあかん」
 
「……血まみれの廊下で一人残された俺になんか一言くれ」

「鬼一、お掃除ありがとうございます」
「……おう」

 

 複数の声が耳に届く。かぎなれたお家の匂いがする。妃菜ちゃん、飛鳥さん…鬼一さん、颯人様と伏見さんが順番に顔を近づけて私を見ては微笑む。
 誰も、化け物だって言わない。誰も、離れていかない。
みんながわたしの頭に触ってくれて、その手がとってもあったかい。

 
「かわいいな……こんなちいちゃかったんや」
「私たちもアリスのしっかりしたところばかり見ていたのね。妖狐なら赤ちゃんの年齢だもの。」
「そら癇癪起こしても仕方ねぇな。」
「……真幸の胸が好きか」
「颯人様、そこですか」

 
「颯人、怖い顔禁止。アリスはお母さんが恋しいんだよ」
 
「くっ……子は寝る時間だ。閨にゆくぞ」
「うん。せっかくお休みなんだし、散々甘やかしてあげよう。明日はお誕生日会しなくちゃ」
「そうだな、好物を揃えてやろう」

 

 階段を上がる音、歩く音が聞こえたあと、ドアが開く。ここはとってもとってもかいい匂いがする……真幸さんと、颯人様の匂いがいっぱいなの。
 颯人様が唸りながらお布団を整えて、私の手の中に累ちゃんが毛玉の姿でやってくる。

(私がお姉さんだね、アリスちゃん)
(お姉ちゃん?)
(うん!ねぇねぇ、もちもちおててで触ってー)

 わずかに目を開き、手の中の毛玉に触れると累ちゃんが声をあげて笑う。
無邪気な声に、心が癒されて行く。
 
この子は真幸さんにそっくりなの。純粋で、優しくて、あったかい。
 


「アリス、痛いとこないか?」
『……うん』
「よかった。今日はゆっくり休んで、明日はお誕生日会しよう。何食べたいか考えておいてね。たくさん食べて、たくさん眠って、何にも考えなくていいんだよ」
『うん』


 ふかふかのお布団に降ろされて、颯人様と真幸さんの手がお腹に重なってくる。
 あぁ……気持ちいい。こんな風にお布団が怖くないのは、初めてです。

 

「おやすみアリス。お誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう……」

 
 頬を撫でられて、瞼が勝手に降りてくる。幸せな気持ちに浸って、沈んで、他に何にも浮かんでこない。
私には今、本当の家族がいる。帰るべきお家がある。

 

 キュー……と私の口から声が漏れて、撫でられる柔らかい手のひらに擦り寄る。
 
 真幸さんと颯人様が鼻を啜ってる。
 わたしのために、泣いてくれてるの。
  
 うれしい。おめでとうって初めて言われた。明日は、お誕生日会してくれるって。
 
 何か作ってくれるのかな。真幸さんのご飯ならなんでもいい。
愛情がたっぷり入ってるから、全部食べたい。
 

 わたしは真幸さんに甘えることを許されたんだ。全部を受け止めてもらえるんだ。幸せだな……嬉しいな……。
マガツヒノカミと累ちゃんを抱きしめて、いつの間にか深い眠りについていた。
  
 

 
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