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風颯に至る旅路
71 慣れることのできないモノ
しおりを挟む「神降ろしの際、依代の霊力、血を集めて神が姿形を成すことを受肉といいます。
その後神が依代の真名を口にし、神力を与えられると契約がなされ、神降ろしが完了する。
神々は常に私たちを見ています。普段の行い、その人の思想や哲学、過去の一切に至るまで全てお見通しです。卒業時に神が降りない者は解雇となります。普段の生活から心清く、行いを正しくするように。」
教科書のページを捲る音。静かな教室に倉橋くんの声が響き渡る。
いい声だ、祝詞の練習を欠かさずやっているからこその音の広がりだな。
「また、一柱以上を宿す場合は神の信頼の証である勾玉の授与が必須となります。勾玉を頂けないない場合は依代の霊力が尽き死に至るとされますが……複数の神の依代になる確率はかなり低いでしょう。
現在99%に及ぶ日本の神様、妖怪達の勾玉は【人神】様が保持されており、神から許可を得た神継は本社に申請し、ヒトガミ様からそれを授与される形になっています。さて、ここまでで何か質問は?」
はい、と複数人の元気な声が聞こえる。若いな、元気だな。声を聞いてるだけで楽しい気持ちになる。
勾玉の話は、うん、まぁ……。俺がほとんど持ってるからなぁ。
ヒトガミなんて呼ばれてしまっているのは、他に言いようがないから仕方ないとは思っている。
「はい、島田さん」
「二柱を戴くなんてあるんですか?」
「あります。鬼一副理事長は、二柱同時に神降ろしされています。契約時に勾玉をいただいたそうですよ。次は谷さん」
「はい!神様の数が多い方が良いんですか?」
「谷さん、数などと不敬な言葉は慎むように。多ければ良いというものではなく、それぞれの力に見合った方が降りて来られるのです。
自分の霊力や心持ちによって変わりますが、巡り合わせがそうなると言うだけのことです。次は……」
「はい先生!人神様はどうやって八百万の神を下したんですか?」
「越智君……あなたは減点です。神降ろしを下すと言っていたのは昔のこと。本校では、そのような言い方を許さずと教えました」
「すみません……」
「神と人とは本来交わるべき存在ではありません。その神との稀有な絆を結び、神の意志を継ぐのが我々神継の仕事です。
いつまでも人の世の悪しきを口にする不遜な輩は、真神陰陽寮では不要です。越智くんは本日の終業までに反省文を書くように。以上です。」
チャイムの音が鳴る。おっと!見つかっちゃう。姿隠しの術をかけて、廊下の壁に背を預けた。
内緒で見に来てるからさ、見られるとまずいんだ。
カラカラ、と引き戸を開いて廊下に出てきた倉橋くんが目の前でぴたりと止まり、目を見開く。
「芦屋さんの匂い?さっきまでいらしたのか」
えっ、俺そんな匂う?袖の匂いを嗅いでみる。お香の香りしかしないけど。
「芦屋さん、頑張ってますか?私たちも一生懸命やっています。
あなたのお百度参りが終わったら、みんなで怒りに行きますからね」
柏手を打って俺を拝し、倉橋くんが去っていく。……バレてないよね?
「ふー、危なかった。」
「お忍びは楽しいな。しかしどうせ午後の行事で姿を見せるのに、なぜ隠れるのだ?」
「しばらく会ってない人達に突然出会ったらびっくりしちゃうだろ?
とりあえず社に行こう。生徒達が出てくるからさ」
「あぁ」
真っ黒な緋扇を翻し、転移して校内の裏庭に降り立つ。
玉砂利が敷き詰められた参道の先、白い社を建てたのは一月だった。
鳥居で頭を下げる必要がないのが違和感あるなぁ。ここは自分の神社だからさ。
大きな杉に囲まれた日本庭園の中、小さな社に向かい、歩いていく。
もう直ぐ本格的な春が来るな。参道の脇にクサノオウが植えてある。俺の神力残滓があるから、これは八幡の藪知らずのクサノオウなんだ。
鬼一さんが植えてくれたんだろう。俺を思って遠くから持ってきてくれたことが嬉しくて、自然に顔が綻んでしまう。
社の両脇には大村さんが寄贈してくれた狛犬ならぬ狛ナマズ。伏見さんはキツネにしたかったらしいけど。
立ちあがってピチピチしてる形だから珍しいらしいよ。どっちにしても可愛いからとても良い。
ナマズちゃんの脇に針槐樹…アカシアの木とギンバイカが植えられている。
いつか妃菜が言っていたイシュタルと言うシュメール神話の女神様、その象徴である聖木と聖花なんだって。
ギンバイカの六枚の花弁は、確かに俺の火傷の痕に似てるかも。
ギンバイカはマートルと言うハーブの一種でもあり、スッキリした香りが心地いい。その樹の周囲はいろんな草花が咲き始めていて色鮮やかだ。
5月あたりにみんな一斉に花を咲かせるだろう。いつか、颯人と一緒に見られたらいいな。
「立派な校舎を建てたものだ。生徒の数も増える一方だな」
「今居る子達は百人超えてるらしいよ。中務をしてた人はみんな亡くなったし、真神陰陽寮にもスパイが結構居たからさ。神継だけじゃなく管理側にも必要なんだよね、人が」
「ふうん、吾にはよく分からぬ話だ。……あぁ、段がある、吾が抱き抱えてやろう」
「天照、頼む」
「応」
天照に軽々と抱えられて社の中に入っていく。
畳が敷かれたそこには紫色の座布団と、たくさんのお菓子達。
特に柿の種チョコが山盛りだ。
「おや、膳がある。鈴村が用意してくれたようだ」
「わあ!俺が好きな油揚げと水菜の卵とじだ。ありがたくいただこう」
「うむ。3膳と言うことは、戦争だな」
「戦争すんな。じゃんけんにして。」
シュワシュワと金色の光が複数現れて、俺の中にいる神様達が顕現し、円陣を組んでジャンケンし始めた。
胸元から累を取り出して膝の上に乗せ、緋扇を代わりに胸元に刺す。
着なれない着流しを着ているから、なんとなくソワソワしてしまう。
着物を普段着にしようかと思ってるんだ。人様にお着替えさせて貰うのにも洋服より着物の方がやりやすいし。
神様にしか見せてないから、似合ってるのかどうかはわからんな。俺への判定はみんな甘めだから。
現時刻、12:00 天照大神と月読命の降臨、蘆屋道満と安倍晴明を地獄に見送ったその日から2ヶ月ちょっとが経った。
颯人を取り戻すためと安倍さんの神喰い中毒の治療、中務や今まで親父のせいで亡くなった人達の命を清めて、輪廻に戻すためにお百度参りを始めてから今日で80日を迎えた。
俺はあれから郊外に引っ越して、古い一軒家を買って、中を修繕しながら暮らしている。日本建築の古民家で可愛いお家なんだ。古いけどとても大切にされてて、海の直ぐ近くなんだぞ。
朝に山形の出羽三山に詣で、昼は伏見さんが寄越す依頼をこなしたり、教科書作りや資料作成、夜は大工仕事をしてる。相変わらず忙しい毎日だ。
俺はお百度参りし始めてから足が悪くなり、僅かな段差でも越えるのに時間がかかる。怨念とかも抱えてるから体が重たいのも影響しているだろう。
足は完全に痛めたわけじゃないけど、この体で出羽三山神社の全長1.7キロ階段は予想以上に大変だったな……。
魚彦の回復術を持ってしても完全に治ることはなく、普段の生活は頻繁に抱き抱えてもらう始末だ。
伏見さんの大社を後にしてから、本当に人間とは誰とも話をしてない。
でも……毎日誰かしらが俺の家に来て、朝ご飯や夕ご飯を置いて行ったり、出張のお土産や手紙を置いて行ってくれるんだ。ありがたいやら、申し訳ないやら。
「お百度参りについて行きたい」ってしばらく粘った伏見さんが、ようやく諦めてくれたのは最近のことだった。
みんなそれぞれ神継の仕事をしながらこうして学校で先生の仕事もして、後進を育ててくれている。
俺は逃げるように居なくなったのに、みんなが追いかけてきてくれる。
家の場所も教えてないのに……伏見さんは流石だな。引っ越した翌日に蕎麦が届いた時は本気で驚いた。
御百度参りが終わるまでは、しばらくこんな感じになるだろう。すっぱりきっぱり縁が切れないのも、なかなか心を消費する。
伏見さん達の優しさや気遣いが今や俺の寂しさの引き金になりつつある。
こんな風にしたのは俺なんだけど、目線すら交わせないから本当に寂しいよ。
たまらなくなってしまった時は、こうやって皆んながやってる事を覗きにくるんだ。イキイキと働いてるのを見ていると、ホッとする。
俺って寂しがりで意志が弱いんだよな。あともう少しだから、伏見さん達も許してくれると思う。多分、だけど。
完全に縁を切るまでのリミットが近づいて来ていて、気温は上がって暖かくなってきてるのに心はどんどん冷たくなる。いつかこれに慣れないといけないんだけど、今はまだ……上手くできてない。
わぁっ、と歓声が上がる。お昼ご飯の決着がついたか。
勝利者のラキと暉人が得意げな顔でやって来る。陰鬱な気持ちを追い出して、二柱を笑顔で迎えた。
「茨城組が今日はキテるんじゃないのかァ?真幸の隣はオイラのものだぞォ」
「よっしゃァーー!!妃菜の飯は俺も久々だ!」
「ふるりとヤトは負けちゃったか」
「ぐすっ、ぐすっ……ワイは戻る。見てられんわっ!」
「クゥン、妃菜のメシ……」
「夜ご飯作ってやるから、また後でな。」
「今日の近衛は天照達じゃからな、戻るぞ」
「魚彦、みんなを頼むよ」
「応」
じゃんけんに買った二柱へお盆に乗った膳を渡し、みんなで手を合わせる。
「いただきます。天照も月読も、俺の分けてやろうか?」
「我らは元々飯をあまり食さぬ。真幸が残さずに食え」
「そうだよ。運動量が多いのにあまり食べれてないんだから、ちゃんと食べて欲しい」
「そうだな、ちゃんと食べないとな」
お椀を持って、保温の術がかけられてホカホカのままの白米を摘み、口に入れる。
喉の奥から迫り上がってくるものを押さえて白米を噛み砕き、お味噌汁で流し込む。
「まだ、食いもんはきついか」
「ちょっとな。暉人が豪快に食べるの見たら食べれるかもね」
「よし、よく見ろ。ゆっくり食えばいいからな」
「うん」
妃菜のごはんの美味しさは知っている。
それでも、食べ物を食べるといつも吐き気に襲われてしまう。呪いというのはなかなか根深い物だ。
体の不調はどこかしらにいつも巣くっていて、この前ついに熱を出した。
お百度参りは途中で休めないから、本気で泣きながら登ってみんなを心配させたんだ。
モリモリ食べて、体力をつけないといかん。
あまじょっぱく煮付けられた、優しい味の卵とじをご飯に乗せて、口の中に突っ込んだ。
「あぁ、そのように頬を膨らませて。愛い顔だが、無理をするでない」
「大丈夫かァ?」
「つっこみゃいいってもんじゃねぇだろ、お茶お茶」
月読がお茶を注いで、天照が顎に手を添えてお茶を飲ませてくれる。
「はぁ……勢いで行けるかな、と思ったんだ。て言うかお茶くらい自分で飲むからほっといてくれよ」
「ならぬ。颯人が世話をしていただろう?吾もそうしたいのだ」
「兄上、次は僕ですよ」
「仕方ない、譲ってやろう」
「ハーレムじゃあるまいし、そう言うのやめて。全く、似たような顔でそう言うことしないでくれよ。困るだろ」
思わず口が滑ると、二柱が顔を覗き込んでくる。
「吾の方が顔がいいはずだ。神格が上なほど神は美しいとされる」
「それなら僕もだよね。颯人よりは顔が優しめだけど、それなりにモテるんだよ?」
「だーっ!もうっ!ご飯食べてるんだから邪魔しないの」
二柱のおでこを突いて顔を避けて、黙々とご飯を食べる。……うん、美味しい。今日は調子いいかも。ちゃんと食べれる。
お茶やお味噌汁で流し込みつつ、みんなで楽しいお昼時を過ごした。
━━━━━━
「失礼致します、身支度に参りました。天照さま、よろしいでしょうか」
「許す。膳もさげてくれるか」
「はい」
社の扉が開き、妃菜と真子さんが入ってくる。……あっ、生徒さんかな?複数人のスーツの子達が恐る恐る入ってきて、お膳を下げてくれた。
「お召替えをいたします、立ち上がっていただけますか」
「吾が支えるぞ」
「はい。目を瞑ってくださいね」
「風呂も一緒なのに今更だろう。見れば目の保養になる」
「なっ!?なんやて??真幸は今女の子の体なんやで!ハレンチやろ!」
「妃菜ちゃん、みんないなくなると敬語やめるの早いなぁ」
「せやかてこの天照さんが!お風呂でアレコレしよるから!!」
「仕方あるまい、体を清めるのに一人ではできぬのだ。」
「体、まだおかしいんか……」
「毎朝あの距離と高さを登るのだ。抱えた怨念もまだ多い。はよう着替えを終わらせてくれ、座らせてやりたい」
「はい。……真幸、触るで」
目を閉じ、口を閉じて立ち上がって肩まで両手を上げる。
目線を交わすのもダメだから、行事の際の着替えは毎回こんな感じ。
妃菜も真子さんも今日は浄衣姿か。足袋も履いてるから正装だな。
目を閉じても見えるから、何をしてるのかがわかるんだ。神様って便利だなぁ。
「まぁ、こんな乱暴に髪を結いはって!もぉーー!あかんて言うたのに!」
「真幸は髪の毛邪魔なんよな、長いとめんどくさいんやろ。まー、でも枝毛もできんと綺麗なもんや」
「ホンマやな。あらっ!腰のくびれ見てや妃菜ちゃん!」
「憎たらしいわぁ!この角度……」
腰のあたりで二人してサワサワしないで!くすぐったくて笑っちゃうよっ!
「吾のばでぃにそのような手つきで触れるとは…小娘どもめ」
「「……」」
天照の言葉に、2人の眉が下がる。
うん、わかる。兄弟だからさ。そっくりなんだよな、天照って。
月読は伏見さんと星野さんの中間みたいな感じなんだ。ぱっと見似てても2人とはちょっと違う。性格も若干月読が腹黒い。
「兄上、真幸に面布を」
「あぁ」
俺は儀式用の服装である白衣に緋袴、その上に千早というふわふわしたスケスケ上着を着てる。いつもの巫女服だ。
咲陽にもらった巫女服は伏見さんちに展示されてるらしい……血涙が染み込んで落ちないから仕方ないんだけどさ。
今日は新しく運動できるグラウンドを作るから、そこの地鎮祭と建立をする予定。俺が校舎の建物も隣接する真神陰陽寮の庁舎も建てたから、何か足す時は必ず呼ばれることになる。
でも、そうだな。ここに何か建てるのもこれで最後かな。
「今日は誰が真幸を喚ばわるのだ」
「アリスがやるんよ。あの子は最近成長すごいで。神喰い中毒もすっかり治ってるしな。裏公務員になりたての真幸みたいや」
「本当にねぇ。血脈なんて関係ないって思てたけど、血の才能を納得してばかりやわぁ」
へぇ、そうなのか?安倍さんも頑張ってるんだな。中毒も良くなって来てるから最近血清作らなくて済んでるし。回復が思いのほか早かったのは嬉しい悲鳴だ。
天照が俺の顔の上に布を巻きつけ、視界を遮る。たくさんの人の前に出る時はこれをいつもつけてるんだ。
颯人を蘇らせようとしてる俺は、徹底的に穢れから遠ざけられていた。
仕事も神職さんと同じものばかりを回してくれるんだけど……伏見さんは、結構大変なはずなんだよなぁ。
お礼を言いたいけど、何にも言えないのが辛いところだ。
「よし、準備できたな。美しい……其方は巫女服が一番似合っている」
「裳裾をつけて、日陰の糸も欲しいですねぇ。きっと似合いますよ。」
真子さんが緩やかにまとめた俺の髪を肩に流し、親父が残した飾り紐を結んでくれる。
天照に、晴明の飾り紐を手渡された。
「子孫に下してやるがよい。喜ぶだろう」
「言葉を交わさず、目線を交わさないように。心で語りかけてもいけないよ。気をつけて」
「うん」
天照と月読に手を握られて座り、安倍さんの祝詞を待つ。
ちょっとドキドキするなぁ、召喚される神様ってこんな感じなんだよな。何回されてもワクワクしてしまう。
「む……またか。大祓祝詞でいいだろうに、毎回六根清浄大祓なのは何故なのだ」
「真幸君の象徴だからですよ、兄上」
「それならば致し方あるまい。ゆくぞ」
天照が神力を注ぎ、俺を通って月読に流れていく。月読の力を混ぜたそれが再度俺に注ぎ込まれ、安倍さんの宣りの中に身を投じた。
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