流浪の太刀

石崎楢

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第一章:下野国宇都宮広綱

第5話:多功の戦い

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元亀3年(1572年)12月、下野国多功城。

「北条氏政・・・此度は割と本気か・・・」
多功綱継は北条軍の迅速な行軍に舌を巻いていた。

「向こうが割と本気ならば、こちらは既に本気ですぞ。」
師影が綱継に声をかける。
「ワハハハ・・・たわけが・・・」

師影は宇都宮城から出奔すると多功城に姿を見せていた。
蓮華たちの姿も共にある。

「師影様、多功綱継様。割とではなく北条は本気ですぞ。」
口を開いたのは宇都宮城脱出の際に広綱を背負っていた男、その名は源心。

「勝ち目はありますかえ?」
師影に聞いてくる目つきの悪い猫背の男、段吉。

「大丈夫です。ただでさえお強い綱継様に此度は殿の手勢や国人衆の方々、佐竹義重様御自ら指揮される軍、結城晴朝様の援軍、私の策があります。」
そんな師影の返答を聞いて笑みを浮かべているのが、広綱の監視役であった才助。

「だが、北条氏政が相手となると・・・我らは・・・」
才助はそう言うと蓮華を見た。

「才助、私はいらぬ子よ・・・。今の私は師影様の為にある。そなたらも従ってもらうぞ!!」
蓮華が語気を荒めた。
その様子に綱継は驚きを隠せない。

「どういうことじゃ・・・師影?」
「この者達は風魔の抜け忍。特に蓮華は・・・」
言いかけた師影は蓮華を見ると口を閉ざした。

「みなまでは聞くまい。」
そう言うと綱継の表情が険しくなった。


同年12月29日、北条氏政は二万の兵を率いて多功ヶ原に布陣した。

「佐竹、宇都宮など合わせても我らには遠く及ぶまい。ワシも敵が多いが、佐竹義重も負けず劣らず敵が多いしのう。」
氏政の視線の先には多功城。
そして城の前に布陣する佐竹・宇都宮連合軍。

「さあ・・・いかにして『坂東太郎』殿は我らと相対する・・・」
氏政が言いかけたときであった。

「全軍突撃じゃァァァ!!」
常陸国の有力大名佐竹義重は並外れた武勇と胆力で『坂東太郎』の異名を誇る名将である。

「義兄殿、ワシが先陣を切りますぞ!!」
広綱が声をかけるも

「ワシに任せておけィ!! 広綱殿は。」
義重は槍を手に軍の先頭に立つ。
佐竹軍は怒涛の勢いで北条軍に襲い掛かった。
多功の戦いの始まりである。

「小癪な・・・敵は勢いだけぞォ!! 一度止めれば終いじゃ!!」
氏政が叫ぶも軍の統制は乱れている。

「あれが鬼義重か・・・何という武よ。」
北条軍の名将北条氏繁は思わず感嘆してしまう。
義重が槍を振り回せば次々と北条軍の兵が薙ぎ倒されていくである。
そこに更なる攻撃が加わってきた。

「我が軍右翼に敵伏兵・・・奇襲でございます!!」
「なんだとォ・・・その程度は寡兵に過ぎぬわ!! 一度防げばどうということはないぞォ!!」
右翼から常陸国人衆の兵による奇襲であったが、氏政の号令と共に北条軍は持ちこたえた。

兵の数はワシらが上じゃ・・・

「我が軍左翼より奇襲でございまするゥゥゥ!!」

左翼・・・左翼じゃと!?

それは多功城より打って出ていた多功綱継の兵であった。
わずか五百ばかりではあるが、兵の数が北条軍には一千に見える程の勢いで攻め込んでくる。

「慌てるなァ!! 落ちつけィ!!」
氏政は叱咤するも

「更に右翼、左翼から奇襲でございまする!!」
それは小山、那須といった下野の有力国人衆の兵であった。

数時間に及ぶ戦いの中、北条軍は劣勢に陥っていた。
佐竹軍自慢の鉄砲隊が満を持して前線に投入されたのである。

数で勝る北条軍を相手にあえて鉄砲隊を温存させ、度重なる奇襲で混乱したところに止めを刺すか・・・
この策を献上した者・・・高師影・・・

義重は勝てる自信はあったが、この兵力差で圧倒的勝利を収めるとは思ってもいなかった。
師影の存在を知った義重は自分の手元に置きたい欲求が生まれていた。

敗色濃厚の北条側では、

「これ以上は無駄な戦いぞ、兄上!!」
北条氏照が氏政の陣に駆け込んできた。

「むう・・・」
名将と誉れ高い実弟の言葉に氏政は決断した。

「退けィ・・・退くのじゃァァァ!!」

遂に北条軍は撤退していく。
その光景を見つめる綱継。

あとは殿・・・師影、頼むぞ!!


宇都宮広綱率いる一千の兵は戦いの最中、宇都宮城へと進軍していた。
師影の策では多功ヶ原で北条軍を食い止めつつ、皆川方の城を攻めつつ、宇都宮城を奪うということ。
危険である兵の分散であったが、皆川方が一枚岩でないことを知っていたから成立したのである。
皆川氏の居城である皆川城には芳賀高継率いる三百の兵を向かわせていた。
そして難敵である壬生綱雄に対しては結城晴朝が五百の兵で壬生城を牽制することで動きを封じ込める。
この策は師影によるものであった。

その広綱が手勢を率いて宇都宮城奪還の為に進軍していることは皆川俊宗にも伝わっていた。
そこに北条軍敗北という知らせが届く。

佐竹の兵は殿や国人衆を合わせても七千程。
北条軍二万がいとも容易く負けるとは・・・

「広照はまだ来ぬのか?」
俊宗は苛立ち始めていた。

「皆川の城の手前、芳賀高継が手勢、待ち受けており・・・」
家臣の報告を受けると俊宗は怒りに打ち震える。

「壬生は・・・綱雄殿は何故に動かん?」
「結城晴朝が手勢を率いて向かっており動けないとのことでございまする。」

俊宗が狼狽する様を広勝は無表情で見つめていた。

所詮、大物ぶってもこのザマか・・・師影のヤツが見たら笑うじゃろうて・・・
それは見限るのは必然・・・
殿への忠義もその野心も全てが半端よ・・・


そして年が明けて、元亀4年(1572年)1月。
佐竹、宇都宮家臣である下野国人衆が次々と皆川側の城を落としていた。
宇都宮城を前にした広綱の手勢はいつの間にか二千に増えていた。

「よし・・・突撃じゃァァァ!!」
広綱の号令の下、遂に宇都宮城奪還戦が幕を開けたのである。

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