事故なく怪我なくー徳島県立太刀野山農林高校野球部与太話

事故なく怪我なく

初夏に入ると、いよいよインターハイ予選など高校スポーツの地区大会が目白押しだ。
狸の、狸による、狸のための高校・徳島県立太刀野山農林高校ー通称タチノーの運動部は毎年、人間の高校生に化けて勇躍県大会に臨むのが恒例だ。

事故なく怪我なく、無事に戻ってきなはれ。

校長先生は尻尾を振りながらいつもそう言うて送り出しておった。

今年なんか、高校野球の県予選で９回の裏ツーアウトの場面、タチノー外野手がホームラン性の当たりを必死で追って、フェンスに激突してしまう、いうことがあった。
ボールは見事にグラブに収まり、タチノーは晴れて一回戦突破を果たしたのだが、肝心の外野手は、芝生の上でうずくまったまま動けない。
担架が運び込まれ、外野手が乗せられてグラウンドから向かった先は…鳥獣保護センター。

獣医から

「何しよん、恥ずかしがらんとさっさと元に戻り！」

と言われ、看護士やら高野連役員やら人間どもに囲まれながら、もじもじのろのろ術を解いて元の狸に戻り、無事治療が終了。県大会については、まあどの競技でも負傷時の対応はこんな感じだ。
別に長期の化学(ﾊﾞｹｶﾞｸ)修行中というわけやないので、人前で術を解くことはタブーでも何でもないんやけど、なにさま化けてナンボの狸じゃけんな、何やかし気恥ずかしいもんがあるわな。

ある年、タチノー野球部がなんの番狂わせか、県大会で好成績を収め、四国大会に出場したことがあった。
坊主頭に半袖のカッターシャツ、黒いズボンのいでたちの人間版純正高校球児に化け、校長先生の「事故なく怪我なく」の言葉に送られ、汽車を乗り継いで愛媛の松山まで遠征した。

汽車を降り、八股榎お袖大明神に立ち寄り参拝を済ませると、その足で球場に向かう。

相手は地元愛媛松山の強豪。必死で食い下がるタチノー。

松山のバッターがファウルフライを高々と打ち上げると、捕手はマスクを捨てて一目散にボールを追う。
飛び付くようにキャッチした勢いで、松山のダッグアウトの壁にしたたかに頭をぶつけてしもうた。

そのまま松山ベンチに転げ落ちるタチノー捕手。

担架が運び込まれ、救急車が呼ばれ、一路市内の大学病院に向かう。

ー大学病院！

応急手当ての包帯を頭に巻いた捕手は、行き先が大学病院と聞くや、ガタガタ震え出した。

動物実験の材料にされる！

捕手は救急隊員にすがり付いて
「すみません！動物病院に行って下さい！」「大学病院嫌じゃ、動物実験嫌じゃあっ！」と叫ぶが、「あー、ずいぶんひどくぶつけたもんや」「頭いってもうたんか」「かわいそうに」と話にならない。

大学病院の救急に担ぎ込まれて「着いたよ。降りなさい」と言われて真っ青になる捕手。

「助けて！」
「実験動物嫌や！」
「死にとうない！」

包帯から血がにじみ出てくるのも構わず必死で抵抗。屈強な看護士に羽交い締めにされ、診察室に押し込まれた。白衣の医者の姿を見た途端、捕手はついにキュンと気絶してしもうた。

そこに高野連役員やら保健所職員やら両校関係者やらがどやどやと入り込んできた。
「皆さん本当にすみません。お手数をお掛けしました」
と愛媛の高野連役員が、医者と救急隊員に書類を示しながら平謝りに詫びた。

書類は徳島県高野連からの申し送りで、

太刀野山農林高校生徒は全員化狸につき、一匹も取り残すことのないよう、合理的かつ適切な配慮をお願いします、という文面やった。

今頃になって現場に降ろしてこられても、どないせい言うんじゃ。

かくして捕手は無事に保健所に移送。保健所職員、獣医、高野連役員、その他もろもろの野次馬にぎっしり囲まれ、もじもじのろのろぐずぐずと術を解き、穴があったら入りたいとばかり動物用MRIにもぐり込んだそうな。

大丈夫や、心配せんでええ、と検査データを前にした獣医のお墨付きを頂き、絆創膏を貼り替えてもらって、試合の方は奮戦むなしく惜敗で、帰り際にもう一度お袖大明神に一礼、そのまま徳島に無事戻ったとさ。