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MINO 1930s 白い狸
「化狸 太刀野山 得意変化:高校球児」
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ーみっちゃん。
海四(みよん)は器に盛った冷奴をちゃぶ台に乗せた。アンチャンの花の入った青い氷に囲まれた涼しげな一皿に、おミヨは感嘆の声を上げた。
ご飯と汁物と、この冷奴と常備菜だけの質素な夕飯を囲んで、海四はためらいながら口を開いた。
ーみっちゃん、あんたの過去世のことなんやけど…
ー大丈夫ですよ。今晩またしましょう。
ー…実はな…
海四は口ごもった。
ー海四さん…
ヒプノセラピーを受けながら、毎晩のように過去世を旅するおミヨだったが、翌朝を迎えると、決まってその記憶の大半が霧の彼方に吸い込まれるように消えていくのだった。海四はセラピーの間、横になったおミヨの上に展開したビジョンを通して全てを覚えているが、殊更にそれをおミヨに話すようなことは無く、おミヨもまた殊更に問いただすようなことはしなかった。
ーみっちゃん、人類学者って知っとる?
ー?
ー…実はな、その、人類学者いう人がな、みっちゃんの前世の、美馬農林の狸に近づいて来よるのよ。
ー人類学者??
ー戦前の人類学者が何をしてきたか、みっちゃん聞いたことあるで?
ーないない! いっこもない! うちにそんな難しい話せんといて海四さん。
ー…みっちゃんたちが何をされるか、うち、ものっそ怖いんじゃ。
おミヨは不得要領な表情だ。
ーほなけんど海四さん、氷の中にアンチャンの花びら入れるの、ほんまにきれいやなあ。上から見ると、なんか、甲子園の空みたいや。…前世でうちが見た…空が青うて、雲がこの冷奴みたいに白うて。
ー…美馬農林はあのあと、4回も甲子園に出とるんよね。
ーうち、ようわからんけど、大丈夫や思う。海四さん、もししんどくなったら、なんやったっけ…そう、ブラウザバックや。
ーその人類学者、新居辰三いうねん。…ちょっと調べてみなな。
海四は立ち上がると、店のパソコンを開いて「新居辰三 徳島県」と入力した。
たちまちいくつもの画像が画面いっぱいに広がった。
ーう…
海四は一枚の画像を凝視したまま凍り付いた。
ーみっちゃん。
おミヨは海四の肩越しに画面を見つめた。
今から100年以上前の、剣山山麓の寒村の写真。
粗末な着物を身につけた村人たちが横一列に並んでいる。
その着物の、向かって右側の襟の部分に、細かい文字の書かれた白い短冊のようなものがつけられている。
画像を拡大し、目を凝らしてみると…
田中イト 32歳 5児の母親 畑作 谷河内
三木清五郎 40歳 独身 炭焼き 一ノ峰
まるで昆虫標本のように、無造作に書きつけられた村人ひとりひとりの氏名・年齢・職業・居住集落名。
海四は大学時代、障害児教育の泰斗・沢村球児教授のゼミで幼児の知能検査の実習を行ったことを思い出した。
沢村教授の関係で、検査対象の幼児の数には事欠かなかった。保育園や療育施設に出向いては色々な検査を繰り返すうちに、一人一人の能力や個性の違いが浮き彫りになっていく。海四は同級生たちと一緒に、積極的に機会をとらえて夢中で実習に取り組んだ。
ある日、姉の海二(みにい)が二歳の長女を連れて実家に顔を出した。海四は早速、沢村教授から借りた検査用具を引っ張り出して知能検査をさせてくれと言った。姪の発達段階と能力の傾向がわかれば、子育てしていく上で大いにプラスになる、と得意げに教授の受け売りをした。
姉は我が子をかばうように抱き上げると、海四をにらみつけてこう言った。
「みよちゃん、あんた何言いよんじゃ。ええかげんにせんか。うちの子はな、あんたのモルモットちゃうんじゃ」
言われた時は、なんしに! 発達段階が遅れとるって結果が出たら嫌やけん、そないなこと言うんやろが! 遅れを放置したままにしたら、この子はどないなるんで? と強く反発し、ゼミ生や沢村教授に姉の無理解をぼやきまでした。
その時、ひとりの学生が「みよちゃん、それ、お姉さんの言うこと、正しいかもな」と言った。
自分のしたことが間違っている、ということに気づいたのは、大学を卒業して何年もたった頃だった。「姉ちゃん、あの時はごめんな」と海二に謝ったが、海二は「何のことや?」と覚えてないようだった。
姪はアニメのプリン&キュアとピンク色の大好きな、どこにでもいる小学生になっていた。
戦前の人類学者のことを偉そうに言える立場じゃない。
学問と研究を振りかざして、他人をその材料としてしか見ていない。
うちもそうだったし、今だって、そうじゃないと言い切る自信などどこにもない。
ーみっちゃん、これ見えるで?
海四は村人の襟元を指さした。
ー名前も年も全部書いてある…
ーいくらフィルムが貴重だった時代かしれんけど、これはないわ。ほんま。
…これ、あんたらが「化狸 太刀野山 得意変化(へんげ):高校球児」と書かれた檻に入れられて、動物園に陳列されるのと同じちゃう…
海四は言葉が過ぎたと、はっとした表情でおミヨの方を振り返った。
ー…海四さん、海四さんの言う通りです。これ、見なあかんと思います。しんどかったらブラウザバックすればええんです。
これを最後までよう見んかったら、人類学者いう人らにこんなことされた村の人たちのことも、海四さんのお姉さんとお子さんのことも、それから、美馬農林の狸たちのことも、みな中途半端になる思います。
そんなん、うちは嫌です。
ちゃぶ台に戻ると、遠慮の塊の冷奴が、すっかり氷の解けた青い水と花びらの真ん中でたゆたっていた。
それを箸で二つに分けて食べながら、ひとりと一匹は顔を見合わせて微笑んだ。
海四(みよん)は器に盛った冷奴をちゃぶ台に乗せた。アンチャンの花の入った青い氷に囲まれた涼しげな一皿に、おミヨは感嘆の声を上げた。
ご飯と汁物と、この冷奴と常備菜だけの質素な夕飯を囲んで、海四はためらいながら口を開いた。
ーみっちゃん、あんたの過去世のことなんやけど…
ー大丈夫ですよ。今晩またしましょう。
ー…実はな…
海四は口ごもった。
ー海四さん…
ヒプノセラピーを受けながら、毎晩のように過去世を旅するおミヨだったが、翌朝を迎えると、決まってその記憶の大半が霧の彼方に吸い込まれるように消えていくのだった。海四はセラピーの間、横になったおミヨの上に展開したビジョンを通して全てを覚えているが、殊更にそれをおミヨに話すようなことは無く、おミヨもまた殊更に問いただすようなことはしなかった。
ーみっちゃん、人類学者って知っとる?
ー?
ー…実はな、その、人類学者いう人がな、みっちゃんの前世の、美馬農林の狸に近づいて来よるのよ。
ー人類学者??
ー戦前の人類学者が何をしてきたか、みっちゃん聞いたことあるで?
ーないない! いっこもない! うちにそんな難しい話せんといて海四さん。
ー…みっちゃんたちが何をされるか、うち、ものっそ怖いんじゃ。
おミヨは不得要領な表情だ。
ーほなけんど海四さん、氷の中にアンチャンの花びら入れるの、ほんまにきれいやなあ。上から見ると、なんか、甲子園の空みたいや。…前世でうちが見た…空が青うて、雲がこの冷奴みたいに白うて。
ー…美馬農林はあのあと、4回も甲子園に出とるんよね。
ーうち、ようわからんけど、大丈夫や思う。海四さん、もししんどくなったら、なんやったっけ…そう、ブラウザバックや。
ーその人類学者、新居辰三いうねん。…ちょっと調べてみなな。
海四は立ち上がると、店のパソコンを開いて「新居辰三 徳島県」と入力した。
たちまちいくつもの画像が画面いっぱいに広がった。
ーう…
海四は一枚の画像を凝視したまま凍り付いた。
ーみっちゃん。
おミヨは海四の肩越しに画面を見つめた。
今から100年以上前の、剣山山麓の寒村の写真。
粗末な着物を身につけた村人たちが横一列に並んでいる。
その着物の、向かって右側の襟の部分に、細かい文字の書かれた白い短冊のようなものがつけられている。
画像を拡大し、目を凝らしてみると…
田中イト 32歳 5児の母親 畑作 谷河内
三木清五郎 40歳 独身 炭焼き 一ノ峰
まるで昆虫標本のように、無造作に書きつけられた村人ひとりひとりの氏名・年齢・職業・居住集落名。
海四は大学時代、障害児教育の泰斗・沢村球児教授のゼミで幼児の知能検査の実習を行ったことを思い出した。
沢村教授の関係で、検査対象の幼児の数には事欠かなかった。保育園や療育施設に出向いては色々な検査を繰り返すうちに、一人一人の能力や個性の違いが浮き彫りになっていく。海四は同級生たちと一緒に、積極的に機会をとらえて夢中で実習に取り組んだ。
ある日、姉の海二(みにい)が二歳の長女を連れて実家に顔を出した。海四は早速、沢村教授から借りた検査用具を引っ張り出して知能検査をさせてくれと言った。姪の発達段階と能力の傾向がわかれば、子育てしていく上で大いにプラスになる、と得意げに教授の受け売りをした。
姉は我が子をかばうように抱き上げると、海四をにらみつけてこう言った。
「みよちゃん、あんた何言いよんじゃ。ええかげんにせんか。うちの子はな、あんたのモルモットちゃうんじゃ」
言われた時は、なんしに! 発達段階が遅れとるって結果が出たら嫌やけん、そないなこと言うんやろが! 遅れを放置したままにしたら、この子はどないなるんで? と強く反発し、ゼミ生や沢村教授に姉の無理解をぼやきまでした。
その時、ひとりの学生が「みよちゃん、それ、お姉さんの言うこと、正しいかもな」と言った。
自分のしたことが間違っている、ということに気づいたのは、大学を卒業して何年もたった頃だった。「姉ちゃん、あの時はごめんな」と海二に謝ったが、海二は「何のことや?」と覚えてないようだった。
姪はアニメのプリン&キュアとピンク色の大好きな、どこにでもいる小学生になっていた。
戦前の人類学者のことを偉そうに言える立場じゃない。
学問と研究を振りかざして、他人をその材料としてしか見ていない。
うちもそうだったし、今だって、そうじゃないと言い切る自信などどこにもない。
ーみっちゃん、これ見えるで?
海四は村人の襟元を指さした。
ー名前も年も全部書いてある…
ーいくらフィルムが貴重だった時代かしれんけど、これはないわ。ほんま。
…これ、あんたらが「化狸 太刀野山 得意変化(へんげ):高校球児」と書かれた檻に入れられて、動物園に陳列されるのと同じちゃう…
海四は言葉が過ぎたと、はっとした表情でおミヨの方を振り返った。
ー…海四さん、海四さんの言う通りです。これ、見なあかんと思います。しんどかったらブラウザバックすればええんです。
これを最後までよう見んかったら、人類学者いう人らにこんなことされた村の人たちのことも、海四さんのお姉さんとお子さんのことも、それから、美馬農林の狸たちのことも、みな中途半端になる思います。
そんなん、うちは嫌です。
ちゃぶ台に戻ると、遠慮の塊の冷奴が、すっかり氷の解けた青い水と花びらの真ん中でたゆたっていた。
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