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鷲の門
チンドン美馬あやかし組
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梅雨が明け、高校野球徳島県予選が開幕した。おミヨは海四(みよん)に教わった通りに有給休暇を取って、タチノー野球部後輩の応援に駆けつけることができた。
「どやった?」
「勝った!…それから、藤黒監督にめっちゃ怒られた」
「あはは」
「ごめんなさい、もうせえへんけん」
「あはは、思い出したらホンマめっちゃおもろい」
おミヨはばつの悪い表情で頭をかいた。
「海四さん、明日、鳴門南と美馬高の試合あるみたいですね」
「どれどれ、…ほんまや、これ、勝った方が蜂須賀商業と当たるんやろ?」
「うへえ、くじ運悪過ぎやん」
「去年のうちらもそうやった。ほんでうちらに勝った阿南の学校も、準々決勝で蜂商に当たって、逆転ホームラン浴びて負けてしもうたし」
「…みっちゃん、あんた今、自分の前世どのぐらい覚えとるで?」
「…セラピー受けよる間はもう、そのまま前世の中におるみたいやのに、一眠りして朝が来たらもう何がなんだかようわからんようなって…」
「そうやな…」
「覚えとるこというたら、うち、前世でも狸で、おんなじことしよったこと…ぐらいやろか」
「一番センター谷一くん!」
「いややそれ言わんといて恥ずかしい…」
「みっちゃん、みっちゃんの前世、いつの時代か覚えとる?」
海四は確かめるように尋ねた。
「……あれ、どう考えても戦前や。うちらのユニ、ぶかぶかで袖が肘より長かったし」
「学校の名前覚えとるで?」
「…み…の…みま…美馬農林…重清の…」
「明日の試合、その美馬の学校が出るやんか」
海四は新聞販売店でもらった高校野球徳島県大会特集号の組み合わせ表を指さした。
「明日、鳴門の球場で試合あるでないで。みっちゃん、そこに出張してくれへんで?」
「?」
「試合の前と後に、球場の外でこのチラシ配ってほしいねん」
海四はチラシの束を取り出した。
セラピーとヒプノサロンいせきの紹介がコンパクトに盛り込まれた、可愛らしさの中にスピリチュアルな雰囲気をまとった、A5版のつるつるしたチラシ。
「高野連や警備に何か言われたら、すぐに配るのやめや。おまわりなんか呼ばれた日にはほんまやくたいやけんな」
おミヨは深くうなずいた。警察に連れていかれるのは二度とごめんだ。
「それから、うちは女性限定やから、渡すのは女の人だけ…な」
海四は店のパソコンで出張の手続きをすると、交通費の精算は次々回の給料日、店で着ている作務衣で行くことを説明した。
次の日、おミヨは鳴門の球場に向かった。試合開始時間まで、球場の入り口近くで行き交う人にチラシを配った。ターゲットの若い女性はというと、チラシを手にしたおミヨの姿を見るや露骨に避け、ほとんど受け取ってもらえない。ーそうか、店の宣伝ではなく、美馬高校の様子を見てくることがほんまの目的か。
おミヨは美馬高校側のスタンドに潜り込んだ。
鳴門南スタンドは選手の家族友人に補欠選手で構成されたにわか応援団、OBらしきおじさんたち、それに地元鳴門の高校野球ファンで席がほとんど埋まっている。さすが甲子園出場実績があるだけのことはある。
美馬高校も同じような感じだが、人の数が圧倒的に少ない。OBらしい男女数人のチンドン屋グループが、鉦や太鼓を鳴らしては好き勝手に歌っている。
ーほーいほいほい、どちらいか
ほーれほれほれ、えっとぶり
去年も来よったチンドン美馬が
くたばりもせず、また来たじょ
一かけ二かけ三かけて
試合のたびにコールドで
五かけ六かけ七かけて
やっぱり美馬高負けばかり
ほーいほいほい、化けて出た
ほーれほれほれ、お出ましや
ヤマの狸のピッチャーが
強豪古豪をなで切りや
一かけ二かけ三かけて
仕掛けた勝負はやめられん
五かけ六かけ七かけて
ヤマの狸がかっ飛ばす
ヤマの狸?
おミヨはグラウンドの方に目をやった。後攻の美馬高校ナインが守備位置につくと、選手紹介のアナウンスが流れた。
「一回の表、守ります美馬高校の、ピッチャーは別所万作くん、キャッチャー別所市松くん、ファースト三木くん…」
周りの話を聞いていると、美馬高校はここ数年、運動部同士で選手の助っ人を出し合うているようで、今年などは正規の野球部員はバッテリーと内野手だけ、外野の三人と補欠の一人はサッカー部と陸上部からのようだ。
ーそれもええやん。タチノーは生徒(狸)数が多いけんそれぞれの部活が独立しておれるけど、こういうのもめっちゃおもろいんちゃうかな?うち、サッカーも長距離も好きやし。
たしかに、急造選手ばかりやと出るたびボロ負けやし、しんどい部分もあるやろけど。
相手の鳴門南は甲子園出場の実績をもつ実力校。コールドゲームを免れたらめっけもんやな、と思いながら日に焼けた座席に座った。
場内アナウンスをBGMにボールを回す美馬ナイン。外野陣のグダグダぶりはご愛嬌、内野もいまひとつ安定感に欠ける。目を引いたのは捕手の強肩。投手の球もかなりの速球だ。
おんなじ名字いうことは、兄弟か何かやろか?と思っておミヨは美馬バッテリーに目を移した。
ー?
おミヨは最前列に出ると、グラウンドの方に鼻を突き出した。
狸!
間違いない。けだもののー狸のにおいだ。同じ名字であることも、これで合点がいく。
ーほなけんど、別所?どこやろ?重清?
おミヨは思い切ってチンドン屋の一人に尋ねた。
「すみません、あの、美馬の別所って、重清の方になりますか?」
「べっしょ?」
「べっそのことちゃう?」
チンドン屋が演奏を止めて集まってくる。
「この子が、べっそは重清か聞いてきよって」
「べっそ言うたら岩倉の方やんか。大楠のあるところや」
「そや岩倉や。…あんた、べっそに誰かおるんか?」
「…いえ…」
「そや、あの子ら、べっそちゃう?」
一番若い楽士がバッテリーを指さした。
「べっその大楠言うたら、炎使いの狸の話があったなあ、そういや」
「それで万作のあだ名が火の玉投手か?」
「知らんわー。ほなけんど美馬高、去年も負けはしたけど、試合、五回コールドだけは免れたな」
楽士たちが賑やかに話に花を咲かせている間に、外野手たちはこれでもかとエラー祭りを繰り広げている。ノーヒットで4点も献上してようやくチェンジとなった。
相手投手も立ち上がり制球が乱れ、走者がたまったところで四番の捕手が長打を放ち、2点を返した。
まともな試合にするには、打者を三振にとるしかない、苦しい台所事情。
打球を絶対に外野にもっていかれんよう、どんなに苦心惨憺しても、鳴門南の強力打線、ワンイニングに一度やそこらは外野に飛んでいく。フライは盛大に落とし、ゴロはトンネル、送球は暴投の三拍子だ。
二回の表はそれでも火の玉投手が2点で押さえた。
三回の表、鳴門南の先頭打者がいきなり大きなライトフライを打ち上げた。来た!と声を上げる鳴門南ベンチ。うへえという表情の美馬スタンド。
ー陸上部のライトは、何とか球の落下点に入ると、胸に抱え込むようにして辛うじてキャッチした。
美馬ナインは一斉に両腕を天に突き上げ、応援席は甲子園出場を決めたかのように大歓声を上げ、チンドン屋は割れんばかりに鉦太鼓を叩いた。
美馬高の陸上部の
大西くんはこちらです
短距離も早いけど
野球もすごいやんか
チンチンドンドン
チンドンチンドン
このあと、美馬スタンドは憑き物がついたかのように、外野がエラーするたびに
落としたら拾うたらええ
トンネルは追わえたらええ
暴投は誰かに
追わえてもーたらええんじゃ
ドンマイドンマイ美馬高
チンチンドンドン
チンドンチンドン
と盛り上がる。
「あほう、しっかり捕らんかい」
の合いの手が入ると
「そやそや、次はしっかり捕らんかい」
とチンドン屋がチンチンドンドンと受ける。
タチノーでは試合でエラーなんかしようものなら、学校に戻ってから監督の前で徹底的に原因と防止方法を言わされ、それがきちんとできるまで特守させられたものだが、このチームはどうなんやろか?
試合は鳴門南がエラーを突いて得点を重ねると、美馬の狸バッテリーが打って走って点差を縮め、六回終了で9点差。コールドゲームをギリギリで回避しながら終盤の攻防に入った。
これを6点差にせな九回までできん!外野手同士のカバーリングが少しずつ少しずつ確実になってきて、七回は初めて無得点で抑えることができた。
その裏、下位打線の外野手たちは、見よう見まねのセーフティバントを試みた。それが鳴門南バッテリーのリズムを崩したのか、三人のうち二人が出塁した。
トップバッターのスクイズが成功、次打者は粘りに粘って四球を選び、打順は三番のピッチャーに。
打席に入って構えると…主審が「タイム」を宣告し、打者に何ごとか指示をしている。
「あちゃー」
おミヨは思わずのけぞった。
打者ー別所万作投手の尻に、いつの間にかおなじみのふさふさしたものがゆらゆらしている。
万作はあわてて尻尾をしまうと、帽子を取って主審に一礼した。
「気合いが入り過ぎるとヤッちゃう子、おるんよね」
誰に言うでもなくおミヨは呟き、そしてさりげなく自分の尻を点検した。
プレイ再開。狸や猫ごときで驚いていては、徳島でスポーツ競技などやっていられない。
万作は気合一閃、初球をレフトスタンドに放り込んだ。
すっかり気を良くした美馬の狸バッテリーは、この後の攻撃を火の玉快速球でピシャリと抑え、見事に九回フルイニングの試合を成立させることができた。
ーいかん、試合に夢中で肝心のこと聞くの忘れとった。
おミヨは引き上げる準備をするチンドン屋の一人に声をかけた。
「あの…昔、重清に美馬農林いう学校があったって聞いたんですけど、ご存知でしょうか?」
「知らんなあ」
若い楽士が答えると、仲間の一人が
「おまはんは知らんやろ、あの学校が廃校になったの、半世紀近く前の話やけんな」
「美馬農林て、野球強かったって聞いたんですけど…」
「強いも強うないもあんた、あそこ昔五回も甲子園行っとるんでよ」
「え、…」
「蜂須賀商業で監督しとった方が美馬農林においでて、それからめきめき強うなったらしいんやけど、もう相当昔の話やな。うちんくのおじいちゃんなら少しは知っとるやろか」
太鼓を身体にくくりつけた中年の楽士が言うと
「ああそうや、なんか重清のヤマの方で、その美馬農林が甲子園に出て何十周年かになるけん、記念碑建てるいう話があったなあ」
と派手な浴衣に三味線抱えた楽士が口を添える。
「そんな話があるんや、知らんかったなあ」
若い楽士がそう言うと、三味線の楽士は
「そらそうや、美馬高校は重清ちゃうやん」と答える。
美馬高校は、隣村の吉野川近くの平地に位置している。
「ありがとうございます」
おミヨはぺこりと一礼すると、球場を出た。リュックを降ろしてヒプノサロンいせきのチラシを取り出すと、球場の外を行き交う人に再びチラシを配り始めた。
「あんた、こんなとこで何しよんの?」
ふいに後ろから声をかけられた。ビクンとしたおミヨ。
高野連?警察?
「あ!ごめんなさい!もうしません!」
と米つきバッタのようにペコペコ頭を下げていると、
「あははは、何勘違いしよんの」
顔を上げたら、さっきのチンドン屋の一行がいた。
「それ見して」
あっという間にチラシがチンドン屋のメンバーに行き渡る。
「へえ、ヒプノセラピー…」
「はい」
「おもっしょそうやん」
「ありがとうございます」
「そや、ついでやし、衣装着とるし、うちら宣伝付き合うで」
「そや、していこ」
中年の楽士は荷物から太鼓を取り出し身体にくくりつけ、浴衣の楽士は三味線の糸の調節を始める。他の楽士もめいめいの楽器を取り出す。
チンチンドンドン
チンドンチンドン
とざい、東西
夏の高校野球徳島大会
本日ただいま、地元鳴門の
鳴門南高校がめでたく
二回戦に駒をすすめました
まことに慶賀の至りです
そこで少しわたしらに
お耳を拝借させてはいりょ
チンチンドンドン
チンドンチンドン
徳島市は鷲の門から歩いて一分ダッシュで10秒、交通至便の地
徳島本町の寿司屋の隣
ヒプノサロンいせきいうたら
座っただけであなたの
前世をピタリ当てます教えます
新しい人生の扉を開ける
ヒプノセラピー、
鳴門でするのもええけれど、
やっぱりここは蜂須賀様のお膝元
鷲の門から歩いて一分
徳島本町ヒプノセラピーいせきで
あなたの人生始めてみませんか
チンチンドンドン
チンドンチンドン
海四から受け取った100枚ばかりのチラシは、物珍しさも手伝ってか、一時間もしないうちに捌けていった。
「ありがとうございます!助かりました!」
「良かったなあ」
チンドン屋一行は楽器を片付けはじめる。
「…あの、皆さんのお名前を…」
おミヨがおずおずと言うと
「ああ、これ」
と一枚のフライヤーが渡された。
各種宣伝・賑やかし
チンドン美馬あやかし組
「ありがとうございます。…あと、皆さんの歌の中で、ヤマの狸がどないやら、いうのがあったと思うのですが…」
「ああ、あれ?あんなん口から出任せや」
「…あれ、岩倉のべっそのこと違いますか?」
「ちゃうちゃう、べっそはヤマちゃうよ」
楽士たちはてんでに話し出す。
「あはは、うちらな、けっこうその場の思いつきで歌うとるけん、そんなん歌うたかな?、なんてこともあるんよ」
「深い意味はないけん」
「…すみません。あの狸のピッチャーのことかな思うたので」
おミヨはとっさに思いもしていないことを口にした。
「…あと、重清に甲子園出場の記念碑建てるって、ほんまですか?」
「ああそれ、聞いた話やけん知らんけど、そないな話が出とるらしい、いうことみたいじゃ」
「ありがとうございます!」
おミヨは何度も頭を下げた。
帰りのバスは、美馬高校ナインと乗り合わせた。
「野球もなかなかおもろいなぁ」
「せやろ?」
「もうちょっと練習したらノーバンのバックホームもできるようなるでよ、どや?」
「せやな…やっぱやめとくわ、ゴールキーパー、わいしかおらんし」
「サッカーも駅伝もまかしとき。応援いつでもバッチ来い、や」
「そや、両方したらええんじゃ」
「そやけどいっぺんぐらいは勝ちたいなぁ」
狸の捕手が呟くと、投手が深くうなずいた。
うち、タチノーで何も考えんと野球ばっかりしてきよったけど、これで良かったんやろか?
うちの前世って、今のうちとどうつながっとるんやろか?
何やようわからん。
…早う寝よう。
明日のお日いさんも、きっと今日みたいにピカピカや。
「どやった?」
「勝った!…それから、藤黒監督にめっちゃ怒られた」
「あはは」
「ごめんなさい、もうせえへんけん」
「あはは、思い出したらホンマめっちゃおもろい」
おミヨはばつの悪い表情で頭をかいた。
「海四さん、明日、鳴門南と美馬高の試合あるみたいですね」
「どれどれ、…ほんまや、これ、勝った方が蜂須賀商業と当たるんやろ?」
「うへえ、くじ運悪過ぎやん」
「去年のうちらもそうやった。ほんでうちらに勝った阿南の学校も、準々決勝で蜂商に当たって、逆転ホームラン浴びて負けてしもうたし」
「…みっちゃん、あんた今、自分の前世どのぐらい覚えとるで?」
「…セラピー受けよる間はもう、そのまま前世の中におるみたいやのに、一眠りして朝が来たらもう何がなんだかようわからんようなって…」
「そうやな…」
「覚えとるこというたら、うち、前世でも狸で、おんなじことしよったこと…ぐらいやろか」
「一番センター谷一くん!」
「いややそれ言わんといて恥ずかしい…」
「みっちゃん、みっちゃんの前世、いつの時代か覚えとる?」
海四は確かめるように尋ねた。
「……あれ、どう考えても戦前や。うちらのユニ、ぶかぶかで袖が肘より長かったし」
「学校の名前覚えとるで?」
「…み…の…みま…美馬農林…重清の…」
「明日の試合、その美馬の学校が出るやんか」
海四は新聞販売店でもらった高校野球徳島県大会特集号の組み合わせ表を指さした。
「明日、鳴門の球場で試合あるでないで。みっちゃん、そこに出張してくれへんで?」
「?」
「試合の前と後に、球場の外でこのチラシ配ってほしいねん」
海四はチラシの束を取り出した。
セラピーとヒプノサロンいせきの紹介がコンパクトに盛り込まれた、可愛らしさの中にスピリチュアルな雰囲気をまとった、A5版のつるつるしたチラシ。
「高野連や警備に何か言われたら、すぐに配るのやめや。おまわりなんか呼ばれた日にはほんまやくたいやけんな」
おミヨは深くうなずいた。警察に連れていかれるのは二度とごめんだ。
「それから、うちは女性限定やから、渡すのは女の人だけ…な」
海四は店のパソコンで出張の手続きをすると、交通費の精算は次々回の給料日、店で着ている作務衣で行くことを説明した。
次の日、おミヨは鳴門の球場に向かった。試合開始時間まで、球場の入り口近くで行き交う人にチラシを配った。ターゲットの若い女性はというと、チラシを手にしたおミヨの姿を見るや露骨に避け、ほとんど受け取ってもらえない。ーそうか、店の宣伝ではなく、美馬高校の様子を見てくることがほんまの目的か。
おミヨは美馬高校側のスタンドに潜り込んだ。
鳴門南スタンドは選手の家族友人に補欠選手で構成されたにわか応援団、OBらしきおじさんたち、それに地元鳴門の高校野球ファンで席がほとんど埋まっている。さすが甲子園出場実績があるだけのことはある。
美馬高校も同じような感じだが、人の数が圧倒的に少ない。OBらしい男女数人のチンドン屋グループが、鉦や太鼓を鳴らしては好き勝手に歌っている。
ーほーいほいほい、どちらいか
ほーれほれほれ、えっとぶり
去年も来よったチンドン美馬が
くたばりもせず、また来たじょ
一かけ二かけ三かけて
試合のたびにコールドで
五かけ六かけ七かけて
やっぱり美馬高負けばかり
ほーいほいほい、化けて出た
ほーれほれほれ、お出ましや
ヤマの狸のピッチャーが
強豪古豪をなで切りや
一かけ二かけ三かけて
仕掛けた勝負はやめられん
五かけ六かけ七かけて
ヤマの狸がかっ飛ばす
ヤマの狸?
おミヨはグラウンドの方に目をやった。後攻の美馬高校ナインが守備位置につくと、選手紹介のアナウンスが流れた。
「一回の表、守ります美馬高校の、ピッチャーは別所万作くん、キャッチャー別所市松くん、ファースト三木くん…」
周りの話を聞いていると、美馬高校はここ数年、運動部同士で選手の助っ人を出し合うているようで、今年などは正規の野球部員はバッテリーと内野手だけ、外野の三人と補欠の一人はサッカー部と陸上部からのようだ。
ーそれもええやん。タチノーは生徒(狸)数が多いけんそれぞれの部活が独立しておれるけど、こういうのもめっちゃおもろいんちゃうかな?うち、サッカーも長距離も好きやし。
たしかに、急造選手ばかりやと出るたびボロ負けやし、しんどい部分もあるやろけど。
相手の鳴門南は甲子園出場の実績をもつ実力校。コールドゲームを免れたらめっけもんやな、と思いながら日に焼けた座席に座った。
場内アナウンスをBGMにボールを回す美馬ナイン。外野陣のグダグダぶりはご愛嬌、内野もいまひとつ安定感に欠ける。目を引いたのは捕手の強肩。投手の球もかなりの速球だ。
おんなじ名字いうことは、兄弟か何かやろか?と思っておミヨは美馬バッテリーに目を移した。
ー?
おミヨは最前列に出ると、グラウンドの方に鼻を突き出した。
狸!
間違いない。けだもののー狸のにおいだ。同じ名字であることも、これで合点がいく。
ーほなけんど、別所?どこやろ?重清?
おミヨは思い切ってチンドン屋の一人に尋ねた。
「すみません、あの、美馬の別所って、重清の方になりますか?」
「べっしょ?」
「べっそのことちゃう?」
チンドン屋が演奏を止めて集まってくる。
「この子が、べっそは重清か聞いてきよって」
「べっそ言うたら岩倉の方やんか。大楠のあるところや」
「そや岩倉や。…あんた、べっそに誰かおるんか?」
「…いえ…」
「そや、あの子ら、べっそちゃう?」
一番若い楽士がバッテリーを指さした。
「べっその大楠言うたら、炎使いの狸の話があったなあ、そういや」
「それで万作のあだ名が火の玉投手か?」
「知らんわー。ほなけんど美馬高、去年も負けはしたけど、試合、五回コールドだけは免れたな」
楽士たちが賑やかに話に花を咲かせている間に、外野手たちはこれでもかとエラー祭りを繰り広げている。ノーヒットで4点も献上してようやくチェンジとなった。
相手投手も立ち上がり制球が乱れ、走者がたまったところで四番の捕手が長打を放ち、2点を返した。
まともな試合にするには、打者を三振にとるしかない、苦しい台所事情。
打球を絶対に外野にもっていかれんよう、どんなに苦心惨憺しても、鳴門南の強力打線、ワンイニングに一度やそこらは外野に飛んでいく。フライは盛大に落とし、ゴロはトンネル、送球は暴投の三拍子だ。
二回の表はそれでも火の玉投手が2点で押さえた。
三回の表、鳴門南の先頭打者がいきなり大きなライトフライを打ち上げた。来た!と声を上げる鳴門南ベンチ。うへえという表情の美馬スタンド。
ー陸上部のライトは、何とか球の落下点に入ると、胸に抱え込むようにして辛うじてキャッチした。
美馬ナインは一斉に両腕を天に突き上げ、応援席は甲子園出場を決めたかのように大歓声を上げ、チンドン屋は割れんばかりに鉦太鼓を叩いた。
美馬高の陸上部の
大西くんはこちらです
短距離も早いけど
野球もすごいやんか
チンチンドンドン
チンドンチンドン
このあと、美馬スタンドは憑き物がついたかのように、外野がエラーするたびに
落としたら拾うたらええ
トンネルは追わえたらええ
暴投は誰かに
追わえてもーたらええんじゃ
ドンマイドンマイ美馬高
チンチンドンドン
チンドンチンドン
と盛り上がる。
「あほう、しっかり捕らんかい」
の合いの手が入ると
「そやそや、次はしっかり捕らんかい」
とチンドン屋がチンチンドンドンと受ける。
タチノーでは試合でエラーなんかしようものなら、学校に戻ってから監督の前で徹底的に原因と防止方法を言わされ、それがきちんとできるまで特守させられたものだが、このチームはどうなんやろか?
試合は鳴門南がエラーを突いて得点を重ねると、美馬の狸バッテリーが打って走って点差を縮め、六回終了で9点差。コールドゲームをギリギリで回避しながら終盤の攻防に入った。
これを6点差にせな九回までできん!外野手同士のカバーリングが少しずつ少しずつ確実になってきて、七回は初めて無得点で抑えることができた。
その裏、下位打線の外野手たちは、見よう見まねのセーフティバントを試みた。それが鳴門南バッテリーのリズムを崩したのか、三人のうち二人が出塁した。
トップバッターのスクイズが成功、次打者は粘りに粘って四球を選び、打順は三番のピッチャーに。
打席に入って構えると…主審が「タイム」を宣告し、打者に何ごとか指示をしている。
「あちゃー」
おミヨは思わずのけぞった。
打者ー別所万作投手の尻に、いつの間にかおなじみのふさふさしたものがゆらゆらしている。
万作はあわてて尻尾をしまうと、帽子を取って主審に一礼した。
「気合いが入り過ぎるとヤッちゃう子、おるんよね」
誰に言うでもなくおミヨは呟き、そしてさりげなく自分の尻を点検した。
プレイ再開。狸や猫ごときで驚いていては、徳島でスポーツ競技などやっていられない。
万作は気合一閃、初球をレフトスタンドに放り込んだ。
すっかり気を良くした美馬の狸バッテリーは、この後の攻撃を火の玉快速球でピシャリと抑え、見事に九回フルイニングの試合を成立させることができた。
ーいかん、試合に夢中で肝心のこと聞くの忘れとった。
おミヨは引き上げる準備をするチンドン屋の一人に声をかけた。
「あの…昔、重清に美馬農林いう学校があったって聞いたんですけど、ご存知でしょうか?」
「知らんなあ」
若い楽士が答えると、仲間の一人が
「おまはんは知らんやろ、あの学校が廃校になったの、半世紀近く前の話やけんな」
「美馬農林て、野球強かったって聞いたんですけど…」
「強いも強うないもあんた、あそこ昔五回も甲子園行っとるんでよ」
「え、…」
「蜂須賀商業で監督しとった方が美馬農林においでて、それからめきめき強うなったらしいんやけど、もう相当昔の話やな。うちんくのおじいちゃんなら少しは知っとるやろか」
太鼓を身体にくくりつけた中年の楽士が言うと
「ああそうや、なんか重清のヤマの方で、その美馬農林が甲子園に出て何十周年かになるけん、記念碑建てるいう話があったなあ」
と派手な浴衣に三味線抱えた楽士が口を添える。
「そんな話があるんや、知らんかったなあ」
若い楽士がそう言うと、三味線の楽士は
「そらそうや、美馬高校は重清ちゃうやん」と答える。
美馬高校は、隣村の吉野川近くの平地に位置している。
「ありがとうございます」
おミヨはぺこりと一礼すると、球場を出た。リュックを降ろしてヒプノサロンいせきのチラシを取り出すと、球場の外を行き交う人に再びチラシを配り始めた。
「あんた、こんなとこで何しよんの?」
ふいに後ろから声をかけられた。ビクンとしたおミヨ。
高野連?警察?
「あ!ごめんなさい!もうしません!」
と米つきバッタのようにペコペコ頭を下げていると、
「あははは、何勘違いしよんの」
顔を上げたら、さっきのチンドン屋の一行がいた。
「それ見して」
あっという間にチラシがチンドン屋のメンバーに行き渡る。
「へえ、ヒプノセラピー…」
「はい」
「おもっしょそうやん」
「ありがとうございます」
「そや、ついでやし、衣装着とるし、うちら宣伝付き合うで」
「そや、していこ」
中年の楽士は荷物から太鼓を取り出し身体にくくりつけ、浴衣の楽士は三味線の糸の調節を始める。他の楽士もめいめいの楽器を取り出す。
チンチンドンドン
チンドンチンドン
とざい、東西
夏の高校野球徳島大会
本日ただいま、地元鳴門の
鳴門南高校がめでたく
二回戦に駒をすすめました
まことに慶賀の至りです
そこで少しわたしらに
お耳を拝借させてはいりょ
チンチンドンドン
チンドンチンドン
徳島市は鷲の門から歩いて一分ダッシュで10秒、交通至便の地
徳島本町の寿司屋の隣
ヒプノサロンいせきいうたら
座っただけであなたの
前世をピタリ当てます教えます
新しい人生の扉を開ける
ヒプノセラピー、
鳴門でするのもええけれど、
やっぱりここは蜂須賀様のお膝元
鷲の門から歩いて一分
徳島本町ヒプノセラピーいせきで
あなたの人生始めてみませんか
チンチンドンドン
チンドンチンドン
海四から受け取った100枚ばかりのチラシは、物珍しさも手伝ってか、一時間もしないうちに捌けていった。
「ありがとうございます!助かりました!」
「良かったなあ」
チンドン屋一行は楽器を片付けはじめる。
「…あの、皆さんのお名前を…」
おミヨがおずおずと言うと
「ああ、これ」
と一枚のフライヤーが渡された。
各種宣伝・賑やかし
チンドン美馬あやかし組
「ありがとうございます。…あと、皆さんの歌の中で、ヤマの狸がどないやら、いうのがあったと思うのですが…」
「ああ、あれ?あんなん口から出任せや」
「…あれ、岩倉のべっそのこと違いますか?」
「ちゃうちゃう、べっそはヤマちゃうよ」
楽士たちはてんでに話し出す。
「あはは、うちらな、けっこうその場の思いつきで歌うとるけん、そんなん歌うたかな?、なんてこともあるんよ」
「深い意味はないけん」
「…すみません。あの狸のピッチャーのことかな思うたので」
おミヨはとっさに思いもしていないことを口にした。
「…あと、重清に甲子園出場の記念碑建てるって、ほんまですか?」
「ああそれ、聞いた話やけん知らんけど、そないな話が出とるらしい、いうことみたいじゃ」
「ありがとうございます!」
おミヨは何度も頭を下げた。
帰りのバスは、美馬高校ナインと乗り合わせた。
「野球もなかなかおもろいなぁ」
「せやろ?」
「もうちょっと練習したらノーバンのバックホームもできるようなるでよ、どや?」
「せやな…やっぱやめとくわ、ゴールキーパー、わいしかおらんし」
「サッカーも駅伝もまかしとき。応援いつでもバッチ来い、や」
「そや、両方したらええんじゃ」
「そやけどいっぺんぐらいは勝ちたいなぁ」
狸の捕手が呟くと、投手が深くうなずいた。
うち、タチノーで何も考えんと野球ばっかりしてきよったけど、これで良かったんやろか?
うちの前世って、今のうちとどうつながっとるんやろか?
何やようわからん。
…早う寝よう。
明日のお日いさんも、きっと今日みたいにピカピカや。
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