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聞いてくれていいわよ

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 私とレーナは二週間かかってダルセン男爵領へ到着した。
この世界、軍隊以外では余程の事情が無い限り馬車で人を強行軍で運ぶ事などない。
そして仮にも貴族の乗っている馬車なので危険な地帯での野宿なども極力少くする。
望まずとものんびりと余裕を持って町や村や集落などを経由し辿り着いたのだった。
ようやく領内に入った時点で安堵の言葉が口から洩れる。


「……毎日毎日座りっぱなしでお尻が痛いわ……感覚が無くなりそう」

「正直申しまして私もです。奥様」

「二人きりの時は奥様呼びしないで以前の通りでいいわよ」

「そうはいきません。人前でうっかり間違えてしまう事があったら大変です。奥様に恥をかかせてしまいます」

「真面目なんだから、もう」


 元々レーナは侯爵家に長く仕える使用人の長女である。
王都と、王都に近い侯爵領しか行った事がない。
生れてからの行動範囲の狭さだけなら元侯爵令嬢の私と変わらない。

 座っている馬車の座り心地がまた変化した。
道路の石畳が無くなって馬車全体の揺れが激しくなりガタついているのだ。
私は馬車の窓からダルセン領境の風景を見て呟いた。 


「それにしてもこの寂れ具合はなかなかね。噂には聞いていたけど」

「実質、辺境と言っていいですからね」

「辺境伯領から比べたら少し王都寄りとはいえ、山ばかりだしね」


 我が国と隣国を隔てる境界線は二つの国の間を流れる河川である。
河川周辺の国境を治める辺境伯領よりは多少王都寄りとはいえ、王都方面以外の三方面を山々に囲まれたダルセン領は田舎という意味で真の辺境であった。


「こんな辺境で色々事業を起こそうとしても難しいかな……」

「昔は鉱山で栄えていたと聞きますが」

「そうね。まあでも逆に言えば羽振りのいい時にこうなる事を何も考えていなかった領主の責任でもあるけど」


 永久に鉱脈が尽きない訳でもないのに枯れた後の事は想像していなかったらしい。 
景気がいい時に後々の事を考え将来の選択肢を増やしておく事をしていない所がかつての祖国である日本と共通している。


「でも過去を嘆いていても仕方ないわ。領主夫人としてやれる事はやらないと。
何せ領主がアレだし」


 いくら放蕩者でもアントンが私に男爵領の差配を任せるとは思えない。
しかし私も自分自身の生活改善の為に黙って引きこもり生活を送るつもりはない。
とりあえずこの土地で新しい自分の立ち位置を作らなければならない。

 お飾りの男爵夫人としてこの場所でずっと生きていくのか(多分無い)。
ここを出ていく基盤を何とか整えて自立して生きていくのか(多分そうする)。
とにかく考える事が沢山あった。


「……」

「レーナ? どうかした?」

「最近奥様のもののおっしゃりようが……その……何か……変わってこられた様に感じるのですが」

「人は変わっていくものでしょう。いつまでも子供ではいられないわ」

「そう云う事では無く、急に変わりすぎの様な気がしまして」

「……聞きたい事があれば聞いてくれていいわよ?」


 私の内面の変化にいち早く気付くとしたらそれは一番私の近くに居るレーナだ。
信頼のおける彼女にいつかは話す事になるのではないかと思っていた。
それは今にするべきだろうか。


「では、お言葉に甘えさせていただきます。
私は殿下とのご婚約破棄の件で奥様がずっと心を痛めてきたと思っていました。
あの時のあまりに辛い御記憶が奥様の心に重大な変化を与えてしまった、と」

「ええ」


 私の内面は劇的に変わった。
但しそれは階段から落ちて蘇った『前世の記憶』の外的要因によるものだけど。


「芯の強い奥様ならば侯爵家の立場を考えてどんな立場も受け入れるでしょう。
今回のダルセン男爵様との不本意な婚姻も」

「……」

「でも、今の奥様を見ているとご実家への義務感と違った物を感じてしまうのです。
そもそも第二王子殿下との婚約破棄を喜んでいた様な、というかせいせいしたという感じをしておられる気がしてなりません。
口が悪い言い方になってしまいますが」

「……どうしてそう思うの?」

「殆どは私の勝手な思い込みなのですが……。
男爵様との婚姻はともかく長年ずっと献身的に尽くしてきた第二王子殿下への未練が全く無さそうなのは不思議に思いまして」
  
「……」

「それどころか名誉ある聖女という立場にも全く執着しておられない様に思えます。
あれほど時間を割いて王子妃教育と聖女候補としてのお勤めをされてきた奥様が。
諦めとご実家への義務感だけでそこまで変われるものでしょうか」

「流石ね」


 私はレーナに『前世の記憶』の事を話す事にした。
事故がきっかけで記憶が蘇った事。
今の人格は前の世界で形成されたものである事を。

 始めは黙って聞いていたレーナだったが段々表情が強張ってくるのが分かる。
他の人ならそんな馬鹿な話と笑い飛ばせるところだがレーナにはそれは出来ない。
幼少時から私を一番よく知っていると自認しているからだ。

 
「そ、そんな……、そんな事って……」

「そういう訳で地がちょっと態度に出てしまったみたいね。気を付けるわ」

「で、では、以前のお嬢様は完全に消えてしまったという事ですか!?」
 
「いいえ、違うわ。今までの私の記憶もちゃんとあるわよ。
あなたにずっと面倒を見て貰った事も勿論ちゃんと覚えている。
厳しい家庭教師の先生に怒られた時に後で色々慰めてくれた事とか、色々ね」


 レーナは私の目をしばらく覗き込んだ。
そして少ししてから自分を納得させる様に一息ついた。


「……それを聞いて安心致しました。
5歳頃まで夜間の粗相が治らなかった事も覚えておりますか?」

「それは忘れていたかったわね」
 

 私は恥ずかしい記憶を思い出して眉をしかめた。
レーナの表情から緊張感の様なものが消えたのを確認して安心した。


「いずれ折を見て話そうと思っていたけど思ったより早く気付かれたみたいね」

「当然です。私は幼少の頃からずっとお嬢様の専属侍女なのですから。だから……」
 
「?」

「私は常にお嬢様の味方です。以後私に隠し事は無い様にお願い致します」

「ありがとう。頼りにしているわ。
 ……すぐに言わなくてごめんなさい。隠してたつもりじゃないの。
 説明がしづらくてね。許してくれる?」

「もちろんです。ようやくすっきりしました」

「良かったわ。これからもよろしくね」

「はい」


 レーナの疑念が晴れた頃に馬車はどこか寂れた大きな建物の前に到着した。
ダルセン領都の中心地にある男爵邸だった。
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