人と毒と蠱。

風月

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転。〈陸〉

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 襖の向こうは廊下になっており、その突き当りは地下に続く階段になっていた。
 そんなに長くはない階段を降りきると、そこは少し開けた空間があり、目の前にはまた襖があった。
「よいか?柳谷の周りには呪い避けの結界が施してある。言うまではワシの後ろに座しておいておくれ」
 襖を開ける前に、男が静かにいう。二人が無言で頷くのを見て、男は静かに襖を開けた。
 中に入るとそこは薄暗い和室になっており、窓の無い四隅には蝋燭が灯されていた。
 その中央には白い袴を身に着けた清司が正座し、少し間を隔てて後ろには黒い塊が見えない壁にへばりつくようにして存在していた。
「うぇ……アレが呪いってやつかよ」
 康樹の目にも見えたのか、そう言って半歩後退っている。
 構わず男が中に入り、二人もあとに続くと、襖は音も無く閉められた。
 男が清司の前に立ち、二人が少し後ろに正座する。と、タイミングを見計らったか、合図もなしに清司が口を開いた。
「かけまくも かしこき いなりのおおがみの おおまえに かしこみ かしこみ もうす……」
「え、突然何?」
「しっ!祝詞だよ」
「何で清司がそんなもん言えるのさ」
「おれだって聞きたい」
 男に深々と頭を垂れ、恭しく祝詞を唱え出した清司に驚いていると、男の顔が瞬く間に白い狐の顔に変化し、衣装も神社の人間が神事の際に着ている様な服に変化した。
 驚く間もなく、男がちらりとこちらに振り返る。
「二人、構えられよ」
 それだけ言って向き直ると、今度は清司に向って言う。
「柳谷清司、これより其方の身に古来に創られし蠱毒を降ろす。宜しいか」
「はい」
 頭を下げたまま清司がそう答えると同時に、
「右吉、左吉、結界を」
「「御意」」
 男が言いながら両腕を大きく広げると、突然現れた先の子供が清司の両脇に立ち、見えない何かをひっぺかす動きをした。おそらく結界の壁だろう。
 すると、後ろにいた黒い塊がズルリと這い出し、清司に覆いかぶさると、そのまま彼に染み込むようにして消えた。
「……ぐぅっ!あああぁあ‼」
 数秒して、清司が苦しみだす。
 それを見て思わず駆け寄りそうになるのを、太壱はぐっと堪えていた。おそらく康樹も同じだろう。
「っ!……がぁっ、はぁ、あぐっ、ゔうっ‼」
 苦しみのあまりのたうちつつ、何かを抑え込もうとしているかのように時折握り拳で畳を殴り付けている。
 それを見て、太壱は覚悟を決めた。
「康樹」
「な、何?」
 あまりの光景に、少し声が上ずって返事をした彼に、
「アレが終わったら、多分手加減無しに殺しに来る。基本おれが相手するから、お前はタイミング見計らって術使って捕縛して」
「で、出来るかな?」
「やるしか無いんだよ」
 そう言って立ち上がると、康樹も続いて立ち上がった。
「……わかった。朱夏しゅか!」
 言うと、康樹の手に大小の剣が現れ、それを構える。左右の剣の柄頭は鎖がついて繋がっていた。
「あああぐ、ううううぅっ……う、うぅ」
 清司の絶叫が少しづつ落ち着いてくる。
蒼春そうしゅん、棍の形を取れ」
 太壱の声に応えるように、彼の手に長い棒が姿を現した。いつもは薙刀の状態だが、この狭い空間では刃は邪魔になる。そう考えての選択だった。
「………………」
「く、来るか?」
 清司の絶叫が止み、康樹が身構える。
「………………」
 静かに、ふらりとした動きで清司が立ち上がるのをじっと見つめ、太壱も身構えた。
 立ち上がった清司が大きく息を吐いた、次の瞬間
「っ⁉」
 目の前に、目の色が変わった清司の顔と拳があった。
 衝撃。
「太壱!!」
「っ……ぐぅ、げほっ」
 気がつくと壁に叩きつけられており、反射的に構えて拳を受けた左腕と、叩きつけられた背中に鈍い痛みが走る。
 幸い折れてはいないようだがかなり痛い。が、そのような事は言っている暇はない。
 痛みを堪え、立ち上がる。
「……セロ……」
 見ると、今しがた自分が立っていた場所には清司がふらふらと立っていた。
 そのすぐ側には康樹が立っている。
「康樹!逃げろ‼」
 自分と違って格闘技等の経験が無い康樹があの打撃を喰らうのはまずい。
 叫ぶと同時に駆け出し、康樹と清司の間に距離を開けるべく、清司に向って棍を振り下ろす。と、清司は一歩身を引いただけでそれを躱した。 
「クワ……セロ!」
 距離が空いたかと思いきやその差は小さく、すぐに太壱は清司に首を掴まれてしまった。
「……かはっ!」
 そのまま、片腕にも関わらず太壱の踵が浮くくらいに締め上げてくる。
 太壱はあまりの苦しさに棍を落としそうになりながら、どうにか離れようと打撃を加える。
 しかし中々離さない。
「清司!やめろ!!」
 すぐにそう言って康樹が引き剥がそうとするが、
「ーーっ!」
 反対の腕から繰り出された裏拳で部屋の隅まで転がされてしまった。
 万事休すか。
 そう太壱が観念しかけたそのとき。
 太壱の首を絞めるその腕に、突然現れた狐が二匹噛りついた。堪らず清司が手を放し、狐を振り払う。
 狐は清司に捕まる前にひらりと距離を取り、そのまま消えてしまったかとおもうと、男の傍に控えるように現れ、子供の姿になった。
「ゔゔゔゔぅ……」
 周囲の敵が太壱だけではない事に気づいたのか、清司は唸りながら周囲を見回す仕草をする。
「げほっ。清司!目ぇ覚ませ!!」
 声を張り上げ、注意をこちらに向けようと棍を構える。
 康樹はまだ起き上がらない。
 清司が康樹に襲い掛かるのだけは避けなければならなかった。
 男も同じ考えだろう。子供達が再び狐の姿になり、全身の毛を逆立てている。
 何か合図でもあれば、同時に飛びかかって押さえ込めるかもしれない。
 太壱が考えを巡らせたその時。
「……痛ってぇ……」
 康樹が言いながら身体を起こした。
 清司の気が逸れる。
 二人はそれを見逃さなかった。
 狐達が清司に飛びかかると同時に、組手を仕掛ける。
 清司の腕を掴んで後ろに回り込み、捻り上げ、間髪入れずに全体重を載せてその場に押し倒した。
「ゔがああああっ!!」
 獣のように声を荒げて、人とは思えない力で抵抗するが、うつ伏せの姿勢で利き腕を逆手に捻り上げられているせいかうまく行かないようだ。
 今しか無い。
「康樹!やれ!!」
「でも太壱は⁉」
「いいからやれ!!」
「……くそったれ!!」
 ほんの少しの逡巡の後に、康樹は再び剣を手に顕現させ、
烙烈焰鎖らくれつえんさ!!」
 言うと同時に剣を床に突き刺した。
 瞬間、火炎を纏った鎖が現れ床にそれぞれ拘束される。
「ぐあ!!」
「ぎゃあああああ!!」
 熱を持った鎖に締め付けられ、思わず声を上げる太壱の下で清司が悲鳴をあげた。
 化け物が拘束されるときと同じ声に、コイツは本当に化け物になってしまったのではないかと思ってしまう。
 と、その時だった。
「……ぃ……ち」
 悲鳴の途切れ際にそんな声が混ざったかと思うと、突然拘束されていない方の拳で自分の顔面を殴り始めた。
「せ、せい、じ‼」
 やめさせたいが、自身も拘束されている状況ではそうもいかない。
 この術は抵抗すればするほど効力が強くなると、前に康樹が言っていた。これ以上ダメージを喰らわないためにも、意識を飛ばさない為にも、動くわけにはいかなかった。
 殴るたび、加減が無いのかごすっごすっと嫌な音が響き、太壱は思わず目を逸らしてしまう。
 十発も殴っただろうか。ようやっと清司の手が止まる。
「たい、ち……」
 その声に視線を戻すと、殴って血みどろになった清司の横顔が目に入った。
「……っ!」
「……の、…………で……、……け」
 口がかすかに動き、何かを言っている。聞き取れず黙っていると、もう一度口が動き出した。今度は聞きもらすまいとじっと口の動きを観察する。
「俺、の、あ、いず、で、飛び、退け」
 聞こえていなかったことを察知したのか、今度ははっきりとそう発した。
「そしたら、お前、は、どう、なる、んだ!?」
 自身も絞め上げられている為途切れ途切れになりながらそう尋ねると、清司の口元がニヤリと笑みをつくる。
 それを見て、肩の力が抜けるのを感じた太壱は、わかったと短く返事をした。
 途端に術の威力が緩むのを感じたが、自分が抜け出そうと動きだせば、また絞め上げられてしまうのはわかっていた。
 ひと息ついて、出来るとは思わないが、術者本人に向って声をかける。
「康樹!一瞬だけ術を解けるか?」
「な!そんな器用な事、出来るわけ無いだろ!オレだよ⁉」
 そんな自慢にならないような事を、自信満々に返してくる康樹に、少しの苦笑を浮かべながら清司に問う。何か策があるのだろうが。
「だよねー。どうすんの、清司?」
「……っ、説明、してる、時、かん、ねぇわ」
 彼に降ろされた呪いが落ち着いた訳ではないのだろう。余裕がなさそうにそう返す。 
「……オッケー。いつでもいけるよ」
 太壱は不安を感じながらもゴーサインを出した。
 それを聞いて清司が呼吸を整える。そして、
白秋はくしゅう!」
 言うと同時に握っていた拳に日本刀を出現させると、先の姿勢のままの太壱を振りほどいて身体を起こそうと動き出す。
「う、わっ‼」
 太壱は堪らずバランスを崩し、床に転がってしまった。
「な!何やってんだよ⁉」
 突然の清司の行動に、康樹は悲鳴じみた声をあげる。あまり抵抗が強くなるとからみついた鎖で身体を焼き切りかねない。
 が、
「ぐ、う、う、おおあ‼」
 そんな事は構わず、無理やり立ち上がると 
「清司!何を⁉」
「た、いち!行けっ‼」
 言うと同時に刀を振り上げ、太壱の足元からのびる鎖を断ち切った。
「っ!」
 すかさず太壱は術の効果範囲から飛び退る。
「っぐあああああああああ‼」
 直後、清司の身体に倍の数はあろうかという鎖が巻き付いた。 
「清司‼」
 ぎゃりぎゃりという耳障りな金属音と清司の叫び声。そして肉が焼け焦げる臭いが空間を満たしていく。
 酷い状況に何も出来ずにいると、清司に変化が現れた。
「あああああぁぁぁ……は、ハハ、ハハハ!あハハハハハハハハハハ!」
「え、何?」
 震えた声で康樹が言う。
「アハハハハ!ハハハハハハハ‼」
 上体を鎖で拘束され、尚かつその身を焦がされながら、清司は笑っていた。
「ハハハッ!コヤツ、バカナコトヲシヨル‼」
 言いながら見開いた眼は、白目が真っ赤に染まっており、まるで人間のそれとは思えないものになっていた。
 ついに飲み込まれてしまったのか。
 太壱がそう諦めかけたとき。
「っ!?ぐっ‼がああああああああああ‼」
 再び清司が悲鳴をあげる。見ると、康樹が歯を食いしばっていた。
 目には涙を浮かべている。
 このまま術が行使されれば、いくら他の人間より回復力があるとはいえ、生身の人間である清司の命の保証は無い。だが、ここで清司を解放してしまえば、ここまでの展開が全て無駄になってしまう。
 清司自身が呪いをどうにかするまで、術を継続するしかなく、康樹には辛い役回りになってしまっている。
「ちくしょう!清司っ!戻って来い‼」
 本人に届いているか分からないが、太壱は必死にそう呼びかけた。
 
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