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英雄奪還編 後編

七章 第七十話 再会と侵攻

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「————お父さん」

 その声と共にデュランの手は止まった。何も言わず、目を見開いたまま身体は固まり、その部屋は静寂に包まれる。ジンはそれ以上問いかけることもなくただ父からの返答を待っていた。

(······呪いの影響か? 駄目だ。答えるな)

 デュランは唇を噛み締め感情を押し殺した。しかし数十年ぶりに聞いたその言葉は心の何処かでずっと求めていたもの。感情を抑えるのは到底無理だった。そして十秒以上の沈黙の後、デュランは澄ました表情でジンに向き直った。

「申し訳ありません。私は、ジン様の父親ではありません」

 取り繕ったような柔らかい表情でそう切り出すのが限界だった。握った両手の拳は震え、作業をする手は完全に止まっていた。ジンの返答を待つその数秒はデュランにとって何十秒にも引き伸ばされたような感覚がした。

「もう、全部知ってるよ。お父さんがどこから来たのかも。お父さんがいた世界で私がどうなったのかも」

「··········」

 目の前にある娘の顔は全てを悟っているようだった。

(····お父さん。そうだ。ずっと、その言葉が聞きたかった。この数十年、お前に会うためだけに生きてきた····俺を見て笑顔で話すその言葉を聞くことが俺の生き甲斐だった。声が出せなくなっても、最後の最後まで俺を呼んでくれたその言葉を、俺はずっと求めていたんだ)

「お父さんが泣いてるところ、初めて見た」

「······」

 頬には涙が伝わっていた。両腕は力が抜けたように垂れ下がり大粒の涙は地面に落ちていった。

「私はあの日、二人に生かされたからここに居られる。今までずっと幸せに暮らせている。だから····」

 ジンを胸に手を当てて大きく息を吸った。

「守ってくれてありがとう、お父さん」

「違うんだッ——俺に感謝される資格はない。助けてやれなくて····ごめん———ッ」

(娘の顔が見れない。最愛の娘の顔が)

「ッ————俺は、守れなかった。この腕の中に居たのに何もできないまま····」

 デュランが地面に顔を向けた瞬間その背中が強く抱き締められた。

「そんなこと言わないで。お父さんは世界を超えてまで私を助けに来てくれた。それだけで私は·····」

「······」

 下がったデュランの手には娘の涙がポツリと落ちた。

「我慢しようと思ったんだけどなぁ。お父さん、ルランさんとして会った時からとても辛そうで、今日まで毎日、寝る間も惜しんで呪いの研究をしてた。私のせいで····辛い想いさせて、ごめ”んなさい”ぃッ——」

 その言葉を聞いてデュランはようやく娘の顔を真っ直ぐ見た。涙でくしゃくしゃになった顔。しかし自分の顔を見る娘の目は幸せで溢れていた。こぼれ落ちそうなその幸せを抱えるように父もまた娘を強く抱きしめた。

「お父さん、お母さんと約束してたんだ。何があってもジンのことだけは守るって。でも俺は····お母さんが必死に守ったジンを守れなかった。目の前に、腕の中にいたのにどうすることもできなかった。だからお母さんに逢いに行く前に助けに来たんだ。天国にいるお母さんに怒られるわけにはいかないからな」

「うん·····ありがとう」

 デュランは咄嗟に思い出しポケットからあるものを取り出した。それは誕生日に渡そうとしていた光沢のあるペンダント。ペンダントの裏には家族三人の名前が刻まれていた。

「忘れないうちに、これを」

「ペンダント!」

「ああ、本当は誕生日に渡すつもりだったが····何があるか分からない。見て欲しかったんだ」

「わぁ····ありがとう、お父さん!!」

 初めはぎこちなく話していたデュランだったが、二人はすぐ昔のように話し始めた。

 満面お笑みで話す二人の話声と幸せは部屋の外にまで届いていた。一人、事前に話を聞いていたクレースはドアの前で笑みを隠せないでいた。気づかれないように必死に声を抑え涙を流すその顔は幸せに満ち溢れていた。そしてその後一時間、幸せそうに話す二人の声を笑顔のまま聞いていたのだった。


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 同日、ギルメスド王国。戦争終了後、剣帝と騎士団の元、国の作り直しを行っていた。司聖教の裏切りを始め、内部からの腐敗を防ぐための第一歩である。戦争での死者は出なかったため、復興作業は予定よりも早く終了していた。

 事が起こったのは日が暮れ、一日が終わろうとしていたまさにその時。
 ギルメスド王国を震源とし大規模な地震が引き起こった。
 大地が裂け、建物は一瞬にして地中に呑み込まれる。
 地震の発生から僅か十秒後、ベオウルフからの魔力波が国中に広がった。

(····ン··ッ···しろッ!!)

 しかし伝わったのはノイズが乗った声。到底理解できる言葉ではなかった。
 そして国民が混乱に陥ったまま敵は襲来する。
 地中から出現したのは魔族の大群である。

 国民の叫び声と共に、魔族による蹂躙が始まる。
 しかしそこに、抗うものは一人としていない。
 数秒のうちに千人を超える国民が犠牲となった。
 そして僅か数時間のうちに、ギルメスド王国は陥落した。
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