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英雄奪還編 後編

七章 第四十一話 失われた平和

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 ジンがシリスの精神世界に入った後、暫くすると天界は大混乱に陥っていた。
 襲撃に遭ったわけではなく天界に一切の危害は加えられていない。
 ただ、激しい殺気を纏った四つの攻撃的意思が天界にいた者達に向けられていたのだ。

 クレース、トキワ、ボル、そしてゼステナの四人はその膨大な魔力を隠すことなく開放していた。
 近くにいた下級の天使達は張り詰めた空気の息苦しさと禍々しいオーラを避けるようにその場から離れ、上級以上の天使がその場で布陣を敷いているという状況。

 そんな緊迫した中でゼグトスはクレースからの説教を食らっていた。

「わ、私はジン様の御命令に従いお連れした次第です。一緒に行くかと聞かれつい興奮し····」

「お前の言い訳は聞いてない。本当に帰ってくるんだろうな?」

「ええ、もちろんですとも。ジン様ですから」

「申し訳ございませんクレースさん。私が向かうつもりだったのですが力不足でして····ジン様がお一人で入られたのです」

 シリスは現在暴風に囲まれたままその場に立っていた。シリスの精神世界に入ろうにも強引な手を使えば中にいる者に影響を及ぼす可能性がある。故に何もできないという状況。ルドラとゾラの二人が共に姿を現し天使達を牽制していたため動きはなかった。

 しばらく膠着状態が続いていたその時だった。
 説教を受けていたゼグトスはニヤリと笑いシリスの方を見つめる。

「クレースさん。我らが王のご帰還ですよ」

 その声とともに、吹き荒れていた暴風は突如として止む。
 シリスの身体は真っ白な光に包まれ、その中から三人の姿が現れた。

「よかった、帰ってキタ。でももう一人ダレ?」

 ボルは安心しほっと息を吐く。しかし同時にジンとシリスと共に現れた者に目を向けた。

「シリス様ッ——」

 ベージュの目に映ったシリスは無邪気な笑みを浮かべジンと手を繋ぐいつものシリスだった。
 安心し二人を見つめる一行とは対照的にエールローズは怒気を孕んだ顔で二人を睨みつけ距離を取った。
 そしてすぐさまエールローズの周りを守るように特級の天使が位置につく。

「おッ——」

「ちょッ—待っクレース」

 天使達が構えた瞬間、クレースは二人を抱き寄せすぐさまその場から離れた。

「待ちなさいッ······下界の民。ここまでしておいて生きて帰れるとは思わないことね」

 シリスの精神を支配することだけに全力を注いでいたエールローズにとって事態は最悪だった。

 嵐帝の支配に失敗し、費やした時間は全て無駄となった。結果として何一つ果たせなかった今、エールローズにとっての最優先事項はこの場にいる全ての者を消し去るということである。

 クレースはエールローズの怒りを無視しベージュにシリスを預けた。

「シリス様ッ——ご無事で!?」

「大丈夫なのだ! もしかして心配かけたか?」

「もしかしてって····どれだけ心配したか」

「心配いらないぞ! そういえば、私一人に負けるとはお前達ぃ~まだまだだな!!」

「······シリス様、もしかして私達と戦っていた時意識があったんですか?」

 感づかれベージュの冷たい目がシリスを見つめた。

「そそそそそ、そんなわけないぞ。最初の方はなんとな~く、なんとな~く見えてたけど途中でほっとんど乗っ取られたのだ!」

「ジぃ———」

「そ、そんな目で見るな。悪かった、悪かったのだ! 戻ってきたからッ——」

 言い終わる前にベージュは強く抱きしめた、今までで一番強く。
 そして安心したような目には涙が浮かんでいた。

「く、苦しいぞ」

「私がそばにいながら、辛い思いをさせてしまいました。生きていらっしゃるだけで私は結構です。その代わり、後で私と一緒に皆へ謝りにいきましょうね」

「分かったのだ!!」

「ジン、どこも怪我してないか?」

「うん。勝手に行ってごめんなさい。私は何ともないよ」

「ほんと安心したぁ。君に何かあったら僕耐えられないよ」

 一日くらいとは思ってたけどしっかりと言うべきだったかもしれない。それでもシリスを取り戻せたから結果的にはよかった。周りにはいつの間にかすごいいっぱい人がいるけど四人が来てたなら納得だ。来ていた四人とも抑えることなくその膨大な力を全開している。

「随分と余裕そうだな。このまま帰れると思ってッ——」

「みんな帰ろ。シリスを助けられたらすぐ帰るってロードと約束してるんだあ」

「よっしゃ、なら帰るか。まだ飯の途中だったからな」

「よしッ! なら私もジンのところに行くぞ!!」

「ベージュ様、先程私と約束しましたよね? まずは我が国のッ——」

「だぁあああ! 分かったぞ!! 色々終わったら絶対に行く!」

「貴様ら······」

 エールローズの怒りは限界を越え、周囲の天使達も臨戦態勢を取った。

「ゼグトス転移魔法できる?」

「ええ······ん?」

 その時、ゼグトスとボルの顔が見るからに曇った。
 二人で同時に顔を合わせ眉をひそめる。

「二人ともどうしたの?」

「まズイ······モンドに敵が侵入シタ」

「えっ——」

「······モンド内への転移魔法が····」

 初めて見るゼグトスの焦った顔。ただごとではない、その場にいた者達の背筋は凍りついた。

「駄目だ、モンドにいる誰とも魔力波が繋がらねえ」

「クフフ·····ハハハハ!! 始まった。お前達の国が標的だったというわけね」

「始まったって····何が」

「何が? 決まっている。機人族による集中砲火。私達女神から見ても正真正銘の化け物達による国潰しよ。果たして生き残れるかしら」

「ッ——」

(みんな聞イテ。ボクが持ってたモンドの支配権が誰かに強奪サレタ)

(強奪!? それって····)

(ウン。ウィルモンドと同じように普通ならモンドの中で死んでも慢性的な死因でなければボクの権限で生き返レル。でも今はチガウ。今モンド内で死ぬと即死スル)

「待てジンッ——」

 ——最悪だ。
 完全にしてやられた。
 今の時間モンドの中には全員いる。
 中に入って暴れられたらモンド内が火の海に。
 私の勝手な行動のせいでみんなが。

 しかし急降下するジンの前にエールローズが立ちはだかった。

「フンッ———行かせるか」

「——退いて」

「調子に乗るなよッ——」

禁断ロード・オブ・ヴァンッ——」

「———!?」

(魔法が····消えた!?)

 エールローズ自身、何をされたのかが分からなかった。
 ただ手に込めていた魔力は消失し微塵も残っていない。脱力感とともに魔力が使用できなくなっている。
 隣をジンの身体が通過し次の瞬間、強風と音が遅れてやってきた。

「待ちなさいッ——下界の民!!!」

 まるで赤子のように扱われたエールローズは柳眉を逆立てジンを追尾する。
 だが女神の持つ翼であっても何故か追いつくことができない。間違いなく全力で飛翔していた。しかし視界に映るジンは小さくなっていき更に加速していった。

(どうなっている。人族の分際でッ······これ以上加速するだと!?)

「ッ———なんだ」

 そして今度は視界に黒雷が入った。
 同時に現れた存在の圧に思わず気圧される。
 金縛りにあったように身体が痺れ女神でありながら畏怖すら抱いた。

「——雷震流、黒雷の轍コクライノワダチ

「グハッ——!!」

 数万年ぶりに味わった痛み。
 身体中に激痛が走った後、硬直し焼けるような感覚に襲われる。
 一分の隙も与えずゼグトスはその場に止まったエールローズの足元に転移魔法陣を発動し天界へと転移させた。

(全員誰にもバレないよう私についてきて)

(了解ッ——)

 トキワは一瞬のうちに深い霧を発生させる、それも天界全体を埋め尽くすほどの広範囲で。
 天使達の視界は霧に包まれる中、ジンの声に先導された者達は霧を抜け高速で急降下する。

「ベージュ、今はジンを助けるぞ」

「分かりました。僅かながらの恩返しです」

 天使の撹乱に成功し全員すぐさまモンドへと辿り着く。

「ッ———」

 だが全員の視界に映ったモンドは普段とは明らかに違った。
 海に半分沈み背景色と同化していたモンドは今、赤黒い魔力を纏い完全にその姿が露わになっていた。

「これは····本気で落としに来てやがる」

「ここまで近づいても支配権が戻らナイ······完全に乗っ取られテル」

「まあ····割と強いガラクタがいるな」

 クレースの視線の先にはただひとり”その者”がいた。
 "その者"は単体で静かに近づいてくる。
 内に秘めた力を制御していたがモンドを纏う魔力の主は明らかにこの者である。

 最強種と呼ばれる機人族。その頂点に君臨する王の名はレウスと言う。
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