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英雄奪還編 後編
七章 第十四話 知ってしまったとしても
しおりを挟む夜空に流れる星の如く一瞬の出来事。
天から降り注いだその光は国一つなど容易く破壊するほどの威力を持つ。
降り注いだ光は女神のみが使用可能な七つある最上位魔法の一つ『フォティノス』と呼ばれる。
『フォティノス』による数多ある尊き命の消失。しかしシナリオ通りの結末は破壊され、女神が予期していたその未来は外れることになった。代わりに生まれたのは災厄となる怒り。
最愛の者が攻撃されたことによるこの世で最も怒らせてはならない”最強”の激怒。
そしてその激怒は伝搬し地上にいた怪物達の逆鱗に触れてしまった。
怒りは凄まじい覇気と化し地上から駆け登る。
その日、天界の空間は歪み豪雨のように降り掛かるその重圧が天界に居る者達に久しく味わうことのなかった恐怖を与えた。
「大丈夫かッ—ジン」
「うん。全部消し去ったから大丈夫」
遅れて駆け寄ってきたトキワ達も状況を理解しすぐに魔力波で安否確認を始めた。
「ジ~ン~」
「怪我してない? パール」
「うん。ジンの声が聞こえて、それとおっきい魔力がきたの」
(ジン天界から敵の第一陣が現れ始める。軍の指揮はぼくに任せて)
落ち着いた様子でゼステナからの魔力波が入ってきた。空を見上げると凄まじい数の天使が地上に向かって来ており既に国全体を覆うような形になっている。
(ありがとう。避難誘導はこっちに任せて)
ゼステナによる的確な指示が飛び、避難誘導と敵に対する迎撃部隊がそれぞれの位置へと移動していく。冷静で完璧な判断と自身の役割を完全に理解したゼステナの集中力は恐ろしいまでに研ぎ澄まされていた。
(クソがッ—あんな馬鹿みたいな魔力が近づいてたくせに······何固まってたんだよ)
しかし、ゼステナ本人は違った。ブチギレて戦場を暴れ回りたいところを無理矢理自制し、来るべき決戦のために怒りのエネルギーを全て溜め込んでいたのだ。そしてもう一つ、ゼステナは心の中を埋め尽くすどうすることもできないものを抱えてしまった。
避難誘導の為にモンドへと続く転移魔法陣が国中で光り出し、ボーンネル国内での避難は迅速かつ最高効率で行われた。避難誘導を行なった機械兵も順々に迎撃部隊へと参加していき、空中から迫る天使に備える。
しかし天使は空中に止まりそのまま様子を伺うようにして一斉に動かなかくなった。
「みんなはもう安全な場所に行けたみたいだね」
「ジン、他国も大丈夫そうダヨ。後は建物だけ移動してもらウヨ」
「······もらう?」
その時、突然地面が揺れ始め周りの建物が揺れ始めた。
「地震?」
建物の根元は不規則に波打ち始め地面の揺れが更に激しくなっていく。そして奇怪な音を立て始め、変形しながら手足を生やし始めたのだ。
「えぇええ!?」
建物はまるで命を吹き込まれたように走り出し、何処かへ向かって行ってしまった。
「みんな自動で転移魔法陣まで走っていくから、モンドが無事な限り建物は全て安全ダヨ。ジンの家も勝手に改造したけどゴメン」
「あ、あははぁ。いいよ」
これは······ちょっと怖い。
建物が避難した後、周りの光景はいつもとは全く違う。歩き慣れた街並みで残るのはみんなで舗装した街路のみ、街灯や噴水までも手足を生やして走っていってしまった。しかし完全に避難が完了した後も天使は空中に止まったまま動かない。こちらを待つかのように様子を伺ったままだった。
「ジン、俺のサーベラがあるから総合室でしばらく見ていてくれ。総合室も今はモンドの中だ」
「······分かった。気をつけて」
「ジン様、こちらへどうぞ」
トキワからサーベラを受け取り総合室に設置した。映し出されたのは空に止まったままの天使達の様子。先程から不自然なほどに動かないがおそらくパールの処遇をどうするのかを聞く為に止まってくれてるのだと思う。でも答えは変わらない、パールは手放すことなんて嫌だからね。
「どうしたジン、アップルジュースでも飲むか?」
「ううん······やっぱり嫌だよね、戦争。話し合いでどうにかできないかな」
「心配しなくてもいい、私がいる」
「では、ゼステナに伝えて天使に最後の猶予を与えましょう。その寛大な御慈悲を拒むような愚か者には相応の罰を与えるべきかと思います」
(聞こえたよクリュス姉、ぼくが行ってくる)
避難誘導や敵の動きを観察していた各部隊が同じ場所に集まり空を見上げていた。依然としてサーベラに映る天使に動きはない。
ゼステナが空中に飛び上がり単体で天使の軍勢が止まる場所へと向かっていく。
先頭にいたのはアテナという名の特級天使であった。アテナは近づいてくるゼステナの挙動を注視しながら少し前方に移動していく。ゼステナは天使達を見下げられる高度まで上がり蔑むような瞳でアテナを見た。
「おい雑魚ども、最後にチャンスをやるよ。このまま上に帰るか、テメェらの殆どが今死ぬか、どっちがいい」
挑発的な態度と完全に見下した表情。
アテナはイラッとしたが今怒りに身を任せることは性急だった。
「フンッ、我ら天使の魂は天界に帰る。死を恐れる者などこの場にはいないな」
「ウチの大将は無駄な戦争が嫌いなんだよ。だからぼくは敢えて先に手を出すことはない。お前達みたく女神共の命令を律儀に守ってここに止まられるのは迷惑なんだけど」
「······そうか、だがたった今許可が降りた。準備は完了だ」
「じゃあこれが最後のチャンスだ。これからするのは”お前”の選択だ」
アテナは何も答えることなく、ゼステナの目線まで高度を上げてその端正な顔に艶美な笑みを浮かべた。
「······粛清を」
その声とともにアテナからゼステナへ向けて真っ白な光が向かっていく。
予備動作など無いその攻撃はゼステナの頬を掠め小さな傷をつけた。
(嘘じゃ····ないんだろうな)
ゼステナの傷はすぐに再生する。しかしその顔は暗く、まるで何かを後悔するような顔をしていた。
ゼステナは初めての感覚に襲われていたのだ。その感覚はアテナによるものではない。底知れない恐怖、その感情が何に起因するのかははっきりと分かっていた。自身よりも強い敵に対する恐怖ではない。相手が強いとしてもゼステナはその顔に笑みを浮かべ、嬉々として向かっていく性格である。
考えないようにしていたはずが、時間が経てばたつほどその悪夢に身体全身を侵食されていた。
そして気づけば走馬灯のように多くの言葉が頭の中を埋め尽くしていた。
『その、もしゼグトスに無理矢理連れてこられてるなら無理に言うことを聞かなくていいからね。その、私はただ友達になってくれれば』
『ただ一つ確かなのは、ジン様の収束点の位置は黒側のど真ん中だということよ』
『何を躊躇っている。お前はこの世でたった一人の、ジンの父親だろ』
『ジンの死因はおそらくここでも元の世界線でも同じになる』
『ただジンがその命を代償に選んだ未来は俺たちにとってはあまりにも酷だった』
絶対にあり得ないと放っておいたその悪夢は確かな根拠を以ってゼステナの心に恐怖心を生み出していた。
「地獄耳なのも良いことばかりじゃないね」
(あれ····どうしたんだろ、ぼく。こんな時どうすれば正解なんだ)
ゼステナはその場で動かなくなった。
前を向くことすら恐怖に感じてしまい未来へ進みことが怖くなってしまった。
「どうした祖龍よ。私を前に怖気づいたか」
(ゼステナどうしたの、しっかりしなさい)
しかしクリュスの声はゼステナに届かず俯いたまま恐怖に呑み込まれてしまった。
(ゼステナッ—)
(ゼステッ—)
クリュスの声は徐々に薄れていき雑音のような音が耳に入ってきた。
(うわ······なんだこれ。嫌なんだけど)
確かに今考えることではなかった。しかし先程から嫌でもその事実が頭の中を過るのだ。
空中に止まりゼステナは絶望の淵に立たされた。
「はぁ····はぁ······」
身体が震えうるさいほどに鼓動の鳴り響く音が聞こえる。
呼吸が乱れ思考が鈍り始めた。
想像もしたくなかったことは先程現実味を帯びてこの身を襲って来た。
「はぁ、はぁ······はぁ」
(嫌だ、嫌だ)
考えないようにしていたはずが抑えきれなかった。初めて、戦うのが怖くなった。
(ぼくが今ここで戦争を始めるから? もしここで戦争が始まらなかったらどうなる。向こうの目的は。パールを渡せば何も起こらないのか······駄目だ。パールも······大切だから。
じゃあどうすればいい、何が正解だ。今ぼくは何をすればいい。どうすればあの子はッ——)
「—ゼステナ?」
「っ———」
—しかしその声がすぐ隣から聞こえてきた。
まるで真っ暗な海の底へ光が差し込んできたようにゼステナはいつの間にか失っていた正気を取り戻した。
「大丈夫?」
「ど、どうしてここにいるの危ないよ」
目の前に現れたジンを見つめた瞳はいつの間にか輝いていた。
そして何故か湧き立つ高揚感が身体の底から全身に広がっていった。
「だって、様子がおかしかったから。ごめん、疲れてたよね」
「······ううん、君のことが好きすぎて震えてた」
いつの間にか震えは止まり、呼吸も落ち着いていた。
「フゥ······」
(退屈してたぼくの人生を君が全部変えてくれた。君がぼくの生きる理由になってくれた。だから、君の前に立つ障害は全てぼくがぶっ飛ばすよ)
「クレース、ジンを連れていって。第二陣に備えてて」
「分かった」
空を埋め尽くすのは数百万の天使の軍勢。
国全体を覆い尽くすその軍団は粛清を象徴する恐怖の存在である。
「貴様がここの頭か? 目的の者を渡せば大人しく退いてやるぞ」
「クレース、頭ってどういう意味?」
「無視でいいぞ。おいで」
「おっ、おいお前、無視するな」
「さっきからうるさいな。どうせお前達全員今から死ぬんだよ」
「フンッ、驕れるもの何とやら····か」
「へえ、別に構わないけどいい加減気づけよ、設置してから三秒も経ってるぞ」
「何?」
アテナは背後から燃え盛るような熱気を感じた。
皮膚がヒリつくような感覚は背後から聞こえる音と共に増していく。
「なッ—」
後ろを振り向くと軍勢を包み込むほどの荒々しい三本の爪痕が業火を放っていった。
その熱量は時間ごとに増していき天使達の瞳は紅焔の紅色で埋め尽くされた。
「紅蓮の爪痕ッ——!」
爪痕は激しい熱気を纏ったまま覆い被さるようにして動き出した。
「退避しろぉオオオッ———!!!」
アテナの声も周りには聞こえず全員口を開いたまま固まった。
煮えたぎるような温度は一瞬にして軍勢を死の恐怖に追いやったのだ。
「何····をはやく····逃げろ」
先程までの余裕は熱で溶かされ逃げようと動き出した天使はもう手遅れであった。
災厄と呼ばれる女神の粛清は、数多の天使の死を以って開戦されたのだ。
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