ボーンネル 〜辺境からの英雄譚〜

ふーみ

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英雄奪還編 後編

七章 第八話 独りの子

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マニアというこの名前は親につけてもらった名前じゃない。クレースに名前を聞かれた時咄嗟に思い浮かんで口に出した言葉が自分の名前になったのだ。少なくとも私に親と呼べるような人はいなかった。今まで話したことのある数人の顔は覚えているのに親の顔だけはすぐに頭に浮かばない。そもそも親の顔なんて思い出したくもない。思い出すと同時に嫌な思い出が呼び起こされるからだ。

『気持ち悪い子』

顔を見て目が合うたびに母親から言い放たれた容赦のない言葉だった。初めの方は胸に太い針が突き刺さるかのような苦しい感覚に襲われ、同時にそんな言葉をかけられてしまう自分のことが嫌いで堪らなかった。そしてもちろん父親も同様だった。父も母も私の悪口を言った後は同じような気持ちの悪いニヤけた顔をしていた。多分、二人にとって私はただのストレスの捌け口だっただけで、いなくなっても気づかれないくらいの存在なんだと子どもながらに理解していた。

私の住んでいた家は名前も思い出せないくらいの小国にある貴族の家だった。そしてただ貴族の家に生まれた子というだけで

『何故男に生まれなかった』

とも何度も何度も言われた。どうやら父親は後継ぎが欲しかったようで成長していく私の顔を見るたびに舌打ちされているのを覚えている。

貴族と言ってもお金持ちではない。父親は周りの貴族に貧乏と思われたくないから背伸びをして高い宝石や絵画を毎月のように買っていた。もちろんお金は無尽蔵なわけではない。見栄を張っていたけれどお金は次第に底をつき、もらっていたほんの少しの食事も残飯に変わった。

貧乏な見た目をしているから外にも出してもらえないので同年代の子たちと遊ぶこともできない。家にあった本に触ろうとすると怒られたので娯楽なんて何もない。家ではいつも両親のいない部屋を探し、角に丸まって座っていた。何故か座っているだけでも舌打ちをされる。もう何をすれば許されるのか分からない。どこにも居場所なんて、気の休まる場所なんてなかった。両親に見つかれば静かに立ち上がり、

『ごめんなさい』

そう小さく言って静かに足音を立てないようにして部屋を移動した。

もう、死にたいとしか思わなくなった。死ぬためにもらった残飯も捨てて何も食べなくなった。でも何故か死ぬことが出来ない。自分はどこかおかしいのだと思った。でもそんなことすらどうでもよかった。

そんなある日のこと。いつものように部屋の隅で丸くなり座っていると何かの拍子に本棚にあった本が一冊落ちてきた。風も吹かない密閉された部屋で起こった突然の出来事に驚きつつも本に近寄った。今は仕方ない、本棚に戻すだけだから。そう思いながら落ちた本の前に立つと見たことのないような分厚い本だった。でも文字が読めないので表紙に何と書いてあるのかも分からなかった。小さな両手いっぱいに持ったその本の重さは何故か忘れられない。
表紙をもう一度見つめた。当然のことながら何と書いてあるのか分からない。

でもその時、私の耳に確かにその声が聞こえてきた。

『興味はあるかな?』

聞いたことのない女性の優しい声音だった。もしかすると両親の声がひどく雑音のように聞こえていただけで普通の声だったのかもしれない。でもこんなにも優しい問いかけは初めてだった。

「······う、うん」

両親に聞こえないように必死に声を押し殺してその問いかけに答えた。顔も見えないし、人から発せられているかも分からなかったけれど、私は初めてかけられたそのあたたかい言葉に反応していた。

「お姉さんは····誰ですか?」

『そうだな~幽霊····かな』

「ゆ、ゆうれいさん····ですか」

『そうだよ。それよりも、ここを出てその本を読めるようにならない?』

「えっ······で、でも私はここから出られない」

『ううん、あなたはここから出れる。あなたならきっと。今の私はあなたの踏み出す一歩目を応援することしかできない』

「で······でも」

確かに抜け出したかった。自分を閉じ込めるこの鳥籠のような場所が大嫌いだから。でも勇気なんてその時の私にはなかった。生きることすら諦めている私にとってはあまりにも難しいことだったからだ。外の世界を私は全く知らない。外に出たことのある回数なんて数えられるほどだ。

『私は、あなたに幸せになって欲しい』

「わ、私は······」

幸せになって欲しいなんて言葉初めてかけられた。両親から普段言われている言葉とは真逆の言葉だった。だからこそ「生きたくない」なんて言えなかった。

『今まで、助けてあげられなくてごめんなさい。私はあなたを信じることしか出来ないの』

「······」

こんな言葉をかけられたら頑張るしかなかった。
大きな本を抱えて、その声に従い動き出した。初めて自分の意思で行動した気がした。
これから二度と会うことのないであろう父と母の方を見ることもなくただ前を向いて外に向かった。
多分今まで溜め込んできた勇気を一気に使ったのだと思う。

「うわぁあ」

初めて、真っ暗な時間帯に外へと出た。空を見上げると見たことのないような綺麗な満天の星空に祝福されているかのように感じた。この感動はきっといつまでも忘れられない。

『綺麗だね』

「······うん」

優しく包み込んでくれるようにその声は側にいてくれた。

『最後に一つだけ、私のお願い事を聞いてくれるかな』

「な、何ですか」

こんなによくしてもらったのだ。何か大きな見返りを求められるのかもしれない、そう思い怖くなった。

『これからあなたはひとりになるかもしれない。でもそれはずっとじゃない、きっと将来信頼できる仲間に逢えるから····だから、今度と会うまでに幸せになっていてね』

「今度······ですか? ゆうれいさんは何処かに行ってしまうんですか?」

『うん、ごめんね。もっと話していたいけどそろそろ時間切れなんだ』

「ゆうれい······さん?」

『これからも····頑張って····待ってる』

最後にそう言ってくれた。

一人でどうやって生きていくのかなんて全く分からなかった。でも絶対に元の家になんて戻りたくはない。
だから、無我夢中で走り出した。どこに向かっているのかなんて分からない。冷たい向かい風を身体全身に受けながらただ家から離れる方向へと息が切れるまで走り続けた。初めての全力疾走に自然と笑みが溢れ、身体中が喜びの悲鳴を上げていた。

「幸せに····なる」

そう言いながら進み続け、どこかも分からずに辿り着いた国はボーンネルという大陸の端にある小さな国だった。人目につかず周りに魔物や他種族の人がいない場所を探した。そうして見つかったのがさびれた小屋だった。おそらく長い間使われてこなかったその小屋の中はひどく荒れていたが元いた家の何倍も落ち着いた。小屋の中には壁一面に並べられた本があっただけで生活感は一切なかった。もうそこに住むことにした。独りだったけれど何故か何も怖くなかったからだ。ここならもう両親から暴力を振るわれることも罵声を浴びせられることもない、もうそれだけで心が落ち着いたからだ。

初めて本を開き見たことのないような文字の羅列に目を疑った。何一つ分からない。何について書いてあるのか検討もつかない。でも嬉しかった、本を開いても、本を読んでも誰にも怒られない。その日身体中が喜びで震え顔に笑みが溢れた。

こうして初めての一人暮らしを始め、いつの間にか数年の月日が流れていた。何故か分からないが幽霊さんについては日を追うごとにその記憶が曖昧になっていきいつしかあまり気にする事がなくなった。ただ今でも感謝はしている、私を外に連れ出してくれたからだ。

不思議なもので壁一面にある本を何度も何度も読んでいるといつの間にか文字を理解できるようになっていた。読めば読むほど理解が深まっていき、家から取ってきた分厚い本もいつしか読めるようになっていた。その本は結界について記述したものだったのだ。結界の構築方法、魔力の扱い方、あらゆることを本から学んだ。結界の研究は時間を忘れて没頭できる。だがそんな中、ある欲求が生まれた。外に出ればもっと多くの知識が得られるかもしれない。言うなれば本が欲しかったのだ。流石に今持っているものだけでは得られる知識にも限りがある。

だが一つ問題があった。長い間、誰とも話しておらず外の世界にも出なかった私に本を得られる手段などないのだ。そもそも最後に他人と話したのなんて幽霊さんで人とも言えない。だけどどうしても本が欲しかったのだ。
そして気づけば、外に出ていた。家の周りに張った結界を抜けて外に出た。
方角は分からないけれどもただたくさんの人の気配が感じる方へと向かっていった。

そうして辿り着いたのは大きな街だった。目眩がするほど人が溢れているその街に入り、他人の視線を気にしながらも人の間を縫うようにして絶対に誰にもぶつからないように本のある場所を探した。建物に入っては外に出て、また別の場所を探す。そんなことをしていたので変な目で見られていたのかもしれない。そしてようやく辿り着いた本屋という場所で衝撃を受けた。

「うわぁあ」

初めて星空を見上げた時のように感銘を受けた。見上げるほどの高い天井に壁一面に並べられた本。興奮して叫びそうになったけど必死に抑えて全体を見渡した。

「これ····読みたい」

『結界大全~極級魔法なんて跳ね返しちゃえ!~』と書かれた本を手に取った。周りの人を見る感じだと入り口付近にいた人に話しかけると買えるらしい。

「無理無理無理ムリムリムリムリむりむりむり」

絶対に出来なかった、人と話すだなんてそんなこと絶対に不可能だった。多分話しかけようとしても言葉が出てこなかった気がする。そんなことを考えているとふと声が聞こえてきた。

「そうですねぇ、小さなお子様ですとこのような本もお勧めです~。可愛い絵柄も多いですし、女の子にも人気の本になっています~」

「そうか、ならこれも貰おう」

「ありがとうございます~きっとお子様もお喜びになられると思います~」

「いいや····妹だ。今度一緒に来よう」

「そうでしたか~きっと妹さんもお客様に似て綺麗で可愛らしい方なんでしょうね~」

話し声のする方向を見ると子ども用の本が多く置かれている場所に人だかりができていた。
何かと思い間から奥にいた人を見つめると頭に電気が走ったような感覚に襲われた。

「ッ———」

衝撃だった。今までに味わったことのない驚き、同じ生き物かと思うほどその人は綺麗で自信に満ち溢れ堂々としていた。持っていた本をギュッと握り締めて渇望するようにその姿をみつめた。綺麗な黄金色の毛並み、神様が特別丁寧に作り込んだかのような整った顔立ちと差し込む光に反射し僅かに見える長い睫毛と美しい瞳。見惚れるほどのスタイルの良さにもその場にいた人達は釘付けになっていた。私もまたその横顔を食い入るように見つめていた。

「今日はこれだけにしておく、有難うな」

「いえいえ~またいらしてください~」

その人は機嫌良さそうに歩き出し、自然と道ができた。偶々こちらの方に向かっていて正面から見たその人は眩しいほどに美しかった。そして何故か、気づけば一歩踏み出していた。

「すすす·····好きですッ!!」

家にあった本に出てきたこの言葉。自分でも気づかないくらい無意識にこの言葉を発していた。おそらく物語でその言葉を言った人の感情と私の感情は全く同じものだったと思う。だけれどもその言葉を言った瞬間、周りは突然静まりかえった。そんな中、その人は私の方へと近づいてジッと顔を見てくれた。同時に心地の良い香りが鼻を抜けて感じたことのない緊張が身体中を巡る。

「お前······名前は?」

近くで聞いたその声はさらにカッコ良くて良い匂いが再び鼻を抜けた。

「わわわわ、私の身体を好きに使ってください!!」

混乱し頭の中がめちゃめちゃになっていた。これも本で出てきた言葉の一つだ。人となんてほとんど話してこなかったので全て本の知識を頼るしかなかったのだ。

「落ち着け、名前はなんて言うんだ?」

「ななな、名前は······」

本で出てきた、物事に狂気的なまでに熱中する人のことをマニアというらしい。だから私は咄嗟に

「結界マニア······です」

そう名乗ったのだ。

「結界····マニア? そうか、私はクレースだ。すまないがお前の気持ちには答えられない」

「っ——」

そう言い放たれてかなりのショックを受けた。でも私は頭がどうにかなっており、ただ本で出てきたセリフが口から出ていた。

「そそ、そんなこと言わずにさあ。きょ、今日はもう遅いし····おお、俺の家に泊まってけよ。なな、何にもしないからさあ」

意味は分からない、でもこのような状況で導き出すべき最適解はこのセリフだと思った。

「····変な奴だが面白いな。その本を貸せ、買ってやる」

「いい、いいから舌出せよ······えっ、えっ、本当ですか!?」

「ああ、この本も追加で頼む」

「かしこまりました~」

そしてクレースは私の持っていた本も一緒に買ってくれた。一つ一つの綺麗な仕草、私とは正反対の堂々とした性格、好きという感情はもちろん憧れも抱いてしまった。

「お、お、お礼に私の家に来ませんか。ててて、転移魔法陣があるので····すぐいけます」

「そうだな····少し時間があるからいいぞ。ありがとうな、また来る」

「ありがとうございました~」

その後家に設置してある転移魔法陣までクレースと共に転移し初めて人を家に招いた。緊張はしていたもののやはり家は安心する。クレースに座ってもらい、自分で調合したお茶を初めて他人に振舞った。緊張する私とは違いクレースは落ち着いた様子で散らかる家の中を見渡し少し不思議そうにしていた。

「ここで何かしているのか?」

「けけけ、結界の研究を····頑張っています」

「結界か、道理で家の周りに結界が張られているわけか」

「すっ凄いですね。見てないのに······分かるんですね」

「どうした、私の顔に何かついているか?」

「い、いえ····」

無意識のうちにクレースの御尊顔を拝見していた。

「言いたいことは声に出していいんだぞ。ゆっくりでいい、何でも聞いてやる」

「······」

正直反則だろと思った。世の中にこんなカッコいい人がいていいのだろうかと思ってしまった。その声はいつの日かの幽霊さんのように私という存在を包み込んでくれるような気がしたのだ。

「わわわ、私はあなたみたいに何も凄いところが無いんです。こ······ここに閉じこもって誰の役にも立たないような研究をして、意味があるのでしょうか」

こんな所に独りで生きている分際で私は誰かに認めて欲しかったのかもしれない。
こんな惨めでどうしようもない存在に意味なんて見出せなかったのだ。
自然と自分で自分を否定しているような気がして吐き気がした。
こんな自分が嫌いで嫌いで仕方なかった。
私は勝手に自分自身で周りとの壁を作っていたのだ。

「············」

でも彼女はそんな壁なんて気にも留めず、平然とその壁を超えてきた。
そしてその綺麗な細長い手で私の頭を優しく撫でてくれた。

「よく分からん奴だが、一つのことに夢中になれるのはお前の才能だろうな」

「ッ——」

生まれて初めて人に褒められた。お腹の底から込み上げてくるようなこの感情はただひたすらに心地の良いものだった。改めて、この人に惚れてしまった。

「私はここより少し南に行った所に住んでいる。気が向いたら来い」

「······」

行かないで、そう言いたかったのだと思う。でも私にそんなこと言う資格なんてなかった。

「明るく生きろ」

私のことを気遣ってそんな言葉もかけてくれた。
多分、その時の私は人生の最高潮にいたと思う。


*************************************


いつかクレース逢いに行こう、そう思いながら過ごしていた。でも逢いにいけなかった。クレースに言われた通り明るくなったつもりだ。でもいざ逢いに行こうとすると無理だった。少しは変われたのかもしれないけどクレースには到底及ばない。このままクレースに逢えないのだと思っていた。それならいっそのことたくさんの未練を残したまま居なくなるのもいいのではないかと思ってしまっていたのだ。

だけど今、目に見える範囲、結界のすぐ向こう側に彼女がいた。
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