ボーンネル 〜辺境からの英雄譚〜

ふーみ

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真実の記憶編

六章 第十三話 二回目の始まり

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(この感情は、どこにぶつければいい····)

クレースの目の前でグレイナルは確かに消え去った。しかしクレースの心に残るのは抑えきれず行き場を失った怒りと虚無感は入り混じった複雑な感情のみ。そこには勝利の喜びも仇を取ったことのよる快感もなかった。数秒、そこで空っぽの頭の中茫然と立ち尽くした。そんな時、その空っぽな空間に一人の存在が浮かび上がる。

「······ジンッ」

そして再び走り出した。先程と変わらない光のような速度、走り出したクレースは僅か数秒で元の場所に辿り着く。だが、再び戻ったクレースは現実に叩きのめされた。

「ルシア····デュラン」

力なく二人で倒れ込むルシアとデュランは、死してなお光の消えた瞳で互いの顔を見つめ合っていた。そして二人の隣でジンは一人、その間に座り二人のことを見つめていた。七歳の少女が見るにはあまりにも残酷な死という現実。だが少女は両親の死というその現実と真正面から向き合い、涙を堪え歯を食いしばっていた。

そんな中、周りの者達は形容し難い後悔の念に駆られていた。バラバラになったコッツの骨を拾い集めるゼフの心には今まで無いほどに黒いもやが渦巻いていた。

「大丈夫か、コッツ」

「············」

骸族であるコッツはたとえその骨が粉砕し、バラバラになろうとも代替となる骨があれば再び再生することができるのだ。つまり物理的な攻撃で死ぬことはない。だがそんなこと今のコッツにとってはどうでもよかった。ゼフの問いかけにも何も答えず、ただ放心状態になっていた。生気を失い、ただ置き物のようにその場に座り込むコッツはまさに絶望のどん底にいたのだ。


ー行かないで


ゼフの頭にはジンのその言葉が何度も渦巻きその度に後悔が襲ってきた。強く握りしめたその岩石のようなゼフの拳はギリギリと音を立てている。行き場のないやるせなさは今となってはどこにも発散することなどできないでいた。

「っ······」

ただその存在が視界に入ってきた瞬間、身体が張り裂けるような感覚とともに胸に痛烈な痛みが走る。何故か無意識のうちに愛してやまないその子に目を向けることを拒んでいた。見ればきっとどうにかなってしまいそうだったからだ。しかしその予想は現実となりゼフの心は何かに呑み込まれた。後悔、屈辱、恥辱あらゆる負の感情が込められたその何かは確かにゼフの心を蝕んだ。だがその視線を逸らすことができない。別の場所に顔を向けようとしても、身体は動かず視界の中心にジンを捉えていた。

「······ジン」

立ち尽くしてクレースは、ぼそっとその名前を口に出したがその身体は動かない。

(私が····こんな私が、あの子に近づく資格なんて····無い)

たとえ、敵の大将をとったとしてもそこに勝利の感情などなかった。二人が死んだ時点で、敗北していたのだ。

「ジッ······」

もう、クレースはその声すら出なくなりかすれた声でその名前を呼ぶ。

(私のせいだ。デュランとルシアが戦っていたのに······あの子が泣いていたのに····何をしていたんだ。強くなっていた気がした、誰にも負けない強さを持っていると思っていた。何も守れない分際で、強くなった気でいた。私は最低だ。何一つ守れない、今あの子に、何もしてやれないッ—)

ただその感情は涙として現れ、頬を伝った。

「······ボル、さっきの魔族の女はどこ行った」

「······知らない、消えた。どうでもいい」

トキワに対してもボルの声は先程と変わらず、低く重たいままだった。全員が後悔の念で押し潰されそうなその雰囲気の中、インフォルの声が響く。

「すまんッ——! 全部ワイのせいやッ、ワイがあいつの転移魔法に気づかんかったせいでこうなった····」

置き物のように座っていたコッツはその声を聞いて立ち上がる。

「違います、インフォルさん。この場にいた私が何もできなかった、インフォルさんはお二人を呼びに行ってくださった。全ての責任は私にあります。皆さんには何の非もありません」

「違う、ボクが遅れたせいだ。あと数分はやければ、デュランは死ななかった。数秒はやければルシアを救えていた。ボクが悪い、ボクの力不足だ」

黙って立っていたトキワはボルの前に立ち激しくその目を睨む

「それなら俺もだろボル。お前だけ······お前だけ悪いみたいになってんじゃねえよッ!」

怒りを露わにし、ボルの胸ぐらを掴んだ。

「でも····あんな奴ら放っておけばよかった、ここを守れれば、他の国なんて、他人の命なんてどうでもいい。ボクにとっては命の重さに差はある。····間違ったんだよッ! 死なせたら何の意味もないッ!! もうジンに両親はッ——」

「「ッ——」」

その時、二人は顔面を殴られグラッと身体が傾いた。殴ったクレースの顔は怒りに満ち溢れ、地面に倒れ込んだ二人を強く睨んだ。

「頭を冷やせ、今一番辛いのは誰だ」

「······ごめん、馬鹿だった」

「······すまねえ」

しかし地の底のような絶望的雰囲気が漂う中、一人が立ち上がった。

「······ジン?」

クレースの方にジンは小さな歩幅で近づいていく。クレースはその顔を見ることができず、他の場所を向きそのまま地面に膝をついた。大好きな、何時間でも何日でも見ていたいその顔。だが俯き、必死に見ないようにした。ただ小さな足音だけが近づいてきて、その足音は次第に大きくなっていく。

(駄目だ····こっちに来たら)

クレースには心臓の鼓動がうるさいほど聞こえてきた。ジンに対して初めて抱く感情。それは紛れもなく恐怖だった。一歩ごとにその恐怖は増し心拍数が上がっていく。初めて顔を見たくないと思ってしまった。ゼフと同様、きっと顔を見ればどうにかなってしまいそうだったから。しかし俯いた視界に小さな足が入ったその時、急に頬に両手が触れられた。


「ッ———」


そしてそのまま俯いた顔は持ち上げられ、頬に優しい感触を感じた。一瞬何かは分からなかったが、その感触で身体の中で渦巻いていた真っ黒な感情は光のように消え去った。

思わず目を見開き、怒りと恐怖が入り混じっていたその感情は驚きで満たされる。とろけたような目で、今度はその顔を至近距離から見つめた。視界から無理矢理に外そうとしていたその顔から目が離せない。頬へのその柔らかな感触はゆっくりと離れ宝石のような真っ赤な瞳は真っ直ぐクレースの瞳を見つめた。

「なん······で」

「約束したでしょ、帰ってきたらほっぺにキスするの。無事に帰ってきてくれてありがとう」

その言葉に、クレースだけでなく全員の頭が真っ白になった。それぞれが勝手に自分を責めて、落ち着きを失っていた。それが七歳の女の子の言葉にハッとさせられたからだ。

「みんな、怪我してない?」

その声は必死に感情を抑え震えていた。その小さな背中にはあまりにも残酷すぎる現実。だがそんな現実を受け止め、全てを一人で抑えたのだ。全員がジンの方を見た、先程まで目も向けられなかったクレースも含めて。それに答えるようにジンは周りにいたもの達全員をゆっくりと見渡した。

「私のお母さんもお父さんも、最後までカッコよかった。私を愛してくれてた、それだけでもう十分なの。お母さんとお父さんは、命懸けで私を守ってくれたから、今度は私が守る番なの。私は強くなるから、もう誰も傷つけさせないくらい強くなるから」

ジンは涙を浮かべながら、だが必死に感情を抑え全員を安心させるように笑みを浮かべていた。

その笑顔は全員の心を覆っていた黒いモヤはあたたかな光に、全員が抱いていた自責の念をたった一人に捧げる愛情へと変える。

「今度は私がみんなを守るから、もう誰も傷つけさせない。だから、一緒に立って。もう一度······私の隣にいてくれないかな」

その言葉はそっと、ルシアの柔らかな声のように全員の耳に入る。クレースは立ち上がり、目の前にいたジンを抱き締めた。

「ずっと····一緒にいる。もう······離さないッ—絶対にぃ····」

その語尾は、溢れ出た涙で潰れてしまった。小さな身体を抱きしめたクレースはその日、初めてジンの目の前で泣いた。隠すこともなく大きな声を出して。ジンを抱きしめながら枯れ果てるまで涙を出し尽くした。行き場を失った怒りと虚無感はとうに消え去り、ただ一人のことを考えながらその泣く声は夜の空に響いた。



*************************************



 ルシアとデュランは海の見える場所に同じ墓の中で眠りについた。グレイナルの攻撃により、周りにあった家は半壊しそれぞれの家を修復した。ただジンの住んでいた家はそのまま瓦礫を撤去し、その場所は更地になった。話し合いの末、ジンはゼフの家に住むことになり全員が集まる場所はデュランの家からゼフの鍛冶場になる。少し静かになったその場所で、またいつもの日常が戻っていったのだ。

そして二人が亡くなってから一週間が経った日の夜。その場所に住む者にとってはいつもと変わらない日。

ただその日、確かにある者の止まっていた時間が動き出した。そして動き出した時計の針は確実にその”世界”に干渉を始めたのだ。

その夜、死んだはずの男は墓の前に立っていた。

「ここでも、お前はジンを守ってくれたんだよな····ルシア。あともう少しだけ待っててくれ。お前との約束を守ってから、俺もそっちに行くよ」

再び立ち上がったデュランの身体は完全に元に戻っていた。潰れたはずの片目も、傷だらけになった身体も元の通り。その人物は確かにデュラン本人だった。

「”ロスト”」

デュランのが自身にかけた魔法は確かにトキワの魔法だった。ロストにより自身の音と気配を完全に消し去りゆっくりと歩いていく。誰にも気づかれないまま、デュランはある場所で立ち止まる。デュランの足元にあるのは花が添えられた英雄が眠る墓。ただ愛おしそうな目でその一点をジッと見つめ、何も言わずその場所から立ち去った。

「もう、何も失わない。俺の持ち得る全てをこの世界に賭ける」

男は誓ったのだ。覚悟を決めたその顔、男はその日世界の禁忌に手を触れた。
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