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真実の記憶編

六章 第七話 きっとあの子は

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トキワとボルの活躍によりアザール国での戦争が終戦した後、魔帝の軍による各国への侵攻は急に収まった。そして徐々に平和な世の中が戻り、それからおよそ四年の月日を経てジンは七歳になった。四歳になった頃からクレース達に憧れて剣を手にとるようになり、この頃にはもうクレースに剣を教えてもらっていたのだ。

場所はクレースの家の縁側。稽古をしていたジンとクレースに加えてルシアは二人の様子を微笑みながら見つめていた。

「ねえ、ジンは大人になったら何をしたいの?」

剣を振る手を止め、一度休憩するためにルシアの隣に座った。

「私は、誰も危ない目に遭わないような世界にしたい。難しいかもしれないけど、そうしたらボルもトキワもいっぱいここにいてくれるでしょ?」

「そっかぁ。じゃあ頑張らないとね」

 ジンは洋服が欲しい、何が食べたいなど子どもらしいお願いは一切しなかった。ただアップルジュースをあげれば満面の笑みで喜び、子どもらしく飛び跳ねることもある。しかしルシアからすれば、もっと女の子らしく甘えて欲しかった。ジンには可愛い洋服を何着も買ってあげたいし、欲しいものはいくらでも買い与えたいくらいだった。だが本人は何一つとして自ら望まないのだ。
 そのため、ルシアはジンの言う言葉を否定しない。ルシアにとってはジンが自分で考えたことを全て受け止めて肯定してあげたかった。それが唯一してあげられることだったのだ。

「だからそのために強くなりたい。私、いつか大きくなったらお母さんとお父さんが怪我しないように守るから」

「ウフフ、じゃあお任せしようかなあ。でもそれまではお母さんとお父さんがジンを守るからね」

「ジン、今日はもう終わろうか」

「うん、今日もありがとう」

「礼なんていらない。私がやりたいからな」

剣を納めクレースも縁側に座った。

「それじゃあジン、お母さんと一緒にお風呂入ろっか」

「うん、クレースとガルも一緒に······」

「ジン大丈夫? 顔が赤いわよ」

ジンの真っ白なほっぺたはいつもより少し火照り赤くなっていた。ぼおッとした表情のままルシアの言葉に頷くが、見た目では全く大丈夫そうではなかった。
そしてクレースが珍しく焦った様子でおでこに手をやるとかなりの熱が感じられた。

「おい、熱があるぞ」

「やっぱり····こっちにおいで」

(お願い····)

少し火照ったその顔に手を当て「癒しの手エスト」をかける。だが少ししても全くジンの様子は変わらなかった。

「頭がグラグラする」

「クレース、すぐに寝かせるわ。手伝って。ガル、みんなを呼んでこれる?」

「分かったッ」

「ガゥ!」

二人は縁側のすぐ側の部屋に布団を敷いてジンを寝かせる。ガルは家にいた他のもの達を呼び出し、周りには慌てた様子で地中にいたインフォルも含め全員が集まった。

「治癒魔法が効かない、それにこの熱、魔症熱ましょうねつの可能性が高いですね」

 コッツは医学面において幅広い知識を持つ。そんなコッツの表情はジンの様子を見て明らかに曇った。魔症熱と呼ばれるその病気はまだ免疫機能が低い子どもが発症しやすい。一度発症すれば魔症熱に対する免疫耐性はつくものの、魔症熱によって起こる発熱は放っておけば最悪の場合死に至る場合もあるのだ。

「最速の回復手段はねえのか」

焦りながらのトキワの言葉にコッツはゆっくりと首を振った。

「魔症熱にかかっている間は魔力による回復は効きません。魔法によっては逆効果の場合もあります。ですのでなんとか熱を下げる努力をするしかありません。私たちが発症することは無いので近づいても全く問題はありませんが、ジンさんの場合少なくとも熱は三日続きます。その後も少し体調が悪い状態が続くので、それまではしっかりと横についておきます」

辺りの雰囲気は恐ろしいほどに暗かった。皆心配そうに寝ているジンを見つめる最中も苦しくうなされるようにして布団の中で顔をしかめた。

「みんな、暗い顔はしないの。この子もつられちゃうでしょ」

しかしそんな時、ルシアはひとりその暗さを切り裂くように声を出した。

「みんないつも通りの生活をして、この子の隣には私がついておくから」

「まあ私はジンの隣にいるのがいつも通りだからな。私も側にいる」

「こんな大勢いてもジンちゃんには負担かけてまうやろ。ワイらは外に出とこか」

「そうじゃな。何かあればすぐに呼んでくれ」

「コッツ、何をしたらいい。前みたいにホットアップルジュースは駄目か」

「いいえ、それはいけません。温かい食べ物は魔症熱の治癒に逆効果で後遺症が残る可能性もあります。基本的に常温もしくは低温の食事しか食べさせてはいけません。具体的には柑橘系の食べ物が最も効果的と言われています」

「分かった。行くぞトキワ、ボル」

そのままデュラン達三人は慌てて外に出ていった。確かに魔症熱は免疫機能が低い子どもに発症しやすいが数は少ない。デュラン達にとって実際に発症している子どもを見るのは初めてだった。そのため何をすればいいのか分からず本気で焦っていたのだ。

「····あつい」

 ガルはその言葉に反応するようにして風魔法を発生させる。ガルはまだ魔法の練度がそれほど高くなく、魔力が小さかった。しかし逆にその微風は心地よく徐々に火照った顔から笑顔が出てきた。

「すずしい」

「おいコッツ大丈夫なのか。こんなに弱っているのは初めてだぞ」

「しっかりと見ていれば問題はありません。ただ目を離した隙に体温が急上昇するということがありますので夜の間も付きっきりで見ておきましょう。私は寝なくてもいいのでお任せください」

「ううん。私もいるわ。とりあえず家に移動させましょうか」

「いいや、ここでいいぞ。将来は一緒に住むんだからな」

「け、結婚でもするの?」

「まあその話は後だ。コッツ、私たちは何をすればいい」

「私にはできませんので身体中の汗を拭いてあげてください。それと定期的に水分を摂取すれば大丈夫です。終わればまた呼んでください」

コッツはそう言い残して一度外に出た。

服を脱がせて汗を拭き取っとが熱はあまり下がらない。いつもは真っ白な身体もいつになく火照っていた。そして服を着替えさせて再びコッツを呼んだ。

「私も魔症熱になった方は何度か見てきましたが少し症状が重たいですね。おそらく魔力が多いのかと」

「魔力が多いと駄目なのか?」

「ええ、ほとんど魔力を持たない子などは早くて二日もすればその後も問題なくすっかり元気になります。ですがジンさんのように魔力が多い場合は中々体温の上昇が止まりませんので、それまでは油断できません」

いつもとは違いクレースは先程からかなり落ち着きがなかった。それに対してルシアはジンの頭を撫でながら落ち着いていた。そんな二人の間でジンは規則正しい寝息はたてて熱はあるものの容態は快方に向かっていた。
そしてそのまま数時間が経ち外は次第に暗くなってくる。クレースの家ではジンの小さな寝息が聞こえるほど静かになっていた。

「ジン!!」

そんな中、デュランの声が響いた。

「しーッ」

ルシアの声に口を押さえ荒い息遣いをなんとかして我慢した。乱れた服装から三人とも大急ぎで何かしてきたのかが分かる。

「ジンハ?」

「大丈夫よ、熱はまだあるけどさっきよりはだいぶんマシになったわ。トキワはどこ?」

「外にイル」

そう言われ外を見ると今にも溢れそうな果物やタル、それに大きな袋が積まれていた荷台の隣にトキワが立っていた。

「それは?」

「柑橘系の果物、大陸の北で流れる清水を十樽分ほど持ってきた。この中には魔症熱に関する文献と体温を低下させるマジック・アイテムを入れておいた。何か足りないなら言ってくれ、すぐに取ってくる」

「大変だったでしょ? 休んでね」

正直持ってきた量は一ヶ月分の食料と言っていいほどだったが、念の為ということで持ってこられるだけ持ってきたのだ。ルシアは清水を注ぎ柑橘系の果物をいくつかとって魔法で詳しく確かめる。コッツとしばらく話し合い、果物を使いひんやりとした料理をいくつか調理した。もちろん栄養素にも気を配った料理だ。

「ジン、あ~ん」

「あぁん」

少し弱ってはいたがなんとか作った料理を食べた。

「おいしいよ。ありがとう」

「よかったあ。もう一回休もうね、お母さんがついてるから安心して」

そしてその後は安心したようにぐっすりと眠りについた。

「ねえコッツ、こんなに熱が下がらないことなんてあるの?」

「ええ、ですが放っておくと体温上昇が収まることはありません。今日はもう遅いので皆さんは休んでくださいね。私は疲れませんから」

「いいえ、しばらくは私もここに泊まるわ。いい? クレース」

「ああ。じゃあ私はジンの隣で寝る、途中で変わるからルシアも休め」

「あなたは今日家に一人になるわね。トキワとボルの二人を家に呼んでもいいのよ」

「いや、俺も親だしな。外で大丈夫だ、家の近くにいる」

「勿論、俺らもそのつもりだぜ」

「ウン」

その時近くの土からインフォルが顔を出した。

「ワイもおるで。でも残念やな、ゼフはんは今ウィルモンドにおるわ。今頃心配しとるやろうな······」

インフォルは地中から出てきてデュランの前に立つ。

「それでデュランはん、ちょっと話があるんやがええか?」

「おう、なんだ」

「ちぃと場所変えよか、向こう来てくれるか」

そうしてインフォルを手の上に乗せて二人ともその場から離れた。

「私は少し家で薬を調合してきます。品質にはご安心を、先に私の体で試しますから。少しの間頼みます」

コッツも一度家に戻り、ボルとトキワも察したようにガルと女性だけの空間から離れ外に出た。

「それじゃあクレースお布団を用意しましょうか。私達も休まないと」

「そうだな····」

「ジンが心配なのは分かるけど、隣で眠るだけよ」

するとルシアは寝ているジンを優しく抱きしめた。

「何してるんだ」

「この子普段は甘えん坊さんですぐに抱きついてくるでしょ。そういう時、本当に安心するの。この子に抱きつくのは私にとって一番落ち着くことだから。あと、可愛いからねッ」

ジンの額に優しくキスすると布団の上で壁に背中をつけて横になった。

「クレース···· 私ね、ジンが何になりたいのか分かった気がするの」

「何ってさっき聞いたばかりだろ」

そう言って首を傾げる。

「ううん、そうじゃないの。もっと具体的でしっくりとくるものよ。でも正直、今の本人はそれに気づいていないと思うの。でもいずれ、気づいてくれるかな」

その言葉にクレースはますます不思議な顔をした。

「で、何なんだ」

「ええっとねえ、あの子がなりたいのは····」
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