上 下
129 / 229
英雄奪還編 前編

五章 第十六話 古き友

しおりを挟む
数百万年前、雷鳴が響き渡り紫電が至る所に落ちる過酷な環境が広がっていたバルハールは呪われた大地と呼ばれていた。あまりにも危険なその国には雷に適応した夜士族のみが住み、Aランク以上の魔物でさえその土地には近づこうとしなかった。そしてその日、常日頃から広がる暗雲に加えて激流のように渦巻く禍々しい空気が強大な呪力を運び、ある一点に集まっていた。

そんな日に、ある貴族の屋敷から一人の赤子が産まれた。しかし赤子の元気な鳴き声とは反対にその部屋からは悲しみに暮れる声が響き渡っていた。母親はその赤子を産んだ時に、全ての生命力を使い果たして命を失ったのだ。

「様子がおかしくないか」

「なんだ、この禍々しく黒いオーラは······」

その赤子は産まれた瞬間から奇妙な目で見られていた。父親でさえ産まれて来た赤子に冷たい視線を向け、誰一人としてその赤子の誕生を祝うことはなかったのだ。

「まさか、呪力を纏っているのか······この子は、本当に夜士族なのか」

父親は自分の子を気味悪がり、生まれてから一度として子を抱きかかえたことすらなかった。そればかりか屋敷に住む使用人たちの間ではその子どもに触れた者には不幸が舞い降りるという噂までもが広がったのだ。そして噂は屋敷だけでなく辺りに住む者たちにも広がり、生まれて間もないその子どもはあっという間に独りになった。

「ねえ、お腹空いたよ。何か食べさせて」

「は、はい坊っちゃま。お部屋の中でお待ちください」

(は、早く離れないと。喋っただけで呪いにかかってしまいそうだわ)

ただ一つ、その子どもは物心が着く前から不思議に思っていたことがあった。他人の心の声が聞こえるのだ。

「どうして呪いにかかるの?」

「へっ、い、いえ何もありません!」

(ウソ、今私喋った!?)

その為、子どもには幼い頃から他人の汚い部分も何もかもが聞こえていた。そしてその声が自分だけに聞こえているということが分かった子どもは葛藤した。目の前では取り繕った笑顔で綺麗事を並べる大人たちも、自分にだけ聞こえる声はどれもが耳を塞ぎたくなるような言葉ばかり。そうして少年になった子どもの心は若くして既に荒んでいた。いつしか少年は夜士族とも父親とも話す機会は無くなっていった。次第に話す相手の表情も見なくなり、相手の心の声のみを聞くようになったのだ。

そして他人との関わりの一切を嫌うようになった少年は自室に籠り呪いと魔法の研究をするようになった。

(呪いと魔法は喋らない。呪いと魔法は役に立つ。呪いと魔法があれば独りでも生きていける)

そう考えて、少年は研究し続けた。多くの呪いと魔法を生み出し、時には自分の身体に呪いをかけてみるということもあった。

「へぇー僕の身体には元々呪いがかかってるんだ。そうか、それでお母様は僕を産んだ時に死んだんだ。まあどうでもいいか、僕には関係ないや」

そして少年は家を出て、呪いと魔法に関する本という本を片っ端から読み漁った。同時に人間では一生かかっても習得できないほどの多数の魔力や呪力の使い方を学んだ。そして研究を続けるうちに時間は驚くほど早く進んでいった。夜士族というものは他の種族に比べても長命であり長いものでは五百年以上の時を生きる。しかし男の呪いと魔法に関する情熱は非常に強く、その長い時間もあっという間に過ぎていった。

「わしの父親が死んだ? いたか? そんな奴」

父親が死んだという知らせを聞いても、男の心には一切の悲しみも湧かなかった。それよりも自分はなぜこれほど生きていて死なないのかということが気になったのだ。その為男は自分のことを調べることにした。今まで学んだ知識を使い自分の正体を突き止めようとすると、最後には一つの種族が浮かび上がった。

不死族エリクサーか······なるほど、それで死ねないというわけだ」

不死族について調べると他の種族とは違う点がいくつか分かった。一つ目は不老不死であること、二つ目は呪いを宿して生まれてくること、三つ目は無限の記憶領域を持つこと。そして不死族は世界でも稀な存在であり現在でもその人数は百人のに満たないとのことだった。

魔法や呪い、そして自分のことをもほとんど理解した男は不死族を調べる際に本で見つけた他の種族というものを実際に見たくなった。動機はただそれだけで男は数十万年もいた小さな生活圏を抜け、杖を一つだけ持って外に出た。

「ほう、これは興味深いな。やはり本と現実は違ったか」

男にとって世界はあまりにも壮大であまりにも興味深かった。初めて見る魔物を片っ端から狩り尽くしては研究し、視界に入る行ったことのないような場所を隅々まで探索した。男にとって新しい地に踏み入れるということは常に興奮が付き纏い、毎日が飽きることのないような日々だった。男の好奇心と探究心は止まることを知らず、普通のものならば一瞥して終わるような場所に何年も滞在し、自身の知識欲を思う存分に満たした。

そしてその途中である人物と出会った。できるだけ他人との関わりを避けていた男にとってその出会いは新鮮だった。会った瞬間に分かったのだ、自分と同じ不死族であるということが。向こうも感覚的に理解したようで男の顔を見た瞬間、目を見開き驚いた。

「もっ、もしかして、あなたも不死族なのですか!?」

「ああそうだ。珍しいな。数十万年は生きているが初めて会ったぞ」

そう言った瞬間、女の頬には大きな涙が伝った。だが男にはその感情が分からなかったのだ。

(何が目的だ、何故此奴は涙を流しているのだ)

男が他人の感情に興味を持ったのは数十万年ぶりだった。そして興味が湧き、心の中を読んだ。

(この人は······いなくならない)

「············」

男は再び目の前の女の感情を読み取ろうとした。しかしそれ以上は何も聞こえてこなかった。

(これだけか、本当に何が目的だというのだ)

「あ、あの。お名前をお聞きしてもいいですか」

「名前?······わしの名前は、ヴィレン······」

「ヴィレン?」

(そういえばわしの名前はなんだ。ヴィレン家ということは覚えている。だがわしは、父親から名前を与えられたか?)

「すまんな、忘れてしまった。適当に呼んでくれ」

「忘れたんですか!? では私がつけてもいいのでしょうか」

(これは仲良くなる絶好の機会!)

(聞こえておるぞ)

「では······ネフティス、という名前はどうでしょうか」

「構わん······何故その名前にしたのだ」

「私が読んだ本の中で、一番優しかった人の名前です」

「フンッ、お主が思っとるよりわしは優しくないぞ」

「いいえ、これから貴方はネフティス様です。私の名前はメイル・クローム。メイルとお呼びください!」

「ま、まあ呼ぶと言っても今日だけじゃがな」

「えぇええ!? 私たち一緒に行動しないんですか?」

(本当にこの女、何が目的だ)

メイルの思っていることが聞こえなかった。何も考えず言葉を発していたのだ。

(ふむ、ただの考え無しか)

「何故ともに行きたいと思う。すまぬがわしといても退屈じゃぞ」

「····その、ネフティス様はそれほどの時を生きてこられて、大切な方を何人失われましたか」

メイルの本心が分からずもう一度心の中を読んだが、何一つとして心の声が聞こえてこなかった。そして一度、ほんの数秒だけ思考が停止した。

「一人もいない。母親はわしを産む時に死に、父親はいつの間にか死んでいた。だが大切な····か。それならば一人としておらんな。わしにとっては父も母もただの他人じゃからな」

「······そうでしたか。私は24934人です。誰一人としてその大切な方達を忘れはしません」

「何が言いたい。自慢か?」

「いいえ。ただ私は、もう誰も失いたくないんです」

「欲深いな、それならば誰とも関わらなければいいであろう」

しかしメイルはゆっくりと大きく首を横に振った。

「何度も何度も、そうしようと試みました。ですが駄目なんです、無理なんです。私がどれだけ長い時間を生きようとも、その人と関わることのできる時間は限られている。そう思うと一秒でも長く一緒にいたいなあと思うんです」

「そうか····すまんがわしには分からんな」

「それでもいいのです。ただ、そうですね······いつかネフティス様が私の死を悼んでくださるのなら、それはもう嬉しいことですね」

「フンッ、何を言っておる。お主は不死族であろう」

その後ネフティスは渋々メイルの頼みを了承し、ともに行動することになった。しかしその後もネフティスは自分の好きなように各地を回った。視界に入る全ての場所の間近まで近づき、気になったものがあれば同じ場所に数百年止まり満足の行くまで研究した。その間もメイルは文句ひとつ言わずにネフティスの側に居続けた。

「ネフティス様からは、世界はどう見えているのですか」

「この世界はわしの知識欲を満たすための場所だ。世界は日々変わるからな、最高の研究対象と言ったところか」

「最高の研究対象、ネフティス様らしいですね」

「だが同時に、この世界はあまりにも愚かだ」

「······戦争ですか」

「その通りだ。醜いだろう、なぜ争う。領土が欲しいのか。名誉の為か、金か。短い寿命の者がなぜ死に急ぐ。なぜこの世にあるありとあらゆる知識を知りたがらない。それではまるで、ただの魔物ではないか」

ネフティスは戦争が起こっている国を通るたびにそう考えていた。あらゆる知識を膨大な記憶領域に溜めてきたネフティスは戦争が絶対悪だと考えるようになり、戦争するものたち、さらにそれに関わる全てのもの達を哀れな存在とさえ考えるようになった。

そしてある時、二人は今まさに戦争が起こっている国の中に入った。その国では至る所で爆発が起こり、悲鳴が響き渡っていた。ネフティスとメイルは各地で負傷したもの達を治療してまわったが、決して直接戦争に介入するということはなかった。そうして戦争に巻き込まれた存在を中心に救いながら国中を回った二人は小さな集落に入った。

「お前達そこにいると危ねえぞ!」

「ん? あやつ人間か」

「ええ、そのようですね」

集落に入るとすぐに十代後半ほどの若い男は抱きかかえていた小さな子どもを隣にいたものに渡し、二人の方に近づいていった。

「誰かは分からないが敵じゃなさそうだな、こっち来い」

(ふむ、人族は心が読めんのが厄介じゃの)

ネフティスは少し疑うような目で青年を見たが、取り敢えずは連れられて教会の中に入っていった。集落の土地は荒れ果てており怪我をしてぐったりとしたしたもの達が至る所に見られた。

「ここは危険だ、これ以上戦争がひどくならないうちにさっさとここから出な」

青年の口調は少し荒っぽかったが、怪我人の治療や子どもの面倒などをかなりしっかりとこなしていた。

「私たちは治癒魔法を使用できます。ですので怪我人の手当ては私たちに任せてください。それと紹介が遅れました。こちらはネフティス様、私はメイルと言います」

「そうか、俺はローグだ」

その後二人はローグに集落中にある怪我人の元へ向かい、通常ならば治らないような大怪我もネフティスの長年の魔法の知識の前では小さな怪我と同じだった。二人は大勢からの歓喜と感謝の声を受けながら、半日も経たないうちにその集落にいる者達全員を治療し終えた。

「あんたら、一体何者だ。あんな回復魔法見たことねえぞ」

「大したことはしておらん、それより腹が減ったな。何か無いか」

「少ししかねえが食いな」

そう言ってローグはこの土地名産だという芋の料理を二人に振る舞った。

「悪いが俺はガキたちを寝させにいってくる。足りなかったら言ってくれ」

「待ってください、ローグ様は」

「悪いな、俺はいいもん食ってんだ」

ローグは落ち着いた様子で扉を閉めてそのまま子どもの面倒を見に行った。

「あやつ、人間にしては体力がありおるな」

「そうですね。私たちはお言葉に甘えて頂きましょう」

「······まあまあ美味いな」

「ローグさんの手作りなんですよ。すごい方ですね」

「······あまり深入りするなよ」

「······はい。それにしても、もう寒い時期ですね。暖炉のある部屋はありがたいです」

冬の季節に入っていたため、辺りは少し肌寒く外には少し雪が積もっていた。そんな中二人は集落の中でも少ししかない暖炉のある部屋に招かれていた。

「······少し外の空気に吸ってくる。お前はもう休んでおけ」

「はい、ではお言葉に甘えて」

メイルは大きくあくびをし、ネフティスは一人で教会の外に出ていった。

外は少しだが雪が降っておりさらに肌寒くなっていた。多くの家が蝋燭一本程度の光で暖をとる中ネフティスは集落の中心に立ち杖を上に向けた。

(少し面倒じゃが、食い物の礼じゃ)

ネフティスの杖の先端は真っ白な雪が広がる中暖かみのあるほのかな光を放った。そしてすぐに集落中から驚きの声と子どものはしゃぐ声が聞こえてきた。一瞬にして集落全ての家に暖炉と火を用意したのだ。

(ん? 誰だ)

ネフティスは集落の様子を見つつ雪が降る中を歩き回っていると光もない暗闇にたった一人、誰かの気配を感じた。辺りはすぐ近くに小さな川が流れるだけで他には何もなかった。

(敵か?)

ネフティスは気づかれないように完全に気配と姿を消してその暗闇へと近づいていった。

しかし想像とは違いその人物は武器も何も持たず、ただひたすらに押し込むようにして痩せた土をわしずかみ口の中に放り込み、すぐ側にある河川の水を流し込むように飲んでいた。無我夢中でそうする人物の上ではゆっくりと雲が動き、星の光が川を照らした。そして同時にその人物の顔が見えた。

「ッ——」

その人物は、ローグだった。一瞬ネフティスと目があったが、ローグは何も気づかずに川の水を飲んだ後立ち上がり、灯りのある方へと戻っていった。

(そんなものを食って····何がいいのだ)

ネフティスはローグに興味をもち、そのまま魔法で気配と姿を消したまま尾行していった。ローグは集落の家をひとつひとつ訪れ、雪で手がかじかむ中井戸の水を汲んで全員に渡しにいった後、子どもの寝かしつけをし、冬の季節でも育つネフティス達が先程食べた芋がある畑を一人で耕していた。そしてその後、意識を失うように畑の近くにある小屋の中で眠った。

(仕方ないな、これも礼だ)

ネフティスは小屋で眠るローグに治癒魔法をかけ自身も教会に戻った。



翌日の早朝、ローグはいつもとは違い体の疲れが全くない状態で目を覚ました。ローグは集落でいつも一番早くに目を覚ます。畑の様子を見にいった後、井戸の水を汲みに行き子どもの分に合わせて今朝はネフティスたちの朝食用意した。

「ローグさん、おはようございます。昨晩はよく眠れました。ありがとうございます」

「構わねよ、朝飯が置いてあるからさっさと食いな」

集落にいた怪我人達は一晩経って皆が元気になり、朝からネフティスとメイルにお礼をしにいくため賑わった。しばらくしてその賑わいが収まるとネフティスは教会の中にローグを呼び、メイルも合わせて三人という状況になった。

「何のようだ」

「少し聞きたいことがあるだけだ。今のこの国は戦争中にあると言ったな。戦争の原因は何だ」

「そんなもん、王様が始めたんじゃねえのか、少なくとも俺らは知らねえよ。知らずに集落を襲われて、歯向かえば殺された」

「お前の両親は」

「ついこの間殺された」

まだ若いローグから放たれた感情の一切こもっていない言葉にメイルはグッと歯を食いしばった。

「戦争は嫌いか」

「あたりめえだろ。でも俺じゃあどうしようもねえから、俺はただガキどもを守らなきゃいけねえ」

その目は真っ直ぐだった、ネフティスが今まで見たことないほどに。

「そうか、ならば食い物の礼だ。わしが戦争を終わらせてやろう」
しおりを挟む

処理中です...