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霊枢水一

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■■■■…………
「贋物」徳川家康と「奸物」石田三成による関ケ原の戦いが立った一日で終わろうとしていた時に小太郎は雪ちゃんに乗って北国脇街道を関ケ原へ向かって駆けていた。そんな中、僕は鬱憤を晴らすように、理不尽にも飛彩に向けて文句をたれる。

「ひぃろ~ぉ!お前の術でどうにかならんのか~ぁ!?」

「無理を言わないで、やるなら自分でしてください。とにかく目立たないようにして、ここを早く抜けましょう」と、飛彩は僕の愚痴を鮮やかに受け流し、雪ちゃんの頭の上を低空で飛んでいるのであった。

 僕の背が低すぎるだけだろうか…視界は雪ちゃんの頭で前が完全に遮断されている。しかし飛彩は雪ちゃん頭の上を飛んでいるので何の障害もなく確認できるのだから安心できる。それと護衛の九十九隊の兵士たちも街道の脇を遅れずについて来ていた。

 しかも草木の背丈と同じくらいまで姿勢を低くさせて沈みこんでおり、その足音だけではなく草をかきわける音も全く立てていない。
 霊体になって草木をすり抜けているのか、呪術のたぐいなのかは現時点でも不明であるが、その進み方からして、隠密行動の熟練者であることは僕でも十分に理解できた。

 とは言え、馬に乗っている僕は大きな音をたてて、街道を思いっきりかき分けながら進んでいるのだから、九十九隊の隠密行動を台無しにしている。

 むしろ彼等の方から僕に愚痴をこぼされても、文句が言えないだろう。だが、彼等は僕と違って、無駄口などたたかずに護衛してくれて、ひたすら雪ちゃんについて来ているのだった。

 そんな中である小谷宿近く…とうとう来るべき時が来てしまったのは。

「誰だぁ!貴様は……」

 少し訛りをふくんではいるが、鋭い声が正面から僕たちに向かって発せられた。その声に僕は思わず声をあげそうなくらいに驚いたが、雪ちゃんが先に驚いて前足を上げたため素早く僕は雪ちゃんの首に抱きついた。

 声からして、若い男性と思われる。しかしその姿を確認することがかなわず、この戦いに参戦している兵なのかすら分からない。もっとも、兵でもない青年がこんな時にここでうろついているなど、普通に考えればありえない話だ。

 身の危険を察知したのか、九十九隊の兵士達はぴたりとその足を止め様子をうかがっていた。ぴくりとも動かず、気配も完全に消している。僕も鞍の上で小さくうずくまった。


 僕は、妙に気分が高揚し、心臓の音を大きくしながら、まるで路傍の石になった心持ちでその場で待機していた。このように心も無にすることで、存在そのものが無となり、気配を完全に消す事に……ならなかった。

「おい!こんなところで何をやっているんだ。」

 僕の心の中での虚しい解説を遮るように、声の主は宿場町の木戸から、僕たちの目の前に姿を現したのであった。背格好としては僕と同じくらいであろうか、ひょろっとしており、かなり痩せている。
 また大方の予想通り、兵のようだが、その装備は至って簡素だ。形ばかりの胸当てに、細くて長い槍。兜は装着しておらず、もちろん直垂もない。
 足元は素足に草履をはいており、その姿からして、まさに「雑兵」と表現するにふさわしいいでたちであった。

 僕たちを見るその表情は驚きを浮かべているが、殺気は感じられない。むしろ優しさを感じるのは、間延びした口調によるところなのだろうか。

 僕はその雰囲気から少しだけ警戒を解き、その顔をじっと見つめていたのだが、九十九隊の兵士は違ったようだ。兵士のただならぬ雰囲気を察知した僕は、ちらりと彼の方へ視線を移すと、なんとその手はいつでも懐の得物に届くような位置にある。

 それは隙があれば、いつでも斬りかかる準備が整っていることを表しているようで、僕は思わず身震いした。

「おまえさんたちは何しにこんなところにいるんだ!」

 そんな兵士の殺気に気付いていないのか、相変わらずゆっくりと近づいてくる雑兵。相手に警戒させまいと兵士達は隠れているが、護衛の為雑兵に気付かれないように手は完全に懐にかかっている。

 このままでは僕の目の前で凄惨な光景が繰り広げられる……

 今更考えるのも遅いかもしれないが、人の殺生など、平和な元の世界ではテレビのニュース以外に全く経験などない。
 しかし、僕は戦の場に身を置いていることに慣れ、自分の感情の変化に今更ながら、愕然とした。
 そう、とっくにそんな覚悟を決めている自分は、おそらくこの優しそうな雑兵は護衛の刃にかかってしまうだろう。

 かくなる上は、僕が雑兵と護衛の間に立って……など大それたことは、もちろん考えない。
 悪いが死んで貰おうと思った瞬間に、あっ困った……急におしっこがしたくなった。

 僕はわずかに残された我慢の限界で、子供にも出来る、この場の乗り切り方を考える。しかし、全く思い浮かばない……鞍の上でおしっこするわけにもいかず。汗が滲み出だして、焦りで体が震えた。

「おい、小僧!震えてるじゃねえか?大丈夫かぁ?」

 心優しそうな雑兵の矛先が僕に絞られ、静かな殺気を放つ兵士に気付かずに、のんきに近づいてくる。

「なんで、ちっこいのが、こんなところに?しかも馬に乗って…」

 まずい、そろそろ膀胱の限界ようだ…顔色が変わっていく。そして雑兵のその言葉に、ますます兵士達の殺気が強くなった。あと一歩近づいてきたら、飛彩は彼の首筋めがけて飛びかかるに違いない。
 
 もう、時間がない。僕は解決の糸口になるかもしれないもうこれしかない言葉を一生懸命喋った。

「しょうべんが漏れる~~ぅ」と、突然大声を上げた。

 心優しき雑兵の青年なら、助けたくなるに違いないとそう信じて……すると兵士たちの殺気は薄らいだ。

「お兄さん!そこの道端で小便させて~ぇ…」

「おぉ!急いで小便すりゃいいで……はょしてこい」

 この先はこれほどまでに大きな戦の戦場なのだから、例え旅人であっても、紛れる前に兵に止められるだろうに…と冷静に思いながらも、急いで用を足す。

 すると、雑兵の青年は、困ったような表情を浮かべ、同情の言葉をかけてきた。
「小便我慢するほど急いでいるのはわかるが…この先は戦場で上司から人を通すなと言われているからなぁ。なんとかしてあげたいのだがのう…」

 小便が終わって、困った顔をして「この先に急ぎの用があるのだが……」と言うと。

 なんとこの心優しき雑兵は
「と、とにかくこの先は危ねえ。よし!ここは一つこの弁之助に任せな!お主たちを安全なところにかくまってやらあ!」と、胸を一つたたくと。
「俺についてきてくれ」と、慣れた足取りで、ずかずかと進み始めたのだった。

 僕は顔をあげ、ちらりと九十九隊の兵士達を見る。飛彩も僕の顔を見ると、こくりとうなずいた。

 さて、なんとか怪しまれることもなく雑兵の青年をたぶらかした訳だが、このまま彼の背中についていくべきか、という次の問題に当たる。
 飛彩であれば、足音を立てることもなく、いつの間にか姿をくらませることは可能であろう。
しかし僕という、言わば「足手まとい」がいる中でそれが出来る確証はないし、万が一見つかりでもしたら、もはや交戦となることは確実であろう。

 僕の今いるこの関ヶ原において、徳川家康や石田三成は、大軍を動かして相手を負かそうと、壮大な策略を張り巡らせているのに対して、僕は一人の雑兵と交戦にならないように頭を巡らせている…

 自分でも情けなくなる気持ちを抑えられないのは、「男子」として仕方があるまい。なにはともあれ、交戦だけは絶対に避けねばならぬ。それはなぜかと言うと彼は将来、宮本武蔵と名乗って弟弟子の佐々木小次郎と戦わなければならい、ここで僕が殺してしまうと歴史が変わってしまう。

 相手の雑兵は優しい目をしているし、安全なところへ連れていってくれるというのだ。ひとまず彼についていくのが最善策と考えた僕は、その痩せた背中を追いかけていくのだった。

◇◇◇◇

 その雑兵の青年の名は、新免弁之助。美作国宮本村で生まれた百姓の次男坊とのことだ。新免家に養子に出されて、父の新免無二が関ヶ原の戦い以前に東軍の黒田家に仕官していて、その為に、彼は黒田長政の軍の一員として、参戦しているとのことだ。

 隣の村とのいざこざは、弁之助の村でもやはり存在していて、特に笹の才蔵という武士と仲が悪いとのことだ。その才蔵は福島正則にくみしており、同じく養子である次郎という青年が、正則の軍に属しているとのことだ。
 この頃の領民たちのいざこざは、秀吉の刀狩り以降、急速に影を潜めたが、一時的に社会情勢が不安定になった今、再び表に出てきているようだ。
 そして、領主の黒田と福島も太閤殿下より頂戴した名槍日本号を正則は、この家宝の名槍を酒宴の席で賭けの対象にしてしまい、相手は黒田長政の家臣・母里太兵衛。結局、まさかの呑み比べに負けて、家宝を取られてしまうことになった。
 村同士のいざこざの理由はすごく単純で、食料の略奪だ。特に今回の戦は、異例とも言える「稲刈り」の時期に行われた。これから訪れる長い冬のことを考えると、生きるためには奪わねばならない、と弁之助は辛そうな表情を浮かべて、教えてくれた。

 農民たちは食べることで必死なのだ。もしかしたら「忠義」だとか「大義」などの目に見えないものを掲げる武将たちと比べると、「食べ物」を目的に争う彼ら農民たちの方が、現実的な戦争をしているのかもしれない。

 一見すると派手な関ケ原の戦いの影に、このような泥臭い戦いが潜んでいようとは……ちなみに僕は「主計」と名乗り、その名字は「冨田」と言っておいた。

 弁之助はそんな僕を疑うこともなく、気軽に雑談に応じてくれ、すでに戦が始まってしまっているとは思えないほどに、穏やかな脇街道を進んでいく。あたりはまだ深い霧に包まれており、本格的な戦闘はまだ先なのかもしれない。

 むしろ史実では、霧が晴れた後に始まったと記憶していたのだが、ここでも何かがずれていたのかもしれない。僕はその「ズレ」が、自分の起こした行動の結果などとは、露とも知らず、頭をかしげたのであった。

 弁之助とともに街道から、なだらかな山道に入る。最初は高い木々に囲まれていたのだが、徐々にその背の高さが低くなっていくと、いつの間にか、うっそうとした草ばかりが生えている場所にでた。

 それでもずんずんと進んでいく弁之助。僕は雪ちゃんの背中に乗って、ゆっくりついていくのだった。どれほど進んだだろうか。あたりの霧はすっかり晴れ、秋の空とやわらかな日差しが、大戦の最中であることを忘れさせる。爽やかな風が草木を揺らし、葉がこすれる音に季節を感じる、そんな風景がしばらく続いた。

◇◇◇◇

 そして……急に視界が開けたと思うと、山の斜面全体に小さな植物が敷き詰められていて、それはまるで緑の絨毯のような、美しい光景が広がっていたのだ。

「わあ~ぁ」

 僕は思わず感嘆の声が上がってしまうのを抑えられなかった。その顔を見て満足したように弁之助は。
「かっかっか!驚いたか小僧。ここが自慢の玉城よ。関ケ原が一目で見渡せる!すげえだろ!」と、自慢げにその薄い胸を張る。

 確かに関ケ原の緑の地平線が広がる、この壮大な風景は「すごい」の一言につきる。よく見ればそれぞれの指物、陣営が見渡せる、その種類も多い。

「実はこの城は、あの太閤殿下が、命じて作らせたものなんだぜ。やっぱり、天下を治めるお方は、やる事がでけえや!」

 なんと、あの豊臣秀吉がこの城を……死んだ後のことなど、無関心であった僕にとって、死んだ先のことまで考えて用意していたとは、秀吉の細かさや偉大さを目の前で感じる機会となった。

 そんな感嘆にひたっていると、急に背後から高い声がこだました。

「あっ!べんさんが、戻ってきたあ」

 ふと声のした方を振り返ると、そこには一人の侍が弁之助に向かって、笑顔で駆けてきている。その侍を見つけると、秋の空のごとく晴れやかに破顔した弁之助が。

「おぉ!又蔵!達者であったか!?」と、又蔵と呼んだ雑兵を抱きしめた。
 その雑兵も弁之助と同じく、痩せているが、顔は丸く男前だ。
 歳は僕と同じくらいであろうか…ただ、着ている服はボロをつなぎ合わせたようであり、御世辞にも綺麗なものとは言えない。

「はい!元気にやってました!べんさんも元気そうで!」と、再会を喜んでいるようだ。

 いつから戦にかりだされたのかは分からぬが、久方ぶりに顔を合わせたのだろう。僕は微笑ましい気持ちになって、その様子をしばらく見つめる。すると、弁之助の方から僕に話しかけてきた。

「おう!小僧。こいつは俺の幼なじみの又蔵って言うんだ。仲良くしてやってくれ。又蔵。こちらは冨田家という武家のご子息である主計だ」と、又蔵の頭をごしごしとなでながら、紹介してくる。

 僕は、精一杯にこやかな笑顔を又蔵に向けた。

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