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圉霊師二
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秀吉軍本陣に中入り部隊から早馬が駆け込んできた。
「徳川家康率いる部隊と接触、岩崎城前にて戦闘が発生し、森勝蔵(長可)殿、池田紀伊守(恒興)殿が討死!」
思わず秀吉は腰を浮かせかけた。
森、池田の両将が討たれた、それはつまり大敗したと言う事か?
「その後、森・池田隊の残兵を羽柴右少将(秀次)様の本体が吸収、岩崎城前にて陣を敷く徳川軍との戦となりました!」
「それで、どうなったのじゃ!」
秀吉は急かした。この中入り、もし大敗しようものなら、徳川強し、の印象のみがこの戦で世間に残ってしまう。それだけではなく、秀吉は家康に敗けた、と評価されればまずい。
家康は簡単には秀吉に臣従しないだろう。四国と九州を早く片付けたいこの時に…!が、次の報告で秀吉は眼を見開いた。
「秀次様の策により、敵本陣へと精鋭部隊を突入される事に成功! 徳川軍は本陣に乱入された事により、軍を退きました! お味方、帰還中であります。また、四国より摂津国へ進軍した長曾我部軍が巨大な渦潮に飲み込まれ撤退の報告がありました」
「「「「おぉ~!」」」」 と周囲から歓声が上がる。
秀吉も胸を撫で下ろしていた。
(ようやった秀次! あやうくこの出兵が無駄になるところじゃったわい。報告に敵の首をあげたとの報告がないと言うことは、家康の軍勢を追い払ったというところか。こちらから追撃をかけるだけの余裕はなかったのか? いや、十分な成果を挙げた上で、これ以上敵領で戦う愚を避けたか……ならば)
秀吉は立ち上がると周囲の者に明るい笑顔で言った。
「どうやら我が甥は徳川殿を退けることに成功したようじゃ。秀次が戻ってから、儂は朝廷を動かす。いまに見ておれ……」
「殿、朝廷を動かすとは?」
秀吉の周囲にいる小姓が問いかけると、秀吉はことさらに悪い表情を作った。むろん、演技であるが。
「信雄めがこの戦を起こした。確かに信雄は織田の嫡子、しかし織田家の当主は三法師君じゃ。それは清洲での合議にて決まったこと。それを不服として、旧来より織田家と同盟状態であった徳川殿を味方につけ、三法師君に歯向かった。信雄めは迷って居る。ゆえに、信雄と和睦すれば、それでこの戦はしまいじゃ。その後はこの包囲網を瓦解させ、紀州や四国など版図を飛躍的に拡大し、我が軍の軍事力の差を見せつけてやるわ……」最後はひらひらと手を振って語る秀吉。
■■■■…………
まず、この小屋にご主人から漏れ出た霊力の影響で人ならざるものが住み着くようになった。『人の心に触れた器物が百年を経て、ひとならぬ者に化して霊気を得て妖怪となる、これを付喪神(つくもがみ)と号すと云へり』 長い時間を生きてきた九十九霊に、ご主人の霊力が注がれて付喪神と成ったモノと暮らしている。
ご主人は火霊と土霊に愛されているようだが、霊にも種類があることを説明した。
聖霊(せいれい):仏界、菩薩界に多く漂う霊。光霊など
精霊(せいれい):声聞界、縁覚界に多く漂う霊。火霊、水霊、木霊、金霊、土霊など
神霊(しんれい):天界に多く漂う霊。 色霊、欲霊、龍霊、古代霊など
幽霊(ゆうれい):人界に多く漂う霊。地縛霊、浮遊霊など
物霊(ぶつれい):修羅界に多く漂う霊。九十九霊(付喪神)など
動物霊(どうぶつれい):畜生界に多く漂う霊。狐霊、狼霊など
鬼霊(きりょう):餓鬼界に多く漂う霊。霊鬼、鬼女霊など
悪霊(あくりょう):地獄界に多く漂う霊。呪霊、怨霊、死霊など
真霊(しんれい):浄界、冥界、幽界に多く漂う霊。別当霊、闇霊など
掃除は終わり、母上も兵庫城下の屋敷に帰り、それから三日が過ぎた頃。
小屋の入り口前にある木に水をやっていると、港へ向かう道の方から少し騒がしい声が聞こえてきた。どうやらようやく来たらしい。
そちらのほうを向くと、知り合いと二人の見知らぬ人がやってきた。
僕は手を振り、彼らの方に向かって歩きながら声をかけた。
「駆さん、こんにちは~ぁ!」
僕が駆と呼んだ男は「若様~」と軽く手を上げて返してくれた。
「彼らが?」とそう訊くと、駆さんは頷いた。
「伊賀から来た子供だ」
「初めまして、石川五郎衛門と言います」
先に挨拶してきたのは……父親らしき侍だった。
「初めまして、石川与五郎と言います」
少し食い気味に挨拶してきたのは五歳ぐらいの子供だ。袴着の儀礼が終わり、袴を着け刀を差している。
「えっと、駆さんから聞いた話では、伊賀から来た人は儀式として祝福を受けなきゃいけないって聞いて、それでここに来たんです」
「はい、好きな除霊師を選んで祝福を受けることができるんですよ。祝福の加護は除霊師によって違うんです。とは言っても、極端に何かが変わるわけでもないので、来た人に直感で選んでもらって、それで儀式を行うために足を運んでもらうんです」
与五郎の質問に、僕はそう答えた。そこに五郎衛門が続けて質問してくる。
「そういえば聞いてませんでしたけど、祝福って受けないと危ないんですか?」
「いえ、そんなことは。祝福を受けなくても実は何ひとつ問題はありません。ただ、受けておくと多少病気から身を守れたり。成長の度合いが伸びたり変わったりしますね。それで、角入までの子供に祝福を与えにいらっしゃる親御さんが割といたりします」
「最初に受ける加護で振り分けられたり伸びる技能が変わったり、あと予防接種にもなるわけだな、なるほどなるほど」
何を言ってるのかいまいち理解できないが、与五郎は一人で納得したようだ。
「じゃあしばらく家の中でくつろいでて下さい。港の方に行っても大丈夫です、準備ができたら呼びに行きますので。道沿いに行けば戻れます。森の中で道を外れると、迷うので道からはあまり離れないようにして下さい」
僕は二人に注意をしておき、駆さんの方を向く。
「駆さんはどうします?」」
「そうだね、私もお邪魔させてもらおうかな。どうせ彼女は寝てるんだろう?時間がかかるだろうし、台所、使わせてもらうよ」
駆さんはそう言うと、一足先に家に入っていった。
「我らはどうしようか」
「父上!オレ、港のほう見たい!」
五郎衛門の言葉に与五郎が手を上げる。
「確かに港のほうも見てみたいけど……小太郎さん、手間じゃありませんか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。僕ならすぐ皆さんを見つけられると思います。少ないですが、これを持っていって下さい」
子供の小遣い程度だが、僕は手持ちの金を与五郎に渡した。
「いいんですか?こんなに」
「言うほど多くはありませんし平気です。港はお店も多いですから、持ち合わせがないと寂しいでしょう」
「そうですか、じゃあ遠慮なく。ありがとうございます」
与五郎が喜んでるところに、五郎衛門は、
「私はここに残るよ、駆さんからもう少し話を聞いてみたいし」そう言い、
「そうですか、では私一人で行ってきます」
と、返事をした与五郎に軽く手を振って、家の方に向かった。
二、三歩歩いたところで軽くこちらを向いてきたので、僕は頷いて「どうぞ」と促した。軽く頭を下げ、彼は家の中へ。
「それじゃ、僕も港を見てきます」
「ええ、お気をつけて」
「いってきまーっす!」
与五郎を見送った僕は、軽く両頬を叩く。
「さーて…気合入れないとな」
「師匠~ぉ、まだ寝てる~ぅ?」
僕はまず何度かノックをして扉の向こうに問いかける…返事はなし。いつも通り。
扉を開けて、そっと部屋を覗く…布団に横たわり寝息を立てる師匠。適当に脱ぎ捨てられた服。これもいつも通り。
扉を開け、窓も開ける。
「師匠、お客さんだよ。ほら、早く起きて~ぇ」
布団を引っ剥がす。師匠は下着姿で丸まるように眠っていた。やはりこれもいつも通りだ。
「お~き~て~ぇ」
師匠の身体を揺さぶり、反応があるまでそれを続ける。やがて「ん~~」と声を漏らした。
「朝だよ~ぉ、お客さんだよ~ぉ、し~しょ~お~ぉ」
「ん~~あと……ご」
「ご?」
「……じかん!」
「あほか~ぁ!さっさと起きろ!ダメ師匠~ぉ」
僕は思わず大声をあげた。
そう、この師匠、除霊を教える以外はほとんど自分では何もしようとしないくらい、ものぐさなのだ。
除霊を教えるときだけはしっかり丁寧かつ熱心に教えてくれるのだが、それ以外は全然駄目。
起きても顔は洗わない、放っておくと歯も磨こうとしない、風呂に入ろうともしない。風呂から上がっても服どころか下着も着けようとしない。あげくの果てには食事さえも僕が言わないと、とろうとすらしない。
髪の手入れさえしないから、初めて出会ったときは櫛が通らないほどにボサボサだった。
僕は母上から言われて、自分のことは自分でやれるようにしてきたけど、ここまで自分と真逆の師匠には当時から呆れていたものだ。
そういうわけで、僕は除霊を教えてもらう代わりと思い、家事全般を半分くらい自力で磨き、ときには駆さんの手も借りつつ教えを乞い、今に至るわけだ。
「ん~~、駄目って言わないで、……やる気が起きたら、起きるから……」
「それ間違いなく二度寝するよね!つーか僕がこうやって無理やり起こさずに二度寝しなかった日は一度も無いわ!」
「ん~ぅ~ぅ」
うめき声を漏らしながら、師匠は布団の上で更に丸くなり、また寝ようとする。こういう仕草は実に愛らしいのだが、そうも言っていられない。さすがに今日は甘やかして寝させたままにするわけにはいかないのだ。
あまりやりたくないが仕方ない。僕は自分の部屋に戻り、小瓶をひとつ棚から取り出して再び師匠の部屋へ。
師匠は先程と同じ姿勢のまま動いていない。僕は師匠の身体の力が抜けているのを確認して、顔を覆った手をどかし、そっと顔を覗き込む。小瓶を開け、その中身をちょっとだけ指先に付けて、師匠の鼻の頭にちょんと塗った。
小瓶を閉じて布団から離れ、数秒後。
突然、師匠の身体がびくんと跳ね、そしてジタバタし始めた。普段の師匠からは考えつかないほどに足が素早く動く。
「く~っ!う~~~っ!!」
どこから出してるのか分からないような声を出しながら、僕は師匠のジタバタが収まるのを、脱ぎ散らかされた服を畳みながら待った。
師匠に塗ったのは、この島で育てているワサビの一種だ。茎の部分はそのままおいしく食べられるが、ワサビを鼻に塗ると、アリルイソチオシアネート(CH2CHCH2NCS)という物質が揮発して鼻腔にまで広がり、これにより、鼻腔内で痛覚を伝える受容体を刺激することで、鼻にツーンとくる感覚がおこります。
ただし、ワサビの刺激は人によって感じ方が異なるため、強く感じる師匠には、匂いだけでも強烈な刺激がある。僕は師匠の眠気覚ましとしてこれを使っている。
暴れ疲れたのか、はあはあと息を荒げた師匠は、ようやくゆっくりと起き上がった。こちらを向き直った顔は、涙目でぐすんぐすんと鼻をすすっている。
「ほら師匠、鼻」
ちり紙を二枚取り出し、重ねて一回折りたたみ、師匠の鼻にあてる。少し弱く、ち~んと鼻をかんだのを確認して、僕は師匠の鼻をぬぐう。
「小太郎~~ひどい~ぃ」
「お客様が来たっていうのにいつまでも寝てるからだろ~ぉ。ちゃんと起きてくれれば最終手段なんて使わないんだから~ぁ」
「う~~っ」
「ほら、顔を洗って。歯を磨こう」
僕は甘えん坊のように伸ばす師匠の手を掴み、布団からようやく抜け出させることに成功したのだった。
師匠の身だしなみを整えさせて部屋に入ると、机にはぎっしりと料理が並んでいた。与五郎たち二人と駆さん、僕と師匠の五人だから普段使っている小さめの机にはほとんど隙間がない。
「駆さん、朝からちょっと作りすぎじゃないですか?」
台所を覗き込みながら僕はそう言った。見ると、
「あー、すまない。ちょっと張り切りすぎてしまったな。よし、じゃあ今作ってるやつでやめておこう」
「僕、もうひとつ机を出してきます」
「いや、それは私がやっておこう。それよりも与五郎君を呼びに行ってくれないか。戻ってくる頃にはちょうど食事できるようにしておくよ」
そう言われたので、僕は「分かりました、お願いします」と言い残し、小屋から出て港へと向かうことにした。
「待って」
ふと、背中に声がかかる。振り向くと師匠が手に何かを持ってこちらに近づいていた。差し出されたそれを受け取る。
「あれ、これって」
転送の護符。長方形をした、銭湯の靴箱の鍵のサイズの霊器具だ。道具に除霊の力そのものを込め定着させることは師匠に並ぶ上級除霊のレベル、そんな除霊を使える人物は一人しかいないと聞く。消耗品であっても売れば当分遊んで暮らせるほど高価なものだ。
「どうしてこれを?」
「念のため。必要だと思ったときだけ使うようにしてね」
港と小屋を往復するだけならこんな凄いものを使う必要はない。師匠は何かを感じたのだろうか。
「う、うん。分かった。行ってきます」
「いってらっしゃい」と、師匠は柔らかく微笑み、見送ってくれたのだった。
「徳川家康率いる部隊と接触、岩崎城前にて戦闘が発生し、森勝蔵(長可)殿、池田紀伊守(恒興)殿が討死!」
思わず秀吉は腰を浮かせかけた。
森、池田の両将が討たれた、それはつまり大敗したと言う事か?
「その後、森・池田隊の残兵を羽柴右少将(秀次)様の本体が吸収、岩崎城前にて陣を敷く徳川軍との戦となりました!」
「それで、どうなったのじゃ!」
秀吉は急かした。この中入り、もし大敗しようものなら、徳川強し、の印象のみがこの戦で世間に残ってしまう。それだけではなく、秀吉は家康に敗けた、と評価されればまずい。
家康は簡単には秀吉に臣従しないだろう。四国と九州を早く片付けたいこの時に…!が、次の報告で秀吉は眼を見開いた。
「秀次様の策により、敵本陣へと精鋭部隊を突入される事に成功! 徳川軍は本陣に乱入された事により、軍を退きました! お味方、帰還中であります。また、四国より摂津国へ進軍した長曾我部軍が巨大な渦潮に飲み込まれ撤退の報告がありました」
「「「「おぉ~!」」」」 と周囲から歓声が上がる。
秀吉も胸を撫で下ろしていた。
(ようやった秀次! あやうくこの出兵が無駄になるところじゃったわい。報告に敵の首をあげたとの報告がないと言うことは、家康の軍勢を追い払ったというところか。こちらから追撃をかけるだけの余裕はなかったのか? いや、十分な成果を挙げた上で、これ以上敵領で戦う愚を避けたか……ならば)
秀吉は立ち上がると周囲の者に明るい笑顔で言った。
「どうやら我が甥は徳川殿を退けることに成功したようじゃ。秀次が戻ってから、儂は朝廷を動かす。いまに見ておれ……」
「殿、朝廷を動かすとは?」
秀吉の周囲にいる小姓が問いかけると、秀吉はことさらに悪い表情を作った。むろん、演技であるが。
「信雄めがこの戦を起こした。確かに信雄は織田の嫡子、しかし織田家の当主は三法師君じゃ。それは清洲での合議にて決まったこと。それを不服として、旧来より織田家と同盟状態であった徳川殿を味方につけ、三法師君に歯向かった。信雄めは迷って居る。ゆえに、信雄と和睦すれば、それでこの戦はしまいじゃ。その後はこの包囲網を瓦解させ、紀州や四国など版図を飛躍的に拡大し、我が軍の軍事力の差を見せつけてやるわ……」最後はひらひらと手を振って語る秀吉。
■■■■…………
まず、この小屋にご主人から漏れ出た霊力の影響で人ならざるものが住み着くようになった。『人の心に触れた器物が百年を経て、ひとならぬ者に化して霊気を得て妖怪となる、これを付喪神(つくもがみ)と号すと云へり』 長い時間を生きてきた九十九霊に、ご主人の霊力が注がれて付喪神と成ったモノと暮らしている。
ご主人は火霊と土霊に愛されているようだが、霊にも種類があることを説明した。
聖霊(せいれい):仏界、菩薩界に多く漂う霊。光霊など
精霊(せいれい):声聞界、縁覚界に多く漂う霊。火霊、水霊、木霊、金霊、土霊など
神霊(しんれい):天界に多く漂う霊。 色霊、欲霊、龍霊、古代霊など
幽霊(ゆうれい):人界に多く漂う霊。地縛霊、浮遊霊など
物霊(ぶつれい):修羅界に多く漂う霊。九十九霊(付喪神)など
動物霊(どうぶつれい):畜生界に多く漂う霊。狐霊、狼霊など
鬼霊(きりょう):餓鬼界に多く漂う霊。霊鬼、鬼女霊など
悪霊(あくりょう):地獄界に多く漂う霊。呪霊、怨霊、死霊など
真霊(しんれい):浄界、冥界、幽界に多く漂う霊。別当霊、闇霊など
掃除は終わり、母上も兵庫城下の屋敷に帰り、それから三日が過ぎた頃。
小屋の入り口前にある木に水をやっていると、港へ向かう道の方から少し騒がしい声が聞こえてきた。どうやらようやく来たらしい。
そちらのほうを向くと、知り合いと二人の見知らぬ人がやってきた。
僕は手を振り、彼らの方に向かって歩きながら声をかけた。
「駆さん、こんにちは~ぁ!」
僕が駆と呼んだ男は「若様~」と軽く手を上げて返してくれた。
「彼らが?」とそう訊くと、駆さんは頷いた。
「伊賀から来た子供だ」
「初めまして、石川五郎衛門と言います」
先に挨拶してきたのは……父親らしき侍だった。
「初めまして、石川与五郎と言います」
少し食い気味に挨拶してきたのは五歳ぐらいの子供だ。袴着の儀礼が終わり、袴を着け刀を差している。
「えっと、駆さんから聞いた話では、伊賀から来た人は儀式として祝福を受けなきゃいけないって聞いて、それでここに来たんです」
「はい、好きな除霊師を選んで祝福を受けることができるんですよ。祝福の加護は除霊師によって違うんです。とは言っても、極端に何かが変わるわけでもないので、来た人に直感で選んでもらって、それで儀式を行うために足を運んでもらうんです」
与五郎の質問に、僕はそう答えた。そこに五郎衛門が続けて質問してくる。
「そういえば聞いてませんでしたけど、祝福って受けないと危ないんですか?」
「いえ、そんなことは。祝福を受けなくても実は何ひとつ問題はありません。ただ、受けておくと多少病気から身を守れたり。成長の度合いが伸びたり変わったりしますね。それで、角入までの子供に祝福を与えにいらっしゃる親御さんが割といたりします」
「最初に受ける加護で振り分けられたり伸びる技能が変わったり、あと予防接種にもなるわけだな、なるほどなるほど」
何を言ってるのかいまいち理解できないが、与五郎は一人で納得したようだ。
「じゃあしばらく家の中でくつろいでて下さい。港の方に行っても大丈夫です、準備ができたら呼びに行きますので。道沿いに行けば戻れます。森の中で道を外れると、迷うので道からはあまり離れないようにして下さい」
僕は二人に注意をしておき、駆さんの方を向く。
「駆さんはどうします?」」
「そうだね、私もお邪魔させてもらおうかな。どうせ彼女は寝てるんだろう?時間がかかるだろうし、台所、使わせてもらうよ」
駆さんはそう言うと、一足先に家に入っていった。
「我らはどうしようか」
「父上!オレ、港のほう見たい!」
五郎衛門の言葉に与五郎が手を上げる。
「確かに港のほうも見てみたいけど……小太郎さん、手間じゃありませんか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。僕ならすぐ皆さんを見つけられると思います。少ないですが、これを持っていって下さい」
子供の小遣い程度だが、僕は手持ちの金を与五郎に渡した。
「いいんですか?こんなに」
「言うほど多くはありませんし平気です。港はお店も多いですから、持ち合わせがないと寂しいでしょう」
「そうですか、じゃあ遠慮なく。ありがとうございます」
与五郎が喜んでるところに、五郎衛門は、
「私はここに残るよ、駆さんからもう少し話を聞いてみたいし」そう言い、
「そうですか、では私一人で行ってきます」
と、返事をした与五郎に軽く手を振って、家の方に向かった。
二、三歩歩いたところで軽くこちらを向いてきたので、僕は頷いて「どうぞ」と促した。軽く頭を下げ、彼は家の中へ。
「それじゃ、僕も港を見てきます」
「ええ、お気をつけて」
「いってきまーっす!」
与五郎を見送った僕は、軽く両頬を叩く。
「さーて…気合入れないとな」
「師匠~ぉ、まだ寝てる~ぅ?」
僕はまず何度かノックをして扉の向こうに問いかける…返事はなし。いつも通り。
扉を開けて、そっと部屋を覗く…布団に横たわり寝息を立てる師匠。適当に脱ぎ捨てられた服。これもいつも通り。
扉を開け、窓も開ける。
「師匠、お客さんだよ。ほら、早く起きて~ぇ」
布団を引っ剥がす。師匠は下着姿で丸まるように眠っていた。やはりこれもいつも通りだ。
「お~き~て~ぇ」
師匠の身体を揺さぶり、反応があるまでそれを続ける。やがて「ん~~」と声を漏らした。
「朝だよ~ぉ、お客さんだよ~ぉ、し~しょ~お~ぉ」
「ん~~あと……ご」
「ご?」
「……じかん!」
「あほか~ぁ!さっさと起きろ!ダメ師匠~ぉ」
僕は思わず大声をあげた。
そう、この師匠、除霊を教える以外はほとんど自分では何もしようとしないくらい、ものぐさなのだ。
除霊を教えるときだけはしっかり丁寧かつ熱心に教えてくれるのだが、それ以外は全然駄目。
起きても顔は洗わない、放っておくと歯も磨こうとしない、風呂に入ろうともしない。風呂から上がっても服どころか下着も着けようとしない。あげくの果てには食事さえも僕が言わないと、とろうとすらしない。
髪の手入れさえしないから、初めて出会ったときは櫛が通らないほどにボサボサだった。
僕は母上から言われて、自分のことは自分でやれるようにしてきたけど、ここまで自分と真逆の師匠には当時から呆れていたものだ。
そういうわけで、僕は除霊を教えてもらう代わりと思い、家事全般を半分くらい自力で磨き、ときには駆さんの手も借りつつ教えを乞い、今に至るわけだ。
「ん~~、駄目って言わないで、……やる気が起きたら、起きるから……」
「それ間違いなく二度寝するよね!つーか僕がこうやって無理やり起こさずに二度寝しなかった日は一度も無いわ!」
「ん~ぅ~ぅ」
うめき声を漏らしながら、師匠は布団の上で更に丸くなり、また寝ようとする。こういう仕草は実に愛らしいのだが、そうも言っていられない。さすがに今日は甘やかして寝させたままにするわけにはいかないのだ。
あまりやりたくないが仕方ない。僕は自分の部屋に戻り、小瓶をひとつ棚から取り出して再び師匠の部屋へ。
師匠は先程と同じ姿勢のまま動いていない。僕は師匠の身体の力が抜けているのを確認して、顔を覆った手をどかし、そっと顔を覗き込む。小瓶を開け、その中身をちょっとだけ指先に付けて、師匠の鼻の頭にちょんと塗った。
小瓶を閉じて布団から離れ、数秒後。
突然、師匠の身体がびくんと跳ね、そしてジタバタし始めた。普段の師匠からは考えつかないほどに足が素早く動く。
「く~っ!う~~~っ!!」
どこから出してるのか分からないような声を出しながら、僕は師匠のジタバタが収まるのを、脱ぎ散らかされた服を畳みながら待った。
師匠に塗ったのは、この島で育てているワサビの一種だ。茎の部分はそのままおいしく食べられるが、ワサビを鼻に塗ると、アリルイソチオシアネート(CH2CHCH2NCS)という物質が揮発して鼻腔にまで広がり、これにより、鼻腔内で痛覚を伝える受容体を刺激することで、鼻にツーンとくる感覚がおこります。
ただし、ワサビの刺激は人によって感じ方が異なるため、強く感じる師匠には、匂いだけでも強烈な刺激がある。僕は師匠の眠気覚ましとしてこれを使っている。
暴れ疲れたのか、はあはあと息を荒げた師匠は、ようやくゆっくりと起き上がった。こちらを向き直った顔は、涙目でぐすんぐすんと鼻をすすっている。
「ほら師匠、鼻」
ちり紙を二枚取り出し、重ねて一回折りたたみ、師匠の鼻にあてる。少し弱く、ち~んと鼻をかんだのを確認して、僕は師匠の鼻をぬぐう。
「小太郎~~ひどい~ぃ」
「お客様が来たっていうのにいつまでも寝てるからだろ~ぉ。ちゃんと起きてくれれば最終手段なんて使わないんだから~ぁ」
「う~~っ」
「ほら、顔を洗って。歯を磨こう」
僕は甘えん坊のように伸ばす師匠の手を掴み、布団からようやく抜け出させることに成功したのだった。
師匠の身だしなみを整えさせて部屋に入ると、机にはぎっしりと料理が並んでいた。与五郎たち二人と駆さん、僕と師匠の五人だから普段使っている小さめの机にはほとんど隙間がない。
「駆さん、朝からちょっと作りすぎじゃないですか?」
台所を覗き込みながら僕はそう言った。見ると、
「あー、すまない。ちょっと張り切りすぎてしまったな。よし、じゃあ今作ってるやつでやめておこう」
「僕、もうひとつ机を出してきます」
「いや、それは私がやっておこう。それよりも与五郎君を呼びに行ってくれないか。戻ってくる頃にはちょうど食事できるようにしておくよ」
そう言われたので、僕は「分かりました、お願いします」と言い残し、小屋から出て港へと向かうことにした。
「待って」
ふと、背中に声がかかる。振り向くと師匠が手に何かを持ってこちらに近づいていた。差し出されたそれを受け取る。
「あれ、これって」
転送の護符。長方形をした、銭湯の靴箱の鍵のサイズの霊器具だ。道具に除霊の力そのものを込め定着させることは師匠に並ぶ上級除霊のレベル、そんな除霊を使える人物は一人しかいないと聞く。消耗品であっても売れば当分遊んで暮らせるほど高価なものだ。
「どうしてこれを?」
「念のため。必要だと思ったときだけ使うようにしてね」
港と小屋を往復するだけならこんな凄いものを使う必要はない。師匠は何かを感じたのだろうか。
「う、うん。分かった。行ってきます」
「いってらっしゃい」と、師匠は柔らかく微笑み、見送ってくれたのだった。
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