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秀次自害
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ご主人が忍術育成学校に入学して、忍術の実習が始まった六月頃に、突然、関白秀次が謀反をたくらんでいるとの疑いがかけられた。
七月三日に聚楽第に石田三成・前田玄以等の秀吉の奉行衆が派遣され、問いだ出しましたが、秀次は謀反を否定し無実であるとして起請文を出しました。
七月五日には秀次と毛利輝元が密談していると三成が秀吉に訴えました。秀吉は秀次に伏見に来るように伝えましたが、秀次としては身に覚えのないことでもありすぐには応じませんでした。
七月八日に儂のもとを前田玄以と、秀次ゆかりの者の宮部継潤、中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊がおとずれ、秀次を説得しました。秀次は説得に応じて秀吉に会うため伏見城へ行きました。
しかし秀次は伏見城へ入ることが許されませんでした。そして、木下吉隆の屋敷に入るように命令され、「まずは高野山へ行くように」との命令を受けたため、秀次は剃髪して伏見を出発しました。
この時点では秀次はまずは秀吉の許しを請うために言われるがまま従ったほうがよいと考えた。
しかし、家来の徳永寿昌と山内一豊が秀次の罪状を秀吉に並べ立てた。
高野山に向かう秀次には三百ほどの兵が従いましたが、石田三成が数が多すぎるとして三十人弱に減らしました。秀次が出発したあと妻子は捕らえられました。
七月十日に秀次は高野山青巌寺で出家し、道意と名を改めました。
七月十二日に秀吉が羽柴秀頼(拾様)への忠誠および「太閤様御法度・御置目」を遵守し、徳川家康・毛利輝元・小早川隆景連署起請文「坂東法度置目公事篇、順路憲法之上をもつて、家康可申付候、坂西之儀者、輝元并隆景可申付候事」(東国の法度・置目・公事については、公平・公正を以て家康に申し付ける。西国については輝元と隆景に申し付ける)を申しつけた。
そして、高野山での召使いや料理人の人数、刀や脇差の所持を禁止、見舞い者が入らないよう出入口に番を置くことを定める。秀次を監禁するように指示し、聚楽第での籠城戦を主張した、秀次の家老衆が処刑される。
七月十五日。秀次と小姓衆以下その家臣は自害して果てました。
秀次は剣の腕も確かで『一胴七度』という村正の名剣も持ってました。山本主殿助、山田三十郎、不破万作の小姓が自身するときには儂の持つ名刀をあたえ自ら介錯人を務めた、そして、虎岩玄隆が「恩義に報いるために彼岸の導きをする」と言って、名刀村雲を貰って見事に切腹して冥土に先に旅立ち、殉死を果たした。その後、秀次は自刃しました。享年二十八歳。
儂の介錯は雀部重政が務め、雀部重政は秀次が三好家の人質だったころからそばに仕える家臣で、最後に追腹しました。そして服部吉兵衛が重政を介錯しました。
◇◇◇◇…………関白秀次
儂の周りには、実務や経営に長けた有能な家来がたくさんいた。
「彼らをよく見ることこそが、肝要である。」
凡庸な儂は家臣から、領国経営の話をよく聞き、学んだ。領主たるべくして、文道を好み、その促進もした。
それらとは逆に他者の生命を軽んじた裏切り行為などは、それが巷に横行している分だけ、忌避の対象であった。大道廃れて仁義あり、六親和せずして、孝慈ありだったのかもしれない。為政者である秀次も、また、そのことは理解していた。
「太閤殿下に御子ができた。」
先年に続き、叔父に子ができたという。
「拾様は、太閤殿下の御子ではありますまい。」
朝鮮への出兵で、世情がすさみつつあった国内では、そのような噂が広まっていた。殊に、秀吉不在の大坂では、表立って口にすることはないが、各大名の城中の奥の間では、入り浸る人々が、常にその噂を口にして、広めていた。
儂のいる京の聚楽第にも、そのような噂をする口さがない者たちが、しばしば訪れていた。
「孫七郎は、いずれ御拾の後見となるだろうぞ。我らは一門衆も少ない故、皆が合力して盛り立てていくべきよ。」
吉野で花見をしたとき、叔父はそう言った。実際、拾は、生まれて間もないにも関わらず、将来は儂の娘と夫婦になることが、叔父の意向で、明言されていた。
「太閤殿下の仰る通りにございます。」
先年、秀吉の弟秀長が亡くなった。遺領は、養子であった儂の弟秀保が継いだ。そんなこともあり、豊臣家の家族が増えたことは、秀次にとってもうれしいことである。しかし、そんな豊臣家の温和な内情に反して、世間は、彼らを邪な目で見て、邪推をすることに余念がなかった。
関白という地位にある儂は、格好の良い素材だったのだろう。赤子というものを差し置いて、大人たちは、何故、そのようなことをするのか分からずとも、それが、彼ら蛇蝎の習性の如く、悪く黒い噂を流布している。彼らは、また、人の面を被った鬼であったのかも知れない。
「拾様は、太閤様の実の御子ではなかろうに、そのような胡乱な者の後見を託された関白殿下の御不満は如何ほどか知れぬ。今は、関白の世、後は、御拾の世。太閤様亡き後は、骨肉の争いの種になることだろう。」
儂は、御拾が、叔父の実子でないと思っている。そして、行末は、その御拾が世継ぎとなることに対して不満を抱いている。自分の地位が、御拾が成人するまでの仮の物でしかないことに憤っている。そして、自分ではなく、御拾に世を継がせようとしている太閤に不満を抱いている。太閤も、儂は自分の子に世を継がせる上で、目の上のたん瘤でしかないと思っている。
それらの噂は、あるいは、豊臣家に恨みを持つ者が、意図的に流布したものだったのかもしれない。しかし、恐ろしいのは、豊臣の世に、何の遺恨もない善良な世間の民、百姓たちも、まことしやかにそのことを耳にしていたことであった。
「太閤様亡き後は、早々に、隠居し、代わりに、子息の仙千代様を関白にお据え遊ばされれば如何。」そうすれば、世間は、秀吉の世ではなく、儂の世であると、皆は思うだろうという。
「拾様殿より、仙千代様に御味方なさる武家の方が多くありましょうぞ。」
そのような古の保元、平治の乱の例えを引き合いに出して、行く先々で、高説を垂れる僧侶や医者も、儂や傍仕えの大名たちの元に出入りしていた。実際に、そのような入れ知恵を耳に入れられることもなかったが、彼らの周囲には、それらの黒い噂が、日々、漂っていた。
「何故、そのようなことを言う。」
御拾が、叔父の子ではないという噂が、世間で語られているということを、秀吉の御伽衆の一人が口にしたとき、朝鮮出兵も、明国との講和も不調に終わっていた秀吉は、その御伽衆を糾弾した。
「恐れながら、関白殿下のおられる聚楽第が噂の巣になっております。」
「聚楽第が噂の出所であると申すのか。」
「恐れながら。」
秀吉は、真相の究明を命じた。
「叔父上が、某を疑っておられるのか…。」
聚楽第の主である秀次も、噂の渦中にいた。先だって、秀吉の弟の遺領を継いでいた儂の弟秀保が病死し、代わりに、我が子の仙千代丸が、大和一国の国主になることが決まっていた。糾明使である石田三成や増田長盛らは、度々、儂の聚楽第を訪れた。殊に、三成の諮問は、苛烈だった。彼は、現場の実情よりも、理路を糺すことに重きを置いていた。
「殿下は、何故、彼らを粛清なされませず、ここまで放っておかれましたか。」
「我の一存で処することではありますまい。」
「それならば、世間は、殿下に二心ありと受け取られても、おかしくはありますまい。かような風評は、殿下自らが、御手を下されて、意見を表しませねば、太閤様の御耳に入ってからでは、遅いのでございまする。」
「しかと承知仕った。」
「それでは、間に合わないのでござる。」
三成は、親切であった。間違いは正し、非を改めようと。しかし、その正義は、儂にとっては、重かった。三成の正義は、儂にとっては、自らの行いが悪行であったことを確認し、自分を責めるのに都合が良かった。
『俺は、もう疲れた。』
しばらく、来客を止めていた秀次は、突然思い立ち、堰を切ったかのように、短刀で髻を切ると、一人、高野山へ向かった。
『俺は、善人ではなかったのか…?』
後から来た家来衆と伴に、奈良へ向かう道を馬の背に揺られながら、秀次は思った。豊臣家の中で、曲がり形にも、良き一員であろうとしてきた。それが、何故か、見知らぬ他人や世間の性ない悪評によって、家族から離れて、一人、高野山へ向かっている自分がいる。
『武家という物はかくの如き物なのか…』
豊臣家一門の中では、ほとんどいなかったが、周りの武士たちは、追い詰められると、よく切腹をしていた。(そのような事、某にできるのだろうか…)
切腹の話を聞く度に、儂は、そう思っていた。
儂が、高野山に着くころには三百人程の家臣が追い付いてきたが、三成が止めて小姓と身の回りの者を除いて追い返した。
それからも、糾明使による糾弾は続いていた。儂の出奔に、叔父も、驚いたようであったが、すぐさま遣いを遣わしてきて、必要以上の身の回りのことや胡乱な見舞客が来ないように、警固の侍を置いた。
「刀、脇差の類は、持ち込まれませぬよう……」と三成は言ったが。
高野山は禁足地であるが、これには、儂が早まった真似をしないようにとの叔父秀吉の優しさの意味合いがあったのだろうか。それとも、儂の武力行使を恐れたのだろうか。秀吉は、秀次自身には、罪はなく、周囲の者たちが、必要以上に、甥に、政治的思惑を向けていたに過ぎないと思っていた。それ故、外界との隔絶も、これ以上、甥が、政治的策謀の餌食にならないようにとの配慮だったのかもしれなかった。しかし、それら、叔父の思惑のどれもが、あの噂たちと、同様に、善にも悪にも、正にも邪にも、捉えることができるものだった。
しかし、小姓衆以外にも身の回りの者が刀、脇差の類を持参してきた。それも、『一胴七度』を始め村正作の名刀を三振りと脇差が多少。
『今のまま、無分別であれば、俺はおぬしを斬ることになるぞ。』
『叔父上の思惑はそれか…。』
外界と隔絶された世界で、秀次は、かつて、小牧長久手の敗戦の後、叔父から受けた訓戒を思い出していた。
『分別か…。』
その内、身の回りの世話をしている使用人から、「昨日、殿下の御内衆 熊谷直澄、粟野秀用、白江成定……太閤より腹を切らされたらしい」という話を聞いた。
『分別…。武士…。切腹…。…。…。』
文禄四年七月十五日。秀吉の甥、豊臣秀次は、高野山で切腹した。
「月花を、心のままに見尽くして、何か浮世に思い残さむ。」
豊臣秀次、辞世の句のひとつである。彼は、最後まで、叔父である秀吉の意に沿おうと努力していた。それは、独善的な結果になってしまったかもしれないが、最期に、彼の分別として、切腹を選んだ。
『高野山にて、関白殿下、御切腹』
◇◇◇◇
関白が切腹するという由々しき事態に驚天動地したのは、秀吉であった。叔父である彼は、秀次の心意に気付いていたのだろうか。それとも、ただの謀叛人として、認識していたのだろうか。どちらにしても、秀次が切腹した後、秀吉は、大名近臣たちに、御拾への忠誠をしたためた誓紙に血判を押させて提出させると伴に、残りの関白秀次謀叛の噂に関連した者たち数十人を処罰するに至ったのである。その中には、秀保の遺領である大和一国を受け継ぐことを、秀吉から約束された秀次の子、仙千代丸も含まれていた。
七月三日に聚楽第に石田三成・前田玄以等の秀吉の奉行衆が派遣され、問いだ出しましたが、秀次は謀反を否定し無実であるとして起請文を出しました。
七月五日には秀次と毛利輝元が密談していると三成が秀吉に訴えました。秀吉は秀次に伏見に来るように伝えましたが、秀次としては身に覚えのないことでもありすぐには応じませんでした。
七月八日に儂のもとを前田玄以と、秀次ゆかりの者の宮部継潤、中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊がおとずれ、秀次を説得しました。秀次は説得に応じて秀吉に会うため伏見城へ行きました。
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この時点では秀次はまずは秀吉の許しを請うために言われるがまま従ったほうがよいと考えた。
しかし、家来の徳永寿昌と山内一豊が秀次の罪状を秀吉に並べ立てた。
高野山に向かう秀次には三百ほどの兵が従いましたが、石田三成が数が多すぎるとして三十人弱に減らしました。秀次が出発したあと妻子は捕らえられました。
七月十日に秀次は高野山青巌寺で出家し、道意と名を改めました。
七月十二日に秀吉が羽柴秀頼(拾様)への忠誠および「太閤様御法度・御置目」を遵守し、徳川家康・毛利輝元・小早川隆景連署起請文「坂東法度置目公事篇、順路憲法之上をもつて、家康可申付候、坂西之儀者、輝元并隆景可申付候事」(東国の法度・置目・公事については、公平・公正を以て家康に申し付ける。西国については輝元と隆景に申し付ける)を申しつけた。
そして、高野山での召使いや料理人の人数、刀や脇差の所持を禁止、見舞い者が入らないよう出入口に番を置くことを定める。秀次を監禁するように指示し、聚楽第での籠城戦を主張した、秀次の家老衆が処刑される。
七月十五日。秀次と小姓衆以下その家臣は自害して果てました。
秀次は剣の腕も確かで『一胴七度』という村正の名剣も持ってました。山本主殿助、山田三十郎、不破万作の小姓が自身するときには儂の持つ名刀をあたえ自ら介錯人を務めた、そして、虎岩玄隆が「恩義に報いるために彼岸の導きをする」と言って、名刀村雲を貰って見事に切腹して冥土に先に旅立ち、殉死を果たした。その後、秀次は自刃しました。享年二十八歳。
儂の介錯は雀部重政が務め、雀部重政は秀次が三好家の人質だったころからそばに仕える家臣で、最後に追腹しました。そして服部吉兵衛が重政を介錯しました。
◇◇◇◇…………関白秀次
儂の周りには、実務や経営に長けた有能な家来がたくさんいた。
「彼らをよく見ることこそが、肝要である。」
凡庸な儂は家臣から、領国経営の話をよく聞き、学んだ。領主たるべくして、文道を好み、その促進もした。
それらとは逆に他者の生命を軽んじた裏切り行為などは、それが巷に横行している分だけ、忌避の対象であった。大道廃れて仁義あり、六親和せずして、孝慈ありだったのかもしれない。為政者である秀次も、また、そのことは理解していた。
「太閤殿下に御子ができた。」
先年に続き、叔父に子ができたという。
「拾様は、太閤殿下の御子ではありますまい。」
朝鮮への出兵で、世情がすさみつつあった国内では、そのような噂が広まっていた。殊に、秀吉不在の大坂では、表立って口にすることはないが、各大名の城中の奥の間では、入り浸る人々が、常にその噂を口にして、広めていた。
儂のいる京の聚楽第にも、そのような噂をする口さがない者たちが、しばしば訪れていた。
「孫七郎は、いずれ御拾の後見となるだろうぞ。我らは一門衆も少ない故、皆が合力して盛り立てていくべきよ。」
吉野で花見をしたとき、叔父はそう言った。実際、拾は、生まれて間もないにも関わらず、将来は儂の娘と夫婦になることが、叔父の意向で、明言されていた。
「太閤殿下の仰る通りにございます。」
先年、秀吉の弟秀長が亡くなった。遺領は、養子であった儂の弟秀保が継いだ。そんなこともあり、豊臣家の家族が増えたことは、秀次にとってもうれしいことである。しかし、そんな豊臣家の温和な内情に反して、世間は、彼らを邪な目で見て、邪推をすることに余念がなかった。
関白という地位にある儂は、格好の良い素材だったのだろう。赤子というものを差し置いて、大人たちは、何故、そのようなことをするのか分からずとも、それが、彼ら蛇蝎の習性の如く、悪く黒い噂を流布している。彼らは、また、人の面を被った鬼であったのかも知れない。
「拾様は、太閤様の実の御子ではなかろうに、そのような胡乱な者の後見を託された関白殿下の御不満は如何ほどか知れぬ。今は、関白の世、後は、御拾の世。太閤様亡き後は、骨肉の争いの種になることだろう。」
儂は、御拾が、叔父の実子でないと思っている。そして、行末は、その御拾が世継ぎとなることに対して不満を抱いている。自分の地位が、御拾が成人するまでの仮の物でしかないことに憤っている。そして、自分ではなく、御拾に世を継がせようとしている太閤に不満を抱いている。太閤も、儂は自分の子に世を継がせる上で、目の上のたん瘤でしかないと思っている。
それらの噂は、あるいは、豊臣家に恨みを持つ者が、意図的に流布したものだったのかもしれない。しかし、恐ろしいのは、豊臣の世に、何の遺恨もない善良な世間の民、百姓たちも、まことしやかにそのことを耳にしていたことであった。
「太閤様亡き後は、早々に、隠居し、代わりに、子息の仙千代様を関白にお据え遊ばされれば如何。」そうすれば、世間は、秀吉の世ではなく、儂の世であると、皆は思うだろうという。
「拾様殿より、仙千代様に御味方なさる武家の方が多くありましょうぞ。」
そのような古の保元、平治の乱の例えを引き合いに出して、行く先々で、高説を垂れる僧侶や医者も、儂や傍仕えの大名たちの元に出入りしていた。実際に、そのような入れ知恵を耳に入れられることもなかったが、彼らの周囲には、それらの黒い噂が、日々、漂っていた。
「何故、そのようなことを言う。」
御拾が、叔父の子ではないという噂が、世間で語られているということを、秀吉の御伽衆の一人が口にしたとき、朝鮮出兵も、明国との講和も不調に終わっていた秀吉は、その御伽衆を糾弾した。
「恐れながら、関白殿下のおられる聚楽第が噂の巣になっております。」
「聚楽第が噂の出所であると申すのか。」
「恐れながら。」
秀吉は、真相の究明を命じた。
「叔父上が、某を疑っておられるのか…。」
聚楽第の主である秀次も、噂の渦中にいた。先だって、秀吉の弟の遺領を継いでいた儂の弟秀保が病死し、代わりに、我が子の仙千代丸が、大和一国の国主になることが決まっていた。糾明使である石田三成や増田長盛らは、度々、儂の聚楽第を訪れた。殊に、三成の諮問は、苛烈だった。彼は、現場の実情よりも、理路を糺すことに重きを置いていた。
「殿下は、何故、彼らを粛清なされませず、ここまで放っておかれましたか。」
「我の一存で処することではありますまい。」
「それならば、世間は、殿下に二心ありと受け取られても、おかしくはありますまい。かような風評は、殿下自らが、御手を下されて、意見を表しませねば、太閤様の御耳に入ってからでは、遅いのでございまする。」
「しかと承知仕った。」
「それでは、間に合わないのでござる。」
三成は、親切であった。間違いは正し、非を改めようと。しかし、その正義は、儂にとっては、重かった。三成の正義は、儂にとっては、自らの行いが悪行であったことを確認し、自分を責めるのに都合が良かった。
『俺は、もう疲れた。』
しばらく、来客を止めていた秀次は、突然思い立ち、堰を切ったかのように、短刀で髻を切ると、一人、高野山へ向かった。
『俺は、善人ではなかったのか…?』
後から来た家来衆と伴に、奈良へ向かう道を馬の背に揺られながら、秀次は思った。豊臣家の中で、曲がり形にも、良き一員であろうとしてきた。それが、何故か、見知らぬ他人や世間の性ない悪評によって、家族から離れて、一人、高野山へ向かっている自分がいる。
『武家という物はかくの如き物なのか…』
豊臣家一門の中では、ほとんどいなかったが、周りの武士たちは、追い詰められると、よく切腹をしていた。(そのような事、某にできるのだろうか…)
切腹の話を聞く度に、儂は、そう思っていた。
儂が、高野山に着くころには三百人程の家臣が追い付いてきたが、三成が止めて小姓と身の回りの者を除いて追い返した。
それからも、糾明使による糾弾は続いていた。儂の出奔に、叔父も、驚いたようであったが、すぐさま遣いを遣わしてきて、必要以上の身の回りのことや胡乱な見舞客が来ないように、警固の侍を置いた。
「刀、脇差の類は、持ち込まれませぬよう……」と三成は言ったが。
高野山は禁足地であるが、これには、儂が早まった真似をしないようにとの叔父秀吉の優しさの意味合いがあったのだろうか。それとも、儂の武力行使を恐れたのだろうか。秀吉は、秀次自身には、罪はなく、周囲の者たちが、必要以上に、甥に、政治的思惑を向けていたに過ぎないと思っていた。それ故、外界との隔絶も、これ以上、甥が、政治的策謀の餌食にならないようにとの配慮だったのかもしれなかった。しかし、それら、叔父の思惑のどれもが、あの噂たちと、同様に、善にも悪にも、正にも邪にも、捉えることができるものだった。
しかし、小姓衆以外にも身の回りの者が刀、脇差の類を持参してきた。それも、『一胴七度』を始め村正作の名刀を三振りと脇差が多少。
『今のまま、無分別であれば、俺はおぬしを斬ることになるぞ。』
『叔父上の思惑はそれか…。』
外界と隔絶された世界で、秀次は、かつて、小牧長久手の敗戦の後、叔父から受けた訓戒を思い出していた。
『分別か…。』
その内、身の回りの世話をしている使用人から、「昨日、殿下の御内衆 熊谷直澄、粟野秀用、白江成定……太閤より腹を切らされたらしい」という話を聞いた。
『分別…。武士…。切腹…。…。…。』
文禄四年七月十五日。秀吉の甥、豊臣秀次は、高野山で切腹した。
「月花を、心のままに見尽くして、何か浮世に思い残さむ。」
豊臣秀次、辞世の句のひとつである。彼は、最後まで、叔父である秀吉の意に沿おうと努力していた。それは、独善的な結果になってしまったかもしれないが、最期に、彼の分別として、切腹を選んだ。
『高野山にて、関白殿下、御切腹』
◇◇◇◇
関白が切腹するという由々しき事態に驚天動地したのは、秀吉であった。叔父である彼は、秀次の心意に気付いていたのだろうか。それとも、ただの謀叛人として、認識していたのだろうか。どちらにしても、秀次が切腹した後、秀吉は、大名近臣たちに、御拾への忠誠をしたためた誓紙に血判を押させて提出させると伴に、残りの関白秀次謀叛の噂に関連した者たち数十人を処罰するに至ったのである。その中には、秀保の遺領である大和一国を受け継ぐことを、秀吉から約束された秀次の子、仙千代丸も含まれていた。
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基本的には、金持ちで最強の勇者が、ハーレムの女の子たちとまったりするだけのスローライフコメディです。
異世界版の光源氏のようなストーリーです!
……やっぱりちょっと違います笑
また、AIイラストは初心者ですので、あくまでも小説のおまけ程度に考えていただければ……(震え声)
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