64 / 183
偽講和
しおりを挟む
吾輩がご主人と一緒に高麗にきて、驚いたことがある。ご主人が明と高麗の言葉を普通に読み書きして、農産物などを購入していたことである。
文禄二年二月十八日、秀吉が宇喜多秀家へ十三ヶ条の朱印状を出す。現地での指揮権を秀家に与え、名護屋在陣の浅野長政と病のため、昨年八月に一時帰国していた黒田官兵衛に渡航指示を出す。
二月二十一日に加藤清正が安辺から漢城へ向かい、二十九日に漢城へ帰還する。
二月下旬に漢城で軍議が開かれ、寒さと兵糧不足が深刻となったため釜山へ撤退する内容が話し合われた。明の宋応昌が漢城の龍山にある食料貯蔵庫を焼き討ちし、秀吉軍は二ヶ月分の食料を失う。
三月に明の沈惟敬と小西行長が会談を行う。
三月下旬に秀吉が漢城から尚州への撤退を認める。晋州城攻略のため名護屋から前田利家、徳川家康らを含む東国勢の出陣を決定するが、その後家康・利家の渡航は見送られた。
伊達政宗、上杉景勝、浅野長政らが渡航する。
四月十七日に沈惟敬との講和がまとまり、秀吉軍は漢城から釜山へ撤退を開始する。
五月一日に平壌の戦いで小西行長を救援しなかった大友義統を秀吉は改易処分とし、大友領を没収して豊臣直轄地とする。大友義統は秀吉の死去まで幽閉される。
五月に明の宋応昌が、明皇帝から任命されたと偽りの使節二名(謝用梓、徐一貫)を派遣、使節が名護屋城へ入る。
五月十三日に小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継が明の沈惟敬とともに名護屋へ到着する。
「小西行長は秀吉から絶大な歓迎を受けた。秀吉は行長や家臣に銀子を与え手厚くもてなした。」
五月二十一日に黒田官兵衛が高麗の仕置について許可を得ようとするが秀吉は面談せず追い返す。「去年以来ひとりひとりが自分の存分を言い軍議もせず、諸事を行わない。このような事情なので、この度黒田官兵衛が秀吉のもとへ来たが結局しかられて帰った。」
五月二十三日に沈惟敬が名護屋城で秀吉と面会する。
五月二十四日、小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継は再度高麗に渡航する。
■■■■…………
わが軍の外交係である小西、宗と明の沈惟敬との間で、講和がすすめられたのは、文禄二年からであった。沈は逝州の浪人だが、前に日本に渡り事情に明るいというふれこみで、兵部尚書の石星に近づき、その使者として派遣されたのだ。石星は、明帝に和議を進言したことから、交渉係を命ぜられた。
この和平交渉は、まとまる可能性のないものであった。秀吉は、明、高麗に対して桁外れに非現実的な認識しか持ち得ず、また明、高麗も日本に対しては甚だ無知であった。だからお互いの要求を正確に伝達したら、決裂は火を見るより明らかであった。
石星や沈惟敬が、その立場上何とか和平にこぎつけたいとあせるのは当然で、またそれは講和派の中心である小西、宗も同じであった。そこで彼等は、ニセの使者を秀吉に送り、和平条件を提示させることによって戦争を停止させ、その回答をズルズル引きのばして、うやむやのうちに戦争を終結させようとした。
最初に和議問題がもちあがったのは、天正二十年九月、平壌郊外における小西行長と沈惟敬の会談である。この動きに対し、歴代国王の墓陵をあばかれ、国土を荒らされた高麗側は反発した。
また、宋応昌や李如松など明軍の首脳部も反対していた。
ところが碧蹄館の戦いにおける明軍の敗北をきっかけにして、明軍首脳部も和議策に転換していった。
一方、日本軍も戦局が攻守所を変えたことにより、和議を望む動きが出てきた。
問題はどのような条件のもとに和議をすすめるかにあった。ここで宋応昌は荒療治を行なった。
文禄二年三月、宋応昌は配下の兵を漢城に潜入させ、もともと龍山倉は漢江に面した地点にあり高麗国家の租税米の蔵所であった、漢城陥落後に日本軍はその租税米を兵糧にしていた龍山倉にある日本軍の兵糧倉二三ヵ所を焼討ちしたのである。
ここには、約一万四千石、兵力全体の二ヵ月分の兵糧米が蓄えられていたのである。
ここに至って、日本軍は和議に応じないわけにはいかなくなった。
文禄二年三月半ば、小西行長と沈惟敬の会談が再開する。
惟敬はさきに宋応昌の提示した三条件
(一、日本軍の高麗撤退、二、清正が捕らえた高麗二王子の返還、三、秀吉が明皇帝に謝罪すること)を通告するとともに、「明は四〇万の兵を挙げて、日本軍の前後を遮断し、汝らを攻めるであろう。ここで高麗王子を還し、南へ撤退すれば、秀吉に封を与えることもある」と威嚇した。
日本軍総大将宇喜多秀家および石田三成らの三奉行は行長の報告を受けた結果、四月初旬、行長と清正が龍山で沈惟敬と会談することとなった。
そこで、清正の捕らえた高麗二王子は高麗に返すこと、日本軍は漢城から釜山浦まで撤退すること、開城を守る明軍は日本軍の漢城撤退を見て明へ帰国すること、そのうえで明側から和議使節を日本へ派遣することがとり決められたのである。
しかしこの時の明使は、明からの正式の使者ではなく、石星と沈が、小西、宗、石田等の了解のもとに仕立てた偽者であった。
清正が高麗から召還されたのは、慶長元年のことだが、それは小西、石田等の画策によるもので、清正に講和の絡繰りを知られたことにあった。
清正は、高麗の僧松雲大師とつきあっているうちに、秀吉が提示した和平条件が正しく明、高麗に伝わってないことを知り、小西等の絡繰りをつかんだ。松雲大師もまた大いにおどろき、清正からきいた話を高麗政府に伝えた。高麗政府は早速明に問い合わせたので、逆にこのことが石から沈、沈から小西へと伝わり、清正に絡繰りが知れたことを悟ったのである。
彼等にとって、そうした清正を、高麗からも、また秀吉からも遠さけねばならないのは、当然であった。そこで講和の妨害をしているとか、小西行長を侮辱したとか、いろいろ罪状をならべ、水ももらさぬチームワークで清正を高麗に釘付けにしたのだ。
文禄二年四月、日本軍は漢城から撤退した。
そのさい、合従軍務経略の宋応昌は、配下の策士謝用梓・徐一貫らを明皇帝から任命された「明使節」と偽って倭営に送り込んだ。
彼らの目的は日本に渡って、秀吉と名護屋の様子を探ることであった。
その真意を知らぬ清正は二王子と二人の「明使節」を監視しながら釜山に向けて南下した。
文禄二年五月、石田三成らの三奉行と小西行長は「明使節」をともなって名護屋に渡った。
「明使節」が名護屋に到着するに先立ち、秀吉は浅野長政・黒田孝高・増田長盛・石田三成・大谷吉継らに宛てて、和議条件と高麗における今後の方針について、つぎのような考えを示していた。
(第一条)明皇帝の皇女を日本天皇の后とするよう申し入れること。
(第二条)勘合貿易の再開について申し入れること。
(第三条)明と日本の武官衆は互いに友好を深める旨、その誓紙をとり交わすこと。
(第四条)高麗国については、先に渡海した軍勢がこれを平定した。
これからは年月をかけて高麗の百姓を安住させるため、さらに高麗へ兵力を派遣する。
この度、明へ要求したことが実現できたら、漢城から逃亡した高麗国王は不届きではあるが、明の立場に免じて、漢城に高麗四道をつけて、これを国王に与える。
その条件として、高麗王子一人とその家老衆を人質として秀吉のもとへ送ること。
(第五条)先に加藤清正が生け捕った二人の高麗王子は高麗側に返すこと。
(第六条)高麗国家老衆は今後とも日本に背かないと誓紙を出すこと。右の趣旨を明勅使に申し渡すこと。
(第七条)晋州城の仕寄せ築山 を申し付け、死傷者を出さないように心がけ、仕寄せ築山を丈夫にして、晋州城の高麗軍を一人も残さず討ち果たすこと。
*仕寄せ築山「仕寄せ」は城に攻め寄せること、「築山」は城に突入する足場として土砂を積み上げること。両者あわせて「仕寄普請」という。これにより、城に攻め入る。
(第八条)晋州城を陥した後、全羅道を攻略すること。
(第一四条)もし明か和議を申し入れてきても、油断することなく、以上の命令を徹底させること。
(以下略)
このうち、第一条から第六条までが和議についての腹案である。
第七条と第八条は慶尚南道晋州城攻略と、その攻略のあとに予定されている全羅道進撃についての指示である。
そして第一四条では、明か和議を申し入れたとしても油断はならぬ、といっている。
ここに秀吉は和戦両様の心構えを奉行衆らに示し、そのうえで和議の折衝を進めたのであった。
「明使節」との和議折衝には博多聖福寺の景轍玄蘇と南禅寺の玄圃霊三がこれをつとめた。
彼らの後ろには相国寺の西笑承兌が控えていた。
一応の合意は得られましたが、日本・明双方とも警戒を緩めたわけではありませんでした。
同年五月に石田三成ら三奉行と小西行長に同行して明の「使節」が名護屋に到着しました。しかしこの使節は、明皇帝から正式に任命されたものではなく、明の対日総司令官(経略)である宋応昌が、配下の二名(謝用梓と徐一貫)を「明皇帝の使節」と偽って派遣したものでした。
かれらの目的は、日本に渡って秀吉と名護屋の様子を探ることでした。それとも知らずに、日本側は彼らを歓待しました。しかし、秀吉はあくまでも強気で、六月末、秀吉は石田三成らを通じて「明使節」に和議条件七ヵ条と「大明勅使に対し、報告すべきの条目」を提示させた。
その和議条件七ヵ条の内容はつぎのようなものであった。
(第一条)明皇帝の賢女を迎え、日本の后妃に備えること 。
*明皇帝の賢女を迎え、日本の后妃に備えること 「明皇帝の賢女」は明皇帝の皇女=公主である。
「日本の后妃」は日本天皇の后をいう。皇帝の皇女を諸国の王が娶ることを公主降嫁という。
(第二条)日明間の通交が途絶え、近年は勘合が断絶している。改めて官船・商舶の往来を実現すること。
(第三条)明と日本の交流関係が変わることのないよう、両国の大官は互いに誓詞を交わすこと。
*大官 地位の高い官職。
(第四条)高麗について、先に渡海した軍勢が反逆するものを平らげた。
今は高麗の国家を安定させ、百姓を安住させる必要がある。そのため、有能な部将を派遣するが、明か我々の要求を聞き入れたならば、明の立場を考慮して、高麗の逆意を不問とし、高麗八道を分割し、そのうち四道とソウルを高麗国王に返還する。
また、先に高麗は通信使を日本に派遣して誠意を示している。
これらの件につき、余蘊は四人が口頭で伝える。
* 余蘊 残りのこと。ここでは和議条件についての詳細な説明をすること。
* 四人 石田三成・増田長盛・大谷吉継・小西行長の四人。
この文書の宛所はこの四人となっており、彼らが「明使節」と外交の下折衝を行なう。
(第五条)高麗八道のうち四道は高麗国王に返還する。
その条件として、あらたに高麗王子一人と大臣一人を人質として日本へ送ること。
(第六条)去年加藤清正が捕らえた二人の高麗王子は沈惟敬をつうじて高麗側に返すこと。
(第七条)高麗国王の側近には、今後、日本に背かない旨を誓約させること。
以上の件を四人は大明勅使に説明せよ。
文禄二年癸巳六月廿八日 (御朱印)
石田治部少輔三成
増田右衛門尉長盛
大谷刑部少輔吉継
小西摂津守行長
この和議七ヵ条の要点は、明に対しては、明皇帝の公主の日本天皇への降嫁を求めた第一条、勘合にもとづく日明両国の通交関係の復活を求めた第二条にあり、明かそれを聞き入れた場合を前提として、高麗に対して、高麗八道のうち北四道を高麗国王に返還する(換言すれば、高麗南四道の日本割譲を求めた)という第四条、その条件として高麗王子を人質とするという第五条にある。
つぎに「大明勅使に対し、告報すべきの条目」は前文と本文三ヵ条からなる。
前文は「夫れ日本は神国也」といい、神国日本が戦国動乱に明け暮れていた時に生まれた秀吉は「懐胎の初め、慈母、日輪の胎中に入るを夢みた」。
* 夫れ日本は神国也 ここで「日本は神国」という場合について注目しておくならば、かつて一五九一年、インド副王に対日交易は許可するものの、キリスト教は禁止する旨を通告した文書にも、秀吉はその論拠に「日本は神国」であると述べた。
しかし、この和議条件七ヵ条が明の皇帝に届くことはなかった。
文禄二年二月十八日、秀吉が宇喜多秀家へ十三ヶ条の朱印状を出す。現地での指揮権を秀家に与え、名護屋在陣の浅野長政と病のため、昨年八月に一時帰国していた黒田官兵衛に渡航指示を出す。
二月二十一日に加藤清正が安辺から漢城へ向かい、二十九日に漢城へ帰還する。
二月下旬に漢城で軍議が開かれ、寒さと兵糧不足が深刻となったため釜山へ撤退する内容が話し合われた。明の宋応昌が漢城の龍山にある食料貯蔵庫を焼き討ちし、秀吉軍は二ヶ月分の食料を失う。
三月に明の沈惟敬と小西行長が会談を行う。
三月下旬に秀吉が漢城から尚州への撤退を認める。晋州城攻略のため名護屋から前田利家、徳川家康らを含む東国勢の出陣を決定するが、その後家康・利家の渡航は見送られた。
伊達政宗、上杉景勝、浅野長政らが渡航する。
四月十七日に沈惟敬との講和がまとまり、秀吉軍は漢城から釜山へ撤退を開始する。
五月一日に平壌の戦いで小西行長を救援しなかった大友義統を秀吉は改易処分とし、大友領を没収して豊臣直轄地とする。大友義統は秀吉の死去まで幽閉される。
五月に明の宋応昌が、明皇帝から任命されたと偽りの使節二名(謝用梓、徐一貫)を派遣、使節が名護屋城へ入る。
五月十三日に小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継が明の沈惟敬とともに名護屋へ到着する。
「小西行長は秀吉から絶大な歓迎を受けた。秀吉は行長や家臣に銀子を与え手厚くもてなした。」
五月二十一日に黒田官兵衛が高麗の仕置について許可を得ようとするが秀吉は面談せず追い返す。「去年以来ひとりひとりが自分の存分を言い軍議もせず、諸事を行わない。このような事情なので、この度黒田官兵衛が秀吉のもとへ来たが結局しかられて帰った。」
五月二十三日に沈惟敬が名護屋城で秀吉と面会する。
五月二十四日、小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継は再度高麗に渡航する。
■■■■…………
わが軍の外交係である小西、宗と明の沈惟敬との間で、講和がすすめられたのは、文禄二年からであった。沈は逝州の浪人だが、前に日本に渡り事情に明るいというふれこみで、兵部尚書の石星に近づき、その使者として派遣されたのだ。石星は、明帝に和議を進言したことから、交渉係を命ぜられた。
この和平交渉は、まとまる可能性のないものであった。秀吉は、明、高麗に対して桁外れに非現実的な認識しか持ち得ず、また明、高麗も日本に対しては甚だ無知であった。だからお互いの要求を正確に伝達したら、決裂は火を見るより明らかであった。
石星や沈惟敬が、その立場上何とか和平にこぎつけたいとあせるのは当然で、またそれは講和派の中心である小西、宗も同じであった。そこで彼等は、ニセの使者を秀吉に送り、和平条件を提示させることによって戦争を停止させ、その回答をズルズル引きのばして、うやむやのうちに戦争を終結させようとした。
最初に和議問題がもちあがったのは、天正二十年九月、平壌郊外における小西行長と沈惟敬の会談である。この動きに対し、歴代国王の墓陵をあばかれ、国土を荒らされた高麗側は反発した。
また、宋応昌や李如松など明軍の首脳部も反対していた。
ところが碧蹄館の戦いにおける明軍の敗北をきっかけにして、明軍首脳部も和議策に転換していった。
一方、日本軍も戦局が攻守所を変えたことにより、和議を望む動きが出てきた。
問題はどのような条件のもとに和議をすすめるかにあった。ここで宋応昌は荒療治を行なった。
文禄二年三月、宋応昌は配下の兵を漢城に潜入させ、もともと龍山倉は漢江に面した地点にあり高麗国家の租税米の蔵所であった、漢城陥落後に日本軍はその租税米を兵糧にしていた龍山倉にある日本軍の兵糧倉二三ヵ所を焼討ちしたのである。
ここには、約一万四千石、兵力全体の二ヵ月分の兵糧米が蓄えられていたのである。
ここに至って、日本軍は和議に応じないわけにはいかなくなった。
文禄二年三月半ば、小西行長と沈惟敬の会談が再開する。
惟敬はさきに宋応昌の提示した三条件
(一、日本軍の高麗撤退、二、清正が捕らえた高麗二王子の返還、三、秀吉が明皇帝に謝罪すること)を通告するとともに、「明は四〇万の兵を挙げて、日本軍の前後を遮断し、汝らを攻めるであろう。ここで高麗王子を還し、南へ撤退すれば、秀吉に封を与えることもある」と威嚇した。
日本軍総大将宇喜多秀家および石田三成らの三奉行は行長の報告を受けた結果、四月初旬、行長と清正が龍山で沈惟敬と会談することとなった。
そこで、清正の捕らえた高麗二王子は高麗に返すこと、日本軍は漢城から釜山浦まで撤退すること、開城を守る明軍は日本軍の漢城撤退を見て明へ帰国すること、そのうえで明側から和議使節を日本へ派遣することがとり決められたのである。
しかしこの時の明使は、明からの正式の使者ではなく、石星と沈が、小西、宗、石田等の了解のもとに仕立てた偽者であった。
清正が高麗から召還されたのは、慶長元年のことだが、それは小西、石田等の画策によるもので、清正に講和の絡繰りを知られたことにあった。
清正は、高麗の僧松雲大師とつきあっているうちに、秀吉が提示した和平条件が正しく明、高麗に伝わってないことを知り、小西等の絡繰りをつかんだ。松雲大師もまた大いにおどろき、清正からきいた話を高麗政府に伝えた。高麗政府は早速明に問い合わせたので、逆にこのことが石から沈、沈から小西へと伝わり、清正に絡繰りが知れたことを悟ったのである。
彼等にとって、そうした清正を、高麗からも、また秀吉からも遠さけねばならないのは、当然であった。そこで講和の妨害をしているとか、小西行長を侮辱したとか、いろいろ罪状をならべ、水ももらさぬチームワークで清正を高麗に釘付けにしたのだ。
文禄二年四月、日本軍は漢城から撤退した。
そのさい、合従軍務経略の宋応昌は、配下の策士謝用梓・徐一貫らを明皇帝から任命された「明使節」と偽って倭営に送り込んだ。
彼らの目的は日本に渡って、秀吉と名護屋の様子を探ることであった。
その真意を知らぬ清正は二王子と二人の「明使節」を監視しながら釜山に向けて南下した。
文禄二年五月、石田三成らの三奉行と小西行長は「明使節」をともなって名護屋に渡った。
「明使節」が名護屋に到着するに先立ち、秀吉は浅野長政・黒田孝高・増田長盛・石田三成・大谷吉継らに宛てて、和議条件と高麗における今後の方針について、つぎのような考えを示していた。
(第一条)明皇帝の皇女を日本天皇の后とするよう申し入れること。
(第二条)勘合貿易の再開について申し入れること。
(第三条)明と日本の武官衆は互いに友好を深める旨、その誓紙をとり交わすこと。
(第四条)高麗国については、先に渡海した軍勢がこれを平定した。
これからは年月をかけて高麗の百姓を安住させるため、さらに高麗へ兵力を派遣する。
この度、明へ要求したことが実現できたら、漢城から逃亡した高麗国王は不届きではあるが、明の立場に免じて、漢城に高麗四道をつけて、これを国王に与える。
その条件として、高麗王子一人とその家老衆を人質として秀吉のもとへ送ること。
(第五条)先に加藤清正が生け捕った二人の高麗王子は高麗側に返すこと。
(第六条)高麗国家老衆は今後とも日本に背かないと誓紙を出すこと。右の趣旨を明勅使に申し渡すこと。
(第七条)晋州城の仕寄せ築山 を申し付け、死傷者を出さないように心がけ、仕寄せ築山を丈夫にして、晋州城の高麗軍を一人も残さず討ち果たすこと。
*仕寄せ築山「仕寄せ」は城に攻め寄せること、「築山」は城に突入する足場として土砂を積み上げること。両者あわせて「仕寄普請」という。これにより、城に攻め入る。
(第八条)晋州城を陥した後、全羅道を攻略すること。
(第一四条)もし明か和議を申し入れてきても、油断することなく、以上の命令を徹底させること。
(以下略)
このうち、第一条から第六条までが和議についての腹案である。
第七条と第八条は慶尚南道晋州城攻略と、その攻略のあとに予定されている全羅道進撃についての指示である。
そして第一四条では、明か和議を申し入れたとしても油断はならぬ、といっている。
ここに秀吉は和戦両様の心構えを奉行衆らに示し、そのうえで和議の折衝を進めたのであった。
「明使節」との和議折衝には博多聖福寺の景轍玄蘇と南禅寺の玄圃霊三がこれをつとめた。
彼らの後ろには相国寺の西笑承兌が控えていた。
一応の合意は得られましたが、日本・明双方とも警戒を緩めたわけではありませんでした。
同年五月に石田三成ら三奉行と小西行長に同行して明の「使節」が名護屋に到着しました。しかしこの使節は、明皇帝から正式に任命されたものではなく、明の対日総司令官(経略)である宋応昌が、配下の二名(謝用梓と徐一貫)を「明皇帝の使節」と偽って派遣したものでした。
かれらの目的は、日本に渡って秀吉と名護屋の様子を探ることでした。それとも知らずに、日本側は彼らを歓待しました。しかし、秀吉はあくまでも強気で、六月末、秀吉は石田三成らを通じて「明使節」に和議条件七ヵ条と「大明勅使に対し、報告すべきの条目」を提示させた。
その和議条件七ヵ条の内容はつぎのようなものであった。
(第一条)明皇帝の賢女を迎え、日本の后妃に備えること 。
*明皇帝の賢女を迎え、日本の后妃に備えること 「明皇帝の賢女」は明皇帝の皇女=公主である。
「日本の后妃」は日本天皇の后をいう。皇帝の皇女を諸国の王が娶ることを公主降嫁という。
(第二条)日明間の通交が途絶え、近年は勘合が断絶している。改めて官船・商舶の往来を実現すること。
(第三条)明と日本の交流関係が変わることのないよう、両国の大官は互いに誓詞を交わすこと。
*大官 地位の高い官職。
(第四条)高麗について、先に渡海した軍勢が反逆するものを平らげた。
今は高麗の国家を安定させ、百姓を安住させる必要がある。そのため、有能な部将を派遣するが、明か我々の要求を聞き入れたならば、明の立場を考慮して、高麗の逆意を不問とし、高麗八道を分割し、そのうち四道とソウルを高麗国王に返還する。
また、先に高麗は通信使を日本に派遣して誠意を示している。
これらの件につき、余蘊は四人が口頭で伝える。
* 余蘊 残りのこと。ここでは和議条件についての詳細な説明をすること。
* 四人 石田三成・増田長盛・大谷吉継・小西行長の四人。
この文書の宛所はこの四人となっており、彼らが「明使節」と外交の下折衝を行なう。
(第五条)高麗八道のうち四道は高麗国王に返還する。
その条件として、あらたに高麗王子一人と大臣一人を人質として日本へ送ること。
(第六条)去年加藤清正が捕らえた二人の高麗王子は沈惟敬をつうじて高麗側に返すこと。
(第七条)高麗国王の側近には、今後、日本に背かない旨を誓約させること。
以上の件を四人は大明勅使に説明せよ。
文禄二年癸巳六月廿八日 (御朱印)
石田治部少輔三成
増田右衛門尉長盛
大谷刑部少輔吉継
小西摂津守行長
この和議七ヵ条の要点は、明に対しては、明皇帝の公主の日本天皇への降嫁を求めた第一条、勘合にもとづく日明両国の通交関係の復活を求めた第二条にあり、明かそれを聞き入れた場合を前提として、高麗に対して、高麗八道のうち北四道を高麗国王に返還する(換言すれば、高麗南四道の日本割譲を求めた)という第四条、その条件として高麗王子を人質とするという第五条にある。
つぎに「大明勅使に対し、告報すべきの条目」は前文と本文三ヵ条からなる。
前文は「夫れ日本は神国也」といい、神国日本が戦国動乱に明け暮れていた時に生まれた秀吉は「懐胎の初め、慈母、日輪の胎中に入るを夢みた」。
* 夫れ日本は神国也 ここで「日本は神国」という場合について注目しておくならば、かつて一五九一年、インド副王に対日交易は許可するものの、キリスト教は禁止する旨を通告した文書にも、秀吉はその論拠に「日本は神国」であると述べた。
しかし、この和議条件七ヵ条が明の皇帝に届くことはなかった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
二度目の異世界に来たのは最強の騎士〜吸血鬼の俺はこの世界で眷族(ハーレム)を増やす〜
北条氏成
ファンタジー
一度目の世界を救って、二度目の異世界にやってきた主人公は全能力を引き継いで吸血鬼へと転生した。
この物語は魔王によって人間との混血のハーフと呼ばれる者達が能力を失った世界で、最強種の吸血鬼が眷族を増やす少しエッチな小説です。
※物語上、日常で消費する魔力の補給が必要になる為、『魔力の補給(少しエッチな)』話を挟みます。嫌な方は飛ばしても問題はないかと思いますので更新をお待ち下さい。※
カクヨムで3日で修正という無理難題を突き付けられたので、今後は切り替えてこちらで投稿していきます!カクヨムで読んで頂いてくれていた読者の方々には大変申し訳ありません!!
*毎日投稿実施中!投稿時間は夜11時~12時頃です。*
※本作は眷族の儀式と魔力の補給というストーリー上で不可欠な要素が発生します。性描写が苦手な方は注意(魔力の補給が含まれます)を読まないで下さい。また、ギリギリを攻めている為、BAN対策で必然的に同じ描写が多くなります。描写が単調だよ? 足りないよ?という場合は想像力で補って下さい。できる限り毎日更新する為、話数を切って千文字程度で更新します。※
表紙はAIで作成しました。ヒロインのリアラのイメージです。ちょっと過激な感じなので、運営から言われたら消します!
突然だけど、空間魔法を頼りに生き延びます
ももがぶ
ファンタジー
俺、空田広志(そらたひろし)23歳。
何故だか気が付けば、見も知らぬ世界に立っていた。
何故、そんなことが分かるかと言えば、自分の目の前には木の棒……棍棒だろうか、それを握りしめた緑色の醜悪な小人っぽい何か三体に囲まれていたからだ。
それに俺は少し前までコンビニに立ち寄っていたのだから、こんな何もない平原であるハズがない。
そして振り返ってもさっきまでいたはずのコンビニも見えないし、建物どころかアスファルトの道路も街灯も何も見えない。
見えるのは俺を取り囲む醜悪な小人三体と、遠くに森の様な木々が見えるだけだ。
「えっと、とりあえずどうにかしないと多分……死んじゃうよね。でも、どうすれば?」
にじり寄ってくる三体の何かを警戒しながら、どうにかこの場を切り抜けたいと考えるが、手元には武器になりそうな物はなく、持っているコンビニの袋の中は発泡酒三本とツナマヨと梅干しのおにぎり、後はポテサラだけだ。
「こりゃ、詰みだな」と思っていると「待てよ、ここが異世界なら……」とある期待が沸き上がる。
「何もしないよりは……」と考え「ステータス!」と呟けば、目の前に半透明のボードが現れ、そこには自分の名前と性別、年齢、HPなどが表記され、最後には『空間魔法Lv1』『次元の隙間からこぼれ落ちた者』と記載されていた。
戦地に舞い降りた真の聖女〜偽物と言われて戦場送りされましたが問題ありません、それが望みでしたから〜
黄舞
ファンタジー
侯爵令嬢である主人公フローラは、次の聖女として王太子妃となる予定だった。しかし婚約者であるはずの王太子、ルチル王子から、聖女を偽ったとして婚約破棄され、激しい戦闘が繰り広げられている戦場に送られてしまう。ルチル王子はさらに自分の気に入った女性であるマリーゴールドこそが聖女であると言い出した。
一方のフローラは幼少から、王侯貴族のみが回復魔法の益を受けることに疑問を抱き、自ら強い奉仕の心で戦場で傷付いた兵士たちを治療したいと前々から思っていた。強い意志を秘めたまま衛生兵として部隊に所属したフローラは、そこで様々な苦難を乗り越えながら、あまねく人々を癒し、兵士たちに聖女と呼ばれていく。
配属初日に助けた瀕死の青年クロムや、フローラの指導のおかげで後にフローラに次ぐ回復魔法の使い手へと育つデイジー、他にも主人公を慕う衛生兵たちに囲まれ、フローラ個人だけではなく、衛生兵部隊として徐々に成長していく。
一方、フローラを陥れようとした王子たちや、配属先の上官たちは、自らの行いによって、その身を落としていく。
稀代の大賢者は0歳児から暗躍する〜公爵家のご令息は運命に抵抗する〜
撫羽
ファンタジー
ある邸で秘密の会議が開かれていた。
そこに出席している3歳児、王弟殿下の一人息子。実は前世を覚えていた。しかもやり直しの生だった!?
どうしてちびっ子が秘密の会議に出席するような事になっているのか? 何があったのか?
それは生後半年の頃に遡る。
『ばぶぁッ!』と元気な声で目覚めた赤ん坊。
おかしいぞ。確かに俺は刺されて死んだ筈だ。
なのに、目が覚めたら見覚えのある部屋だった。両親が心配そうに見ている。
しかも若い。え? どうなってんだ?
体を起こすと、嫌でも目に入る自分のポヨンとした赤ちゃん体型。マジかよ!?
神がいるなら、0歳児スタートはやめてほしかった。
何故だか分からないけど、人生をやり直す事になった。実は将来、大賢者に選ばれ魔族討伐に出る筈だ。だが、それは避けないといけない。
何故ならそこで、俺は殺されたからだ。
ならば、大賢者に選ばれなければいいじゃん!と、小さな使い魔と一緒に奮闘する。
でも、それなら魔族の問題はどうするんだ?
それも解決してやろうではないか!
小さな胸を張って、根拠もないのに自信満々だ。
今回は初めての0歳児スタートです。
小さな賢者が自分の家族と、大好きな婚約者を守る為に奮闘します。
今度こそ、殺されずに生き残れるのか!?
とは言うものの、全然ハードな内容ではありません。
今回も癒しをお届けできればと思います。
ゲームのモブに転生したと思ったら、チートスキルガン積みのバグキャラに!? 最強の勇者? 最凶の魔王? こっちは最驚の裸族だ、道を開けろ
阿弥陀乃トンマージ
ファンタジー
どこにでもいる平凡なサラリーマン「俺」は、長年勤めていたブラック企業をある日突然辞めた。
心は晴れやかだ。なんといってもその日は、昔から遊んでいる本格的ファンタジーRPGシリーズの新作、『レジェンドオブインフィニティ』の発売日であるからだ。
「俺」はゲームをプレイしようとするが、急に頭がふらついてゲーミングチェアから転げ落ちてしまう。目覚めた「俺」は驚く。自室の床ではなく、ゲームの世界の砂浜に倒れ込んでいたからである、全裸で。
「俺」のゲームの世界での快進撃が始まる……のだろうか⁉
勇者を否定されて追放されたため使いどころを失った、勇者の証しの無駄遣い
網野ホウ
ファンタジー
「勇者じゃないと言われて追放されたので、帰り方が見つかるまで異世界でスローライフすることにした」から改題しました。
※小説家になろうで先行連載してます。
何の取り柄もない凡人の三波新は、異世界に勇者として召喚された。
他の勇者たちと力を合わせないと魔王を討伐できず、それぞれの世界に帰ることもできない。
しかし召喚術を用いた大司祭とそれを命じた国王から、その能力故に新のみが疎まれ、追放された。
勇者であることも能力のことも、そして異世界のことも一切知らされていない新は、現実世界に戻る方法が見つかるまで、右も左も分からない異世界で生活していかなければならない。
そんな新が持っている能力とは?
そんな新が見つけた仕事とは?
戻り方があるかどうか分からないこの異世界でのスローライフ、スタートです。
この度異世界に転生して貴族に生まれ変わりました
okiraku
ファンタジー
地球世界の日本の一般国民の息子に生まれた藤堂晴馬は、生まれつきのエスパーで透視能力者だった。彼は親から独立してアパートを借りて住みながら某有名国立大学にかよっていた。4年生の時、酔っ払いの無免許運転の車にはねられこの世を去り、異世界アールディアのバリアス王国貴族の子として転生した。幸せで平和な人生を今世で歩むかに見えたが、国内は王族派と貴族派、中立派に分かれそれに国王が王位継承者を定めぬまま重い病に倒れ王子たちによる王位継承争いが起こり国内は不安定な状態となった。そのため貴族間で領地争いが起こり転生した晴馬の家もまきこまれ領地を失うこととなるが、もともと転生者である晴馬は逞しく生き家族を支えて生き抜くのであった。
【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた
きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました!
「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」
魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。
魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。
信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。
悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。
かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。
※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。
※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる