【完結】お暇ならショートでも。

カトラス

文字の大きさ
上 下
17 / 45

楽園の虹(FMラジオ朗読用に魔改造された改稿VER。比べてみたら面白いです)

しおりを挟む
「虹が七色ってのは嘘だぜ?」 

 マーカスの口癖。 

「虹ってのは後にでっかい空色があって初めて虹だ。八番目の色は空色だ」 

 地平線の向こう側に、青々と広がる空に浮かんだ虹を見て呟く。 



 1954年、海は何処までも青く、決して交わることのない空と平行に手を繋ぎながら、美しく穏やかな顔をしていた。 

 私は、サンタモニカのこの空と海、そしてサーフィンをこよなく愛し、毎日仲間と海岸で波と戯れていた。 

 そろそろ夏の終わりを告げる濃い日差しの中、一人の白人男が白砂を蹴りながら、私達の方へ近づいてくる。 

「なあ、金、欲しくないか?」 

 やや恰幅のいい中年男は、怪しげに笑いながら噛み煙草を吐き出す。 

「なんだよあんた。ヤバイ仕事なんかしねえよ」 

 無遠慮な男に腹を立てたのか、血の気の多いマーカスが睨みをきかせる。 

「そんなチャチなヤマじゃねえ。もっと簡単だ。とりあえずあそこのレストランの飯を奢るぜ。そこで話そう。もちろん断ってくれたっていいさ」 

 腹が減っていた私達は、タダで飯が食べられるならと胡散臭いこの男の後につく。 

 いざとなったら黙って帰ればいいし、他に連れがいるわけでもなさそうだ。 

 男はラフなシャツにスニードハットを目深に被り、丸腰だと言わんばかりに両手を広げている。 

 マーカスとトムは思いがけない豪華な食事を素直に喜び、はしゃいでいた。 

 男は相好を崩していたが、その目は鋭く、瞬時に私達を値踏みしているかに見えた。 

 吐き出した噛み煙草がじっとりと黒い染みをかたどっている。 

「大丈夫だ、いざとなればこっちは三人だぜ?」 

 私が少し躊躇気味なのを気付いたのか、マーカスがこっそり耳打ちしてくる。そうだなと私は頷いた。 



 ベイサイドホテルの食事は豪勢で、ビールや冷えたジンライムを喉に流し込みながら、私達三人はガツガツと食らいつく。 

 男はその様子を黙って見ているだけで中々本題を切り出さず、ビールを舐めるように煽っていた。 

 分厚くジューシーな肉は、普段食べているバーガーなんかとは比べ物にならない。 

 赤く茹で上がったロブスターの大きさに苦戦しながらも、その身を味わった。 

 胸の谷間が深く切れ込んだ水着のウエイトレスが、汗を掻くほど冷えたジョッキを次々と持ってくる。 

 ブロンドのウエイトレスは、くっきりとくびれた腰ラインの持ち主で、女好きのトムはちらちらと目で追う。 

 食事を終える頃、アルコールと日差しのせいか、すっかりほろ酔いになっていた。空が少し淀んで見えて気分がいい。 

 そこで、待ちかねたように男が切り出した。 



「愛国心ってあるか?」 

「は? なんだよソレ?」 

 一番強い酒を煽ったマーカスが眉を寄せる。 

「俺が頼みたい仕事ってのはな、お国のためになる話しなんだ。しかも海外に行けて給料も破格。サーフィンし放題だぜ?」 

 マーカスを無視して男は話しだす。 

「海外に行けんのか?」 

 トムは身を乗り出して目を輝かせた。トムの家は一番貧しかった。 

「本当さ。そこはまるでエデンの楽園だ」 

 男はビールを飲み干す。 

 その後の男の条件は、若く、好奇心旺盛な私達にとって魅力溢れるものだった。 

「結局その仕事ってのは何するんだよ?」 

 どこかぼかされているグレーの部分に食らいつたのは私だ。なぜか誤魔化されている気がしてならないのと、都合の良過ぎる話しに不信感を抱いたからだ。 

「穴を掘るんだ」 

「穴?」 

「そうだ。楽園に行って穴を掘る。簡単だ。上手くやれば半日で終わる。月収は五百ドル、おいしいだろ?」 

「穴って……プッシーじゃねえの?」 

 トムの冗談に笑いが起きたが、私は笑えなかった。この男の話は上手すぎる。 

「穴掘りだけでそんな大金、信じらんねえよ」 

 マーカスが嘘付けと言わんばかりに薄ら笑いを浮かべた。 

「本当だ。この紙切れにサインしたら契約成立だ」 

「上手すぎないかその話し。おかしいだろ」 

 私が詰め寄ると、男はニッと笑った。一瞬暗く光った瞳にゾッとしたが、財布を取り出す男の手に目を奪われた。 

 いきなり百ドル札を三枚並べ、その横に契約書と思しき書類を添える。 

「今ここで契約書にサインしたら、支度金として一枚ずつやるよ」 

 百ドルもあれば、新品のサーフボードを買っても釣りが来る。見合ったまま、一瞬沈黙が流れた。 

「国の仕事って言ったろ? 急ぐ仕事だから破格なんだよ。これはチャンスなんだぜ?」 

 男は両の手の平を見せて笑った。 

「おお! 星散りばめたる旗は、今猶棚引くや自由なる大地、勇者の故郷に!」 

 いきなり国歌の一節を叫びながら、トムがサインをする。 

「俺はやるぜ! どうせ家にいたって貧乏暮らしだ。口減らしになっておっかあも喜ぶさ」 

「そうか、そりゃ親孝行だな」 

 男はトムに百ドルを渡す。 

「その楽園ってとこじゃあ、虹が見えるか?」 

 マーカスが酩酊気味になりながら男に尋ねた。父親がノルマンディで悲惨な死に方をしているせいか、彼は「国」という言葉に酷く敏感になる所がある。 

 今だってそうだ。何をおかしな事を口にしているのか。 



「ああ、見えるさ。たぶんとっておきのがな」 



 男の答えを聞くや否や、ニヤリと笑いながらマーカスもサインをする。もちろん私も仕方なくだが結局はサインをした。 

「これは俺の名刺。俺はここのもんだ」 

 私達のサインを確認すると、男は名刺を差し出した。 

 それを見た私は驚き、ろくに契約書を読まずにサインした事を後悔した。 

 名刺の中から誇らしげな鷲が威嚇してくる。それは国防総省の証だった。  



 三ヵ月後、私達は翡翠色に反射する海の上にいた。 

 マーシャル諸島洋上を航行する空母の甲板の上は日差しが強い。相変わらず空は青々として私達を見下ろしていた。 

 目指すはビキニ環礁地帯。任務の名称は「キャッスル作戦」というもので、新型爆弾投下実験のようだ。ようだというのは、詳細が一切明らかにされていないからだ。 

 所属の上官に至っては「お前達は英雄になるためにここに来た。ただ粛々と歴史の目撃者になるのみ」とオウムのように繰り返すだけで埒があかない。 

 爆弾投下実験などと言われても全く現実味が無く、頭上の空と眼下のエメラルドに輝く海と戯れる事しか頭に無い。 

 初めに軍隊に入れられた時は、契約書にサインした事を激しく後悔したが、その後は仕事らしい仕事も無いのに破格の給料が支給され、男の言った事は本当だと納得した。 

 そして何よりマーシャル諸島の空と海は、サンタモニカと比較にならない程美しい。水面の輝きを突き破り、イルカの群れが真っ青な空に向かって弧を描く。その度に水しぶきの端に小さな虹が弾けて消える。 

 まさに楽園の中に、私達はいたのだ。 



 ある日、上官に呼び出された。 

 明日、ビキニ島へ行き三日後の投下実験に向けて壕を掘れと言う。穴掘りが終われば休暇にあてて良いと聞き、私達三人は喜んだ。 

「さっさと掘って波に乗ろうぜ!」 

 トムの言葉に異論を唱える者はいない。サーフィン三昧だ。 

 翌日、他の二百名程の兵士と一緒にビキニ島で壕を掘る。作業は予想以上に簡単で、半日もせずに終了した。 

 私達はサーフボードを抱え、海にダイブすると青い空が迎えてくれた。 

 楽園の休日はするりと体に入り込み、また甘美に受け入れてくれる。 

 柔らかな女の裸体のように私達を虜にする。風が上手く波を運び、キラキラとした夢幻の世界が広がっていた。 

 投下実験の日まで私達は楽園に抱かれてはしゃいでいた。 



 ついにあと十分で投下実験が始まる。 

 私達三人は予定ポイントから五十キロ地点の壕で待機していた。 

 前後百メートル間隔にある壕の中で、他の兵士達も固唾を呑んでその瞬間を待っている。 

 さすがに異様な緊張に包まれ、体中から冷たい汗が噴出した。 



 ──投下三分前。 



 突然、上空に爆音が響く。 

 B-29爆撃機のお出ましだ。 

 後方の飛行場から背筋が凍るほどのサイレンが唸りを上げ、空を劈いた。 

 投下の合図を暗い壕の中で聞くとなぜか恐ろしくなり、急に青空が恋しくなる。そんな思いを振り払いながら、望遠鏡で爆撃機を確認すると「サングラスを装着しろ!」と切迫した怒号が響き渡った。 

 慌てて装着した途端、遥か前方に激しい閃光が走る。 

 サングラスのせいで視界は黒い。その黒を容易くぶち破って、不気味な穴が海に現れた。 

 まるで全てを飲み込んだ地獄の入り口のように。 

 次の瞬間、巨大な水柱が黒い空に向かって走り、爆撃機を飲み込むかに迫る。 

 今までに聞いた事も無い程大地が震え、叫び声をあげた。 

 それは恐怖を超えて畏れにも似た感情を揺り起こす。楽園の終焉かと錯覚する。激しい熱風に体を貫かれ、眩暈がした。 

 熱い……呼吸もままならない私は壕の中へと顔を隠した。喉が妬けるように痛い。時間の経過が無限の恐怖を連れて来る。 

 思わず顔を上げた瞬間、信じ難い光景が飛び込んだ。 



 海上から現れた超巨大なキノコ型の雲が咆哮し、空へと昇って行く。 

 決して交わる事の無い筈の空と海が一つになろうと変貌し、世界を変えた。 

 たとえ神であっても許されることのない、自然の理を破壊していく。 

 世界が終わる……本能的に身震いした。 

 暗黒の視界の中、目の前の世界は楽園が崩壊し絶命寸前の雄叫びを上げている。 

 ふとイルカの大群の中にいる自分が見えた。イルカ達は血と汚物にまみれたまま体をくねらせ、白い体を引き裂かれながら息絶えていく。 

 白昼夢か? ここは一体何処だ? 生命の悲鳴が上がる中、水柱と熱風によって生み出された雨が降り注いだ。 

 五十キロも離れた壕の上にも絶え間なく落ちてくる。 

 呆然とし、震える指でサングラスを外した。 

 すると暗黒の世界が一変し、この世のものとは思えない色彩を連れて来た。 

 それは神の世界にも似た一枚の絵。 

 空一面を覆い尽くす、幾千もの虹。 

 空と海が交わったがために生み出された楽園の落し子。 

 禁断の扉を開けたがための美しくも忌まわしい烙印。 

 誰もが心を奪われ、美しさのあまりに沸き起こる恐怖に足が竦む。 



「虹だ!」 



 マーカスは空へ向かって両手を広げ、雨に濡れたまま狂ったように笑い続けた。 

 永遠の楽園は虹に包まれ、空っぽの空間に投げ出されて浮かんでいた。 

  

 翌日、マーカスの髪の毛は全て抜け落ち手足が膨張した。 

 高熱に魘されながらニヤニヤと笑っているマーカスの目には、あの幾千の虹が見えていたのだろうか。 

 生臭い息を吐き、黄色く濁った目を泳がせたままマーカスは息絶えた。最後に見た虹に囚われ、消えてしまった。 

 その後何人もが同じように泡沫へと消えていく。 

 まるで禁断の扉を開けた代償のように。 

 もしかしたら……あの男に声をかけられた時から、マーカスは、この一連の出来事を薄々感づいていたのではないか……彼の死に様を見てそんな疑念に捉われた。 



 数年後、私は軍を退役していた。 

 正確に言うと退役というより処分されたと言うほうが正解か。 

 一生困らない程の保証金と引き換えに体が半分になった。 

 あの後、宇宙人のような防護服に身を包んだ兵士達が、私達の体を調べ徹底的にデーター収集した。我々は検体だったのだ。 

 もちろん真相など誰も語らない。すべては闇に葬り去られる。あの楽園の暗黒へ。 

 私の両腕がもがれ、両足は引きちぎられ、今は半分の体だ。四肢を食べたのはあの空かもしれない。 

 トムは全身が癌細胞に犯され全てを食い尽くされた。 

 徐々に侵食される体の痛みに悶絶し、泣きながら死にたくないと呟き、最後は黄色い泡を口から吹かせ「母さん、母さん」と叫びながら、小さな老人のように変わり果てた姿で逝った。 

 全ては虹の彼方へと消えてしまったのだ。 



 あの楽園にあった空と海は、残された私に一つだけ教えてくれた。 

 この世界は空っぽなのだと。 

 そして親愛なる二人の友は、同じく私に一つだけ与えてくれた。 

 空虚という永遠の苦しみを。 

  

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

国宝級イケメンと言われても普通に嫉妬をする男性ですから

はなたろう
大衆娯楽
国民的人気アイドル、コウキの恋人はごく普通の会社員。メンバーとの飲み会に誘われ参加をしたら、他のメンバーに口説かれてしまった。目撃したアイドルの甘い嫉妬。表題作その他、アイドル×一般人の恋愛×短編をまとめました。 本編、人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーとの一般人の恋愛小説、本編もぜひご覧ください ①コウキ×美咲 「国宝級イケメンとのキスは最上級に甘いドルチェみたいに、私をとろけさせます」 ②アラタ×愛香 関連作品「美容系男子と秘密の診療室をのぞいた日から私の運命が変わりました」こちらも、ぜひお願いいたします(^^)

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...