OC! ~オナクラ~

吉田美野

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葵生川 望

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 二列シート側の窓際に座り、望はビュンビュンと移り変わってゆく景色を無感動に眺めていた。富士山を通り過ぎてから随分経っている。そろそろ名古屋だろう。

 名古屋に着いたら、京都まではあっという間だ。

 〝アオイ〟はいつまであの店を続けるのだろう……と望はぼんやりと考えた。

 ただ誰かに必要とされたい。そんな理由で、あの店にいる。そんな話を、先日義松にしてしまった。体は大きいのにどこか頼りなさげな、〝アオイ〟に夢中の可愛い男――といっても望より彼は年上だ。

 先週、望は義松と食事に行ったあの夜、義松はなぜか泣いていた。

 望の話を聞いて、彼は何を思ったのだろう。

『俺、そのときアオイさんを抱き締めてくれたお客さんに礼を言いたい』

 義松はそう言ってくれた。

 優しい男だ。酔っていたこともあるだろう。義松は泣いて、泣いて、それから望をきつく抱き締めた状態で、立ったまま眠っていた。

 自分より十センチ以上背の高い義松の体を引きずって、ベッドまで運んだのは当然望だ。それからべしゃべしゃに涙で濡れた義松の顔を拭いてやって、こっそり唇にキスをした。

 なぜそうしようと思ったのか、よくわからない。
 何となくしたかったからだ。
 それから二、三回ちゅっちゅと啄むようなキスを繰り返し、義松がまったく気付く様子がないことを悟ると諦めて望もその隣に横になった。朝晩は冷える。上掛けを引っ張り上げてふたりを包む。

 義松は体温が高い。ベッドの中はすぐにぽかぽかとあたたかくなり、望は猫のように伸びをしたあと、気持ちよく眠りについた。


 今ほどパワハラやモラハラに、社会がうるさくなかった時代……望は肉体的にも精神的にも追い込まれて前の会社を辞めた。
 無職になったそんなとき麗が社長に話を通してくれて、店に復帰した。みんな歓迎してくれた。
 あの日、望はこっそり個室で泣いた。
 ありがたいことに終日予約でいっぱいで、ゆっくりおセンチに浸る暇もなかったけど。

 あの店は俺の居場所だ。誰かに必要とされたい――ただそれだけのために、今でもエルミタージュを辞められないし、呼ばれたらホイホイと京都まで着いていく……。

 望は東京発、博多行きののぞみ新幹線に乗っていた。目的地は京都だ。

 先月のことだ。いつものように浅野と会ったとき、まるでこのあと食事に誘うような気軽さで提案された。
「僕、来月出張で京都なんだけどさ、一緒に来ない?」
 シャワーを浴びたばかりの浅野は濡れた髪をタオルで拭きながら言った。裸のまま、まだベッドの中でごろごろしていた望は視線だけで浅野を見て目を瞬いた。

「え? 京都?」
「そう。といっても僕は日中仕事だから、夜しか構ってあげられないんだけど。いいホテルとるから、一緒に泊まろう。それで次の日お昼に美味しい湯豆腐でも食べてから帰ろう」
「へ~、いいね京都。何年行ってないかなあ……」

 望の呟きを了承と取ったのだろう。「これ新幹線代」と言って、いつもの五万に加え、三万渡された。
「えっ、多くない?」
 正確な金額はわからないが、京都までは片道一万そこそこのはず。
「グリーン車でも取ったら?」と浅野はなんてことのない様子で言った。
 こうして望のスケジュール帳には京都行きの予定が書きこまれたわけだが、今となってはあまり気乗りしていない。ほぼひとり旅になるが、それなりに楽しみにしていたはずだったのに。少し気を抜けば、頭の中はエルミタージュと義松のことでいっぱいになる。

 義松のことを考えると、切なくて胸が苦しい――なんて可愛いものではなく、鬱々と後ろめたい気持ちになって、胃の辺りが鈍く痛んだ。

 新幹線に乗り込む前に買ったコーヒーはとっくに冷めていた。不味くなった酸っぱいコーヒーを一気に飲み干し、タイミングよくやってきた車内販売で新しいコーヒーを買う。胃が痛むのはカフェインの取り過ぎのせいだろうか、と一瞬考えたが何にせよせっかくの京都を楽しむべきだ。幸い、秋の空は晴れ渡り全国的に絶好の行楽日和らしい。
 朝から仕事らしい浅野はすでに京都に着いているであろう。
 待ち合わせは夕方だ。それまで何をしようか……仏閣巡りの趣味はないが、京都には中学生以来、来ていない気がする。せっかくだからいろいろ調べて行ってみよう、と到着までの残りわずかな時間、スマートフォンを取り出した。


 結局、半日では大した場所には行けなかった。

 京都駅周辺の寺や神社をふたつ、みっつ回ったが、約束の十七時より随分早めに、待ち合わせ場所の四条に向かい適当なカフェに入った。

 大通り沿いのセルフサービスのカフェの二階で時間を潰していると、待ち合わせより十五分も早く浅野から着いたと連絡が入った。
 カップを片付け店を出ると、スーツにトレンチコート姿の浅野が立っている。重たそうなビジネスバッグを持って、多少くたびれた顔をしているがいい男には違いない。同世代(といっても、望は浅野の正確な年齢を知らない)の男性と比べるまでもなく、年齢を感じさせない引き締まった体をしていて、背もすらりと高い。
「おつかれさま」と望が声を掛けると、くたびれた顔は一瞬で消し飛び、「ありがとう。待たせて悪かったね」と嬉しそうに微笑んだ。

「夕食は神戸牛の店でどう? この近くにいい店があるんだ」
「それ最高」

 明日の湯豆腐も魅力的だが、今夜はガッツリしたものが食べたいと思っていたのだ。
 店はその場所から五分くらいで、予約をしていたのかスムーズにテーブル席まで案内された。実にスマートな男である。

 ローストビーフや希少部位のステーキ、付け合わせの京野菜を赤ワインとともに楽しんで、望はほろ酔い気分でタクシーに乗った。

 ホテルもすぐそばのようで、タクシーは十分も走らないうちにホテルの前に停車した。どうやらチェックインももう済ませてあるらしく、望は浅野に肩を抱かれてフロントを通過し、エレベーターホールに向かった。つくづくスマートな男である。

 宿泊階に到着し、浅野が部屋の鍵を開ける。扉が閉まった瞬間に、足元にどさりと浅野の重たいカバンが落ちて、望はぎゅっと抱き締められた。

 今は肉の焼けた匂いや油の匂いが髪や衣類に染みついているが、基本浅野は無臭だ。柔軟剤の匂いすらしない。加齢臭なんてもってのほかだ。浅野の温もりに包まれると、不思議と落ち着く。美味い肉と美味い酒でようやく胃の辺りの痛みを忘れられ、抱き締められてようやく人心地ついた気分だ。

「まずはシャワー?」

 こくんと頷いた望の唇に、浅野は微笑んで、ちゅ、と触れるだけのキスを落とした。
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