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筧 義松Ⅲ
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料理が次々と運ばれてくると、酒も進んだ。
どうやら酒に強いのか、何杯目かのビールのあと、赤ワインのグラスを傾けているアオイの顔色は変わらない。どうやらフォアグラ大根がお気に召したらしい。先ほど一口頬張り「んー!」と目を輝かせたそのあとから、ずっと上機嫌だ。
「なんでこんなワインの種類が豊富なのか謎だったけど納得~!」
あたたかな店の中でアオイはスヌードとボアジャケットを脱いでおり、薄手のニット一枚だ。
絶妙に開いたVネックから鎖骨がひどく扇情的に映るのは、義松の目に邪なフィルターがかかっているから――だけではないはず。
しどけなく背もたれに寄りかかりながら小首を傾げたアオイは、義松の視線に気付いたのか「何だよ?」と笑ってみせた。
言葉とは裏腹に、義松の考えていることなんてお見通しとばかりの、不敵な笑みだった。
アオイさんの鎖骨がエロいな、と思っていました……とは口が裂けても言えない。
ほんの一時間前までは思いのままに撫で、唇を寄せていた。
それが許されていたのは、あの時間に対価を払ったからだ。金を払わなければアオイには触れられない。それなのにこの人は、目の前で無防備に酒を飲んで上機嫌だ。
「なんでもないです」と、到底なんでもないとはいえない顔で返すのが義松の精一杯だった。
アオイはふふんと笑ってみせると、トマトのサラダをぱくりと一口頬張る。
皮をむいたプチトマトが丸ごと、山盛り皿に盛られた大胆なサラダだ。トマトにはジェノバソースが絡めてあり、皿には模様を描くようにバルサミコソースが散らしてある。
なるほどワインによく合う。
義松も赤ワインのグラスを傾けながら、劣情に満ちた視線をアオイからそっと外した。
料理も酒も美味しく楽しかった。
ときどきアオイがからかうような、挑発的な視線で義松を見た。
おちょくられているのだと、自覚はしている。義松の純情を弄ぶ性悪だ。しかしそれを分かった上で好きでいる。そんなアオイが好きなのだ。
数回食事に行っただけでアオイの特別な存在になったのだと、そんな自惚れはしていない。だが少し、ほんの少しだけ、その他大勢の客の中では、特別扱いをされているのではないか――それくらいの自惚れは持ってもいいのではないか。
お互いグラスワインを数杯呷ったあと、アオイは「ちょっとトイレ~」と言って席を立った。
ここへきてようやくほんのり頬が染まってきた。といっても義松も、顔色はほとんど変わっていない。
ほんのり頬を染めたアオイの姿を、ただただ「可愛いなあ」と思いながらニコニコと見送った。それなりに酔っ払っているのだと思う。
アオイに「アンタ実は結構酔ってるだろ」と顔を顰められたが、そんな表情も可愛いったらない。
トイレに向かうアオイの背中を見送りながらも、義松はしばらくニコニコしていた。
乳首を舐めて、生尻を揉み、チンコを握ってもらう。
あの時間、アオイは義松のものだった。
これは対価を払ったからこそだ。
だが、今この時間は違う。
対価を払って得られた時間ではない。お互いがお互いの為に時間を使って、食事に来ている。義松はずっと舞い上がっていた。舞い上がらずに、いられるわけがない。
ああ、ダメだ、やっぱり自惚れている。
ダメだダメだと言い聞かせながら、表情はニコニコが止まらない。
しかし、なかなか戻ってこないアオイに、義松はだんだん心配になってきた。
アオイが席を立って、どれくらい経っただろう。
時計を見ていたわけではないので定かではないが、十分以上は戻ってきていない気がする。手洗いが混んでいるのだろうか。それとも、具合が悪くなったのだろうか。
まったく平気そうな顔をしていたが、立ち上がっていきなり酔いが回ることもある。大丈夫だろうか、様子を見に行ってみようか……。
たちまちソワソワと落ち着きをなくした義松は、突然ハッとしてもう一つの可能性に行き当たる。
思い出すのは今日、この店に来る前のコンビニでの出来事だ。
コンビニの前で、アオイは若い女にナンパされていたではないか。
自分では女の子にはあまりモテない、なんて言っていたが、そんなことはあるはずがない。アオイはあんなにも魅力的なのだ。
他の客にナンパされていたり……もしかして、女じゃなくて男だったら……? 言わずもがな、アオイは男にモテる。元No.1は伊達じゃない。
もし酔った他の客に絡まれていたら。
無自覚――かどうかは、正直なところ義松は確信が持てないけれど――に垂れ流す蠱惑的なアオイの魅力にアテられたら、ストレートの男だってひとたまりもないだろう。
もしトイレの個室なんかに連れ込まれて、あんなことや、こんなことをされていたら……。
エルミタージュでは、鍵のない扉一枚隔てたすぐ向こうに、阿部や加藤といったボーイが必ずいる。何か問題があったらコールしたらいい。
しかし今はどうだ。標準以上の体躯をした男なら、酔ったアオイなんてひとたまりもないに違いない。
そこまで考えが至ってしまうと、いてもたってもいられなくなって、義松は勢いよく立ち上がる。そしてトイレに向かって突進した。
文字通り〝突進〟した義松は、男子トイレから出てきたアオイに、危うくぶつかりそうになった。
「うわっ――……って、アンタか。ワリ、トイレ我慢してた? すげー並んでてさ~……」
店の奥にある手洗いは、男女個室が各ひとつ。
それと男女兼用の多目的トイレがひとつあるのみだ。
週末の店内はほとんど満席で、酒を飲ませるこの店なら、トイレが混むのも当然だ。
「いえ、あの……アオイさんが遅いから、ちょっと心配で……」
「心配って? そんな酔ってるように見えたか?」
「いいえ、そういうわけじゃないんですけど……」
ここで自分の妄想のバカバカしさにようやく気付く。
やはり、義松も相当酔っ払っているようだ。
「じゃあ何だよ?」
「ア、アオイさんが……ナンパされてるんじゃないかって……コンビニでもされてたじゃないですか。さっきは女の子だったけど……アオイさんなら、男の人にナンパされててもおかしくないし……あの、俺、心配で」
真っ赤になってしどろもどろに答える義松を、アオイはまじまじと見つめた。あまりにも見つめられ過ぎて、不安になるほどだ。
「アオイさん……?」
「アンタ、可愛いな」
「えっ?」
次の瞬間、襟首を突然掴まれたかと思ったら、義松は空いていた多目的トイレに連れ込まれていた。
その体のどこにそんな力があるのか。義松は乱暴に壁に押し付けられ、扉が閉まった。
「ア、アオイさんっ!?」
「心配って、どんな心配? こんな風に俺が連れ込まれて、エッチなことされてないかって? そういう心配のこと?」
「そ、それは……あっ……!」
アオイの手が、義松の股間に伸びた。
ゆるゆるといやらしい手つきでさすられ、思わず声を出すと、目の前のアオイがにやにやと笑っている。
「勃ってるぞ? さっきあんなに抜いてやったのに」
「そんなの……! アオイさんに触られたら、そりゃ……」
「ふーん、じゃ俺のせいってこと?」
「そうですよ!」
真っ赤になってむすっと答える義松に、アオイはたまらないと言った様子で声を上げて笑った。
どうやら酒に強いのか、何杯目かのビールのあと、赤ワインのグラスを傾けているアオイの顔色は変わらない。どうやらフォアグラ大根がお気に召したらしい。先ほど一口頬張り「んー!」と目を輝かせたそのあとから、ずっと上機嫌だ。
「なんでこんなワインの種類が豊富なのか謎だったけど納得~!」
あたたかな店の中でアオイはスヌードとボアジャケットを脱いでおり、薄手のニット一枚だ。
絶妙に開いたVネックから鎖骨がひどく扇情的に映るのは、義松の目に邪なフィルターがかかっているから――だけではないはず。
しどけなく背もたれに寄りかかりながら小首を傾げたアオイは、義松の視線に気付いたのか「何だよ?」と笑ってみせた。
言葉とは裏腹に、義松の考えていることなんてお見通しとばかりの、不敵な笑みだった。
アオイさんの鎖骨がエロいな、と思っていました……とは口が裂けても言えない。
ほんの一時間前までは思いのままに撫で、唇を寄せていた。
それが許されていたのは、あの時間に対価を払ったからだ。金を払わなければアオイには触れられない。それなのにこの人は、目の前で無防備に酒を飲んで上機嫌だ。
「なんでもないです」と、到底なんでもないとはいえない顔で返すのが義松の精一杯だった。
アオイはふふんと笑ってみせると、トマトのサラダをぱくりと一口頬張る。
皮をむいたプチトマトが丸ごと、山盛り皿に盛られた大胆なサラダだ。トマトにはジェノバソースが絡めてあり、皿には模様を描くようにバルサミコソースが散らしてある。
なるほどワインによく合う。
義松も赤ワインのグラスを傾けながら、劣情に満ちた視線をアオイからそっと外した。
料理も酒も美味しく楽しかった。
ときどきアオイがからかうような、挑発的な視線で義松を見た。
おちょくられているのだと、自覚はしている。義松の純情を弄ぶ性悪だ。しかしそれを分かった上で好きでいる。そんなアオイが好きなのだ。
数回食事に行っただけでアオイの特別な存在になったのだと、そんな自惚れはしていない。だが少し、ほんの少しだけ、その他大勢の客の中では、特別扱いをされているのではないか――それくらいの自惚れは持ってもいいのではないか。
お互いグラスワインを数杯呷ったあと、アオイは「ちょっとトイレ~」と言って席を立った。
ここへきてようやくほんのり頬が染まってきた。といっても義松も、顔色はほとんど変わっていない。
ほんのり頬を染めたアオイの姿を、ただただ「可愛いなあ」と思いながらニコニコと見送った。それなりに酔っ払っているのだと思う。
アオイに「アンタ実は結構酔ってるだろ」と顔を顰められたが、そんな表情も可愛いったらない。
トイレに向かうアオイの背中を見送りながらも、義松はしばらくニコニコしていた。
乳首を舐めて、生尻を揉み、チンコを握ってもらう。
あの時間、アオイは義松のものだった。
これは対価を払ったからこそだ。
だが、今この時間は違う。
対価を払って得られた時間ではない。お互いがお互いの為に時間を使って、食事に来ている。義松はずっと舞い上がっていた。舞い上がらずに、いられるわけがない。
ああ、ダメだ、やっぱり自惚れている。
ダメだダメだと言い聞かせながら、表情はニコニコが止まらない。
しかし、なかなか戻ってこないアオイに、義松はだんだん心配になってきた。
アオイが席を立って、どれくらい経っただろう。
時計を見ていたわけではないので定かではないが、十分以上は戻ってきていない気がする。手洗いが混んでいるのだろうか。それとも、具合が悪くなったのだろうか。
まったく平気そうな顔をしていたが、立ち上がっていきなり酔いが回ることもある。大丈夫だろうか、様子を見に行ってみようか……。
たちまちソワソワと落ち着きをなくした義松は、突然ハッとしてもう一つの可能性に行き当たる。
思い出すのは今日、この店に来る前のコンビニでの出来事だ。
コンビニの前で、アオイは若い女にナンパされていたではないか。
自分では女の子にはあまりモテない、なんて言っていたが、そんなことはあるはずがない。アオイはあんなにも魅力的なのだ。
他の客にナンパされていたり……もしかして、女じゃなくて男だったら……? 言わずもがな、アオイは男にモテる。元No.1は伊達じゃない。
もし酔った他の客に絡まれていたら。
無自覚――かどうかは、正直なところ義松は確信が持てないけれど――に垂れ流す蠱惑的なアオイの魅力にアテられたら、ストレートの男だってひとたまりもないだろう。
もしトイレの個室なんかに連れ込まれて、あんなことや、こんなことをされていたら……。
エルミタージュでは、鍵のない扉一枚隔てたすぐ向こうに、阿部や加藤といったボーイが必ずいる。何か問題があったらコールしたらいい。
しかし今はどうだ。標準以上の体躯をした男なら、酔ったアオイなんてひとたまりもないに違いない。
そこまで考えが至ってしまうと、いてもたってもいられなくなって、義松は勢いよく立ち上がる。そしてトイレに向かって突進した。
文字通り〝突進〟した義松は、男子トイレから出てきたアオイに、危うくぶつかりそうになった。
「うわっ――……って、アンタか。ワリ、トイレ我慢してた? すげー並んでてさ~……」
店の奥にある手洗いは、男女個室が各ひとつ。
それと男女兼用の多目的トイレがひとつあるのみだ。
週末の店内はほとんど満席で、酒を飲ませるこの店なら、トイレが混むのも当然だ。
「いえ、あの……アオイさんが遅いから、ちょっと心配で……」
「心配って? そんな酔ってるように見えたか?」
「いいえ、そういうわけじゃないんですけど……」
ここで自分の妄想のバカバカしさにようやく気付く。
やはり、義松も相当酔っ払っているようだ。
「じゃあ何だよ?」
「ア、アオイさんが……ナンパされてるんじゃないかって……コンビニでもされてたじゃないですか。さっきは女の子だったけど……アオイさんなら、男の人にナンパされててもおかしくないし……あの、俺、心配で」
真っ赤になってしどろもどろに答える義松を、アオイはまじまじと見つめた。あまりにも見つめられ過ぎて、不安になるほどだ。
「アオイさん……?」
「アンタ、可愛いな」
「えっ?」
次の瞬間、襟首を突然掴まれたかと思ったら、義松は空いていた多目的トイレに連れ込まれていた。
その体のどこにそんな力があるのか。義松は乱暴に壁に押し付けられ、扉が閉まった。
「ア、アオイさんっ!?」
「心配って、どんな心配? こんな風に俺が連れ込まれて、エッチなことされてないかって? そういう心配のこと?」
「そ、それは……あっ……!」
アオイの手が、義松の股間に伸びた。
ゆるゆるといやらしい手つきでさすられ、思わず声を出すと、目の前のアオイがにやにやと笑っている。
「勃ってるぞ? さっきあんなに抜いてやったのに」
「そんなの……! アオイさんに触られたら、そりゃ……」
「ふーん、じゃ俺のせいってこと?」
「そうですよ!」
真っ赤になってむすっと答える義松に、アオイはたまらないと言った様子で声を上げて笑った。
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