OC! ~オナクラ~

吉田美野

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シン

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 望が倒れたのは、向寒のみぎり。
 一週間前から、亘は、望と同じ店で働いていた。カフェ&バーは主軸だったフリーターふたりが就職で抜けたところだった。

 一方亘のコンビニバイトはというと、高校生バイトがふたり増え、昼間のシフトに入りにくくなってしまった。これは死活問題だ。ならばうちで働いてくれと望に誘われ、短期で働くことにしたのだ。
 そんな中、突然かかってきた店長からの電話。

「望が倒れたの。悪いんだけど、新田くん、迎えにきてくれない?」

 たまたま授業もバイトも休みで、ただ部屋でゴロゴロしていた亘はすぐさま飛んで行った。

「大袈裟! ちょっとヨロけただけだって!」

 倒れたと聞いて血相変えて店に飛び込んだ亘だったが、いつもより顔色は悪いものの、思ったより元気そうな望の様子に心底安心した。

「何言ってるの、さっきまで顔真っ白だったくせに! ……ごめんねぇ、新田くん休みの日に。さっきまで立ってることもままならなくて、さすがにひとりで帰せないし……」

 店長は三十半ばの女性で厳しいと噂の人だが、バイトからの信頼は厚い。店長もよくバイトの面倒を見、中でも望のことは特に可愛がっているようだった。

 だがそれは店長に限ったことではない。素直で真面目な望のことを、この店のスタッフはみーんな可愛がっていた。

「帰ろ、望。立てるか?」
 望は「もう、みんな、俺を病人扱いし過ぎ」と、苦笑いをしていたが、立ち上がるときに少しフラつく。亘は慌てて望の体を支えた。

「実際病人だろ。歩けるか?」
「新田くん、これ使って」
 望を支えて出ようとしたとき、店長から千円札を渡された。
「タクシー使って。これで足りると思う」
 ふたりの住むアパートから駅前のこの店まで、歩いたって十五分ほどだ。タクシーなら初乗り運賃だけでいける。
「えっ、店長いいよ、そんなの……俺歩いて帰れるよ」
「ありがとうございます。使わせてもらいます」
「おい、亘っ」
「こういうときは、大人の厚意を素直に受け取るのも礼儀だと思うぞ」

 だいたい、望は人に甘えなさすぎる。彼の家庭の事情を知ったのは、亘もごくごく最近だ。一見、人懐っこく甘え上手なイメージがあるが、実際はそうではないことを一年近くすぐそばで見てきた亘はよく知っている。
 諭されるような形になり、望は青白い顔で不服そうに亘をじろりと見たあと、店長にぺこりと頭を下げた。

「店長、ありがとうございます」
「うん、ゆっくり休んで。悪いけど新田くん、お願いね」
 店長もようやくホッとしたように頬を緩めた。
 スタッフルームから出ると、他のスタッフが心配そうにこちらうかがっていた。本当に望はみんなに可愛がられている。

「望、まだ顔色悪いね」
「ゆっくり休んで」
「望、大丈夫? 亘くん、よろしくね」

 別に誰に頼まれずとも面倒は見るつもりだが、同じバイト先で心底よかったと思う。そうでなければ、望がバイト先で倒れたって亘に連絡がくることはなかっただろう。
 もう望は無駄な抵抗はせず、 見送る先輩たちに弱々しい笑顔を向けただけだった。



 無事にタクシーでアパートまで着くと、望はよろよろしながら部屋着に着替え、ベッドの中に潜り込んだ。
「熱は? 食欲は? 寒くないか?」
 世話を焼こうと周りをちょろちょろする亘を、望は鬱陶しそうに「もー……ほんと大袈裟。ちょっと疲れが溜まっただけ。寝たらそれで大丈夫だから」と追い払った。

 そして次の瞬間には、すぅ、と寝息が聞こえてくる。やはり相当疲れていたようだ。
「大体、働きすぎなんだよ、お前……」

 バイトをめいっぱい詰め込んでいるのは亘も似たようなものだ。だが亘には、いざと言うとき頼れる両親がいる。
 亘の家は亘も含めた四人兄弟で、下に弟がふたりと妹がひとり。下の三人と亘はすこし年が離れていて(ちゃんと全員同じ両親の子だ!)一番下の妹はまだ幼稚園児である。


 高校三年生になったばかりのある日、母親にこう言われた。

「あんたまさか大学行くつもりじゃないわよね?」

 亘はぎょっとして「それって、行くなってこと?」と聞き返した。
「だってあんた、勉強は好きじゃないし得意でもないじゃない。なのに行きたいの? これからチビたちにもお金かかるし、あんたを大学に行かせる余裕なんて、うちにはないわよ」

 自分の家を特別貧乏だと思ったことはないが、子ども四人を全員大学に行かせられるほどの余裕はないだろう。
「それでもどうしても行きたいっていうんなら、家から通える範囲の公立の短大にしなさい。それなら出してあげるから」

 家から通える範囲にある公立の短大なんて、女子大しかない。それをわかっていて言っているのだろうか。
 母親の言うとおり、亘は勉強が得意ではないし、特別好きでもない。だが大学くらいは出ておきたい。

 追い詰められた亘は悩んだ末、唯一味方になってくれそうな父親を説得し、奨学金を借りて自分で全額返すことを条件に私立の四大を受験した。約束通り〝公立の短大程度〟の補助はしてくれているが、それ以上の学費、実家を出るに伴っての引っ越し代、家賃生活費の仕送りは一切なしだ。

 それでも父親からは頻繁に連絡が来るし、母からは米だの何だのと支援物資も届く。亘も望も、仕送りのない貧乏学生には変わりない。しかし最終的に頼れる人間がいるのといないのとでは、根本的に気持ちの余裕が違う。

 このまま自分の部屋に戻る気にはなれなくて、亘は寝入ってしまった望の部屋を片付けはじめた。
 慌ただしくバイトに向かったのだろう、朝飲んだであろうコーヒーのカップや、取り込んだ洗濯物などがそのままになっている。

 それらを片付けふたたび望の眠るベッドに近付く。変わらず、すうすうと落ち着いた寝息を立てている。何となしに伸ばした手は望のキメの細かなすべすべした頬に触れ――その熱に亘はぎょっとした。慌てて額や首のあたりに触れて体温を確かめる。
 熱い。これは眠っている人間の体温が高いとかそういうレベルではなく、間違いなく。

「これ、熱、あるよな……?」

 その夜、望は三十八度の熱を出した。
 探すまでもなく、この質素な望の部屋に救急箱なんてあるわけがない。
 亘は慌てて隣の自分の部屋に戻った。部屋には、体温計、痛み止め、解熱剤、包帯やガーゼに絆創膏――……一通り入った箱がある。下の三人で手一杯かと思いきや、何だかんだ亘自身のことも気にかけてくれる母に持たされたのだった。

 ひとり暮らしをはじめてまだ一度も開けたことがないそれを持ち、亘は急いで望の部屋に戻った。
 意識のない望の額に冷却シートを貼ったあと、何か食べさせなければと近所のスーパーに走る。
 米は小分けて冷凍したものがまだあったはず。卵とスポーツドリンクと、あとはゼリーのようなものなら食べられるだろうか――……ふと目に入った手作りの商品ポップには「風邪にはビタミン!」と書かれ、グレープフルーツが山のように盛られている。

 亘は深く考える前にグレープフルーツを一つ手に取り、買い物かごに放り込んだ。

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