セピア色の恋 ~封印されていた秘め事~

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33 2021 楓の落胆

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 親が留守でいない家の女子の部屋に連れ込み、胸まで触らせてあげたのに、結局駿は何もしなかった。

 Tシャツの上から触ってるだけでそれ以上してこないので、ジレてしまい、ズボンの上からアイツのを触ったら、

「あっ・・・」

 と言って腰を引き、顔を真っ赤にしてそのまま帰ってしまったのだ。

 なんで? なんでこうなるの? 何が悪かったんだろ?

 サッパリ訳がわからなかった。

 女子にここまでヤラせておいて・・・。

 めっちゃ傷ついたし、クソむかついた。

 そのまま部屋にいると気が滅入る一方だった。

 ラジオを点けた。プリセットのローカルFMが古い洋楽を流していた。

--それでは次のリクエスト行ってみましょう。ラジオネーム、『老人ホームの5歳児』さんからで・・・。

 ディアラプレイセス、アイリメンバー・・・--

 つまんね・・・。

 こういう時はばあばん家の蔵に行くに限る。何故か不思議にあの中にいると落ち着くのだ。


 


 

 死んでしまった人もいれば まだ生きている人もいる

 この人生で出会ったそんな人達みんなを僕は愛している・・・


 

 娘の塔子の運転する車の助手席でウトウトしかけていたら、カーラジオから懐かしい曲が流れてきました。

--ビートルズで、イン・マイ・ライフ、お届けしました。いや、いつ聴いても心にしみる名曲ですねえ。『老人ホームの5歳児』さん、どうもありがとうございました・・・--

 その曲にずっと聞き惚れたい、そう思っていると、

「・・・ねえ、どうすんの!」

 ドスの利いた低い声で振り向きました。ハンドルを握る塔子が怖い顔で前を見ています。

 四人の娘の中では一番の器量良し。家庭的で、おしとやか。

 でも、これでも母親だけにそれが上辺だけなのを十分に知っていました。真面目で芯が強く、我慢強い子でした。ですが一旦怒ると手が付けられないほどに猛々しい子でもありました。子供のころ長女の奈津子としょっちゅうケンカしてましたが、体格が小さくても絶対に負けていないのです。打ち負かされても何度も立ち上がって大きな姉に掴みかかっていました。最後には根負けしてわかったわかったと逃げるのはいつも姉の奈津子の方だったのです。

 こんな険しい気性の子ですから普通に結婚しパートナーと幸せな家庭を作れるのだろうかと危ぶんでいました。持ち前の粘り強さで猛勉強し四人の中で唯一旧帝国大に入り、かつてのヤマダさんのように官僚にでもなりたいのかと思っていたら、卒業と同時に小学校からの幼馴染を家に連れて来て、

「お父さん、お母さん。あたし結婚するから」

 真っ先に家庭を作り専業主婦になりわたしの最初の孫である楓を産みました。

 塔子はそんな不思議な娘なのです。


 

「・・・どうする、って?」

「もう、決めないと」

「・・・何を?」

「ねえ、ふざけてんの? センセから言われたじゃないの! 今月中にも治療を始めないと、って」

「そんな、怒鳴らなくても聞こえてます。まだ耳もアタマもボケちゃいないんだから・・・」

「そうやってお母さんがいつまでもズルズルしてるから! もう、見てるとイライラしてくるっ!」

「あんまりカッカすると身体に毒よ。それに運転中でしょ。事故するわよ」

 奈津子に頼まれた書類の手続きで県庁を訪れたあと、塔子に引きずられるようにして行ったのはショッピングモールでもレストランでもなく、病院でした。塔子が言っているのはそのことなのです。

「気持ちは嬉しいけど、自分のことは自分が一番よく知ってるの。気を揉ませて悪いけど、これだけはあたしの好きにさせて欲しいの。

 今日は疲れちゃった。どこにも寄らないでまっすぐおうちに帰りたいわ」


 

 仏頂面のままの塔子に家の前で下ろしてもらいました。

「姉さんにちゃんと今日のこと報告すること。いいわね? 後から確認するからね」

「だったら、あんたが説明してくれればいいじゃないの。

 ・・・ありがとうね、トコ・・・」

「・・・ん、もうっ!」

 娘の車を見送って家に入り、もう一度カーラジオで流れていた「In My Life」を聴きたくなりポータブルCDプレイヤーを引っ張り出して、ついでにちょっと飲みたくなって水割りを用意して、さて聴きましょうかとPLAYボタンを押そうかというところにまたもや楓が現れました。もうヒグラシが鳴き始めていて陽も傾きつつありました。いつも突然な孫娘の襲来に備えてアブナイ写真や手紙は全て再び戸棚の中にしまってありました。慌てずに済んでよかったです。

「あっ! ばあば、お酒飲んでるぅ」

「また来たのォ? あんたも飽きないわねえ・・・」

 結婚しておじいさんが亡くなるまでの間、わたしは一切お酒を絶っていましたが、ここ最近また飲み始めていました。飲む、といってもせいぜいが水割り一二杯程度です。ですがそれすら孫に咎められます。

「お薬効かなくなるから飲んじゃだめって。お医者さんから言われてるんでしょ」

「そうだったわね。ダメね。すぐ飲んじゃう。さ、そろそろお夕飯の支度を・・・」

 孫娘はため息をついて縁側から上がってくると彼女のスマートフォンを見せてくれました。

「ナツおばさんから。会合で遅くなるから先に寝ててって。ばあばに伝えてって」

「ナツもねえ。なんであんたのスマホに打ってくるのかしらね」

「ばあばがスマホ見ないからでしょ」

 そう言って楓は抱えて来た小さな汚らしい段ボール箱を脇に置いてゴザの座布団にぺたんと座り、麦茶をゴクゴクと飲み干しました。


 

 亡くなったおじいさんは、男の子が欲しかった人でした。でも最初に長女のナツが生まれると、

「なんだ、女か。お前適当に名前考えとけ。まあ、夏生まれだからナツでいいだろう」

 ヒドイことをいうものだと思いましたが、それでも単に「夏子」では可哀そうだから(「夏子」という名前の方には申し訳ありませんが)、「奈津子」と名付けました。その流れが楓の母になる次女の時も続き、

「また女か。フユとでもしておけ」

 というのを「塔子」とし、三女四女となるともう、ものも言わなくなり、それぞれ「亜紀」「波留」と名付けました。五回目の正直で、とさらに産ませようとするのでさすがにおじいさんを諫めました。

「女だっていいじゃないの。この世には男より稼いでる女だってたくさんいるんだからね!」

 するとおじいさんはそれきり何も言わなくなりました。長女のナツがおじいさんの後を継いで植木屋になると言い出したのは、わたしのその言葉を憶えていたからではないかと思うのですが、本人に確かめても「そうだったかな。もう忘れちゃった」というだけで未だにハッキリ教えてくれません。


 

「もう一杯飲む?」

 孫のグラスを取り上げようとすると、

「それよりさ、これ知ってた?」

 と段ボール箱の中から古いカメラを取り出したのです。

「ね? 値打ちものでしょ、これ。鑑定お願いしてもいいかな」

 わたしの目はその古いカメラにくぎ付けになりました。

「・・・それも蔵にあったの?」

 孫娘の手からそのニコンのカメラを受け取るとしみじみと見つめました。

「無理だわね。値段なんかつかないよ、これ」

「どうして? フィルムのヤツでしょ。今じゃ作ってないでしょ」

「あのね、古いからいいってもんじゃないのよ。それにこれ、壊れてるもの」

「ええっ、ウソ」

「ホラ、ここ。穴が開いてる」

「・・・ほんとだ」

 ちょうどボディーと付け替え式のレンズの合わせ目がボコッとへこんでいるのです。そのせいでボディーが変形し、もう二度とレンズが交換できなくなってしまっていたのです。

「今も動くならそれなりの価値があると思うけど、これじゃあねえ・・・」

「じゃあ、いいよ。一度さ、こういうものですけどって、聞くだけ聞いてみれば」

「およしなさい」

 わりとキツめに言いました。

「あんたもそろそろお夕飯でしょ。おうちに帰ってたまにはお母さんの手伝いでもしなさい。お母さん今日ばあばに付き合ってくれて疲れてると思うから。ね?」

「じゃあさ、ばあばも一緒に行こう。どうせナツおばさん帰ってこないならウチで一緒に晩ご飯食べればいいじゃん」

「お昼の残りがあるの。それ片付けたいから。あんたはもう帰りなさい。だいたい夏休みの課題終わったの? 予備校の夏期講習もあるんでしょ? 今日トコから聞いたわよ。志望校の偏差値スレスレだって・・・」

「ちっ・・・。ママ、なんでばあばに余計なこと言うかなあ・・・」

「勉強したくなくて逃げて来るなんて許しませんからね。ばあばがトコから、あんたのお母さんから怒られちゃうもん」

「わかったよ」

「あしたはここに来ないでみっちり家でやることやりなさい。それが終わってから好きなことしなさい。いいわね?」

「・・・はあい」

「わかったら、帰りなさい」

「・・・じゃあね、お休み、ばあば」

「カエデ。それは置いて行きなさい。ばあばのうちのは、ばあばのもの。勝手に持って行ったら泥棒よ」

 楓が何気に段ボール箱を持ってゆこうとするのでたしなめました。

「わかったよ。じゃね、ばあば。お薬飲むんだよ。お酒はほどほどにね」

「はいはい。お休み」

 孫が次女の家に帰ってしまうと縁側の蚊取り線香を中に入れ、網戸を締めました。そうして段ボール箱を膝の上に載せました。座卓の布巾で箱の埃を拭い、もう一度中身を取り出してその汚れも拭き取りました。部屋の灯りにボディーのへこみを翳し、もう一度そこをながめ、指でそのへこみを撫でました。

 かつて、その壊れたカメラを譲り受けた時、実はそのへこみにはあるものが埋まっていたのです。ですが、あまりにも忌まわしいので人に頼んで取り去ってもらったのでした。

 もう一杯飲みたくなってしまいました。

 わたしはもう一度CDプレーヤーのボタンを押し、「In my life」を聴き直しました。
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